組織知識創造、その再生のカギは「自分の頭で考える」と「身体で対話する」 その5間章 |
「暗黙知=身体知」、擬態語、身体語についての振り返り
前項「その3」で擬態語、「その4」で身体語を検討した。
人間は母国語で考えるゆえに、その発想思考は、母国語の特徴に制約されたり個性化されたりする。
しかし、だからと言ってとにかく擬態語や身体語を多用しさえすれば、オートマティックに日本人らしいユニークな発想思考ができると捉えたら、それは「原因」と「結果」を取り違えている。
この大筋のところでの本末転倒は絶対に避けなければならない。
しかし現実には、ビジネス書の中にはそういう誤解を与えかねないものも散見する。
そこで私は、ここで敢えて述べておきたい。
日本人ならではのユニークな発想をするためには、
常日頃から個人、集団、組織レベルで、
どうしても擬態語や身体語を多用しなければ対話しえない「暗黙知=身体知」を尊重すること、
そして、それを具体的なテーマとして持続的に対話しつづける有志のネットワーキングを維持すること、
この2つが不可欠なのである
と。
逆に言えば、バブル崩壊後の長引く平成不況において、日本企業のほとんどがみんな揃って日本型経営を短絡的に全否定し、本来前述のような仕掛けや仕組みを重視し内包していた個人、集団、組織レベルの習慣や制度を根絶やしにしてしまったことが、現在に至る根深い組織知識創造の硬直化をもたらしてしまったのである。
本論シリーズでは、それを組織の「機械論化」、人材の「機械の部品化」という側面からも捉えてきた。
トヨタの「カイゼン」も、ホンダの「わいがや」も、ただ社員同士がリアルに相対して集団対話をすればいいというものではない。
そもそも、どのような質の内容の対話するのか、どのような質の人間関係において対話するか、の方が先行し決定的に知識創造を方向づける。
そんなことは、誰もが実感している言わずもがなのことの筈だ。
それは、IYグループの隔週の課長以上全員を集めた「鈴木敏文会長主導の全体会議」もそうだ。
アイリスオーヤマの商品開発者全員を集めた「社長主導の商品開発会議」もそうだ。
再春館製薬所の円形オフィスに本社機構が集合していて何か問題が発生した時に「認識一致の太鼓」で関連部署長を中央対話スペースに集合させてする「緊急ミーティング」もそうだ。
すべて、社員同士がリアルに相対して集団対話をしてしか同期できない「暗黙知=身体知」を尊重している。
メールやエクセル・データのやり取りだけでは対話できない、そんな質の内容を、そんな人間関係において対話することを重視していることは論をまたない。
この対話の本質をおさえない限り、いくら一つのオフィス空間に本社機構を集合させたり、部門横断的な集団対話をリアルに相対してするオフサイトミーティングとして多発させたりしても、その効果は限定的でありかつ一過的になってしまうのは明らかだ。
そして実際に効果が希薄だという評価を受けて開催が途絶えてしまうケースが多いことは、みなさん見聞きしている筈だ。
私はここ数年、このことに問題意識を抱き、対話、つまり「ダイアローグ」というものの可能性を本質的に問い直す多角的な検討を重ねてきた。
(参照:「日本的な『話し合い』と欧米的な『議論』、そしてボームのいう『対話』(1) 」〜「(7) その3 」ほか
脳科学や神経事象学の知見、臨床心理学系のナラティブ・アプローチやフォーカシング、プロセスワークなどからの検討)
しかし、集団独創を促進する方法論について、なかなかこれだという手掛かりをつかめないでいた。
「ワールドカフェ」とバブル期まで盛んだったプライベートな「勉強会」について
そこに、最近普及しはじめた「ワールドカフェ」を体験して多くのヒントを得たのである。
本論シリーズも、その体験に触発されて、今までの私の検討成果を「ワールドカフェ」を念頭に再整理してみようと思った次第だ。
私は「ワールドカフェ」に、バブル崩壊まで盛んでかつて私も積極的に参加していた「ビジネス社会に自然発生したプライベートな異業種交流会や勉強会」と近いものを感じた。
当時までは、外国人が日本のビジネス社会の特徴として、この勉強会という欧米にはないビジネスパーソン交流をよく例にあげて注目していた。
