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誰が川村美術館を閉館に追い込んだのか Photo by John S Lander/LightRocket via Getty Images

誰が川村美術館を閉館に追い込んだのか Photo by John S Lander/LightRocket via Getty Images

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フィナンシャル・タイムズ(英国)

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Text by Leo Lewis

日本のインキ大手DICが保守・運営するDIC川村記念美術館が今年8月、突然の閉館を発表した。この決定の裏には、DICの株式を保有する香港の物言う株主(アクティビスト)、オアシス・マネジメントの提案があったと見られている。業績が低迷するDICは、保有する高額な美術品を売却して株主の利益を増やすべきなのか? または、社会のためにたとえ収益化につながらなくても美術館を維持するべきなのか? アクティビストが日本企業に変革をつきつけている。


企業が保有する美術品は誰のもの?


2024年9月も終わりにさしかかった週末の午前、千葉県佐倉市の川村記念美術館(インキ大手DIC運営)では、脇道にある入場券売り場に長蛇の列ができていた。美術館前の並木道には車が列をなして、第2駐車場の空車待ちをしている。

館内のギフトショップは、このところ人が殺到したために休業中だ。まだ11時45分だというのに、併設されたレストラン「ベルヴェデーレ」入口前のスクリーンには「待ち時間181分」の文字。美術館の公式サイトは「弁当の持参」を呼びかけている。

川村記念美術館は2024年8月27日、2025年1月下旬をもって休館することを発表した。すると、これは一大事だと慌てた芸術愛好家らが、のどかな地区にある同美術館に大挙して押し寄せた。しかし、芸術愛好家とは比較にならないほどこの事態を重く受け止めているのが、多くの日本企業だ。

知名度が高いとは決して言えない川村記念美術館には、上場企業DICが所有する美術コレクションが所蔵されている。そして、同美術館とその所蔵品を巡る経緯が明るみになりつつあるということは、日本企業の歩みと、日本という国家全体が望む株主資本主義のあり方が明るみになりつつあるということである。

銀行が、不透明で後ろ暗い1980年代後半に日本企業の創業者をそそのかした際の報いが、ここに来てついに跳ね返ってきている。当時の銀行は後先も考えず、高騰する国内の不動産を担保に資金を借り入れるよう、創業者をけしかけた。

川村記念美術館は、ガバナンスを改善せよというあからさまな圧力を受けて、企業が所蔵する美術品コレクションの全容を明らかにする初のケースであり、その火付け役になるのかもしれない。同美術館に所蔵されている美術品は754点で、うちDICが保有するのは384点。有名な美術品のほとんどが同社保有であるため、観念的な意味で、その所有権がいま宙に浮いた状態となっている。

投資家は日本企業に対し、いままで以上に高い規範を求めるようになっている。そんななか、企業は株主が所有するものであり、企業が所有する美術品もまた、ほかの資産と同様に扱われるべきだ、という主張が目に見えて勢いづいている。

これに対する反論はこうだ。その主張がいかに説得力にあふれていようと、企業には株主への利益を超えた幅広い社会的な機能があるため、それに応じて企業所有の資産ポートフォリオを評価するべきだ、と。

さらに、日本は総じてこうした幅広い解釈による恩恵を享受してきており、何もかもを株主資本主義のルールに縛りつければ、さらなる低迷を招くだろう、と反論は続く。このような、日本企業が所有する「ノンコア」アセットから事業計画まで幅広い内容を巻き込んだ議論が現在、日本を揺るがす構造転換の中心にある。


バブル時代に買い漁った「失われた美術品」


日本が隠し持つ実にやましい秘密のひとつ。それは、きわめて貴重な美術品の所有権をあいまいにし、創業家と上場企業間の資産を常習的に混合して受け継いできた富を保護するという、上場企業による搾取だ。

何十年も放置されてきたこの秘密が、ついに表面化した。川村記念美術館の事情を白日の下にさらしたのは、企業価値向上の触媒アクティビスト(物言う株主)として知られる外資系投資ファンドのオアシス・マネジメントだ。とはいえ、この一件は止めようのない大きな流れの一部にすぎない。

「日本企業は企業価値が何十億ドルと言われました。胡散臭い価値であるがゆえに、胡散臭い行動に出たのです」。そう話すのは、日本株専門の運用会社カナメキャピタルのトビー・ローズだ。ファンドマネージャーのローズは、東京株式市場に埋もれている美術コレクションを発掘するのも仕事のひとつで、美術コレクションの存在をより深刻なガバナンスの弱みを示す兆候だと考えている。

特に違法だというわけではなく、日本市場があいまいな線引きについて、どういうわけか寛容であるにすぎない。ローズのような美術コレクションの専門家は滅多にいないが、ガバナンスの不備を見つけ出してそれを改善すればリターンが得られるかもしれないということで、多くのアクティビストやバリューファンドが日本に注目している。

日本企業は80年代後半から90年代前半にかけてあれこれ美術品を買いあさったが、どれもがこれみよがしだったわけではない。しかし、時代という油を得た火遊びは語り草となった。日本の有名企業経営者は、ゴッホ作「ひまわり」、ルノワール作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」、ピカソ作「ピエレットの婚礼」などの名だたる名作を、衝撃的な価格で落札した(まもなく破綻した企業もなかにはあった)。

しかし、バブルが弾けて不況に突入した90年代後半には、そうした美術品がひそかに不良債権と化し、不名誉にも流出に至ったケースも少なくない。ゴッホ作「医師ガシェの肖像」をはじめとする一部の美術品は、債権者の手に渡ったのちに所在不明となり、何年にもわたって捜索が行われる世界的ミステリーになった。

とはいえ、日本企業が所有する超有名絵画がすべて売り出されたということでは決してない。日本各地の企業には、バブル絶頂期に買い集められた有名な美術品がいまも、限られた人しか足を踏み入れられない役員室などにひそかに残されている。

美術商界隈で、こうした実情を堂々と語ってもいいという人はなきに等しい。日本でガバナンスが強化され、上場企業が透明性向上を迫られたことで、「失われた」美術品が非流動市場へと大量投入され、その後ろ暗い過去がいっそう露見する可能性があるとみているのがその主な理由だ。


失われた美術品はどこに?


