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藤崎圭一郎のブログ。「デザインと言葉の関係」を考えます。

by cabanon
 
二項対立(1)
「デザインをいかに言葉で表現するか」というのが僕の大きなテーマだ。言い方を変えると「デザインにおける“言葉の力”の探究」となる。
物書きとしての経験からの分析だが、デザインや建築の特長を読みとり言葉で表現するには大まかに言って2つの方法がある。「二項対立」と「類推」だ。
二項対立による叙述は、光と影、人工と自然、中心と周縁、見えるものと見えざるもの、理性と感情、合理主義と神秘主義、対称と非対称など、相反する項目の対立をデザインの中に見つけ出す方法だ。デザイナーは相反する項目の、どちらかを選択したのか? 止揚したのか(つまり、ひとつ次元の高い観点から統合的に問題解決を図っているのか)? 共生を考えているか? 共生の場合、優先しているのは混ぜ合うことか、バランスか、お互いの違いを強調してコントラストを見せているのか?  二項対立による叙述は、対立を見つけ、それがどう解決されたかを言葉によって表現する方法だ。

類推による叙述は、「のようだ」「みたいだ」「に似ている」「連想させる」と類似するものを挙げる方法だ。「デッサウのバウハウスの校舎は機械の時代の神殿のようだ」「アアルトの花瓶はフィンランドに無数にある湖を思わせる輪郭をしている」。
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ヴァルター・グロピウス設計バウハウス校舎@デッサウ。実際見ると意外と小さいです

全然関係のない文脈や、事象の深奥に構造的な類似を発見するアナロジーの力は、最も創造的な力で、直観の力にもつながってくる。ものの仕組みを捉えるアナロジーとは別に、表面上の類似を語るアナロジーもある。これは使い方が難しい。

「誰々のようだ」「××の作品に似ている」という他人や他人の作品との類推は、デザイナーやアーティストは極端に嫌がる。インタビューの時の禁句である。「あなたの仕事は●●さんの仕事に似てますね」と言おうものならザッツエンド。デザイナーやアーティスト、建築家へのインタビューのコツは、いかに相手の独創的な活動を理解しているか、態度を示して相手の懐に入ること。話を聞く際、机の上に相手の著書や資料を並べるといった小手先のテクニックも重要だ。怒らせて本音を言わせるインタビューの方法もある。が、デザイナーやアーティストの取材には適切でない。いい話を引き出したいなら、瞬間的でも相手を愛すること。類推は豊穣だが独創性を語る言葉としては少々弱い。
近代が生んだオリジナリティ幻想が、誰かに似ているという類推はすなわち真似、パクリだという妙な偏見を生んでいる。オリジナリティ幻想に懐疑を持っているアーティストでも「誰々に似てますね」と面と向かって言われたら、やはり気分を害する。それが近代だ。だから二項対立という問題設定が重要性が増す。それは独創性がどこにあるかを語るのに実に効果的だ。

といっても、類推による叙述は、読み手の想像力や記憶を喚起してイメージを広げるのに効果的だ。味覚や嗅覚に関する叙述には欠かせない。ワインのソムリエたちは類推の表現を駆使している。ただし多用しすぎると、形容詞の羅列と同じ、中身のない表現になる。イメージを広げる効果はあるが、逆に問題の本質がどこにあるか表現するのは難しい。
類推(アナロジー)の問題は、メタファーやシンボルの問題にも通じる。メタファー(隠喩)やシンボル(象徴)は豊かで微妙で奥深い表現を生み出す。前近代的と思われがちだが、超近代的といったほうがいい。このあたりはのちのち考える。

今ここで話したいのは、二項対立の話である。

二項対立の叙述法とは、デザインや建築の特長を、相反する項目の対立として描き出す方法だ。弁証法の二律背反であるが、叙述法として用いる場合は、決してロジカルに対立を解決する必要がない。明と暗の対立は二者択一にする必要がない。明と暗の違いを際立たせコントラストの美を強調すればいい。がちがちの初期モダニズム的解決を諦め、東洋的な解決として、明と暗の境界のあいまいさの美を語る方法もある。
建築における光と影の対立は、時間という要素を導入して語れば、詩的な叙述が生まれる。たとえばユイスマンスは小説『大伽藍』でシャルトル大聖堂の、漆黒の森のようなゴシック空間に朝の陽光が差し込む様子を感動的に描写している。光と影の二律背反を時間という要素を持ち込んで止揚する。
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太極図