そのことを知る人は今や少数派だ。なぜかその良さを伝えようとする年輩者は皆無だった。
(勉強会は、「日本型の集団志向」の2タイプの内の1つ信長志向、「個々の独創を放任しておいて、それを適宜に集団に組織する」知識創造体制を体現する、会社に捕われない一般社会のコミュニケーション・インフラだったが、「信長志向」については本論では割愛する。)
もちろん現代のワールドカフェとバブル期までのプライベートな個人参加の異業種交流会や勉強会(以下、両者会わせて「勉強会」とする)ではいろいろな違いがある。
先ず、現代の日本におけるワールドカフェは、ファシリテーションの専門家が普及させ、まずは会社内部で主催される会に社員が参加して初体験するというのが一般的だ。
それに参加した意欲的な社員がさらに自分が会を社内で主催するという広がり方が今のところの経過である。
一方、かつての勉強会は、ビジネスパーソン個人の自由意志によるプライベートな交流が自然発生し連鎖していった。
私の参加したたとえばマーケティング関連の勉強会に関して言えば、勉強会を主催してメンバーをコーディネートしたのは、ネットワーカー的な大学教授や日本マーケティング協会の幹部それに東京青年会議所人脈を背景とするコンサルタントなどだった。彼らは複数の勉強会を主催し、他者が主催する多様な勉強会に参加もしていた。私はその多くに誘われて参加していた。
つまり、意欲的な個人が自分のカネと時間を割いて顔を出した様々な勉強会を、ワールドカフェのラウンドロビンで対話するテーブルに置き換えれば、彼らにとって「日本のビジネス社会の全体がワールドカフェになっていった」ようなものだった。
そういう意味では、バブル崩壊以降、短絡的な日本型経営の全否定により「機械論化」した企業組織において、ワールドカフェは、かつてビジネス社会の全体に当たり前にあった、意欲的な人材たちが生身の「一人の人間」同士として交流する場、そしてそれがネットワークするインフラを、現代の状況にふさわしい形で回復しようとしている、そんな「人間論化」の動きだと解釈できる。
特に昨今のワールドカフェの急激な盛り上がりには目をみはるものがある。
そこには、長い間のリストラ圧力を耐え抜いてきた意欲的かつ忍耐力ある社員同士が、生身の「一人の人間」同士としての信頼関係に立ち帰って連帯しつつ、これまで暗黙の掟や柵に縛られて言わなかったこと言えなかったことを語り始めたの感が深い。
ここで注目すべきは、
まず人間性への信頼という<情>が先行し、
次に会社を良くしたい、育て合いにより自己実現と他者との関係性を創造的に再構築したいという<意>が培われる、
その上で<知>が求められる、
という
<情>→<意>→<知>の順序である。
これまでも「オフサイトミーティング」で語り合いもディスカッションもしてきた、
だが将来に繋がると期待していたほどの効果はなかった、
だからワールドカフェも似たようなものに違いない、
一度も体験せずにこのように決めつける言わば「食わず嫌い」の御仁がじつに多い。
しかしそういう方にこそ是非分かってもらいたいことは、
従来の集団対話は、その手法がディスカッションであるにしろブレインストーミングであるにしろ、
成果としての<知>の創造が直接的にあるいは最優先で求められてきた。
それとワールドカフェは、<知><情><意>の有り方がまったく違う、
ということだ。
「ヴィジョンづくり委員会」や「風土づくり委員会」なども、オフサイトミーティングと同様の対話を漫然と展開していた。
今にして思えば、ワールドカフェ手法で、
<情>→<意>のベクトルの再構築を先行させ、
それを踏まえて組織改革と体質改善を具体的に促進するヴィジョンや風土想定という<知>を練り上げるべきだった。
いま、ワールドカフェ参加者が自ら会を主催する形で、有志人材のネットワーキングが組織の隅々にまで展開しようとしている。
「ヴィジョンづくり」や「風土づくり」においても、そうした展開が「全社的な運動やムーブメント」を形成した可能性が高い。少なくともヴィジョンやステートメントという<知>のアウトプットが「絵に描いた餅」に終わらなかったのではなかろうか。
