ベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守たち Photo: CORBIS / Getty Images

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Text by Angharad Hampshire

第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所には女性の看守たちがいた。しかし戦後、彼女たちは女性でありながら強いサディズムを持つ「怪物」として扱われ、その後の歴史研究においても論争を引き起こした。彼女たちは実際にはどんな人物だったのか。その語られ方の変遷とともに、英国の研究者が伝えている。
The Conversation

囚人たちを蹴り殺す「雌馬」


1939年から1945年にかけて、ナチスによる強制収容所の看守の約1割は女性だった。だが、こうした女性看守たちは、ホロコーストにまつわる歴史や文学のなかではほとんど取り上げられていない。稀に言及される場合は、過度に男性化されたサディストとして描かれることが多いのだが、その現実はもっとずっと複雑なものだ。

筆者がはじめて女性看守に興味を持ったのは、「ニューヨーク・タイムズ」のある記事を読んだことがきっかけだった。

それは元ナチスの戦争犯罪人としてはじめて米国から本国に送還された人物、ヘルミーネ・ブラウンシュタイナー・ライアンについての記事だった。私は彼女についての小説を書くことにした。収容所の囚人たちを蹴り殺すことで知られていた彼女は、「雌馬」というあだ名で呼ばれており、私はこれを小説のタイトルとした。

戦後、彼女はウィーンに飛び、その後、行方知れずとなる。1957年、オーストリアで休暇を過ごしていた米国人技師ラッセル・ライアンは、ブラウンシュタイナーと出会う。彼女は自分の過去を語らなかった。二人は恋に落ち、結婚してニューヨークに住む。

夫婦は穏やかな生活を送っていたが、ナチ・ハンターのサイモン・ヴィーゼンタールがついに彼女の居場所を突き止める。ラッセルは、妻が強制収容所の看守であったことを信じられなかった。彼いわく、妻は「虫も殺せなかった」のだ。

ブラウンシュタイナーの所業をすべて知ったのちも、ラッセルは強制送還から裁判、投獄にいたるまで彼女に付き添いつづけた。ブラウンシュタイナーは1981年に終身刑を宣告され、ドイツの刑務所で15年間服役したのち、健康上の理由で釈放される。彼女は1999年に79歳でこの世を去った。

戦後に撮られたヘルミーネ・ブラウンシュタイナー・ライアンの写真

この物語によって喚起された問いをきっかけに、私はシドニー大学の博士課程に進学し、強制収容所の女性看守たちの歴史と表象を研究することとなった。私の新作小説『雌馬』は、この研究を元にしている。

「性的に倒錯した存在」


第二次世界大戦後には、「すべてのドイツ人女性はナチズムの被害者だった」という言説が圧倒的に主流だった。しかし、女性看守たちはこの分類に当てはまらなかったため、ジェンダー的に倒錯した怪物として語られることとなった。
残り: 3223文字 / 全文 : 4402文字
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