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の光と影の対立は、西洋的な光と影の対立とは違う。西洋の光は真理である。闇は真理が欠如した状態だ。。つまり有と無の対立であり、直線と曲線、抽象と具象、東洋と西洋といった両方とも“存在する”対立とは性格が全く異なる。(ただしゲーテは色の生成において闇を光と同等の役割をするものと考えた。一概に西洋と括って話すのは単純化しすぎかもしれない。08年10月付記)。谷崎は陰の美、闇の美を礼讃して、影を無でなく有として語ったのだ。闇は光の種を宿し、光は闇の種を宿す。それは太極図の世界に通じる。有と無という対立、として捉える西洋的な認識を、東洋的な知見で超えようとする。だから『陰翳礼讃』はデザイナーや建築家にとって重要な書物なのだ。
二律背反を矛盾と捉えることなく、そのコントラストを最大限に生かす。それが二項対立の奥義を知る者だけが出来る力業だ。

建築の問題設定がバイナリー(二元的)に成り立っているのは、多木浩二も篠原一男論で書いていたし、建築家は昔から知っていることだが、最初に僕がそれを強く意識するようになったのは、安藤忠雄の建築を書くときだった。安藤建築のわかりやすさはコントラストを空間にはっきり描き出していることから来ている。コントラストを読みとれば伝わりやすい文章が書ける。数年前、仕事で大阪、神戸、淡路島の安藤建築を集中的に巡って、彼に関する本を読んで直接話を伺って、そう思った。コントラストがあるから闘える。その後、ルイス・バラガンやアルヴァ・アアルト、ル・コルビュジエ、ルイス・カーン、ジャン・ヌーヴェルなどの建築を書くときも、コントラストを意識した。最近はどんな原稿もまず二項対立を読みとることから始めている。
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ルイス・バラガン設計ガルベス邸@メキシコシティ。建物の上にブーゲンビリア

一番コントラストを意識してその世界を叙述しやすかったのがメキシコの建築家でルイス・バラガンだ。「バラガンのピンクはブーゲンビリアのピンクのよう」という類推法を織り込みながら、「メキシコは光と影の国、生と死の国、祭りの喧噪と祈りの静けさの国。そのコントラストがバラガンの建築に見事に映し出されている。ピンクは矛盾を包括する色。人体の内部の色。母なる色、子宮の静けさの色でもある」と叙述できるのだ。(バラガン→ピンク→子宮は友人のアーティストから教えてもらった発想です)。

二律背反を矛盾として捉えるのでなく、豊かなコントラストと捉えるのには、リズムを読みとることが大切になる。作り手は、相反するものをリズミカルに配置することで、二項を動的に共存させられる。リズムは心地よい時間の経過となり、時にサプライズとなる。ザラザラした感触と滑らかな感触が交互に体験できること。暗く狭い空間からドアを開けると明るく広い空間へ至る驚き。軽いと思って手にしたらズシリと来たとき意外さ、無機質で冷たい表情なのに使えば使うほど曲がり具合ひとつにも温かみが感じられ味が出る道具(柳宗理のステンレスボウルとか)──。

二項のコントラストのリズムをいかに空間やプロダクトに配置するか。それがデザイナーや建築家のセンスであり感性である。それは人が教えられるものではない。そこを描き出すのがデザインを文章で表現するときのツボだ。問題設定という合理的な側面と、リズムという作者の身体や記憶に由来する不確かなながら確実にそこにある「センス」「感性」の存在する位置を、この叙述法で示すことができる。

ポストモダニズムという考え方は、モダニズムの対立項である限りモダニズムの呪縛から逃れられない。そもそも「二項対立」と「類推」と2つの項目を立てている僕の思考が、もうモダニズムの思考法だ。

