会社設立10年目にして東証マザーズ上場を果たしたネクスト。まさにそのとき、井上高志社長は社内に危険な兆候をかぎ取っていた。発端は、業容拡大とともに中途入社の社員を大量に採用したこと。創業期を支えた社員は、井上社長が掲げる高い理想に共鳴していたのに対し、成長期に入社した社員には目先の売り上げや成果を重視する傾向が強かった。そのため、現場で両者の意見が食い違う場面が増えていた。いかにして会社に一体感を取り戻し、高めるか。ベンチャー企業の“成長痛”に新たな手を打つ。

 私が率いるベンチャー企業、ネクストは、会社設立10年目の2006年10月、東証マザーズに上場しました。

 はたから見れば順風満帆です。

会社設立10年目にして東証マザーズ上場を果たした
会社設立10年目にして東証マザーズ上場を果たした

 しかし、一方で私は社内に決して見過ごすことのできない危険な兆候をかぎ取り、ひそかに危機感を抱くようになっていました。

 危険な兆候とは何か。

 表面的に見れば、いずれも社員同士のちょっとした意見対立でした。しかし、その背後には、私たちの「基本思想」に反した思考や言動が見え隠れしていました。

 分かりやすいように、ネクストの中核事業である不動産情報サイト「HOME'S(ホームズ)」を例に、ご説明しましょう。

 HOME’Sは、一般消費者であるユーザーに不動産情報を提供しています。一見するとB to Cのサイトのようですが、ビジネスモデルとしてはB to Bです。会員となった不動産会社に、手持ちの物件情報を告知、宣伝する場をネット上に提供する代わり、対価をいただきます。最終的な目的はエンドユーザーの利便性を上げることですが、直接の収益源は不動産会社からいただく入会金や掲載料です。

 すると、目端の利く社員からは、こんな意見が出てきます。

 「会員の不動産会社に追加料金を支払ってもらう代わりに、ユーザーがHOME'Sで検索したとき、自社の物件情報が上位に表示される仕組みをつくれば、もっと儲かるんじゃないか?」

 さらに、HOME’Sへの入会を検討する不動産会社が皆、サイトを経由した問い合わせ件数の多寡を気にしていることに注目して、こんな意見も出てきます。

 「HOME'Sの掲載物件に問い合わせをしたユーザーには特典としてポイントを付与したら、問い合わせ件数が増えて、新規会員企業が獲得しやすくなるはずだ」

 いずれも私からすればとんでもない話です。

エサで釣ってはなぜ悪い?

 検索で上位表示される“権利”を売ることの何が問題なのか。

 HOME'Sのユーザーにとって、それぞれの物件情報を掲載するのに不動産会社がどれだけのお金を支払っているかは、物件の価値とまったく関係のない話です。重要なのはユーザーが求める条件にマッチした物件が上位に表示されること。不動産会社が追加料金を支払ったからという理由で、条件からやや外れる物件を上位に表示する仕組みをつくってしまえばエンドユーザーの利益に反します。

 また、ポイントという“エサ”で釣って、問い合わせ件数を増やしても、会員の不動産会社にはまったくメリットはありません。むしろ、冷やかしの問い合わせに対応する手間が増えて迷惑なくらいです。その分、本気で不動産を探したいと考えているユーザーとの接点が減ってしまう危険すらあります。そうなれば結局、エンドユーザーの利益にも反することになります。

 私たちのビジネスの価値は、不動産の売り手と買い手、貸し手と借り手をベストな形でつなぐことです。それに対して、上記の2つの提案は、短期的な利益は得られたとしても、本質的な価値提供につながるものではありません。

 社員が数人、数十人のころから、私と行動を共にしてきた社員たちは、こんなネクストの基本思想を、よく理解していました。だから、新しく入ってきた社員が、基本思想に反する提案をすれば、「それって結局、ユーザーのためにならないよね?」と、反論した。けれど、会社が急成長するに従い、基本思想を理解していない社員が増えていきました。そうなると、ほかの社員が「ノー」と言っても、「だって、こうした方が儲かることは明らかじゃないですか?」という再反論がなされ、意見の食い違いが目立つようになっていた、というわけです。

