イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ(42)。人類の歴史をマクロ的な視点で読み解いた世界的ベストセラー『サピエンス全史』などで知られる。近著に『21 Lessons』(ともに河出書房新社)がある Photo: Emily Berl/The New York Times

イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ(42)。人類の歴史をマクロ的な視点で読み解いた世界的ベストセラー『サピエンス全史』などで知られる。近著に『21 Lessons』(ともに河出書房新社)がある Photo: Emily Berl/The New York Times

フィナンシャル・タイムズ(英国)

フィナンシャル・タイムズ(英国)

Text by Yuval Noah Harari

新型コロナウイルス(COVID-19)の脅威が世界中に広まるなか、都市封鎖、医療崩壊、物資不足、長期の外出自粛といった事態が起こり、社会不安が広がっている。

世界の知識人のなかでもその見識を高く評価されているユヴァル・ノア・ハラリは、この「未知の試練」が人類に与える影響をどう見ているのか。英紙「フィナンシャル・タイムズ」への緊急寄稿を全訳でお届けする。


現在、人類は世界的な危機に直面している。我々の世代が経験する最大級の危機だろう。

この先の数週間、人々や政府の下した決断が、今後の世界のあり方を決定づけるかもしれない。その影響は医療制度にとどまらず、政治、経済、文化にも波及するだろう。決断は迅速かつ果敢に下されなければならないが、同時にその結果として生じる長期的影響も、考慮すべきである。

アメリカのワシントン記念塔前。新型コロナの流行で世界の街から人が消えた Photo: Chen Mengtong / China News Service / Getty Images


どんな道を選択するにせよ、まずもって自問すべきは、直近の危機の克服だけでなく、この嵐が過ぎ去った後に我々の住む世界はどうなるのかということだ。

嵐もやがては過ぎ去るし、人類も存続する。我々のほとんどは変わらず生きているだろうが、その世界は、もはや現在と同じではない。

緊急対策と銘打った短期的措置が立て続けに打ち出され、日常の一部となるだろう。これが非常時の本質であり、歴史的な経過も早送りになる。通常時なら審議に数年を要する決定も、数時間以内に可決される。未熟で、ときに危険な技術が急場しのぎに駆り出される。何もしないリスクの方が大きいからだ。

いまや世界中すべての国が、大がかりな社会実験のモルモットだ。誰もが在宅勤務となり、相手との意思疎通も遠距離のみとなったとき、いったい何が起こるのか? 学校や大学がいっせいにオンライン授業になったらどうなるのか? 通常時なら、政府、事業者、教育委員会がこんな社会実験の実施に同意するはずもないが、いまは非常時なのだ。

この非常時に我々は、とりわけ重要な2つの選択肢に直面する。

第一に、全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワメントを選ぶのか。

第二に国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯をとるのか。


「皮膚の下の情報」も筒抜けに


現下のコロナ危機を止めるためには、国家の全構成員が一定のガイドラインに従う必要が出てくるが、それを実現する主な方法は先述したように2つある。

まずひとつは、政府が市民を監視し、規則を破った者には罰を与える方法。現代は人類史上初めて、テクノロジーがすべての人間の常時監視を可能にした。

50年前の1970年、KGBが2億4000万人のソ連市民の行動を24時間追跡することは不可能だったし、もしKGBが全市民の全情報を収集できたとしても、それを効率的に処理することなど望むべくもなかった。

当時のKGBは人間の諜報部員とアナリスト頼みであり、彼らが各市民を追跡することなどできるはずもなかった。翻って現代の政府機関には、あらゆる場所に設置したセンサーと強力なアルゴリズムがある。テクノロジーが生身のスパイ代わりなのだ。

新型コロナウイルス(COVID-19)の地域的流行に対抗するため、すでに各国政府は新手の監視ツールを展開している。

最も注目すべき例は、中国だ。

市民のスマートフォンを念入りにモニタリングし、人間の顔認識ができる監視カメラを何億台も稼働させ、市民に検温とその結果、および健康状態の申告を義務付けることで、中国当局はコロナウイルス拡散を疑われる人物をすばやく特定するだけでなく、彼らの行動や誰と接触していたかまで把握できる。感染患者が近くにいることを警告するモバイルアプリも広く出回っている。

通行人の体温を検知できるゴーグルを着用した中国・杭州市の警備員 Photo: Feature China / Barcroft Media / Getty Images


この手のテクノロジーは、なにも東アジアに限ったことではない。イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは先ごろ、イスラエル公安庁に新型コロナウイルス感染者の追跡という名目で、テロリスト相手の戦闘用途以外は非承認だった監視技術の適用を認めた。議会小委員会はこの承認を否決したものの、ネタニヤフは「非常事態令」を盾に強行突破した。

そういったことは目新しくもないという意見もあるだろう。たしかに近年、政府も企業も、市民を追跡、監視、操作すべく、かつてないほど洗練されたテクノロジーを活用している。

だがうっかりしていると、今回のコロナ危機が、「監視の歴史」における重大な分岐点になるかもしれないのだ。大量監視ツールの標準展開が、それまで展開を拒否していた国で続々と実施されるかもしれない。「皮膚より上」から、「皮膚の下」の監視へと劇的な移行が起きているだけに、その懸念は強くなる。

いままで政府が知りたかったのは、ある人の指がスマホの画面で何のリンクをクリックしたかだった。だがコロナ危機によって関心の焦点がシフトした。政府が手に入れたいのは画面にタッチする指の温度であり、皮膚の下の血圧数値なのだ。


ウイルスが「監視社会」を正当化


いま我々は、監視社会のどのあたりにいるのか。それを考えるときに突き当たる問題のひとつが、監視がどのようにおこなわれているかが誰もわからず、今後それがいかなる結果をもたらすのかも把握していないということだ。
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