次に、ワールドカフェとかつてのプライベートな勉強会との大きな違いは、その中で展開される集団対話の具体的手法である。
勉強会は、異業種交流会ならずとも異業種の人間が集まるケースが多かった。
それは、現在、意欲的なエキスパート社員が、同一専門分野のさまざまな集まりによく参加している状況、と対照的だ。
勉強会では、出入り自由の個人参加でかつ異業種の人々がいる前提から、参加者各人になるべく均等に発言機会を与えようという意図が働いた。ワールドカフェほど厳格にルール化はしていなかったが、そこは類似している。
しかし対話の具体的手法は、勉強会は一般的にフリーディスカッションであって、ワールドカフェのようにブレインストーミングの手法をルール化するものではなかったところは大きく違う。
しかし実は、勉強会の本会の後、年齢肩書きを外して楽しく対話ができる気の合う、というか肌の合う者同士の二次会があり、それはワールドカフェ同様のブレスト状態になった。
その相性は、今にして思えば仕事に対する姿勢や好みであり、<情>→<意>のベクトルの一致だったと言える。
<知>については、専門や世代が異なって物事の見方が違うことに価値が見出された。
参加者の誰もが、同じ専門知識や価値観や感性の人間ならば会社に腐るほどいる、という認識だった。30そこそこのフリーランスの若造の私がいろんな所からお呼ばれしたのも、そういう背景からしか説明がつかない。
二次会は実に楽しく、その創発的な人間関係がとても魅力的で、実際の仕事にすぐに結びついたお陰で、私は30代、フリーランスになった最初の10年、何を専門分野とすることもなしに、場当たり的にいろいろな仕事に挑戦させてもらった。
たとえば、日産の社内指名コンペをコーディネートしていた同じ歳のお仲間が、私がマツダの仕事をしていることを聞きつけ、うちの会社のコンペに参加してみない、と誘ってくれたりした。私は、あ、やるやる、の一つ返事で参加した。
たとえば、私より一回り上の未年で、群羊会という未年の名だたる老舗企業の社長や歌舞伎役者が集う勉強会をやっているお仲間がいて、一度レクチャーしに来てくれ、と誘われた。メンバーがオーナーである銀座の某会館の一室で食事をしながらレクチャーをさせて戴いた。私は当時いつも若者らしいラフな格好をしていたのだが、勉強会の後、超高級のクラブにつれていかれとても浮いたのを憶えている。すごい奇麗なホステスさんに「またいらしてね」と言われて絶対に来れないと速攻で確信したものだ。仕事柄、いろいろな経営者にクラブに連れていかれたが、あそこを凌ぐ店は今もない。この一回り上の主催者の方とは妙に気が合い、著名ホテルのオーナーが経営していた客が演奏したり歌えるジャズバーによくご一緒したり(三次会)、歌舞伎役者のメンバーの紹介で、同じお師匠さんのもとで小唄を一緒にならったりもした。勉強会の諸先輩に若い私がお世話になったのは仕事に限らなかった。人生の幅を広げてもらった。
(ちなみに、このジャズバーのピアニストで経営を引き継いだ人が、後に勉強会つながりで面識を得て仕事をした事務機メーカーの事業開発キーマンの入社同期だったことを知ってびっくりした、なんてこともあった。このキーマンもジャズ好きでプロ並みの歌唱力があり、同期の店に自慢の喉を聴かせに私を連れて行ったのだが、私たちの前々からの面識にびっくりしていた。
不思議とマーケティング関連と建築関連でつねに何か面白いことをしたいと考えている方には、フリーランスの外部ブレインとの恊働に積極的なタイプが多く、なぜかジャズ好きの人が多い。)
私は忙しくて勉強会の本会に出れない時でも、二次会にだけはどうにか都合をつけていそいそと顔出しした。
私が30歳でフリーランスになって最初の10年、やったこともないいろいろなジャンルの仕事を、お前ならできる、と勝手に決めつけて任せてくれたのも二次会の仲間や先輩だった。
私にとってはこうした経験が鮮烈だが、私に限らず一般的な勉強会も、自分の時間とカネを使ってわざわざ参加するのだから、まず仕事が趣味のような人間ばかりが集い、自然と仕事に関して気の合う仲間、信用のおけるお互いに個性的実力を評価できる仲間に収斂していく。必然的に仕事上の協力関係に発展することが多かった。
