未亡人となったユリア・ナワルナヤ Photo by Peter Kneffel/picture alliance via Getty Images

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エル・ムンド(スペイン)

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Text by Gonzalo Suárez

2024年2月、ロシア北極圏の刑務所に収監されていたアレクセイ・ナワリヌイが死亡した。現在、妻のユリア・ナワルナヤは、夫の意志を受け継ぎ反体制派を団結させようと活動している。普段は取材を受けることが少ない彼女が、スペイン紙のインタビューに応じた。

約束の時間である正午に1分たりとも遅れることなく、ユリア・ナワルナヤ(48)がパソコンの画面に現れた。控えめな黒のセーターに、同じく黒い縁のメガネを身につけ、特徴である長い金髪はポニーテールにまとめている。背後には白いパネルが設置されており、彼女の居場所のヒントになるようなものがいっさい映らないようにしている。

この数分前に、ナワルナヤのアシスタントがやや気まずそうに、ナワルナヤの居場所を私に明かしてしまった自分の不手際を慎重に修正し、「敵にあまり情報を与えないほうがいいので、どうかお願いします」と言った。

このような探偵小説めいた段取りの理由は、ナワルナヤの夫、アレクセイ・ナワリヌイがロシアの刑務所で死亡して以来、ナワルナヤがロシア反体制派で最も著名な人物になっているからだ。

そしてナワリヌイ著『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』を読むと、この状況をより一層、理解できるようになる。本書によると、ナワルナヤは2020年夏、神経剤ノビチョクによる暗殺未遂の犠牲になった。それからわずか2週間後、夫のナワリヌイも同じ方法で襲われ、もう少しで命を落とすところだった。このときナワリヌイは絶妙のタイミングでベルリンの病院に搬送されたおかげで、ロシア政府による攻撃から逃れることができた。

「家族で週末をカリーニングラードで過ごしていたときのことでした。突然、私はひどく気分が悪くなったのです」と、ナワルナヤは当時のことを思い出す。

「どこかが痛いとか、吐き気がする、というわけではありませんでした。ただ、死ぬような気がしたのです。後に夫が、自分自身の暗殺未遂事件について調査しているときに、彼の命を狙った同じ暗殺実行グループが、私たちがカリーニングラードにいた同じ時期にそこにいたことを突き止めました。夫のチームの一員だった人によると、暗殺者たちが私たち家族の周りをうろついていたと知ったときほど、夫が顔を引きつらせたことはなかったそうです」


ナワルナヤはこうした出来事について、ほとんど自殺行為に近いにもかかわらず驚くべき勇気をもって語る。そんな彼女の姿勢が、ナワリヌイがロシア各地の刑務所に収監されていた3年のあいだに、彼女を魅力的な人物にした。民主主義を重んじるその同じ勇気を、彼女は2024年2月、ロシア北極圏の刑務所における夫の死を知った際に見せた。彼女は子供たちと身を隠すどころか、ミュンヘン安全保障会議で登壇し、十数ヵ国の首脳らを前に、即興で演説したのだ。

「プーチンと、彼の周囲の人々、友人、そして彼の政府に知ってもらいたい。あなた方は、私たちの国、私の家族、そして私の夫におこなったことのために、罰せられるでしょう」

ナワルナヤは一夜にして、夫の政治的遺産のすべてを受け継いだ。それとともに、2人の子供を持ちながらも夫を亡くし、暴君の冷酷さを前にした痛みを抱えることになった。こうした組み合わせが今日(こんにち)ナワルナヤを、その大半が亡命し、かつ絶え間ない内部抗争によって弱体化した反政府勢力を団結させる人物にしている。ナワルナヤは多くの人にとって、いまなおプーチンを不安にする数少ない存在なのだ。もしかしたら、唯一の存在かもしれない。

しかし「そのような存在になるには、もっと努力しなければならないでしょう」とナワルナヤは言い、自分はさほど重要な人物ではないとでもいうように笑う。

「アレクセイと生きてきて多くを学んだとはいえ、私はまだ政治の初心者です。でも一つ、お約束します。プーチンが最も恐れる女になるため、力の限りを尽くします」

最高の夫であり、父親であり、息子だった


取材には常に消極的なナワルナヤだが、今回は『PATRIOT』の宣伝のため例外的に取材に応じた。本書は、ナワリヌイが亡くなる前の数年間に綴った書で、ありとあらゆる手法によるハッキングの対象になった。

640ページに及ぶ本書のなかで、ナワリヌイは中流家庭で育った子供時代、ガルリ・カスパロフのようなスター亡命者の支援のもとイェール大学で学んだこと、そしてプーチンが権力の座に就いたのをきっかけに政治への関与を深めていったことなどについて語っている。

さらに、ますます権威主義を強めていく政権との10年間に及ぶ対立、毒殺未遂事件から回復したあと、ロシアに帰国して投獄されたこと、そして最終的に、ロシアで最も厳しい施設とされる刑務所で迎える自らの死について、まるでそれが避けられない運命へのカウントダウンであるかのように一人称で語る。投獄から1年を過ぎた2022年3月22日、ナワリヌイはこう記している。

「自分が終身刑になることは最初からわかっていた。自分が死ぬまでか、体制が終わるまでか」

本書には、囚人服のボタンをかけ間違えたというそれだけの理由で2週間、独房に入れられたことも書かれている。さらに独房から出された直後に、手を後ろで3秒間、組まなかったという理由で再度2週間、独房に入れられたという。ナワリヌイが入れられた独房は、精神を病んで24時間、叫び続ける受刑者が収監されている檻房の前にあった。

「睡眠の剥奪は、最も効果的な拷問のひとつだ。しかし今回、正式な異議申し立てはできない。男もまた囚人であり、懲罰隔離棟に入れられているだけ」

そしてナワリヌイはロシアの刑務所制度の階段を徐々に登り、その最上段に到達する。つまりEPKT(懲罰独房)に1年間、収監されたのだ。ナワリヌイはこう書いている。

「EPKTで1年間という懲罰は、すべての刑務所のなかで最も重大な懲罰だ。燃え尽きる寸前のロックスターの気分だ。チャートのトップに躍り出て、次なる目的を見失ってしまったかのような」

このちょっとしたユーモアは、刑務所ですらナワリヌイの魂を壊すことはできなかったことの証だ。それどころか、驚いたことに彼は、厳格なロシアの刑務所にあっても明るい瞬間を見出すことができた。それは日曜の温かなコーヒーだったり、情け深い看守と交わす目くばせだったり、忘れていたギ・ド・モーパッサンの作品を読むことだったりした。2020年の夏、ナワリヌイはこう綴っている。

「唯一、確かなことがある。それは私が地球上で最も幸せな1%の人たち(つまり、自分の仕事を愛し、誇りを持っている人たち)の一人であるということだ。私は仕事をしているとき、その一秒一秒が楽しい」

ナワリヌイの収監条件を厳しくするため、ロシア政府が罪をでっち上げて彼を告発したときのように最も絶望的なときでさえ、ナワリヌイはユーモアのなかに逃げ場を見つけた。

「私は刑務所でのんびりお茶を飲みながら座っているわけではない。私の凶悪犯罪シンジケートは勢力を広げている。私はますます多くの犯罪を犯している」

「ナワリヌイが記したこれだけの手記を、いったいどのようにして刑務所から持ち出したのか」と問うと、ナワルナヤはこう答える。
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