
相続トラブルに発展しやすいパターンを事例を通して紹介するこのコラム。1回目の今回は、管理職の夫とキャリアを重ねてきた妻のご夫婦で子供がいない――こんな相続事例を見ていきたいと思います。一見、もめそうにない事例ですが、これがそんなことはないのです。
三上武史さん(61歳)と三上幸子さん(49歳)は、結婚はしているが子供がいないご夫婦です。結婚は、20年前。武史さんは企業でのお勤め人で管理職、幸子さんは高級ブランドショップのマネージャーをされています。武史さんは、4年前に早期退職してからは嘱託社員で別の会社に勤務されていました。
これまで、健康状態は二人とも問題は無かったのですが、一昨年にご主人がガンを患いました。そして半年間の闘病生活のうえ、残念ながらお亡くなりになりました。
2人で生活している間は、相続のことなど話し合ったことがありません。老後の財産のこともたまに話はしたものの、具体的に進めることはありませんでした。
闘病生活を過ごしている際、少しは財産のことが気にはなったものの、幸子さんは、「子供もいないし、夫の財産はすべて私のものになるだろう」と安心していました。
ところが、この安心が後々でトラブルの元になるのです。
何で旦那の兄弟がしゃしゃり出てくるの?
ご主人の四十九日の法要が終わってひと月が過ぎようとしたころです。ようやく日常の生活に戻れた幸子さん、相続手続きの相談をしに、司法書士を訪ねました。
ここで、武史さんの家族構成と財産関係を簡単に見てみましょう。
●家族構成・相続人
妻の幸子さん、子供はいない。実家の近くに兄と弟(既に両親は他界)
(幸子さんにも、兄弟姉妹は2人)
●財産・遺産
共有名義のマンション(2人で働いていたので持ち分が2分の1ずつの共同所有。4000万円相当)と預金が2000万円
司法書士には、主人が亡くなったので、自宅マンションと預金の名義を自分にしてほしい、とお願いするつもりでした。司法書士は、武史さんの家族構成を確認のうえで、「遺産分割協議書」を作成しました。武史さんには上述したように、兄と弟がいるものの、実家を出てからほとんど交流がありませんでした。このため、司法書士は武史さんの財産・遺産のすべてを幸子さんに相続する旨を遺産分割協議書に記載しました。
幸子さんは、武史さんの兄弟にその内容を確認してもらうために、実家に向かいました。遺産分割協議書に実印を押してもらおうと考えたのです。しかし、お兄さんの口からは、想像しなかった言葉が飛び出したのです。
「幸子さん、法律の通りにお願いしたいと思っています。難しいことは私たちにわからないけど。周りの人に聞いたらみんな法律通りにしているみたいだし」
(この人は何を言っているのだろう。お兄さんや弟さんには、関係ないことじゃない! 私と武史さんがやりくりして、頑張ってためてきた遺産なのに)
そう心で思った幸子さん。その一方で、はじめてことの重大さに気づきました。相続人は自分一人ではないのだと。
幸子さんのように結婚はしているが子供がいないという人は多くいらっしゃいます。夫が死亡した場合は、夫の遺産はすべて妻が相続するものだと思っている方も非常に多いのが実情です。争う相手もいないと。ところが、子供がいない人が死亡したときの相続手続きは、子供がいる人に比べて、かなり面倒になるのです。
相続を放棄させるには実印が必要になる
では、法律面から見てみましょう。
相続人の確認です。配偶者はもちろん相続人です。加えて、子供、その次に、親に相続権がありますが、今回の場合は子供もおらず、親も既になくなっています。従って、次に相続権があるのが、故人の兄弟姉妹となるわけです。
「法律通り」と言われてしまえば、それをベースに考えなくてはなりません。では、今回の場合は、各人の相続分はいくらになるのでしょう? 配偶者の幸子さんは、4分の3、武史さんの兄弟は、4分の1を二人で分けますので、8分の1ずつの相続分があります。
武史さんの遺産はといえば、共有名義のマンション4000万円の武史さん持ち分は、2000万円相当。それに加えて預金が2000万円。合計4000万円相当の遺産となります。従って、法律通りにすると、幸子さんには3000万円、兄と弟はそれぞれ500万円が取り分となるわけです。
