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民明書房的野球用語解説
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1084637494/
1 : 神様仏様名無し様 : 04/05/16 01:11 ID:lputuPHz
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1084637494/
1 : 神様仏様名無し様 : 04/05/16 01:11 ID:lputuPHz
野丘(やきゅう) 古代中国では当時、戦が激しく兵士の士気が下がっていた。 それに困った時の皇帝は気休めにと石を投げてそれを木の棒で打つ。という娯楽を編み出した。 兵士達にも好評であり、戦の合間に楽しんだ。そして瞬く間に市民にも広まり、野原でも丘でも楽しめることから、 野丘と名づけられ中国の娯楽として定着した。 しかし、野丘に夢中になりすぎて勤労意欲が無くなり、経済に影響する事を危惧した皇帝は野丘を禁止した。 野丘は日本にも広まり、現在の野球の基礎となった。 皮肉にも野球は今や世界的スポーツになっているが、中国で禁止されていなければ、1,2位を争うほどに盛んになっていただろう。 民明書房刊「世界に広まった娯楽~スポーツ編、野丘」より |
4 : 神様仏様名無し様 : 04/05/16 14:49 ID:3eJrvrHX
麗我守(れがーす) 清朝末期、纏足と共に貴族の間で流行した装飾具の一つ。 主に脛当てである。最初はただの布を巻いたような物が多かったのだが、 やがて家の格により、家紋や文字、装飾を施したようなものが多くなった。 中でも中国東北部にある拠陣軍の黒い高貴な麗我守は、身にまとうだけで、一目置かれる 存在となった。 それが日本にも伝わり、野球用のレガ-スに形を変えて活躍している事はいうまでも無い 民明書房刊 「スポーツ用品その歴史」より抜粋 |
5 : 神様仏様名無し様 : 04/05/16 18:30 ID:3eJrvrHX
覇州留(はっする) 古代中国、清王朝時代。当時の皇帝は乱れていた国政を1つにまとめ上げようと政策を打ち立てた。 もちろん広い国土の清であったのでまとめる事は困難を極めた。そこで当時の国防長であった 御賀倭(オ・ガワ)が仕切り、州全体を1つに留め、世界を制するとの意味から覇州留と名づけられた。 他国にも覇州留を広めようとした御賀倭は、両手をグーの形にして腰に当て、「覇州留!覇州留!」と叫び PRした。そして見事に成功し、1つになり、他国にも真似をするところも出てきた。 我が日本にも広まり、挙仁藩の長でもある基世胎(きよはら)も真似をするまでに浸透した。 民明書房刊『中国の政策~覇州留』より |
7 : 神様仏様名無し様 : 04/05/17 14:49 ID:34utbQ6a
伐賭(バット) 刀が使われる以前の古来中国で使っていた武器。 主に木で作られている。 戦においては命を賭け、討伐するとの意味からこの名が付いたと言われている。 民明書房刊『命を賭けた兵士の魂』より |
10 : 神様仏様名無し様 : 04/05/17 21:31 ID:3Y7KzPEh
守苦射頭(スクイズ) 中国の諺 戦において戦況が苦しく負けられない緊迫の場面で、自軍を守る為に頭を使って、 意表をつき細かい攻撃を仕掛けた事から、「こつこつやれば成果が出る」の意 民明書房刊「中国の諺大辞典」より抜粋 |
11 : 神様仏様名無し様 : 04/05/17 21:45 ID:3Y7KzPEh
汚師堕志(おしだし) 中国の諺 自分の師匠をバカにすることは、自分自身をバカにする事と同じ行為であることから 「墓穴を掘る」の意。同意語に師糾(しきゅう)、暴苦(ボーク)がある。 民明書房刊「中国の諺大辞典」より抜粋 |
12 : 神様仏様名無し様 : 04/05/17 22:18 ID:3Y7KzPEh
