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歴史を知らない人の歴史観
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228222701/
400 :人間七七四年:2009/07/10(金) 20:09:18 ID:hyUGqMJG
ねえねえねえこれってどこまで本当?
聖徳太子は実在しない
山本勘介も実在しない
水戸光圀は無銭飲食、強姦、通り魔、ホームレス殺しの常習者
宮本武蔵は十数人の仲間の武士とともに佐々木小次郎をなます斬りにした
織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作、一方武田騎馬隊も存在しない
板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」といっていない
歴史教科書に載っている源頼朝と足利尊氏の肖像画は別人を描いたもの
西郷隆盛は西郷隆永が正しい
源氏物語は紫式部一人で書いたわけではない
坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を受けていない
401 :人間七七四年:2009/07/10(金) 20:25:38 ID:hyUGqMJG
ついでにこれも
斉藤道三は二人いた
武田信玄の有名な肖像画も別人を描いたもの
沖田縄手合戦の詳細は事実と異なる
立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから
秀吉の一夜城は後世の創作
武田信虎暴君説は信憑性がない
毛利元就の三本の矢の逸話は世界中にある
松尾芭蕉は奥の細道で奥州旅行をしていない
武蔵坊弁慶は実在しない
402 :人間七七四年:2009/07/11(土) 11:17:08 ID:d6MWgVzg
>>400-401
> 聖徳太子は実在しない
→用明天皇の皇子、厩戸皇子は実在したが、「聖徳太子」として伝わる
事跡やエピソードが事実かどうかは疑問の余地がある。
> 山本勘介も実在しない
→実在が確認されたが、「軍師」だったとは言えず、もっと身分は低い。
> 水戸光圀は無銭飲食、強姦、通り魔、ホームレス殺しの常習者
→藩主に就任する前の若いころ、かなり放蕩していたのは事実。
> 宮本武蔵は十数人の仲間の武士とともに佐々木小次郎をなます斬りにした
→大勢の弟子を決闘場所の舟島に待ち伏せさせ、取り囲んで撲殺した、という
細川家文書の記述が最近発見された。
> 織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作、一方武田騎馬隊も存在しない
→いずれも近年否定説が出てきている。肯定説もまだある。
> 板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」といっていない
→講談の創作。
> 歴史教科書に載っている源頼朝と足利尊氏の肖像画は別人を描いたもの
→伝源頼朝像は複数の説がある。伝足利尊氏像は書き込まれた花押や像の内容から
高師直ではないか、と言われている。
> 西郷隆盛は西郷隆永が正しい
→これは知らない。
> 源氏物語は紫式部一人で書いたわけではない
→これも知らない。
403 :人間七七四年:2009/07/11(土) 11:18:09 ID:d6MWgVzg
> 坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を受けていない
→目録の記録は残ってたんじゃなかったっけ?
> 斉藤道三は二人いた
→これも知らない。
> 武田信玄の有名な肖像画も別人を描いたもの
→最近、像の内容や伝わった経緯などから別人説が出てきた。
> 沖田縄手合戦の詳細は事実と異なる
→これも知らない。
> 立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから
→これも知らない。
> 秀吉の一夜城は後世の創作
→これは太閤記以外に似たような記述がないため、作り話と考えられている。
技術的にも不可能だったはず。
> 武田信虎暴君説は信憑性がない
→暴君として描く史料が後世のものに偏っているため、信玄崇拝者であった
家康と徳川家政権の影響下で暴君化された可能性がある。
> 毛利元就の三本の矢の逸話は世界中にある
→外国の神話などに類似の話があるらしい。
> 松尾芭蕉は奥の細道で奥州旅行をしていない
→「奥の細道」にある記述が、他の史料から認定されている史実と矛盾する
箇所があったり、行程に無理があったりする。
> 武蔵坊弁慶は実在しない
→実在は史料で確認されているが、人物像については大半が後世の創作。
406 :人間七七四年:2009/07/11(土) 12:42:27 ID:eyy0wUts
> 斉藤道三は二人いた
山城から美濃に流れて来て国主土岐氏と重臣長井氏の確執に乗じ伸し上がった西村勘九朗
とは道三本人ではなくその父の長井新左衛門尉正利のことで
道三こと長井新九郎規秀が父の死後に完全に実権を握って土岐氏を追放した
つまり「蝮の道三の国取利物語」は親子二代の事跡を息子一人のものとして描いたものとなる
407 :人間七七四年:2009/07/11(土) 12:48:09 ID:eyy0wUts
> 立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから
当然、生まれつき歩けない人間が武家を継げるはずがないw
戸次鑑連として武名を轟かせ、絶えていた名門立花家の名跡を継いだ時点では
歩けていたのは確か
立花と改名した後も個人の武功の記録が残っている
確実に輿に乗ってたのは竜造寺氏や島津氏との戦いの頃
413 :人間七七四年:2009/07/18(土) 16:24:43 ID:e/PLe+IG
> 西郷隆盛は西郷隆永が正しい
生前は吉之助と呼ばれて、隆永は死後に呼ばれるはずだった名前(いわゆる諱)
「『秀吉』や『信長』なんて生前呼ばれてはなかったはずだろ!時代劇では諱で呼びあうな!」とか言ってる奴が居るが、
西郷の場合も周辺の人間は「吉之助さんの諱って何?」状態だった。
で、正式な場で西郷の諱って何だっけ?という話題になって
誰かが「そういえば隆盛(実際は父親の諱だった)じゃない?」と言ったため、そっちが定着した。
関連‐「新撰組」の以前の名前は「壬生浪士組」っていうのは有名だけど
延暦寺を焼いた信長の罪は重い?
