そうか、あれから3年なのか。
日本時間の2024年7月27日未明、パリ五輪が開幕し、なんとも奇妙な気分に陥った。
今、世界中が注目している“この瞬間”の渦中に、「私」たちもいた3年前の出来事の残像が全くない。
新型コロナウイルス感染拡大で、無観客だったことが原因なのか? あるいは、開幕ギリギリまですったもんだ続きだったから、嫌な思い出として記憶から抹消された? はたまた誘致の際に「復興五輪」だの「コンパクトな五輪」だの聞こえのいいフレーズをうたいながら、どこが復興? どこがコンパクト? と裏切られたことで「五輪」とは関係ない記憶の箱に追いやられた?
とにもかくにもパリのセーヌ川に降り注ぐ雨を見ているうちに、脳内に「東京でオリンピック・パラリンピックが開催された!」「世界中が注目している!」という感動が一切、記憶されていなかったと気付かされた。
思い起こせば、先日の東京都知事選で圧勝した小池百合子氏が、16年に出馬した時に掲げた公約の一つが「五輪関連予算・運営の適正化」だった。
同年11月29日に行われた、五輪会場を巡る4者協議では、有明アリーナの新設を巡り小池都知事と大会組織委員会の森喜朗会長が、見るに堪えないお粗末なバトルを繰り広げ、異常な暑さが記録された18年7月には「こんな暑さの中で、五輪をやって大丈夫なのか?」と日本中が心配するも、森会長は「『ピンチはチャンス』という発想で、暑さ対策で日本のイノベーションを世界に発信する機会とも捉えた」とメディアに対してあっけらかんと言い放った。
20年2月にコロナ感染が拡大し、世界中のメディアから「東京五輪は開催できるのか?」という疑念が出た際には、「夏までには収束している」と根拠なき楽観論を繰り返し、「問題ない、開催できる。いや、開催する」と五輪開催中止の可能性を除外し続けた。
1年延期が決まった後も“危機感ゼロ”は続行され、21年1月に緊急事態宣言が発令された時も、ひたすら「コロナに勝った証しとして五輪を開催する!」「3月には聖火リレーをスタートし、4月にはコロナ対策を入れたテスト大会を実施し、6月までに各競技の代表選手を決める」と、まるで壊れたレコードのように同じ発言を繰り返した。
本来であれば、五輪が予定されている7月までに発生しうるさまざまな“リスク”を徹底的に想定しておくべきだった。最悪の事態に備え、その時にとりうる選択肢を準備し、「開催」へのロードマップではなく、「開催できない」可能性のロードマップも確実に準備しておく。それが、「進もうとしている未来が閉ざされた時」に生じる「問題の最小化」に役立つ。それなのに、無責任に「やればできる!」と精神論を貫き通したのである。
同年2月には「女性は会議が長い」発言、3月には「女性の容姿を侮辱する演出」提案で世界中からバッシングされ、開幕直前の7月には開会式で楽曲の作曲担当だったミュージシャンが辞任。五輪が終わった後は、オリンピック憲章に全くそぐわない「談合、汚職」という言葉が飛び交う事件が相次いだ。
「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。 オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」
(オリンピック憲章「オリンピズムの根本原則」より)
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