展乱寺逢(てんらんじあい) 古代中国では、兵士達がいかに武術の訓練をしているかを皇帝が直に見る展乱寺逢 という事が行われていた。各地方の腕自慢が神聖なる寺院に集まり、披露した。 特に有名なものが、光烙園(こうらくえん)で行われた展乱寺逢である。 中国最大の軍隊、拠陣軍の大将、那賀史摩(ながしま)は皇帝が見ているという大舞台の中で、 作余納裸保無濫(さよならホムラン)という心を裸にして無の状態する、大技を披露した。 これには皇帝も驚きのあまり、立ち上がって拍手し、最大級の賛辞を送った。 那賀史摩と対戦したライバル武羅谷磨(むらやま)はショックが大きかったのか、「あれは反則だ!!」 とうそぶくことしかできなかったという。 これにより那賀史摩は「身守多亜(みすたあ)」(アジア最大の国、中国の多くの人を守るの意)の称号を 授かり、拠陣軍に那賀史摩あり。と中国全土に知らしめた。 民明書房刊「中国、拠陣軍伝説の那賀史摩」より |
15 : 神様仏様名無し様 : 04/05/18 14:33 ID:dexKpN82
保主(ほしゅ) 漢時代から呼ばれた城主の総称。 城の平和を保つ主とのことからこの名がつけられた。 保主になる為には、当たり前ではあるが戦に勝てるような頭脳、もちろん部下をまとめるリーダーシップが 必要とされた。中でも漢、中心部に存在した耶句瑠杜城(やくるとじょう)の主、布流汰(ふるた)は 繊細で緻密に戦略を練り、殷時代の伝説の名将である乃矛讃(のむさん)の再来とも言われた。 その戦略は亜射出威戦略(あいでい)と呼ばれ。民衆に支持されて、長く城を見守った。 現在、日本の野球では捕手と呼ぶポジションがあるが、保主のなごりから来ているものである。 (民明書房刊『勝つための頭脳~保主の戦略』より) |
16 : 神様仏様名無し様 : 04/05/18 19:37 ID:ikTzHAwb
死錠際興蛇餞【しじょうさいきょうだせん】 古代中国における処刑法の一つ。 罪人の両腕に錠を施し、罪人の体に蛇が好む匂い を擦り付け蛇を放して処刑する。罪人が恐怖に引きつる姿を見ることに悦を感じた 当時の大臣渠仁(きょじん)はこれを大衆に祭りの余興として披露し好評を博した。 しかし一月余りでに隣国の攻めに合いこの処刑法と共にこの国は滅びた。 ちなみに日本職業野球の宣伝文句に史上最強打線と名づけるのは上記に由来する。 民明書房刊【古代中国-祭祀と退廃】より |
17 : 神様仏様名無し様 : 04/05/20 01:53 ID:yRR7Xvpf
簾馳威流【すちいる】 漢時代の中国武術の流派の一つ。強靭な足に加え卓越した観察力、判断力で他流派 を圧倒した。開祖譜玖摸徒(ふくもと)の多大な努力により最盛期には門人が五万 人を超えた時もあった。しかし勢力が強大になり過ぎたため各国の保守が警戒令を 発し、特に乃矛讃(のむさん)の命により開発された駆射躯徒烏砲(くいくとうほ う)という当時としては最強の投石器により半壊滅状態に陥り、勢力を縮小させら れた。 昨年日本職業野球において61盗塁という好成績を残した阪神の赤星選手が簾馳威流 の伝承者ではないかと言われている。 民明書房刊「漢代の疾風」より |
24 : 神様仏様名無し様 : 04/05/31 23:07 ID:LiaXTLh9
眼邪利猪愚(めじゃりいぐ) 中国宋代末期、強力な軍事力で進入するモンゴル帝国の兵を宋の兵達が 「邪心に満ちた眼で利に猪のごとく突き進む愚かもの」の意味で 「眼邪利猪愚」と軽蔑し、また恐れた。 モンゴル帝国は中国はおろか東ヨーロッパまで席捲した。 圧倒的なパワーとスピード、さらに国籍問わず実力主義が 徹底されたモンゴルの脅威は時のイギリス皇帝さえ 「メィジャリーグ!」と怯えさせたほどだ。 言うまでもなく、イギリス本国から独立したアメリカの 「メジャーリーグ」が国技ベースボールの最高峰の名称に 使われたのはこの故事にちなんでいる。 民明書房刊『アメリカさんに物申す!・・・野球史編』 |
32 : 神様仏様名無し様 : 04/08/10 19:47 ID:DgNnoMBW