また、私の場合、都心の行きつけのバーで、常連の中でも仕事が趣味の人間という類が類を呼び、具体的な案件で相談されて親身に応えていたら、いきなり仕事を依頼されるということも多々あった。
たとえば、新宿西口のあるバーでは、近隣のゼネコンのプランナーと出会い、ちょうどそのゼネコンの仕事をしてきたこともあってとか、新宿のゴールデン街では万博プロデューサーと出会い、私も乃村工芸でパビリオンの基本構想の経験があることもあってとか、実績の裏付けはあった。
しかし、夜の場末の酒場ですら、たまたま居合わせた人間同士が気楽なブレストをして繋がる場になっていた、ということは事実なのである。
青山原宿界隈では、広告やデザインやファッション関連のさまざまなナレッジワーカーが、私と同じように、会社員、フリーランスの分け隔てない遭遇と、異なる専門分野ゆえの恊働につながる交流を展開していた。
「東京都心の夜のバーが、多様な業界の仕事好きたちのワールドカフェであった」というのはその時代にそのような経験をした者なら同意する筈だ。
テレビでは、サラリーマンというと必ず新橋駅前広場の酔客が出てくるので、若い世代は、日本型経営というと彼らお父さんのことか、と短絡する傾向があるが、もっと楽しくスマートな勉強会の交流文化があった。
そして、それは地方都市でも、地元の多様多彩なキーマン同士の交流文化として自然発生していたのである。
異業種交流系の勉強会は、むしろ地方都市で廃れることなく展開したように感じる。
私は、バブル崩壊の後に、産業デザイン振興会の企画調整員として地方都市でワークショップの指導にあたったのだが、ワークショップの会合が終わると、さまざまな勉強会メンバーの飲み会が待ち受けていて、その熱気を実感した。いま思えば、その後の地方経済の衰退を予感した若手たちの危機感がそうさせていたのかも知れない。
そして実際にその後、地方経済の衰退のヘッジに、地元の「一人の人間」同士としての異業種交流系の勉強会の恊働関係や知的成果が貢献しているのだ。
このことを思うと、現在の「ワールドカフェ」の盛り上がりは、東京をはじめとする主要大都市の、「機械論化」を極めた大手企業の社員を中心にしたものなのかも知れない、とも思う。
無論、ワールドカフェの有効性は地域社会の市民活動においても有効で、都市農村をすら分け隔てるものではない。
しかし、日本の農村では、古来、祭りに関わる全ての過程が言わば「日本の農村型ワールドカフェ」になっていたのではないか、そしてそのようなコミュニケーション・インフラそのものは、地方都市や農村ほど温存されてきたのではないかとも思うのである。
つまり、現在の日本の「ワールドカフェ」の盛り上がりを、組織や制度の「機械論化」の極まりを揺り戻す「人間論化」の動きだと捉えるならば、「機械論化」を極めた領域で最大の盛り上がりを示している筈であり、地方都市や農村では従来のコミュニケーション・インフラやその成果の積み上げに即した独自の「ワールドカフェ」展開が求められる、ということは憶えておきたい。
バブル期までは、どこのメーカーも事業部門の統合的な相乗効果が全体最適の観点から追求されていた。それが良いということはみな知っている。かつては誰もが、良いと知ることを実際に行っていた。
明治維新の志士が精神的支柱とした陽明学で言うところの「知行合一」だったのである。
いわゆる社内の「組織の風通し」も良かった。
そして社内外、業界横断といった「企業社会全体の風通し」も良かった。
総じて、人材の恊働性や流動性が高く、ビジネスパーソン個人に帰属するオリジナルな知識や情報の流通性も高かった。
勉強会の実態は6割、本会は「うまいものの食べ歩きの会」であり、二次会は「気の合う仲間での飲み会」だった。
こんな「時代の情念」とその様相から私が少し異なる角度から注目しているのは、
当時の勉強会への参加者が、少年期に戸外で学齢の違う子供たちでする「群れ遊び」を体験した世代であることだ。
「群れ遊び」が盛んだったのは、高度成長期からオイルショックまでだそうだ。