 私の創業の思いは、これです。

 一世一代の大事な買い物であるマイホームを選ぶお客様に、市場に流通する商品すべてをワンストップで網羅的に見ることができる手段を提供したい。不動産業界にある「情報の非対称性」という問題を解消し、お客様の笑顔を生み出したい(詳しくは第1回をご覧ください)。

 そんな原点を忘れることなく、軸をぶらさぬように経営することを心掛けてきました。

宅配ピザ片手に語り合った理想

 社是は「利他主義」。経営理念は「常に革進することで、より多くの人々が心からの『安心』と『喜び』を得られる社会の仕組みを創る」です。

 いずれも、上場準備を始めた04年ごろ、全社員で話し合って定めたものです。私と役員、マネージャーが話し合って土台を作成した後、数十人いた社員全員を集めて合宿を実施。さらに数カ月間、ミーティングを何度も繰り返し、表現の一言一句に至るまで、全員が納得できるように議論を重ねました。

 「働くことの意義とは何か」「会社とは何か」「お金の本質とは何か」――。そんな根源的な議論が、社内のあちこちで連日、交わされていました。当時、終業後に定期的に社内で開いていた「ピザパ(ピザパーティーの略)」でも、缶ビール片手に宅配ピザを頬張りながら、気付くと熱く語り合っていたものです。ちなみにピザパとは、京セラ創業者の稲盛和夫さんが推奨する社内懇親の「コンパ」を、ネクスト流に取り入れていたものです。

2004年3月、業容拡大に伴い、オフィスを拡張移転したころ
2004年3月、業容拡大に伴い、オフィスを拡張移転したころ

 この時期からネクストで働いてきた社員には、こうした私の考えやネクストの価値観が骨の髄まで染みこんでいます。

 ところが、上場に向けて業容を拡大し、急激に社員を増やしていくなかで、価値観の共有が後手に回ってしまいました。私の力不足です。

 06年の春に100人強だった社員数は07年には200人強に、08年には400人の規模をうかがうまでに増えていました。中途入社の社員が1カ月に10人以上入ってきたこともあります。その過程で、かつては最終面談には必ず社長の私が立ち合っていたのを、部下に権限を委譲し、各部門長に任せるようになりました。

 中途入社の社員には、入社時の研修の中で約2時間かけて「ビジョン・シェアリング」を行い、社是や経営理念、行動指針などを説明しました。しかし、私たちの価値観や目指す世界を理解し、共感してもらうには、それだけでは限界がありました。

 特に中途入社の社員の場合、以前に勤めていた会社や業界の様々な文化を引きずっています。知らず知らずのうちに、目先の利益や成果を優先する発想に流れがちになるのも、無理からぬところがあります。

 そして、そんな彼らと、ネクストの価値観が染み渡った社員との間で足並みの乱れが生じている。一枚岩だったはずの組織に“きしみ”の予兆がありはしないか――。急成長を遂げ、脚光を浴びる会社の中にあって、私はこんな危機感を抱いていました。

 もちろん、私もこの状況に手をこまぬいたわけではありません。

 前回紹介したように、リクルートOBの先輩でリンクアンドモチベーション会長の小笹芳央さんからは、急成長する会社が罹患する病気について、以前から警告を受けていました。

 おさらいすると、その病気とはこういうものです。

  1. 社員数100人を超えるときに多くの会社が発症する「マネジメント不全症」=経営トップと現場をつなぐ管理職が育たず、部下のモチベーションやパフォーマンスが低下する
  2. 社員数300人を超えるときに多くの会社が発症する「既決感蔓延症」=社員一人ひとりの裁量の幅が狭まり、変革への意欲が低下。社内に無力感がはびこる
  3.  これらの予想される病に対して、私は社員が数十人だったころから予防策を講じ始めていました。それが必ずしも万全でなかったことは前回の通りですが、何も手を打っていなければ、もっとひどい事態に陥っていたはずです。急成長する会社が罹患する病に打ち克とうとする私の取り組みは、完璧とはいかずとも、一定の効果を挙げていました。