『魔球・智円寺阿津府(ちえんじ・あつぷ)』 明朝末期、中國東北部では智円寺と神拳寺の二つの尼寺が存在し、 女性達はその覇権を巡って曽婦斗墓宇瑠(そふと・ぼうる)なる競技で 日々抗争を繰り広げていた。 中でも智円寺の抑えの切り札・阿津府(あつぷ)の投げる球は 目の前でボールが変化するため相手打者から「魔球」と恐れられ、 ついには彼女の左腕一つで智円寺を勝利に導いたほどであった。 またこの智円寺は大変な美人が集まる尼寺としても有名であり、 かつ智円寺の語感が英語の ”チェンジ” に似ていることから 現代社会において初対面の女性への挨拶は 「お綺麗ですね」 と同じ意味として 「チェンジ!」 が好んで使われるようになったのである。 (民明書房刊 「中國球技界 その知られざる世界」 より ) |
33 : 神様仏様名無し様 : 04/08/10 22:52 ID:AKdDn0Di
「案出老(あんだすろう)」 時代短き隋王朝、煬帝がまだ存命中であった頃、黄河の北の部族であった 鬼世陣(きよじん)と反期雄(はんきゆう)が屁難斗(ぺなんと)と呼ばれる旗の所有権に ついて争っていた。鬼世陣形勢有利の頃、反期雄では鬼世陣の勢いを止める為の策を思案していた。 そんな折、反期雄の老隊長であった山丘(やまきゆう)が「屁難斗を奪う為の策」として 石を下から投げる作戦を発案、鬼世陣を大いに苦しめた。 結果として山丘の作戦は鬼世陣の王(おう)に見破られてしまい敗れてしまうものの、山丘の作戦に 敵味方賞賛の声が挙がり、山丘の作戦を発案したその頭脳を称え、「案出労(あんだすろう)」の 称号を与えられた。 山丘の作戦を長らく理解できる者はいなかったものの、現在日本において千葉呂津手(ちばろつて)の 寸助(すんすけ)が体得、その作戦は多くの球団を苦しませている。 なお先日伝説の老隊長山丘と渡辺俊介は「照例比亜左日(てれびあさひ)」の仲介で歴史的邂逅を果たした。 (民明書房刊 「伝説の老隊長 山丘」 より ) |
35 : 神様仏様名無し様 : 04/08/10 23:00 ID:QPqcF/hi
『苦労座(くろうざ)』 唐の皇帝・玄宗は毎夜酒宴を催していた。 のちに宰相となった楊国忠は多くの芸人を抱えていたといわれるが、 その宴の席でどの順番で芸人を出すかということに頭を悩ませていた。 ある時、宴の最後を締める芸人の芸が玄宗の勘気に触れ、国忠も疎んじられた。 蟄居していた国忠はその間に全ての芸人の芸を見、姉とともに協議したうえで次のように分類した。 説途圧波(せつとあつぱ)は、宴の中折れを防ぐため、途を説き、波のように場を圧する勢いのある芸を持つ芸人群。 素訥波(すとつぱ)は、素朴で訥々と、しかし同様に波のような勢いのある芸を持つ芸人群。 そして、最も場を盛り上げ、しかし最後にふさわしく締めなければならない芸人群を苦労座(くろうざ)と名付け、一座として特に重用した。 その後、苦労座の芸人のうち二、三人は玄宗の怒りに触れ、斬られたといわれているが、 玄宗には「宴を任せられるのは国忠をほかにおいてない」と言わせしめた国忠は順調に権力を得ていった。 なお、野球では投手の役割に応じた名前があるが、上記に由来しているのはいうまでもない。 (民明書房刊 『唐語撰』 より ) |
36 : 神様仏様名無し様 : 04/08/11 14:38 ID:tUcgW1X6
「優撃首(ゆうげきしゆ)」 古代中国春秋戦国時代、戦において特に「敵の首を攻撃するのに優れた武人」 のことを「優撃首(ゆうげきしゆ)」と呼んだ。その中でも鬼世陣(きよじん)の 比呂尾科(ひろおか)や反心(はんしん)の与死堕(よしだ)は特に優れた武人だった。 なお現代野球では優れた守備の選手に対して「遊撃手」のポジションを与える ケースが多いが、その「遊撃手」が古代中国の「優撃首」に由来している事は 言うまでもない。 民明書房刊「戦の華 優撃首」より |
37 : 神様仏様名無し様 : 04/08/12 21:59 ID:x1WnwtJN