世が世なら将軍?徳川家の末裔たち【画像】
中大兄皇子に関する豆知識を一つ
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228222701/
400 :人間七七四年:2009/07/10(金) 20:09:18 ID:hyUGqMJG
ねえねえねえこれってどこまで本当?
聖徳太子は実在しない
山本勘介も実在しない
水戸光圀は無銭飲食、強姦、通り魔、ホームレス殺しの常習者
宮本武蔵は十数人の仲間の武士とともに佐々木小次郎をなます斬りにした
織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作、一方武田騎馬隊も存在しない
板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」といっていない
歴史教科書に載っている源頼朝と足利尊氏の肖像画は別人を描いたもの
西郷隆盛は西郷隆永が正しい
源氏物語は紫式部一人で書いたわけではない
坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を受けていない
401 :人間七七四年:2009/07/10(金) 20:25:38 ID:hyUGqMJG
ついでにこれも
斉藤道三は二人いた
武田信玄の有名な肖像画も別人を描いたもの
沖田縄手合戦の詳細は事実と異なる
立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから
秀吉の一夜城は後世の創作
武田信虎暴君説は信憑性がない
毛利元就の三本の矢の逸話は世界中にある
松尾芭蕉は奥の細道で奥州旅行をしていない
武蔵坊弁慶は実在しない
402 :人間七七四年:2009/07/11(土) 11:17:08 ID:d6MWgVzg
>>400-401
> 聖徳太子は実在しない
→用明天皇の皇子、厩戸皇子は実在したが、「聖徳太子」として伝わる
事跡やエピソードが事実かどうかは疑問の余地がある。
> 山本勘介も実在しない
→実在が確認されたが、「軍師」だったとは言えず、もっと身分は低い。
> 水戸光圀は無銭飲食、強姦、通り魔、ホームレス殺しの常習者
→藩主に就任する前の若いころ、かなり放蕩していたのは事実。
> 宮本武蔵は十数人の仲間の武士とともに佐々木小次郎をなます斬りにした
→大勢の弟子を決闘場所の舟島に待ち伏せさせ、取り囲んで撲殺した、という
細川家文書の記述が最近発見された。
> 織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作、一方武田騎馬隊も存在しない
→いずれも近年否定説が出てきている。肯定説もまだある。
> 板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」といっていない
→講談の創作。
> 歴史教科書に載っている源頼朝と足利尊氏の肖像画は別人を描いたもの
→伝源頼朝像は複数の説がある。伝足利尊氏像は書き込まれた花押や像の内容から
高師直ではないか、と言われている。
> 西郷隆盛は西郷隆永が正しい
→これは知らない。
> 源氏物語は紫式部一人で書いたわけではない
→これも知らない。
403 :人間七七四年:2009/07/11(土) 11:18:09 ID:d6MWgVzg
> 坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を受けていない
→目録の記録は残ってたんじゃなかったっけ?
