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アンドレ・コント=スポンヴィル Photo: Getty Images

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クーリエ・カードル(フランス)

クーリエ・カードル(フランス)

Text by Quentin Donval

『ささやかながら、徳について』をはじめ、数々のヒット著書を持つフランスの人気哲学者、アンドレ・コント=スポンヴィルが、エグゼクティブ向け仏隔月誌「クーリエ・カードル」のインタビューに登場。「マネジメントの哲学」を語った。

山口周の視点
哲学者というのは誤解を恐れずに言うと「役に立たない人たち」だ。哲学者は社会のシステムを疑うのが仕事だが、現状の社会システムがうまく機能しているときにはお呼びがかからない。

しかし、いまはシステムそのものに問題が起きている。そんな現代にこそ哲学者が必要なのだ。これまでのモノサシが機能しない、そんなときに経営者は哲学者にヒントを求める。



「哲学」と「マネジメント」──。アンドレ・コント=スポンヴィルは、一見、相反する2つの分野を結び付ける。

この一年ほどは、感染症蔓延防止措置によって払われた犠牲の大きさを憂慮する発言をし、フランスの論壇で大きな存在感を発揮してきた。今回のインタビューでは、社会における仕事の役割や、これからの企業組織について話を聞いた。

若者を犠牲にした感染症対策が正しいとは思えない


──新型コロナウイルス感染症が引き起こした危機的状況をどう見ていますか。

慎重であろうと努めてきましたし、心配もしてきました。慎重でありたいと考えたのは、私が世間の多くの人よりも、新型コロナウイルス自体への不安がなかったからです。

私は死を恐れていません。だから、新型コロナウイルスで死ぬことは、アルツハイマーや、毎年15万人のフランス人の死因になっているガンで死んだりすることより、恐ろしいものではないのです。

今回の新型ウイルスで、とりわけメディアが恐怖に取り憑かれて取り乱したことには驚かされました。

心配してきたというのは、単にウイルスだけでなく、感染症対策の措置が、子供たちの世代に経済面で非常に深刻な悪影響を及ぼすのではないかと思えたからです。子供たちの世代が心配だと言う意味です。

いま私たちは、「児童や10代の若者」と「成人した若者」という、2つの世代を、その父母や祖父母の世代のために犠牲にしています。私にはこれが正しいことには思えません。

数十年の間、減り続けてきた貧困が、いま急増しています。フランスでは、ここ数ヵ月で100万人が新たに貧困に陥りました。世界全体では、1億5000万人が極度の貧困に陥っています。世界銀行によれば、この数は4億5000万人にもなりうるというのです。こんな状況を招いてしまったことが良かったとはとても言えません。

──長期的に見ると、コロナ禍は社会や企業にどんな影響を及ぼしますか。

ミシェル・ウェルベックが一文で本質を言い当てていたと思います。コロナ後は、「前の世界が、もっと悪い状態になって戻ってくる」と言うのです。

世界は変わりません。なぜなら世界は一つしかありませんからね。ただ、この世界は前よりも貧しいのです。世界が貧しくなれば、世界の状況はその分だけ悪くなります。

企業も同じです。エアバスやエールフランスのような一部の企業にとって、これは大惨事であり、その影響は何年も続きます。ホテルやレストランに関しては言うまでもありません。

テレワークの導入が進んだという点は良いことだったとも言えそうですが、これも利害得失が相半ばしていて、はっきりしたことは言えません。通勤時間は減ったけれども、職場の仲間とともに楽しく過ごす時間も減りました。加えて、人間として扱われなくなるリスクもあります。

テレワークでは地球や文明を救えません。総合的に見れば、先行きに不安を抱いてしまう理由はかなりあるのです。

もちろん、この新型コロナウイルスの危機は切り抜けられます。これは世界の終わりではありません。しかし、高齢者を除けば比較的無害の感染症だったのに、それが経済や社会、人間性に莫大な損害をもたらし、その損害の大部分を引き受けることになったのが若者だったことには愕然とします。

世間一般では反対のことを言う人も多々いるようですが、私に言わせれば、優先事項のなかでも最も優先しなければならないのは、若者たち、とりわけ子供たちを守ることなのです。


「哲学すること」は人間の営みの一部


──仕事の価値も激変するのでしょうか。

激変は起きていません。それに仕事の価値とは、どういったことでしょうか。道徳的な価値、それとも経済的な価値でしょうか。

世の中には、仕事をするのが道徳的に正しいことだと言う人もいるようですが、私の考えでは労働に道徳的な価値はありません。労働には商品としての価値があるだけです。

私は無神論者ですが、キリスト教の福音書でも、「神が働くように、あなたがたも働きなさい」などとは書かれていませんよね。「神があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と書かれているのです。愛には道徳的な価値があります。労働にそんな価値はありません。

「仕事をするから人間は尊厳を持てる」と考える人もいるようですが、そういう人は、尊厳についても、人間についても何もわかっていません。

すべての人間は権利と尊厳において平等ですが、仕事においては平等でありません。年金生活者や失業者が、ジャーナリストや哲学教師よりも尊厳が少ないと、いったい誰が言えるのでしょうか。

仕事には「商品」としての価値があるだけです。だから人はそれにお金を支払うのです。

人が寛大な配慮を願ってお金を払えば、それは配慮ではなくエゴイズムです。

人が正義を得るためにお金を払えば、それは正義ではなく汚職です。

人が愛を得るためにお金を払えば、それは愛ではなく売春です。

人は仕事に対してお金を払うのです。仕事には商品としての価値があるというのは、そういう意味です。だから、私は管理職にいつもこう言っています。道徳的なお説教をすれば、従業員のやる気を引き出せたり、それがマネジメントになったりすると考えるのは大間違いだと。

──いまは企業に哲学を導入するべきときなのでしょうか。

企業に哲学を注ぎ込む仕事をするようになって、もう何年も経ちます。これは私がしたくて始めた仕事ではなく、相手に求められて始めたことでした。

発案は、いまはもうないフランスのビジネス誌「レクスパンシオン」の編集長だった、ジャン=ルイ・セルヴァン=シュライバーでした。

オーストリアで開催されるカンファレンスで、CAC40(ユーロネクスト・パリ上場企業のうち時価総額上位40企業)の経営者たちを相手に話をしてほしいと頼まれたのです。

最初は断りました。企業の経営者に興味を持てませんでしたから。でも、セルヴァン=シュライバーは、私が断れないような金額の講演料を提示しながら、もう一度依頼してきたのです。それで私は経営者たちを相手に講演をしました。

驚いたのは、その講演の内容が経営者たちの心を揺さぶったことでした。そもそも彼らは、哲学者の話を聞くことになるとは思っていませんでしたし、まさか哲学者が自分たちに理解できる話をするとも思っていなかった。それにもかかわらず、彼らは哲学に夢中になったのです。

なぜ企業に哲学の導入を求める声があるのか。
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