『葬乱(ほうむらん)』 後漢末、いわゆる三国鼎立にいたる時代の人物については、陳寿『三国志』に詳しい。 魏書呂布伝という評伝は、呂布の武勇伝を中心とした波乱に富んだ生涯を描いている。 彼の故郷、五原では、そこに書かれていない、彼の一騎討ち技術が今でも伝承されている。 彼は一騎討ちの際に、自らの戟で相手の首を打って遠くへ飛ばす、葬乱(ほうむらん)という技術を用いることにこだわりを持っていたといわれている。 五原には様々な民族がおり、それぞれの民族の技術の融合が葬乱を生んだのかもしれない。 有名なのには、西域の閥区素栗院(ばつくすくりいん)で異民族同士の小競り合いがあったとき、呂布は仲裁のため、首謀者の婆子(ばあす)、過毛不(かけふ)、雄架蛇(おかだ)の三人に勝負を挑み、連続で葬乱した閥区素栗院三連発がある。 葬乱はある一定の距離を飛ばさなければならない、とのちに呂布は自戒したという。 なお、この技術がのちに野球でホームランといわれる語源だといわれている。 (民明書房刊 『写真でわかる!一騎討ち入門』より) |
40 : 神様仏様名無し様 : 04/08/14 02:03 ID:VmNy21XO
『月通(げっつう)』 月のものの有無は、女性にとって妊娠したか否かだけでなく、健康状態の目安でもある。 これは古代中国から知られていたことで、諸子百家は既にこの語をその意味で用いていた。 香阿府(かあぷ)の沙左丘(ささおか)は農家に属しており、越王勾践のもとで月通論を研究していたといわれる。 あるとき、愛妾西施に元気がなく、月通がないことを知った勾践は沙左丘にどうしたものか尋ねた。 すると、沙左丘は「勾践の好みが憂いを持った女性であるから眉を顰めており、元気がなさそうに見えるだけである」と答えた。 ところが実際に西施が倒れたため「月通があれば、2/3は健康に問題がないと言える。しかしそれがない場合は食事/運動/性交渉の3つをひとつずつ見直し、健康に注意せねばならない」 と提言した。そしてこの提言がもとで西施は無事元気を取り戻したといわれている。 現代の野球でゲッツーというのは、この沙左丘の台詞から来ているといわれている。 (民明書房刊 『写真でわかる!春秋時代のセックス入門』より) |
41 : 神様仏様名無し様 : 04/08/14 02:53 ID:VmNy21XO
『誤櫓(ごろ)』 漢の班超は西域で多くの国や民族と交戦し、そのなかで多くの兵器や戦術を目の当たりにした。 最も班超が手を焼いたのは、大月氏国の誤櫓(ごろ)という兵器だとされている。 語源は班超の「あれを櫓と誤って攻撃したところ…」という記述による。 これは、櫓上部から兵士が弓矢で攻撃してくる通常の櫓にさらなる攻撃手段の加わったものである。 攻略するために櫓に近寄ると、櫓の中央の高さにある扉が開き、中にある岩が落ちてきて、地面を転がってきて攻撃者を撃退するという。 班超はこの兵器により多くの兵士を失ったが、津児(つじ)や宮茂斗(みやもと)といった優秀な配下がこれを破壊することに成功し、ついに大月氏国を攻略することができた。 のちにこの2人は誤櫓さばきに達人と呼ばれることになった。 野球でのゴロという言われ方は、この誤櫓から繰り出される岩の転がる様が、球の転がる様子に似ているため、使われはじめたといわれている。 (民明書房刊 『珍兵器』より) |
43 : 神様仏様名無し様 : 04/08/14 14:30 ID:VmNy21XO
『瑛要姫(えいようひ)』 五胡十六国時代、奈屁津禰(なへつね)は野丘海(やきゅうかい)のそばに巨秦(きょじん)を建国した。 奈屁津禰は酢毛(すもう)、野丘(やきゅう、>>1参照)といったスポーツを奨励し、巨万の富を得たといわれている。 ある時伴秦(はんしん)との戦いに敗れ、憤った奈屁津禰は自らの富で他国の優秀な将軍を集めはじめる。 香阿府(かあぷ)の恵当(えとう)や台栄(だいえい)の胡久墓(こくぼ)などがその代表である。 それに留まらず、若く見どころのある少年を得るために瑛要姫(えいようひ)を用いた。 瑛要姫とは、性欲に飢えた少年のそれを満たすために派遣された女性のことをさす。 この存在は、名台(めいだい)の威知馬(いちば)と瑛要姫との事の最中が親に見られたことで発覚した。 これは漢土全体から倫理的悪として糾弾され、奈屁津禰は自ら国を去った。 (民明書房刊 『健康と科学』より) |
57 : 神様仏様名無し様 : 04/10/03 09:04:30 ID:TibCRMih
おまえら、珍そう団のネーミングしてんじゃねーぞ?
60 : 神様仏様名無し様 : 04/10/09 22:47:10 ID:0qnsIU4i
これすーっげーおもしれー!!
みんな頭いいんだな!