> 斉藤道三は二人いた
→これも知らない。
> 武田信玄の有名な肖像画も別人を描いたもの
→最近、像の内容や伝わった経緯などから別人説が出てきた。
> 沖田縄手合戦の詳細は事実と異なる
→これも知らない。
> 立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから
→これも知らない。
> 秀吉の一夜城は後世の創作
→これは太閤記以外に似たような記述がないため、作り話と考えられている。
技術的にも不可能だったはず。
> 武田信虎暴君説は信憑性がない
→暴君として描く史料が後世のものに偏っているため、信玄崇拝者であった
家康と徳川家政権の影響下で暴君化された可能性がある。
> 毛利元就の三本の矢の逸話は世界中にある
→外国の神話などに類似の話があるらしい。
> 松尾芭蕉は奥の細道で奥州旅行をしていない
→「奥の細道」にある記述が、他の史料から認定されている史実と矛盾する
箇所があったり、行程に無理があったりする。
> 武蔵坊弁慶は実在しない
→実在は史料で確認されているが、人物像については大半が後世の創作。
406 :人間七七四年:2009/07/11(土) 12:42:27 ID:eyy0wUts
> 斉藤道三は二人いた
山城から美濃に流れて来て国主土岐氏と重臣長井氏の確執に乗じ伸し上がった西村勘九朗
とは道三本人ではなくその父の長井新左衛門尉正利のことで
道三こと長井新九郎規秀が父の死後に完全に実権を握って土岐氏を追放した
つまり「蝮の道三の国取利物語」は親子二代の事跡を息子一人のものとして描いたものとなる
407 :人間七七四年:2009/07/11(土) 12:48:09 ID:eyy0wUts
> 立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから
当然、生まれつき歩けない人間が武家を継げるはずがないw
戸次鑑連として武名を轟かせ、絶えていた名門立花家の名跡を継いだ時点では
歩けていたのは確か
立花と改名した後も個人の武功の記録が残っている
確実に輿に乗ってたのは竜造寺氏や島津氏との戦いの頃
413 :人間七七四年:2009/07/18(土) 16:24:43 ID:e/PLe+IG
> 西郷隆盛は西郷隆永が正しい
生前は吉之助と呼ばれて、隆永は死後に呼ばれるはずだった名前(いわゆる諱)
「『秀吉』や『信長』なんて生前呼ばれてはなかったはずだろ!時代劇では諱で呼びあうな!」とか言ってる奴が居るが、
西郷の場合も周辺の人間は「吉之助さんの諱って何?」状態だった。
で、正式な場で西郷の諱って何だっけ?という話題になって
誰かが「そういえば隆盛(実際は父親の諱だった)じゃない?」と言ったため、そっちが定着した。
関連‐「新撰組」の以前の名前は「壬生浪士組」っていうのは有名だけど
延暦寺を焼いた信長の罪は重い?
世が世なら将軍?徳川家の末裔たち【画像】
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- 名無しさん@ニュース2ちゃん 2012/05/08(火) 09:05答えも推測の話じゃん。
- 名も無き修羅 2012/05/08(火) 09:23そういうのひっくるめて自分で調べると面白いよ
- 名も無き修羅 2012/05/08(火) 09:37たしかめようのない時代のものを実在しなかったとか実はウソだったとか検証のしようがない。昔の史書がでっちあげだったりあまりにも美化された存在になるのはよくあること。
例)千軍万馬の国王がいた
実際はちょっと景気のいい集落の羽振りのいい族長
こんなの日常茶飯事。 - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 09:53だから歴史は面白い
- 名も無き修羅 2012/05/08(火) 10:00> 織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作、一方武田騎馬隊も存在しない
→それ以前からあったという説が有力、ていうか普通に考え付くだろんなもん
そもそも鉄砲使い始めたのって武田の方が早くて長篠あたりじゃ信長より保有数多かったような…
> 坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を受けていない
→たしか長刀の免許皆伝だったと思う
長刀って女子のたしなみみたいなところもあったから程度は押してしるべし。
まぁ天下の北辰一刀流だから悪いわけじゃないけど
ていうかわざわざ外から修行に来た人には皆勤賞みたいな感じで皆に出してたっぽいけど。
藩が金だしてるわけでそれ貰わなきゃ帰れんし - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 10:42紫式部はだいぶ前から言われているが、当時の女性の地位や教育などの環境から、女性一人があの内容を書けたのかが疑問視されている。
ソレに類する推論として、式部とされる女性の父親が娘の名義で発表したとか、複数の人物が架空の人物として紫式部というペンネームで発表したとか言われてる。