なぜなら、それ以前は子供が家業や家事の労働力とされてよく遊べず、それ以後は塾通いやテレビゲームのために遊び時間が減りしかも自室で同学年の友達と遊んだり一人遊びすることが多くなったからだ。
勉強会には、仕事を遊びのように楽しむビジネスパーソンが、その関心事ごとに集った。
私の場合は、マーケティングとデザインと都市開発の3分野で、またがって顔を合わせる仲間ができたり、関連大手の幹部と師弟関係になったりした。
経験豊かな年長者が有望と感じる若者を育てたり良い伝手を紹介してあげたり、自分が進めている仕事に抜擢したりすることは、して当たり前の事というのが社会通念だった。
ちょうど、子供たちを社会の宝と捉えて、悪いことをしていれば自分の子供でなくても叱って当たり前だったのと同じような社会構造、と言えば良いだろうか。
勉強会は仕事大好き人間たちのビジネスをテーマにした「群れ遊び」だった、と思う。
「群れ遊び」は、年長者が年少者を順送りで指導し、余裕のある最年長者が余裕のない最年少者を気遣い庇う、そういう役割分担があった。
そんな<情>と<意>が、経験豊かな年長者には自然体で備わっていたし、お世話になった若い世代も順送りで後進に対してそういうことができるような人間になろうという<情>と<意>を自然体で抱いた。
(ラカン的に言えば、「交換」ではなくて「贈与」のダイナミズムなのだと思う。
「贈与」には、最初のそして全体の贈与者として「人間を越える大いなる存在」が想定されている。日本人の場合、それは自然や自然の摂理ないしはそれを象徴する存在なのだと思う。
「〜させていただく」「せっかくだから」という言い回しや、「お天道様がみている」「もったいない」という基調的な意識が、「贈与」のダイナミズムを日本人の思考に無自覚的に展開させていると想像する。
人間関係で言えば「おおやけ」や「義理人情」ということになるが、その展開は創造的である場合も限界的である場合もある。大切なのは意識的に前者を活性し後者を抑制することだろう。)
勉強会には利害関係や損得勘定で参加して売り込んでくるようなタイプは呼ばない、呼ばれない、という不文律が暗黙裏にあった。
仕事をしてもらう依頼はOKだが、仕事をくださいという営業はNGで、そういうことをしそうな利害関係を最優先するタイプはまずお呼びが掛からなかった。
つまり、まったく利害関係のない信頼関係において、お互いを育て合うという意識が健全に働いていた。人望のあつい寛容な年長者が多く(というかそういう年長者の会でないと年少者はわざわざ参加しなかった)、彼らも若者の発想や意見に触発されて、それを素直に吐露して喜ぶようなタイプだった。
バブル崩壊とともに、そういう「一人の人間」同士の繋がりを土台とする社会関係が廃れていった。
そのために、そうした心のゆとりある人間関係はバブルの好景気のせいだとしかイメージできない若い世代が多い。特に過酷の就職氷河期を乗り越えた世代からすれば、そんな事は表面的なきれいごととしか思えないのかも知れない。
しかし、それはバブル以前、戦前どころか、江戸時代からつづく「日本人の美風」であったのだ。
そのことを、大河ドラマ「龍馬伝」を見て想像してほしいと思う。
なぜなら意図さえすれば、本来日本人が日本語で対話して自然体でできるこの美風は、ワールドカフェによる人と人の繋がり、そして育て合いによって現代にふさわしい形で再生していけるからだ。
「ワールドカフェ」への期待と「暗黙知=身体知」について
ワールドカフェは、「一人の人間」同士の対話をヒエラルキーなく全方位でネットワーク展開することを特徴とする。
対話自体の方法論はブレインストーミングと同じだが、意図的に対話からヒエラルキーを無くし、アイデアを沢山出すことよりも、全方位の「一人の人間」同士の<情>と<意>のネットワーキングによる対話の流れにまかせて、そのワールドカフェに居合せたメンバーだからこそ気づくべくして気づく気づきや知恵といった<知>が導かれていくところが特徴である。
<知>の範域に話を限れば、従来のフリーディスカッションやブレインストーミングのように、課題があってその解答を出すことに向かうというのではなくて、新しい課題や目的それ自体を創出するところに特徴がある。
