ミシェル・ウエルベック 仏ベストセラー作家、詩人。30ヵ国語に訳された『素粒子』(ちくま文庫)をはじめ、『服従』、『ある島の可能性』(ともに河出文庫)などで知られる Photo: Michele Tantussi / Getty Images

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フィガロ(フランス)

フィガロ(フランス)

Text by Michel Houellebecq

2021年4月、自殺幇助を合法化する法案がフランス議会で審議されたことを受け、公の場ではめったに発言しないフランス人著名作家のミシェル・ウエルベックが口を開いた。結果的に議決にはいたらず審議期限を迎えたこの「安楽死法案」だが、ウエルベックは仏「フィガロ」紙に寄稿し、激しい反対意見を述べている。

命題その1:誰も死にたくはない

多くの人は、生命が完全に失われてしまうよりは、弱っていてもあった方が良いと思うものです。ちょっとした楽しみくらいは残っていますから。生命というものは、いずれにしても「弱っていく過程」と言えるのかもしれません。それに、ちょっとした楽しみ以外の楽しみなど、そもそもあるでしょうか(これは掘り下げて考えてみるべき問題でしょう)。

命題その2:誰も苦しみたくはない

これは肉体的な苦しみの話です。精神的な苦しみには魅力があり、美的な素材にもなり得ます。こうした苦しみを奪おうというのではありません。しかし、肉体的な苦しみは単なる地獄です。そこには何の利点も意義もない。学べるものなど何もないのです。「生きるとは喜びを追求することだ」と簡潔に言われてきましたが、これは間違っています。もっと正確に言うならば、「生きるとは苦しみを回避すること」なのです。ほとんどの人は、耐え難い苦痛と死という二者択一を迫られれば、死を選びます。

命題その3:肉体的な苦痛は取り除くことができる

これはもっとも重要な命題です。19世紀初めにモルヒネが発見され、その後も同じような物質が数多く登場しました。フランスではほとんど用いられていませんが、19世紀末には催眠療法も見直されました。

私の記憶が正しければ、安楽死に関する世論調査では96%が支持を表明しています。この結果は驚くべきものですが、苦痛の緩和という視点がすっかり抜け落ちているのではないでしょうか。96%の人たちは世論調査の質問をこう理解しています。「酷い苦痛のなかで残りの日々を過ごすのと、死ぬのを手伝ってもらうのならば、どちらが良いか」。その一方で、モルヒネや催眠療法について知っていたのは4%でした。辻褄の合う数字です。

私は、薬物の使用を処罰対象から外すよう主張するつもりはありません。これはまた違う問題です。

「思いやり」とは、「尊厳」とは


安楽死の支持者たちが嬉々として用いている言葉は、その本来の意味からかけ離れたものになっています。彼らには捻じ曲げられたそれらの言葉を口にする権利などありません。

彼らは「compassion(同情、思いやり)」(註:語源的には「共に苦しむ」の意)と言いますが、明らかに嘘です。「dignité(尊厳)」と言う場合にはもっと狡猾です。人間の道徳的な存在を肉体的な存在に読みかえ、さらには道徳的という考え方自体をも否定し、カントが言う尊厳の定義から遠く外れています。

道徳に従って行動する人間の能力を、健康状態というもっと動物的でつまらない概念に読みかえているのです。健康状態はいまや、人間の唯一にして真の意味を示すというほどまでに、尊厳のための究極的な条件の一つとなっています。

こうした意味では、私はこれまでの人生で、特別な尊厳を示したことはほとんどないと思いますし、今後もそのような気配はありません。じきに髪も歯も抜けて、肺もぼろぼろになるでしょう。手足の自由は効かなくなり、力はなくなり、おそらくは失禁し、目も見えなくなります。肉体的な衰退がある段階に達したら、もう尊厳はないのだと自分に言って聞かせる必要があるということです(他人に指摘されなければ、まだ幸せなことでしょう)。

それで、それが何だというのでしょうか?

こうしたものが「尊厳」だと言うならば、私たちは尊厳などなくても立派に生きることができるではありませんか。反対に、私たちは皆、多かれ少なかれ自分が必要とされているとか、愛されていると感じることが必要です。あるいは評価されたり、尊敬されたりということです。

確かにこれらを失うこともあるでしょう。しかし、これに関しては自分以外の人間が大きな役割を担っており、私たちにはたいしたことはできないのです。

「何を言うのですか、生きて私たちと一緒にいてください」と誰かが答えてくれるのを期待して、「死にたい」と口にする姿が目に浮かびます。これは私も同じです。臆面もなく、そう認めざるを得ません。ぞっとしますが、こうしてみると、私は尊厳などまったく持たない人間だという結論になってしまいます。


「人間には見捨てられても、神様はご一緒ですから」


「フランスは他の国に比べて遅れている」というのは、お決まりの言い回しです。しかし、安楽死を支持する法案理由書に関して言わせれば、滑稽なものです。フランスよりも「遅れていない」国はベルギー、オランダ、ルクセンブルクくらいなのです。たいして驚きませんが。

理由書のなかで、アンヌ・ベール(註:フランスの小説家。2017年、ベルギーで安楽死により死去)の言葉が「力強く素晴らしい」ものとして次々に引用されています。しかし、これはむしろ私に疑念を抱かせる結果となりました。
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