あるある大事典のデータねつ造問題で、「テレビなんてそんなものなんだ、そもそもあるある大事典なんかを信じている方がおかしい」などという論調をよく見かけるが、そんなことを言って”賢そうに見られたい”馬鹿を見るといらいらする。「テレビなんか全てトンデモ(嘘)として楽しめ」という言葉も、同じようにいらいらする。
あるある大辞典問題で、「信じていた奴がバカだ」という奴がバカだ
少し某管理会社のことが頭をよぎりました.この管理会社は,ネトゲの運営管理をしていた(いる)のですが,その管理体制は酷いものでサーバダウンの頻発,不正ツール使用者の放置など日常茶飯事でした.
その結果,“また○○か”,“あれに何か期待しても無駄”という考えがユーザの中に浸透していきました.そこまでならまだ良かったのですが,もう少し進むと不平を言うユーザに対して,“○○に何を期待してるんだ,馬鹿か?”,“文句言う位だったら(ゲームを)やめろ”と言うような風潮まで出てくるようになってしまいました.
“信じる方が馬鹿”という言葉は,意図せずに相手(ここでは,テレビ)の擁護をしてしまうという側面を持っています.本当ならば,もっと大騒ぎになっても良いような事に対しても,ユーザが“そんなもの信じる方が馬鹿”と勝手に納得(?)してしまうことによって,相手の受ける被害が小さく抑えられることになります.
“信じる方が馬鹿”という意識を持つことは大切です.テレビにしろWebにしろ嘘情報はあちこちに氾濫しています.全てを鵜呑みにせずに適切に取捨選択するには,そういった意識も必要となってきます.ですが,その意識を表に出してしまうことは必ずしも得策ではないのでは,と思います.皆がそういった意識を表に出して“信じる方が馬鹿”と言う風潮が出来上がってしまうと,相手に対して一種の免罪符を与えかねません.“信じる方が馬鹿”と言うことは何かに接するときの心構えとして持ちつつ,それを表に出さずに相手を糾弾する方が,相手にはダメージを与えることができそうだな,と思いました.
敵は誰なのか.