酷暑の東京を脱出して、山梨の某所で数日間過ごした。
そこで意外な経験をした。地元のスーパーマーケットに行った時の出来事である。
私は国内だろうと国外だろうと、必ず地元のスーパーに足を運んで土地の空気感を味わうのが大好きだ。が、今回立ち寄った食品スーパーでは自分がどこにいるのか分からなくなった。「え? ここって……、日本だよね?」と脳内が混乱するほど外国人があふれていたのだ。
スーパーの入り口で中国人らしき男性2人と出会い、カート置き場ではラテン系の親子とカートを譲り合った。野菜売り場には北欧系のパパがかわいい子供を背負い、民族衣装に身を包むインド系の女性やら、東南アジア系の若者やら、韓国人の夫婦やら、なにやらと、言語も国籍も違う人たちが、夕方の割引セールに列をなし、多種多様な言語が飛び交っていて。置いてある商品もまるで外国のスーパーのよう。これぞインターナショナル! 多様性じゃん! と超ワクワクした。
その後も「外国人発見センサー」はフル稼働し、焼肉屋さんの外国人店長、バッティングセンターの外国人責任者(おそらく)、美術館や展望台の外国人受付スタッフなどを探し出した。以前、自宅近くのコンビニで、スーさんがスーザンさんを指導し、パクさんがスーザンさんをフォローし、その横でトムさんが宅配便の受付をしているのを見て「時代の変化」を感じたけど、今回はそれ以上の衝撃だった。
しかも、みな元気だ! みな楽しそうで、働く仲間として外国人が存在し、「従業員の中に外国人? 普通にいますけど?」感が満載で、妙に心が和んだ。
これって……、マジ感動なわけです。
なにせ、これまで日本で働く外国人問題は、厳しいものばかりでしたから。ニッポン人は外国人旅行者には優しいのに、働く外国人には冷たかったから。
「日本には目に見えない鎖国がある」「日本人は優しいけど、日本という国は優しくない」「外国人は日本の究極の弱者」など、日本で働く外国人たちがこぼす言葉は、重くて、悲しくて、日本人の私は「申し訳ない」と謝るしかなかった。
技能実習生問題にはやっと、本当にやっと国も動いたけど、パスポートの取り上げ、長時間の時間外労働、性暴力、妊娠した場合の強制帰国など、これでもか! というほど問題が次々と発覚。米国国務省の報告書には「強制労働」の文言が使われ、国連人種差別撤廃委員会から「劣悪かつ虐待的、搾取的な慣行」などと指摘されるなど、日本社会は外国人労働者をよそ者扱いし、日本人がやりたがらないような劣悪かつ低賃金の仕事の穴を、外国人労働者で埋めていたのだ。
むろん私が見た“景色”にも、問題はいまだにあるのだとは思う。
実際、レストランの会計でカードの暗証番号を入れる際、外国人スタッフがまるでかくれんぼをするような姿勢を取った。つい「そこまでしなくて大丈夫ですよ」と言ってしまったけど、「外国人→怖い→犯罪」という間違ったイメージを持つ人も少なくないのかも、と案じるほどの、「私、絶対に見てません!」アピールだった。
それでも私が見た「多文化共生社会」が日本各地に広がっているとしたなら、めちゃくちゃうれしいし、「一緒に暮らす隣人」として受け入れる社会が出来上がりつつあるなら、もっともっと広がってほしいと心から願う。たとえ全ての問題が解決されずとも、国籍も、生まれ育った土地も、年齢も、性別も違う人が共に暮らす多文化共生社会は「私」の生活を豊かにする最強のリソースになる。
母語の違う人とのコミュニケーションは、歴史、文化、価値観など、さまざまな違いを知ることであり、世界とつながることだ。日本の当たり前が世界の当たり前じゃなかったと知る経験は、「私」を刺激し、「私」の生活世界に外国人が入るだけで「私」が変わる。とりわけ頭も心も固くなりがちな、50代を過ぎたシニア世代ほど意外な潤いに小さな幸せを感じるであろう。
そこで今回は「異文化コミュニケーションと昭和おじさん・おばさん」をテーマにあれこれ考えてみる。
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