だから、ワールドカフェは、企業社会において失われてしまった、「一人の人間」同士としての、ヒエラルキーなき人間関係を盛り上げて、新たな問題意識や課題意識を単に知識や情報として共有するのではなく、意志や意欲、情緒や情熱として同期させる、そんなムーブメントを会社の内部から巻き起こしているのだ。
一方、私が体験した勉強会、特に意気投合した仲間同士の二次会は、大手企業のマーケティング部長や老舗中堅企業の勉強熱心な社長までが集った。和やかな雰囲気の内にも、仕事についての<意>と<情>の一致を厳密に評価し合っていた。
そして、どこの勉強会も示し合わせたように、同一業界の競合企業の人間が重ならないように配慮していた。
不思議なことに、何かしら類似性がある企業に関わる人間が業界を越えて居合わせることになった。社員の参加者の場合、会社名が◯◯であれば、ミスター◯◯と評されるような人となりのキーマンであり、メンバー間の<情>→<意>ベクトルの一致には、企業間の同様のベクトルの一致が反映していたのかも知れない。
どことは言わないが、だいたいどの業界にも、利益効率ばかりを求める大手と、どちらかと言えばおっとりしたボンボンのように理想や個性に走りがちな大手がある。
私の場合、勉強会の仲間は後者の社員で、仕事のクライアントも後者が多かった。
こうしたニュアンスは、仕事についての<情>→<意>ベクトルでしか説明できない。
いま社内で行われ始めたワールドカフェが、
会社の内側からの知的刺激の創出と、それを担う社内の人間関係づくりがポイントであるのに対して、
かつての勉強会は、
会社の外側からの知的刺激の導入と、それを担う社内外の人間関係づくりがポイントなのであった。
勉強会への参加者は、単に勉強したいという人間である以上に、会社や業界や特定テーマでキーマンになっている人材だった。特に、勉強会の創造性を盛り立てたり、仲間同士の恊働を実際のビジネスにも展開させた参加者は確実にそうだった。
だから、勉強会を体験した世代でも、ただ一二度参加したことがありますよ、という程度の人は醍醐味を体験してはいない。
このことも、参加者のほぼ全員がそれぞれに高揚する現在のワールドカフェとの大きな違いである。
ダイナミズムが求心的と遠心的と対照的ではあるが、ともに長幼の序、地位役職の縛りなく、あくまで「一人の人間」同士の対話と信頼がベースになっていた点では、ワールドカフェとまったく同じだ。
だからワールドカフェも、会社開催の会への参加者が増えていって、個人の資格で社外の異業種や一般市民の会へも参加したり会を主催したりする者も増えてくれば、現行の求心的なダイナミズムだけでなく、かつての勉強会のような遠心的なダイナミズムも働くようになり、会社の外を向いた個人レベルのネットワークづくりが展開していくのだろう。
意欲的なネットワーカーが社内キーマンとなって、深い信頼関係と相互理解を踏まえた異業種他社や私のような外部ブレインとのコラボレーションを具現化していく、その主要な手立てにワールドカフェがなっていくことを期待する。
現在のワールドカフェはそうした初期段階にあると認識する。
まずは、誰もがやってみる、ということが大切な段階にある。
しかし、誰もがやるようになった次の段階では、主要な立場にある「喰わず嫌い」でネガティブな評価をする者を説得するためにも、ワールドカフェの活動全体における<情>→<意>ベクトルの同期に、より高い質とより安定した継続性が求められるに違いない。
新たな目的づくりなり、新たなヴィジョンづくりなり、個々の会の明快なる<知>のアウトプット的成果もその限りにおいて求められる筈だ。
会社の社員同士の活動として行われる限り、組織改革や人材育成などの「目的」を達成していく有効な「手段」として認識されてこそ持続的に開催されうる以上、そうなのである。
育て合いによる<人づくり>、信頼ある「一人の人間」同士の対話を前提とする有志キーマンのネットワーキング、彼らによる全社員の問題意識、課題意識の伝播、そうしたことの効率性が目に見える形で見えなければ、一般的な経営幹部は重要な経営方策とは認めない。