70 : 神様仏様名無し様 : 04/10/30 00:54:38 ID:tjWYF1M9
折竜(おれりゅう) むかしむかし、ある村で、日照りが50日間続いた。20日目、28日目、34日目、45日目は厳密には曇りの天気だったが、雨は降ることはなかった。 そのとき、竜が現れ、このように言った。 「俺はこの国に住む竜だ。天帝・猪頭聖武(いとうせいぶ)は今ここに雨は降らせてはならんとおっしゃるが、お前らを見殺しにもできん。今から、雨をこの地に降らせよう。だが、私もそれなりの罰を受け、無事では済まないだろう」 そう言い残して、竜は消えた。 その日の夕方、ついに雨が降り、村人は喜んだ。しかし、それもつかの間、竜が天へ昇っていった。 翌日、村人は首を折られた変わり果てた竜の死体を見つけ、悲しんだ。しかし、村を救った竜をたたえ、首を折られて死んだことから「折竜(おれりゅう)」としてその村に祭られたという。 現代、その伝承は忘れられたかに思われていたが、その地に生まれたある人が、プロ野球選手の落合博満氏にその竜の面影を見たことから、落合の方法論を「オレ流」と名づけ、その名を現代によみがえらせた。 (民明書房刊「今よみがえる!!幻の昔話」より) |
74 : 神様仏様名無し様 : 04/11/03 12:59:35 ID:jbpTMzZP
扇代(せんだい) 昔、明のころ、中国にわたった武士、来歩土亜堀衛門(らいぶどあほりえもん)が気に入り、支配しようとした町。 一方、幹侘仁(みきたに)は、町を支配するという考えを持っていなかったが、金轍(きんてつ)滅亡、台栄(だいえい)危機の報を聞き、、自らも故郷を治める事を考えるようになった。 しかしそこには、織楠(おりくす、かつての反期雄(はんきゆう))、反心(はんしん)の両族長がいた。両者ともとりあってはくれなかった。 だが、堀衛門の行為に怒った明王朝の命により、扇代を攻撃することになった。質・量ともに勝る幹侘仁の落典(らくてん)軍は、あっという間に扇代を占領。 幹侘仁はその地の民衆に憎まれながらも扇代の支配者となり、堀衛門は日本に逃げ帰った。 その後彼は、ある人物に招かれた地に、扇代を思い出し、それにちなんでこの地を仙台と改めたそうです。 (民明書房刊 「こうなったら?プロ野球再編問題」 より ) |
78 : 神様仏様名無し様 : 04/12/05 13:25:24 ID:XhugSd9x
嬰宮傑盤(えいきゅうけつばん) 前漢初期、嬰宮(えいきゅう)を守る役人で駒炉鎖輪(くろさわ)というものがあった。 彼は元は錦鼓(きんこ)に使えていたが、高祖劉邦の死後の混乱のなか、その死で泰揚(たいよう)、煮刺徹(にしてつ)をへて、さらにその暗殺を経て苣靭(きょじん)へ仕えたものである。以来、彼は嬰宮を守ることとなった。 その彼が、4年目の夏に急死した。彼の死を惜しんだ皇帝は、嬰宮に新たな役人を配置せず、嬰宮傑盤(えいきゅうけつばん)という石盤をつくり、そこに彼の名と匈奴との戦いで戦死した鎖輪邑(さわむら)の名を刻み、嬰宮におさめたという。 その後、すばらしい功績を残したものには新たに嬰宮傑盤にその名を刻まれた。奈駕縞(ながしま)、絹傘(きぬがさ)、聞張(ぶんちゃん)などがその代表である。 現在12人の名が確認できている。後2人の名が刻まれていたみたいだが、いずれも嬰宮傑盤から消されてしまって分からない。おそらく1人は双棍(そうこん)の使い手・寿々鬼(すずき)だと思われる。 また、この石盤の名から永久欠番という言葉誕生している。 (民明書房刊『野球はじめて物語』より) |
106 : 神様仏様名無し様 : 2005/06/01(水) 01:17:31 ID:VJlNLfHO
オレは「レーザービーム」の起源を知りたいな
112 : 神様仏様名無し様 : 2005/06/13(月) 21:04:45 ID:231h6UYq
>>106のリクエストにお答えして