     そこにあるとき、頼りになる1人のパートナーが加わりました。今、ネクストの人事本部長を務めている執行役員の羽田幸広です。

    初対面の29歳の熱意に賭ける

     羽田との出会いは、05年夏。中途採用の面接でのことです。

     彼は当時、新卒で就職して7年目、29歳でした。前職では営業などをしていて、人事は未経験だったものの興味があり、キャリアチェンジを希望して転職活動をしていると言います。

     人事の仕事に対する夢を語る彼の話を聞いていて、私は何かひらめくものを感じました。そして思わず、胸の中でひそかに温めていた構想を打ち明けました。

     「僕さ、ネクストを『日本一働きたい会社』にしたいと思っているんだよね」
     「ところで、きみ、僕と一緒に『日本一働きたい会社』をつくる気はないかな?」

     私が、全社員に向けて「『日本一働きたい会社』をつくる!」と宣言したのは、その翌年。この時点では、私以外に誰一人知らない話です。そんな話をいきなり面接で持ち掛けられ、目を白黒させていた羽田ですが……。

     「はい、ぜひやらせてください!」と、元気よく返事をしてくれました。
     「よし、じゃあ、採用!」

     入社後は希望通り、人事に配属。私と羽田は二人三脚で「日本一働きたい会社」づくりに着手しました。

    執行役員の羽田幸広人事本部長。29歳で転職してすぐ、新しい人事制度の仕組みづくりなどを一任された
    執行役員の羽田幸広人事本部長。29歳で転職してすぐ、新しい人事制度の仕組みづくりなどを一任された

 私と羽田はまず、役員を交えて「日本一働きたい会社」とは何かを定義付けしました。結論はこれです。

 「理念の下に集い、あふれる挑戦の機会の中で成長し続ける集団」

 私たちの会社は、社員に「あふれる挑戦の機会」を提供することを約束する。一方、社員には自発的にその挑戦の機会をつかみ、成長することを求める。同じ理念の下に集まっていれば、そんな個人の挑戦と成長が、会社の成長につながるはずです。このようにして「社員がキャリアビジョンを実現し、生き生き働くこと」と「ネクストとしての経営理念を実現すること」の両立を目指したのです。

 では、このような理想の集団を目指して、具体的にどんな仕組みをつくればいいか。私と羽田は採用、教育・研修、評価制度などの項目について議論を重ねていきました。

 ところが、その一方で、社内に不穏な空気が流れ始めました。

 上場した06年前後のこと。冒頭で紹介した通りです。創業メンバーを筆頭に、ネクストの価値観をしっかり共有できている社員と、価値観の浸透が不十分な社員の間で、意見の食い違いが目立つようになったのです。些細なことと思う人もいるかもしれませんが、私にとっては看過できない問題でした。社員全員のベクトルがそろわなければ、どんなに良い人事制度を整えたところで、機能しません。「日本一働きたい会社」など、言葉ばかりの夢物語に終わってしまいます。

トップダウンから「草の根ボトムアップ」へ

 そこで07年、私たちは「日本一働きたい会社」を目指す取り組みの方向性を一気に転換しました。

 それまでは基本的に、私と羽田を中心に役員を交えながら進めていたのを、全社員を巻き込んだ草の根型の運動に拡大したのです。

 社内横断型の「日本一働きたい会社プロジェクト」の発足を、全社に向けて宣言。プロジェクトチームのメンバーを、全社員から公募しました。

 組織を改革したいとき、このようなプロジェクトチーム方式を選ぶことには、メリットもあれば、デメリットもあります。

 新しい制度を設計し、導入するまでのスピードだけを考えるならば、プロジェクトチーム方式を選ぶのは得策ではないでしょう。従来通り、私と羽田や役員だけで決めて、トップダウンで実行した方が格段に早かったはずです。