僕がこんな指摘をするまでもなく、二項対立の問題設定は広くデザインの世界で行われている。デザインの二項対立は、哲学のそれといささか違う。必ずしも弁証法のように対立する二極を「止揚」(アウフヘーベン)する必要はない。

いや、こうとも言える。二項対立の問題設定をした時点で、問題設定をした視点は二項を高所から眺めていることになる。二項対立(二元論、二律背反、バイナリーの思考)が始まる瞬間に、人はメタな次元に移行する。止揚を意図した瞬間に止揚は始まっているのだ。それゆえその後は一概に論理で解決する必要はない。メタの次元に飛んだ感性や直観やカンやひらめきによるあいまいな解決法もあり得る。そこが面白い。

もうひとつ別の言い方をするとこうなる。かたちにすること自体が「止揚」に匹敵する「高昇」なのだ。かたち→理念、肉体→精神へが高昇でなく、理念→かたち、精神→肉体というベクトルを高昇と考えること。だから矛盾を論理的に解決する必要はない。かたちや色こそ、高みなのだ。そう考えると、デザインがとても興味深い世界に見えてくる。

僕が経験的にライター仕事で培った二項対立でデザインを描き出すポイントをここにまとめてみる。

【とにかく】 コントラストに注目すること。

【メインコントラスト】 主題になっているコントラストを見つけ出す。二項対立を探り出すことが、すなわち何がデザイナー、建築家の主題を浮き彫りにする。伝統と現代、透明と不透明、可視と不可視、静と動、アノニマスと作家性、権威とストリートなど。メインコントラストはひとつであるとは限らない。むしろ内と外、光と影など相互に関連するコントラストが絡み合い、ひとつの作品の中に複数コントラストが埋め込まれている場合が多い。が、叙述方法としては、コントラストを絞り込むと読者に伝わりやすい文章となる。主な二項対立は右をクリック《二項対立リスト》

【サブコントラスト】 表現を豊かにするために使われているコントラストをなるべくたくさん見つけ出すこと。これは形容詞で表現できる場合が多い。広いと狭い、柔らかいと硬い、閉鎖的と開放的など。形容詞的対立と「類推」を織り交ぜて使うと、詩的な描写が可能になる。形容詞的対立だけでなく、上の二項対立リストの項目がサブコントラストになるケースも多々ある。形容詞によって表現されるリストはこちら《主な形容詞的二項対立》

【解決法】 二項対立は必ずしも二者択一で解決されていない。二項対立の解決法をどう読みとるかが、デザインや建築を描写する鍵になる。さまざまな解決法があり、たとえば、内と外の空間の対立の解決策は、テラス、パティオ(中庭)、坪庭、縁側であったり、大胆にガラス張りの空間をマッシブな建物に突き刺す相互貫入の時もあれば、障子や半透明ガラスだったりする。

【リズム】 対立する二項をどう配置するか。複数の二項対立をどう並べるか。リズムという視点で見ると、そこに作者の感性が見えてくる。光と影、未来と記憶、インターナショナルと地域性、狭いと広い、光沢とマット、曲面のボリューム感と平面のフラットさ、などがリズミカルに表現されたデザインや建築は、例外なく豊かな体験を提供してくれる。それは二項の動的共存であり、「体験デザイン」である。サプライズ、感動、長く使って飽きの来ない愛着の体験などを提供してくれる。

【まとめ】 コントラストを描き出すことは、作者がどう問題設定しどう問題解決をしたかという合理的な側面を明らかにするとともに、言葉から常に逃れつづける作者の「感性」がどの位置に埋め込まれ、どのくらいの強度を持っているかを明らかにすることができる。

今日はここまで。二項対立の話は、もっともっと続きます。
text & photo by Keiichiro Fujisaki

by cabanon | 2005-05-24 22:00 | 二項対立
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Profile
藤崎圭一郎
Keiichiro Fujisaki
デザイン評論家。編集者。1963年生まれ。1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。

ライフワークは「デザインを言葉でいかに表現するか」「メディアプロトタイピング」「創造的覚醒」

著書に広告デザイン会社DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』

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