冷座・火忌(レーザービーム) 1840年に起こったアヘン戦争では、清軍とイギリス軍の装備の違いが明白となり、 清は劣勢を強いられていた。致命的だったのは大砲の射程距離の違いであり、 清軍の大砲の届かない距離からイギリス軍艦の艦砲射撃を受け沿岸都市は 大打撃を被った。急遽、道光帝は超大型大砲の冷座(れいざ)砲と火忌(びいむ)砲の 実戦導入を決定したが、両砲ともに威力はあるもののイギリス軍艦まで届く射程距離 を有していないことが判明した。そこで清軍の軍事顧問である伊地浪(いちろう)は 両大砲を組み合わせて砲身を長くし、超長距離砲の冷座・火忌砲を完成させた。 この大砲によってイギリス軍艦の射程外からの砲撃が可能になり、一時期イギリス軍を恐怖 に陥れた。結局戦局を打開するまでに至らなかったものの、冷座火忌砲が早期に開発されていれば 清国は列強による分割を受けなかったかもしれない。 なお、日本人メジャーリーガーイチロー選手の強肩振りを「レーザービーム」に例えられているが、 この語源は言うまでもなく清国が誇る超長距離砲、冷座・火忌砲から来ていることに他ならない。 民明書房刊「逆転の中華大陸戦争史」第10巻~清国編より抜粋 |
113 : 神様仏様名無し様 : 2005/06/13(月) 22:01:09 ID:D0dbvW96
>>112
グッと近代になったなw
乙
136 : 神様仏様名無し様 : 2005/09/08(木) 22:24:14 ID:56wGXp1V
六大牙軍(ろくだいがぐん) 春秋戦国時代、秦の台頭に対抗するために早、慶、立、明、法、東の六国は同盟を結んだ。 これらの国は秦に負けない強力な軍隊を作るべく、毎年の春と秋に迅倶宇(じんぐう)の地で 大規模な合同軍事訓練を行なうことにした。内容は今のリーグ戦に近く、二勝先取で勝ち点1を 与えるルールになっていた。優勝国には多額の賞金と栄誉が与えられたという。このようにして 強力な軍隊を作り上げ、連合軍は後に六大牙軍と呼ばれた。 六国の特徴は個性的であった。早の国は稲作が盛んであり、その最大のライバル慶国は富豪が 多く住んでいた。立国は貴李素斗教という宗教団体が母体であり、明国は任侠の国として知られ、 法国は様々な武闘家がおり、東国には多くの学者が集い研究を行なっていた。 軍事訓練は一般公開され、多くの観衆を集めた。特に、合同訓練最後の日程に行なわれる早慶戦が 大人気であり、中でも優勝を賭けた伝説の五連戦は中国人なら誰でも知っている故事である。 なお、春秋戦国時代の春秋とはこの軍事訓練の日程から来ている。 民明書房刊「春秋戦国六国史」より抜粋 |
153 : 神様仏様名無し様 : 2006/02/23(木) 13:51:15 ID:QSk5P/yF
姫楊府(きやんふ) 古代中国では春になると戦争の前に演習を行うために軍を総動員して地方に出向いていった。そのときは、その周辺の人民も演習に協力し、宿舎も宛がわれた。 楊氏の力の強かったある国では、軍事においても楊氏の大臣が自ら演習の指揮を執っていた。しかし楊は一族の娘を宿舎につれてきて、自分が大臣だと言わんばかりに娘を見せびらかしながら遊んでいたという。 このため、兵士の間では演習時の宿舎のことを姫楊府(きやんふ)と呼ぶようになり、それはやがて戦場においても陣のことをさす言葉となっていった。 そして無計画な戦をしかけては敗れるという醜態を晒し続けることになり、領民の怒りを買い、ある年の演習時に、突然宿舎が1人のおとこによって破壊され、楊氏の大臣は死に、一族は捕らえられて皆殺しになった。 なお、姫楊府を破壊したのは王雰撰(おう ふんせん)という一介の兵士であり、プロ野球の公式戦の前に行われる試合のことをオープン戦と呼ぶ由来になったと伝えられている。 (民明書房「戦争に見る古代中国の1年」より) |
164 : 神様仏様名無し様 : 2006/05/09(火) 11:20:32 ID:KVBP52h1
民明書房って男塾ででてくるやつでしょ?
あれにかかれてることって、本当なの?
それとも民明書房じたい、男塾作者の作り物?
165 : 神様仏様名無し様 : 2006/05/21(日) 10:07:54 ID:/6Wm9Xhu
そんなモン、オマエ・・・
関連‐あの漫画の主人公は今
信長をも震え上がらせた男 首切り茂吉とは
モザイクの発祥は日本だからな
いま思えば少年誌にはありえん描写だった
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