そうはいっても、大体の場合は兄弟姉妹の側が、相続を放棄するのではと思われるかもしれません。確かに本当は、「もらっていいのかな?」という気持ちがあるはずです。ところが、ご家庭の事情もあるでしょう。子供が大学進学でお金がかかるとか、住んでいた家をリフォームしなきゃいけないとか。こんな時期に、「相続財産がもらえる」というのはありがたい法律なんです。
だから、実印を押してもらおうと思っても、渋ってしまうわけです。納得がいかなければ、争うことになってしまいます。
今回の場合は、幸いにも預金があるので、それを兄弟への取り分にあてることができます。一方で、住んでいる自宅以外に目ぼしい資産が無い場合には大変な事になりかねません。長年住んでいた自宅を売却することも視野に入れなくてはならないのです。ご主人を亡くしたうえに、このような負担がのしかかってくるわけです。
基本は遺言を残すこと
では、何か良い対処法はあったのでしょうか? それはとても基本的なことなのですが、ポイントをしっかり押さえた遺言書を残しておくことです。
すべての財産(特に、住んでいる自宅マンション)を妻に相続させる旨が記載された遺言書が有効になります。妻に無用な負担をかけないためにも、遺言書にはしっかりと「財産はすべて妻に相続させる」と記載しておきましょう。きちんとした遺言書があれば、妻は、遺言書をもとに1人で預貯金や不動産の名義変更ができます。夫の兄弟に頭を下げる必要がありません。
しかも、親には遺留分がありますが、兄弟姉妹には遺留分はありません。遺留分とは、遺言の内容にかかわらず遺産の一定割合を取得できる権利のこと。これが兄弟姉妹にはありませんので、親が死亡して兄弟姉妹しかいない場合には、遺言によって相続分をゼロにしたからといって遺留分を請求されることがありません。このため、子供がいないご夫婦の場合には、遺言書を書くことを強くおすすめするわけです。
さらに、資産を夫婦で持ち合う場合は、奥さんも遺言を書いておく必要があります。このとき、万一奥さんが先に亡くなったらどうなるでしょうか? 子供がいなければ、奥さんの親や兄弟に相続権が生じてしまいます。夫としては実印をもらいに行かなければならなくなり、非常に苦労することになります。
一般的な確率からすると、夫のほうが先に死亡する可能性が高いのですが、念のため妻も遺言書を書いておきましょう。夫婦以外に住んでいる不動産の権利が移ることを避けるためにも、夫婦が互いに全財産を相続させる旨の遺言を書いておくのが望ましいです。ちなみに、同じ紙に夫婦が共同で遺言することは禁止されています(夫婦共同遺言の禁止)。遺言書は別々につくりましょう。
その他に、生前対策として、夫婦間贈与があります。夫婦間の節税として居住用資産の贈与税の配偶者控除というものです。その内容は、婚姻関係20年以上の夫婦間で居住用の土地建物や購入資金を贈与する場合には通常の基礎控除110万円にプラス2000万円が特別控除として認められるというものです。これを利用して自宅の持分を夫から妻に移すケースもあります。
次に、税金面で問題はないのでしょうか? 今回の場合は、遺言書を用意していてもしていなくても、税金の面では何の問題もありません。相続税には基礎控除が定められており、この基礎控除を相続額が超えてはじめて相続税が発生します。死亡された場合は、
3000万円+(600万円×相続人の数)
となりますので、今回は相続人が3人いますので、相続税を支払うことにはなりません。
さらに、遺言のあるなしに関わらず、配偶者は1億6000万円の資産を取得しても、課税はされません。これは「配偶者控除」と呼ぶもので、配偶者、すなわち横に資産が移動する際には、課税が大きく免除されるという考えに基づいています。
以上、身近でよくある相続事例でした。ほんの少しの対策で、相続にまつわるお金の問題を解決することができます。また、お金では買えない家族の絆を考えるきっかけになります。
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。