現在、一般的に社内で行われているワールドカフェは、意欲的な有志が参加していて盛り上がりがあり気づきも多い。
しかし、どこか悠長で散漫であり、経営上の問題を抱える企業の場合は緊張感や何を目指すかの方向づけが不足している感が拭えない。
ワールドカフェを指導するプロフェッショナルたちは、それで良い、ゆっくりと「場」を醸成していけば良いとする。
確かに現段階では、一般的にはワールドカフェが多発し頻繁に行われるようになれば良い。
しかし、経営不振や環境の先細りから組織改革が<急務>の課題である企業も多い。
彼らこそが、自らの事態を快方に向かわせる切り札としてワールドカフェを頼みにしているのだ。
フリーディスカッションの結論、ブレインストーミングのアイデアといった<知>の成果を、ワールドカフェが直接的に求めないにしても、全体活動としての<情>と<意>の成果には、<人づくり>とそのネットワーキング、問題意識、課題意識の伝播の効率性は求められる。
私は、この段階で、
前述した、
日本人らしいユニークな発想をするためには、
常日頃から個人、集団、組織レベルで、
どうしても擬態語や身体語を多用しなければ対話しえない「暗黙知=身体知」を尊重することと、
それを具体的なテーマとして持続的に検討しつづける有志のネットワーキング
ということが不可欠なのである
という認識が大切であると考えている。
個々のワールドカフェの主催者がそれぞれに「対話促進ノウハウ」を創意工夫をすることが求めらてくるが、その時、具体的な「対話促進ノウハウ」をこの認識とそれに関連する知見が導いてくれるからだ。
だから私は、擬態語や身体語などの言語論を悠長に弄んでいる訳ではないのです。
むしろ、ワールドカフェをより有効化する方法論を急務として模索しているのです。
次項「その5」で検討する「(3)モダリティ表現」の論点もそこにある。
「モダリティ表現」とは、発話の命題に対するところの、誰が誰に対してどんな態度で発話しているかという状況情報のことだ。
それが、日本人の、つまりは日本語のコミュニケーションを重大に特徴づけている。
具体的には、コミュニケーションの位相を固定化してその展開を良く言えば方向づけ、悪く言えば呪縛している。
ワールドカフェの日本人にとっての最大の有効性は、この「モダリティ表現」の悪い呪縛から解放し、良い方向づけを自由に促すところだと思う。
呪縛に関して言えば、その極端な形は、
常日頃から個人、集団、組織レベルで、
どうしても擬態語や身体語を多用しなければ対話しえない特定の「暗黙知=身体知」を
暗黙裏に語らせない、あるいは黙殺する
という形で展開している。
ワールドカフェは、常日頃の公私の対話とは比べ物にならないくらい盛り上がる。
それは、
これまで回避してきた「暗黙知=身体知」を露呈しあい、その共有に集団で気づくことから、
<情>と<意>を同期させて、
その視座と感性をもって改めて個々が見聞きした<知>を集合させ俯瞰しその組み替えをするからにほかならない。
そういう作業を同期している内に、生身の「一人の人間」同士の関係性が形成され、お互いを育て合う<人づくり>の連鎖も回復してくる。
すべては、ナレッジマネジメントや知識創造論なる欧米的な<知>のパラダイムだけでは説明できない。
<情>の同期を起点にした<意>の再認識と共有、それがあった上での<知>の再編なのである。
その際、
どうしても擬態語や身体語を多用しなければ対話しえない「暗黙知=身体知」を尊重する
ということが鍵になっている。
「日本的な<情>起点の発想思考」の位置づけ
最後に「その5間章」を終えるにあたり、前項までの擬態語と身体語を検討したポイントを列挙して振り返った上で、
日本的な発想思考の特徴の一つの捉え方を提示したい。
◯「自分の頭で考える」ということは、自分自身そして他者と「身体で対話する」ことを不可欠の前提とするが、「部族人的心性」を認知表現の土台、発想思考の起点とする、ということとイコールである。
◯これを「身体知による発想思考」と総括するならば、
各国語の身体語はこうした「身体知による発想思考」を促す媒介として存在している、と言える。