その手のことは結構色々研究されているらしいけれど、教科書記述を書き換えるほどには至っていない。 - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 11:24日本は5000年前からアジアを支配していた、説をを今俺が提唱してみる
- 名も無き修羅 2012/05/08(火) 11:493本の矢はどっかの遊牧民族だと21本の矢になってて説得力アップ。
- 名無しさん@ニュース2ちゃん 2012/05/08(火) 12:09聖徳太子実在云々の問題は歴史じゃなくて哲学レベルの話だよ。
存在したのはほぼ間違いないが「私たちの知っている聖徳太子との一致率」が悪いという話で
「何をもってしてその人物が存在したと言うか」という問題。 - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 12:24> 源氏物語は紫式部一人で書いたわけではない
※96829が紹介しているような説もあるが、およそ証明不可能
写本(の写本の写本……)が作られていく過程で
それぞれの筆耕者による校訂や補筆が加えられているという
校閲してみれば明らかな事実があり、
そもそも紫式部による自筆原稿が現存しないため
オリジナルがどういう形であったかは誰も知りえない。
誰も知りえないものについて「他人が書いた」とか
「複数人で書いた」とか言ってみたところで
屋上屋を架したような推論の域を出ることはない。
信憑性の多寡はあれ、少なくとも「本当」とは言えない。 - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 12:27>源氏物語は紫式部一人で書いたわけではない
これは宇治十帖の分が他人によって書かれたという話かな? - 大日本帝国臣民 2012/05/08(火) 12:42そんなの歴史家に任せてお前は働け
- 名無しさん@ニュース2ちゃん 2012/05/08(火) 12:50山本勘介も実在しない→字の違う連絡係レベル
水戸光圀は無銭飲食、強姦、通り魔、ホームレス殺しの常習者→若いころはヤンチャしてた。ついでに一休さんもDQN
宮本武蔵は十数人の仲間の武士とともに佐々木小次郎をなます斬りにした→諸説あるが武蔵が初老の小次郎じいさんを倒した後に
こっそりあとをつけていた門弟十数人がリンチして虫の息のじいさんを殺した
織田信長の鉄砲三段撃ちは後世の創作、一方武田騎馬隊も存在しない →鉄砲保有数はあった。実行しようとすると無理
「騎馬隊」は存在しない。なぜなら着いたら下りて戦うから。騎馬隊だけ突っ込むこともありえない。なぜなら小物・徒歩・雑兵がセットで動くから
板垣退助は「板垣死すとも自由は死せず」といっていない→王さんはボールが止まって見えたとは言ってない
言ったのは神の域に達した榎本喜八さん
歴史教科書に載っている源頼朝と足利尊氏の肖像画は別人を描いたもの →「伝」だから違うかもしれない
信玄も畠山ナントカさん説が有力
実際は細面の優男だった模様
坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝を受けていない →新撰組の名刀は全部安物の偽物
立花道雪が歩けなくなったのは晩年になってから→雷を「切った」から
秀吉の一夜城は後世の創作→プレハブのようにしたものを分解して川に流して組み立てた。一夜というが10日くらいかかっている
当時は短期間で城(のようなもの)が出来るとは考えられておらず、尾ひれがついた
武田信虎暴君説は信憑性がない→後継者が前者を悪く言うのは日常茶飯事
毛利元就の三本の矢の逸話は世界中にある →世界は知らんが言ったとされる当時すでに長男が死んでいる
松尾芭蕉は奥の細道で奥州旅行をしていない →水戸のじじも行ったのは鎌倉まで
武蔵坊弁慶は実在しない →鞍馬山にいた修験者たちが協力していたのでそれがモデルでは
- 名無しさん@ニュース2ちゃん 2012/05/08(火) 12:55歴史を知るってのはいいことだ
- 名無しさん@ニュース2ちゃん 2012/05/08(火) 13:19歴史は基本的に「文字情報」でしかないからな
それの「読み方」で解釈が変わるのが常識だろ。。。 - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 17:15重騎兵があったかはともかく三段撃ち程度じゃ騎馬突撃止められないからな
(全く火器の無い世界と戦うなら別だが) - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 17:28※96844
馬鹿過ぎワロタ - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 19:52佐々木小次郎も存在しないって説があるしタイムマシン待ちですわ
- 名も無き修羅 2012/05/08(火) 21:18>>413はいい加減すぎるな
それまで本名(隆永)と通称(吉之助)の2つの名前があるのが普通だったが、
明治時代になってどちらか1つだけを役所に届ける事になった
西郷は友人に任せ、その友人は本名を知らず