では、「失われた」美術品はいまどこにあるのか。知られざるそれらの貴重な美術品は、厳密に言えば上場企業の所有物である。そして、創業家やその子孫などの自宅に持ち込まれたのではないかと、ファンドや美術専門家はみている。

申告されることなく、企業が所有する日本各地の倉庫に眠っているはずだ、という。東京にある野村グループ本社を訪れた要人は、役員室のテーブルについたとき、片方の壁にモネの作品が、もう片方の壁にシャガールの作品が飾られているのを目にするかもしれない。丸紅商事を訪れたお偉方が、ボッティチェリ作「美しきシモネッタ」をちらりと目にできる可能性もある。

米国に拠点を置くベテランのファンドマネージャーは、「日本のテレビ局に行ったとき、役員専用フロアと称した『美術館』にたまたま足を踏み入れたときのことは決して忘れないでしょう」と話す。「法律上の規制があり、支配権が変わっても保護されるので、頭の固い経営陣は優れた美術品を好む傾向がありました。会議で気まずい雰囲気が流れたあと、経営陣がエレベーターまで案内してくれたとき、セザンヌの作品の前で思わず立ち止まりました」

日本政府と東京証券取引所はともに、コーポレート・ガバナンスの早期改革を命じている。また、透明性の拡大が求められ、物言う株主が勢いづいている。そんななか、資産としての美術品を巡るこうした議論が起きたことで、日本では企業とその創業家、社会、株主のあいだの関係性の見直しが迫られている。痛みを伴う見直しだ。


川村美術館に行ってみると……


川村記念美術館は、交通の便が良くない田舎にあるとはいえ、80年代末のバブル期に建設された建物は優雅で、庭園にはヘンリー・ムーアなどの彫刻が点在しており、訪れる価値は十分だ。周辺のありふれた風景に似つかわしくないと言えるくらい桁外れのお宝が隠されている。

展示されているのは、DIC(旧社名:大日本インキ化学工業)の創業者一家が70年代以降に収集したコレクションだ。テーマに一貫性は欠けるが、それを補って余りあるほど、経済大国として頂点に立った日本の貪欲さを知ることができる。

オープンが1990年だったのは偶然ではない。本紙のデータ分析によると、日本の絵画輸入額がほぼ5000億円(33億ドル)と過去最高に達したのが1990年だった。1985年の実に10倍以上だ。しかし、輸入額は1992年に340億円(2億2900万ドル)まで急減した。

川村記念美術館では、柔らかな光に包まれた展示室にマチス、シャガール、エルンスト、モネ、ピカソ、ルノワールの作品が並ぶ。ポロックの名作が1点に、サイ・トゥオンブリーの作品も2点。レンブラント作「広つば帽を被った男」の部屋は小さな専用室に展示されている。

しかし、同美術館でもっとも目を引く名作は2階にある。変形七角形をした専用展示室の壁にぐるりと飾られているマーク・ロスコの7作品だ。これら巨大な作品はもともと、ニューヨークの高級レストラン「フォー・シーズンズ」のために制作されたもので、ロスコが引き受けたもっとも重要な作品群の一部だと広く考えられている。

ロスコ作の絵画1点の競売最高価格は実に8690万ドル(約1億3000万円)。投資家が美術専門家に鑑定を依頼したところ、川村記念美術館が所蔵するロスコの作品は合計で5億ドル(約750億円)を下らないと言われたそうだ。

川村記念美術館が所蔵するコレクションは圧巻だ。ところが、34年間も展示されてきたのに、訪れる人はさほど多くなく、1日平均で数百人にすぎない。

にもかかわらず、美術館と所蔵作品の多くを所有し、多額の負債と赤字を抱えたDICの取締役会は8月27日、驚きの発表をした。声明には、美術館と同社の経営事業との関係、ならびに「株主からの意見等」を踏まえると、現状のまま美術館を維持、運営することは難しいと考えられる、とある。

2025年1月下旬からの「休館」も発表された。ただし、ほぼひと月が過ぎた9月30日に公表された新たな声明では、休館発表後の「来館状況を踏まえ」、休館開始予定を2025年3月下旬に延期することが明かされた。

ここで重要なのは、同美術館に絶えず付きまとってきた大きな謎のひとつが、DIC発表の声明で明るみになったことだ。同社はこれまで一切、同美術館の所蔵作品のうち、同社保有の美術品数と創業家保有の美術品数を具体的に示してこなかった。つまり、所有美術品の正確な市場価値を決算で公にしてこなかったのだ。

しかし、DICはついに8月27日の声明で、その一部については明るみにした。同美術館に所蔵されている美術品754点のうち、同社保有分は384点だ。これを受けてアクティビストは、それらは株主の所有物だと主張している。DIC側によれば、保有する美術品すべての資産価値は2024年6月末時点の簿価ベースで総額112億円だ。それらが市場に出回った場合の潜在的価値を思えば、きわめて低い見積り額である。(続く)

後半では、日本企業がなぜ美術品を多く保有してきたのか、日本企業ならではの欧米ルールから外れた問題点が浮かび上がる。



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