そしてその中でも、母音主義の日本語の身体語は、最もプリミティブなメカニズムとダイナミズムを温存している。
◯かって人類が普遍的にもっていた「部族人的な心性」の素朴な<情>(情緒)が喚起されるように、日本語というものが構造的にできている。
◯日本語ならではの身体語や擬態語の特徴は、<身体感覚をともなった情緒性>の認知と表現にある。
◯発声を聴いた瞬時に言わば<知>だけでなく<情>や<意>も感受するのは、まさに歌謡の構造であるが、日本語は和語によってこの歌い言葉の構造特性をとても忠実に温存してきている。
◯「部族人的心性」は「人間論化」を求める認知表現の土台あるいは発想思考の起点となるが、そうした「身体知による発想思考」を日本語の身体語や擬態語が促す。
以上のことを、日本人が和漢洋を混合して使う日本語を使って考える、ということと重ね合わせると、
日本人は、以下のような3つの発想思考を調和的に展開してきたと言える。


以上の概念表において、
「暗黙知=身体知」を重視する「日本的な<情>起点の発想思考」が、
「欧米的な<知>起点の発想思考」と
「中国的な<意>起点の発想思考」を
調和的に統合してきた
と言える。
ここで注目して欲しいのは、
「欧米的な<知>起点の発想思考」は、
典型的には科学のように、知識という素材が確定的なものとしてあり、それを組み立てる文脈が因果律に則ってあり、そうした情報と知識の対称性があれば、つまり知識や情報を持つ者と持たざる者がなければ、基本的には一つの正解に行き着くというパラダイムにある。
そして、
「中国的な<意>起点の発想思考」は、
典型的には易のように、知識という素材が確定的なものとしてあり、それが天の意志によって組み立てられてしまう文脈が共時性に則ってあり、そうした情報と知識の対称性があれば、つまり知識や情報を持つ者と持たざる者がなければ、基本的には一つの天命に行き着くというパラダイムにある。
つまり、
以上の2者では、「自分の頭で考える」ということのそもそもの枠組み、つまりパラダイムがともに確定的な摂理に基づいている、
ということだ。
これに対して、
「日本的な<情>起点の発想思考」は、
因果律や共時性、モノやコトが分別される以前の渾然一体とした有史以前の認識表現の世界(仏陀は、森羅万象は因果律+共時性=縁起に則っているとした)を温存していて、環境もそれに適応すべき自己も不確定であることが前提のパラダイムにある。
「自分の頭で考える」ということは、その不確定性から、「身体的な発想思考」によって今ここ、この状況において期限付きの確定性、つまりを縁起を紡ぎ出すことに他ならない。
(参照:「日本型の集団独創のポイントは、肌で感じ取る日本語と現場相対の触れ合い(年度末総括)」)
具体的には、
縁起に則る「日本的な<情>起点の発想思考」が、
共時性に則る「中国的な<意>起点の発想思考」と
因果律に則る「欧米的な<知>起点の発想思考」とを
調和的に統合する
ということである。
それは、日本人が「和漢洋を混合して使う日本語」を使って考えることによっている。
◯私たち日本人は、和語を骨格とする日本語を使うことによって、好むと好まざるとに関わらず、
<身体感覚をともなった情緒性>を意識的、無意識的に主要テーマとするコミュニケーションを展開している。
それは、場の「文脈=コンテクスト」が、誰が誰に対してどんな態度で発話しているかという状況情報である「モダリティ表現」を媒介として、何がどうだどうしたという「命題」を強く規定してしまう、日本語ならではの語用論に連なっている。
◯そこで、「自分の頭で考える」とは、
この無自覚的な「文脈=コンテクスト」の展開とそれを媒介している「モダリティ表現」の呪縛に他律的に流されるのではなく、
逆に、「身体知による発想思考」を自律的に展開するべく意図的に自己そして他者と「身体で対話する」ことで、意識的に自由な「文脈=コンテクスト」の可能性を仮説し、それぞれに自由な「モダリティ表現」の方向づけを促すことに他ならない。
(参照:「『わきまえ』の語用論と日本型集団独創の関係を探る(3) 」)
引き続きこの立場と観点に立って
(3)多様多彩なモダリティ表現の多用
を次項「その5」で論じていきたい。
