ドイツ時代、30代の頃のキヨ・ヤマダ(右)

ドイツ時代、30代の頃のキヨ・ヤマダ(右)

山田敏弘

山田敏弘

Text by Toshihiro Yamada

アーリントン国立墓地に埋葬された日本人女性がいる。2010年に亡くなった彼女の名は、キヨ・ヤマダ。ペンタゴンがよく見える場所に眠る彼女は、生前、CIAで30年以上もスパイに日本語や日本文化を教え、対日工作にも関与したが、その経歴は「消され」ていた。

そんな彼女の知られざる人生をジャーナリスト山田敏弘氏が追った。著作『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)より、一部抜粋してお届けする。
2015年8月、米バージニア州アーリントンは抜けるような青空が広がっていた。

筆者は首都ワシントンDCで、前日まで開催されていたシンクタンクの会議を終え、あとは当時暮らしていたマサチューセッツ州ボストンへ戻るだけだった。だが、帰途に就くまえに、以前からどうしても気になっていた場所に立ち寄ることにした。

DCのすぐ西側にある、アーリントン国立墓地である。

朝9時になったばかりだというのに、墓地の案内所となっているウェルカム・センターは人でごった返していた。ガイドブックを手にした人たちや、ツアーガイドの説明に熱心に耳を傾けている集団もいた。

アーリントン国立墓地は、米陸軍省が管理している。墓地のすぐ南東には、最高軍事行政機関である米国防総省、通称ペンタゴンがある。

肩書きは「妻」


アーリントン国立墓地を訪問してみたいと思ったのは、知人女性との雑談がきっかけだった。2001年から夫の留学のために五年間、DC近郊で暮らしていたというこの知人は、その当時に「興味深い女性」と知り合ったと話した。在米の日本人主婦が、友人だけを集めて開いた、小規模なホームパーティでのことだったという。

知人が直接聞いた話によれば、その「興味深い女性」の名前は、キヨ・ヤマダという。日本で生まれ育ったキヨは、戦後しばらくして渡米し、アメリカ人と結婚。そのあと、アメリカの諜報機関であるCIA(中央情報局)に入局し、スパイに日本語や日本文化を教えていた――。

初めて知人からこの話を聞いた2014年の時点で、キヨ・ヤマダはすでに他界し、アーリントン国立墓地に埋葬されている、とのことだった。しかもキヨの希望で、墓地のなかでも、もっともペンタゴンの建物がよく見える場所に墓が設けられたというのだ。

そこで、DCへの出張に合わせて、ちょっとした観光気分で、初めてアーリントンを訪れたのだった。

「70区画54番」

これが、彼女の墓の番号だった。

その墓は、最南東の区画に位置し、区画内でもさらに一番端っこにひっそりと建っていた。墓の前で、墓石にある名前を確認するためにしゃがみ込んだ。間違いない。そして立ち上がり、ふと顔を上げた。するとそこには、五階建の白い壁が印象的な、ペンタゴンの建物がはっきりと見えた。

その墓石の正面を見ると、男性の名前が確認できた。「チャールズ・S・スティーブンソン」。キヨの夫だろう。名前の下には、「中佐」「米空軍」という彼の所属と肩書き、さらに「第二次大戦」「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」という戦歴が並び、そして一番下に、1922年5月15日生、2006年2月11日没と彫られている。アーリントン国立墓地の墓石には、アメリカのために貢献した政治家や軍人、職員などの死者の、地位や戦歴といった肩書きがこのように彫られているのが普通である。

結婚する直前のキヨ


墓石の反対側に移動し、裏面を確認すると、面食らった。

そこには「キヨ・ヤマダ」という彼女の名前と、その下にこう彫られていたからだ。

「妻」
「1922年9月29日
2010年12月27日(没)」 

CIAどころか、政府職員などといった肩書きすら、そこには見当たらなかった。

女性としての葛藤


彼女のことを知る多くの関係者たちに話を聞いて歩くことで、アメリカのために働き、その経歴を「消された」日本人、キヨ・ヤマダを探す旅を始めた。

何人かのCIA関係者たちからは、守秘義務を理由に、取材を拒否された。キヨの知人たちは高齢になっており、すでに亡くなっていた人も多かった。認知症が悪化して日常生活ができなくなり、話を聞く前に施設に入ってしまった知人もいれば、取材の前に交通事故に巻き込まれて死亡した親友もいた。

それでもキヨの人生に触れた、たくさんの関係者から証言をえることができた。

キヨは世界を大きく変えるような目に見える変革や発明をもたらしたわけではない。前人未到の領域に到達し、派手に歴史を塗り替えた偉人でもない。しかし、30年以上もの間、日本の歴史の裏舞台で暗躍してきたスパイを養成し、引退時にはCIAから栄誉あるメダルを授与され、表彰を受けるほどの評価と実績を残していた。そしてその事実は、私たちの見ている世界からは見えないところに封印されている。

キヨ・ヤマダの人生を紐解いていくと、戦前から戦後にかけて生まれ育ち、日本人女性としての「殻」を破ろうと、生き方を模索する女性の姿が浮き彫りになって見えてくる。それだけではない。現代にも通じるような苦悩に満ちた女性の葛藤がそこにはあった。

CIAの活動


CIAは、戦後からソビエトとの冷戦、対共産主義工作、貿易摩擦、対テロ戦争と、世界中で暗躍するようになる。その存在はよく知られていても、活動は国家機密であり、公式には表に出てこない。とはいえ、これまで元局員や関係者、ジャーナリスト、歴史家らが掘り起こしてきた情報から、CIAの活動は色々な形で暴露されてきた。

政権を転覆させたり、クーデターを後押ししたこともあれば、国家指導者などの暗殺を企てたこともある。

日本でも、政界工作やロッキード事件、貿易摩擦でのスパイ工作などへの関与が指摘されている。そうした日本での工作に、キヨが関与していたのである。

*8月21日に発売された山田敏弘著、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)からの抜粋をまとめたものです。


『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(山田敏弘/ 著
 新潮社)


 

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PROFILE

山田敏弘 1974年生まれ。国際ジャーナリスト、『ゼロデイ 米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋)など著書・訳書多数。新刊『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)が8月21日に出版。

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