 けれど、トップが決めたことを現場に下ろすだけでは、社員にとってはどこか「他人事」で終わってしまいます。新しい制度を通じて、私たちが求めている変化、目指している理想がうまく伝わらない。その結果、社員にとって納得度が低くなりやすい欠点があります。

 私は、「日本一働きたい会社プロジェクト」を、トップダウン方式から、社員全員から公募するプロジェクトチーム方式に転換することで、社員にある重要なメッセージを伝えたかったのです。

 それは「『日本一働きたい会社』は社長がつくるものではない。役員がつくるものでも、人事部がつくるものでもない。社員一人ひとりがつくるものだ」というメッセージです。

 さらに、人事制度の改革を草の根的な全社運動として進めることで、あらためてネクスト独自の価値観を社内に浸透させることもできると考えていました。

 ネクストでは当時から「日本一働きたい会社プロジェクト」だけでなく、さまざまな社内横断型のプロジェクトチームやワーキンググループが絶えず動いています。このような活動は、社員300人で直面するはずの「既決感蔓延症」の防止策として、有効だったと感じます。

 組織において大事な物事を決める時には、多くのメンバーがそのプロセスに加わることが重要です。時間がかかって面倒に感じるかもしれません。けれど、そうすることでメンバーの納得感が増し、浸透度も高まります。その結果、決定の後の実行のスピードと精度が上がります。遠回りに見えて、実は近道になる可能性が高いのです。

 07年秋、「日本一働きたい会社プロジェクト」に参加する有志社員を募りました。その結果、約80人の社員が志願。実に全社員の約4分の1が手を挙げてくれました。自ら動いて会社を良くしようという意欲ある社員がこれほどの数だけいた。その事実が、私を力づけてくれました。

 プロジェクトが本格的にスタートしたのは、08年1月。80人の有志社員は早速、全社員にアンケートやヒアリングを実施し、社員が能動的に「働きたい」と感じるには何が必要かを探りました。

「会社の本気」を社員にどう伝えるか?

 全社員への調査というプロセスを経たことで、入社間もない人も含めた社員一人ひとりに「何としても『日本一働きたい会社』をつくる」という会社の「本気度」が伝わっていきました。そして、会社が最終的に目指しているのが「社員がキャリアビジョンを実現し、生き生き働くこと」と「経営理念の実現」の両立であることも、嘘偽りない本音として受け止めてもらえたように感じます。

 プロジェクトチームは調査結果を基に、「日本一働きたい会社」をつくるためのテーマを抽出しました。最初に浮上したテーマは、次の9つです。

  1. 異動
  2. 採用戦略
  3. 入社フォロー
  4. 人材ブランド
  5. ロールモデル
  6. OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)
  7. 教育・研修
  8. 明文化
  9. 評価制度

 それぞれについて、ワーキンググループを立ち上げ、議論を深めてもらいました。5月に中間発表を行い、7月には9つあったワーキンググループを次の4つに統合しました。

  1. キャリアエントリー
  2. キャリアデザイン
  3. キャリアディペロップメント
  4. 評価

 9月には、それぞれのワーキンググループが経営陣への提案を行いました。その後、役員会で採用の可否を決議。採用が決まった提案を順次、実行してきました。

 社員の提案を受けて、私たちが取り入れてきた人事制度の施策には、ネクスト独自のユニークなものも多くあります。次回以降、その具体的な内容を随時、紹介していきたいと思います。

 といっても、制度をつくり上げるプロセスを無視して、制度の中身を語ることには、あまり意味がないと私は思います。組織が成長を遂げる過程には必ず試練があります。そこで、自分にとって決して譲れない一線を守りながら、その試練とどう向き合い、克服するか。そこで問われるのは経営者の意思であり胆力ではないでしょうか。

(構成:小林佳代)

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