「確か隆盛(りゅうせい)だった」と届けたが、それは親父さんの名前だった
ちなみに弟の隆道(りゅうどう)は自分で役所に行ったが
発音が悪く「じゅうどう」に聞こえ相手が「字は『從道』でよろしいですか?」と
言われ「よか」と返事をして從道となった - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 21:23西郷さんの名前は、
「タカモリって漢字でどう書くんですか?」って聞かれた時、
「リュウエイじゃ」って答えたのが薩摩なまりのせいか「リュウセイじゃ」って聞こえてしまって
それがそのまま『隆盛』になって公式文書にも記録され、
あとから訂正が効かなくなった、ってのを聞いたことあんだけど
昔の人は読めりゃ感じは当て字でもいいってのと、
諱は特に現在からしたら不思議な読み方する人が多いから
こうなっちゃったと思ってた - 名も無き修羅 2012/05/08(火) 21:27連投
※96889
おわ、先にレス返してくれてた
なるほど自分が知ってたのは弟のエピソードとごっちゃになってたんだな
ありが㌧ - 名も無き修羅 2012/05/09(水) 01:20秀吉の一夜城
笠懸山に約二ヶ月かけて築城。
(山の中なので北条からは城がみえなかった)
城の完成と同時に一夜のうちに周囲の山林を切り払った為
北条からは一夜のうちに城ができたように見えた - 名も無き修羅 2012/05/09(水) 09:40墨俣の話じゃないか
- 名も無き修羅 2012/05/09(水) 16:05聖徳太子は実在しない
→ウソ。もともとこの説は隋書に登場しないということと、聖徳太子の信仰を示す資料がないというのを論拠にしているが、その後の調査で信仰を示す資料が発見された事と、そもそも蘇我氏の地味な王族の一人にすぎなかったという主張はあらゆる資料から多くの矛盾が生じるため、一切認められなかった。
日本書紀の記述は多少誇張があるのは間違いないが、それでも聖徳太子の残した功績の大部分は事実だと思われる。 - 名も無き修羅 2012/05/16(水) 01:41※96837
一休さんはDQNじゃないだろ、やり直し - 名も無き修羅 2012/06/13(水) 17:52一休さんはDQNというよりパンク爺って感じ
- 名も無き修羅 2012/10/24(水) 21:11宮本武蔵ならやりかねないw
- 名無しさん@ニュース2ちゃん 2012/11/12(月) 12:41墨俣一夜城は一夜ってのは創作だけど実際に短期間で城を気づいたのは事実。秀吉以前に柴田勝家など織田家幹部が築城失敗しまくった後に秀吉が成功したから武勇伝になった
- 名も無き修羅 2012/12/13(木) 19:09※96837
三段撃ちは不可能じゃないけど
実際にやると無駄があって行ったとは考え難いじゃないか?
後下馬戦闘はそういう場合もあるというレベル
騎乗戦闘はあったが備で動く日本の戦術上騎馬のみの部隊はありえないという話だな - 名も無き修羅 2012/12/13(木) 19:20ちなみに長篠では武田の騎馬に対して
注意を喚起する手紙なんかも残っているので
騎馬を中心とした運用がまったく無かったとも考え難い - 名も無き修羅 2013/04/15(月) 12:46長篠の戦
→当時、部隊の1割も騎乗していれば相当すごい評判だったのに、武田は2割弱が騎乗していたという資料がある。それ以上に軍律が厳しかったので、移動や集散が素早く、その辺の伝承が後世では「武田の騎馬軍」となったみたい。
因みに当時の記録には「武田の『石投げ隊』には気をつけろ」とあるそうな。 - 名も無き修羅 2013/04/15(月) 12:48源氏物語は使用されている「語彙」がメチャクチャ多くて、そこから『作家が複数いたんじゃ?』という類推が広まった。
- 名も無き修羅 2014/06/17(火) 02:16歴史にあんま詳しくない人ほど刺激的な話にすぐ飛びついてしまうというね・・・
- 名も無き修羅 2015/03/12(木) 16:16知らないことを「知らない」としているのがよい
- 糞丼尿英 2015/08/26(水) 22:13沖田総司は女だった!!!!
ちなみに牧瀬里穂主演でんねん。 - 名も無き修羅 2020/07/26(日) 16:24「奥の細道」については記述に創作がだいぶ入っているだけで
旅したこと自体が作り話というわけじゃないらしいけどね。 - 名も無き修羅 2021/04/25(日) 19:37坂本龍馬については北辰一刀流の目録が最近発見され、鑑定の結果本物だという結論が出ているはず。
- 名も無き修羅 2022/08/24(水) 15:08西郷隆盛は親父の名前
皆が知る武田信玄像は村上義清
源頼朝像は足利直義 - 名も無き修羅 2023/09/23(土) 07:36源氏物語は語彙というか言葉をどういう意味で使うかで同一人物説が強化されたような
「わりなし」とか
ただ雲隠れと宇治十帖の間の4,5話は以前と似ている文章多いしあまり面白くなくて
ファン創作が混ざった説がある
奥の細道は最後まで書いてから芭蕉はずっと手元において
何かと書き替えてたという話で事実とは食い違ってるらしい
ちゃんとした行程は同行の曽良の日記でわかる
もちろん奥州には行ってる