東京五輪のために東京都江東区有明に新しい体操競技場が建設されることになった。大きな木の梁が天井を支える斬新なデザインだ。ところが、この建物に使う木材に対して、「違法木材の混入を回避できない」とNGOから指摘の声が上がった。東京五輪組織委員会が発表した「持続可能性に配慮した木材の調達基準」に抜け穴があるという。リオ五輪が終われば東京五輪に世界の目は向く。日本のお家芸である体操競技に水を差すことにならなければよいのだが…。
リオ五輪が一週間後に迫った。日本の金メダルが期待される種目の1つに、体操競技の男子団体がある。ロンドン五輪個人総合金メダリストの内村航平選手をはじめ精鋭がそろう日本チームに期待が高まる。その中でも最年少として脚光を浴びているのが、「ひねり王子」こと19歳の白井健三選手だ。自身の名前「シライ」を冠した新技を4つも生み出したつわもので、ゆかで4回ひねりの後にぴたりと着地を決める様子は見事としか言いようがない。素人目には目が回りそうな高速回転でも、内村選手や白井選手はちゃんと天井やゆかの位置を確認して、自分がいま何回転目なのか分かっているという。素晴らしい平衡感覚と身体能力である。
4年後の東京五輪では白井選手は23歳。日本のエースとしてチームの中心にいることだろう。ところが、彼が華麗な演技の途中で目にする天井を巡って、いまちょっとした議論が沸き起こっている。東京五輪の体操競技場は東京都江東区有明に新たに建設されることになっており、その設計・建設の入札が今夏すぎにいよいよ始まる。基本設計では、梁に木材をダイナミックに使うデザインとなっている。ところが、この木材の調達基準ともいえる「持続可能性に配慮した木材の調達基準」を東京五輪組織委員会が6月13日に発表したところ、環境NGO(非政府組織)から「この基準では違法伐採された木材が使われる可能性が残る」と懸念の声が上がった。
環境・人権問題で批判されてきた過去の五輪
なぜ問題視されたのか。それを語る前に、そもそも五輪の調達基準とは何かを説明しよう。五輪の施設やイベントには様々な原材料が使われる。例えば、建築物や家具には木材が使われる。チケットやパンフレットには紙が、選手村で提供する食事には野菜や肉や魚が使われる。こうした様々な原材料に求める基準を示したのが、「五輪の調達基準」である。しかも、環境に配慮して持続可能であることが重要な要件となっている。
最近の五輪が環境や持続可能性を重視するようになった背景には、過去の五輪が原材料の調達にあたって環境や人権上の問題で世界のNGOから批判を浴びてきた歴史がある。2004年のアテネ五輪では、スポーツウエアメーカーが提供した製品のアジアの委託工場で従業員が劣悪な労働環境下で働かされていることが非難された。2008年の北京五輪では、使用された木材が違法伐採木材であることが追及された。五輪やワールドカップは環境・人権上の問題でNGOがネガティブ・キャンページを展開する格好のイベントとなってきた。
この流れを変えたのが、2012年のロンドン五輪だった。開催の5年前には環境や人権に配慮した「持続可能な調達基準」を策定した。大会で使用する木材は森林認証材かリサイクル材だけにし、選手村などで提供する魚は漁業認証の魚にするという厳しい基準を設けることで、持続可能性に本気で取り組む事業者と契約を結ぶことに成功した。ロンドン五輪は「持続可能性」を初めて打ち出した五輪と称され、持続可能性の考え方を五輪の「レガシー(遺産)」として残したのである。
同じく先進国で開催される東京五輪にも世界の注目が集まっている。東京五輪もまた、開催の理念に持続可能性を掲げている。間もなく発表される「アクション&レガシープラン」では、東京五輪が残すレガシーの5本柱の1つに「持続可能性」を掲げ、それを実現するためのアクションとして、再生可能エネルギーや省エネ技術の導入、水素供給システムの整備、生態系に配慮した植栽などと並んで、「持続可能な調達基準の策定・運用」を明記している。
実は東京五輪組織委員会は今年1月の時点で、持続可能な調達基準について基本原則を発表している。それによると、「サプライチェーン全体にわたって環境や人権・労働に配慮し、トレーサビリティを確保する」とし、品目別に調達基準を順次発表していくとしていた。東京大会がどのような調達基準を発表するのか、世界が期待するなかで発表された第1弾の品目が木材だったのである。
日本企業が違法材をつかまされる危険性
ところが、ふたを開けてみたら、ロンドン五輪のように森林認証材やリサイクル材に限定するという基準にはなっていなかった。東京五輪は木材の基準として5つの要件を定めた。(1)原産国の法律に照らして合法、(2)持続可能な森林経営をしている、(3)生態系を保全している、(4)先住民や地域住民の権利に配慮している、(5)労働者の安全対策を施している――というもの。その上で、「FSC(森林管理協議会)認証、PEFC認証、SGEC(緑の循環認証会議)認証などの森林認証を原則認める」ことや、「国産材を優先的に使用する」ことを併記した。
重要なのは(1)~(5)の基準であり、その1例として森林認証材や国産材もあるという書き方である。もちろんこの基準が責任ある事業者によってちゃんと満たされるのならば、「持続可能な木材」として世界に胸を張れるだろう。しかしNGOが問題視したのは、この基準の担保が極めて難しいことにある。
例えば(1)の合法であることを事業者はどのように証明すればよいのか。東京五輪組織委員会は、従来の法律(グリーン購入法)の合法性証明の方法でよしとしている。グリーン購入法の合法性証明は、「違法材の抜け穴になる」とこれまでも指摘されてきた手ぬるいものである。というのも、企業の木材調達に対して合法材利用の「努力義務」しか課していない上、合法性証明の方法として、木材供給業者が発行した自主的な合法性証明書も認めているからだ。生物多様性や人権上問題があるような森林伐採や違法伐採は、ガバナンスが低い途上国で起きやすい。それなのに事業者が自主的に合法ですと証明しても信頼を置けないのは当然だ。加えて、「ガバナンスが低い国では行政が偽造の合法性証明を発行するケースもある」(NGOの地球・人間環境フォーラム)。こうしたことから違法材がすり抜けてしまう問題を抱えていた。
日本の木材自給率は約3割。つまり約7割を外材に頼っているが、グリ―ン購入法の抜け穴により「約1割は違法材が流通している」と地球・人間環境フォーラムは指摘している。たとえ木材を調達する日本企業に悪意がなくても、合法性証明書をうのみにしていては違法材をつかまされる危険性がある。これが長年指摘されてきたグリーン購入法の問題だった。
厳しい基準にすることでコスト増や工期遅れを恐れる
では、EUや米国はどうしているのか。いずれも違法材問題に対処するため、EU木材法や改正レーシー法という法律を整備し、厳しい基準を設けている。木材を輸入する企業自らが違法材のリスクを評価しリスク低減措置を講じる「デューデリジェンス」の仕組みを取り入れている。EU木材法の場合、輸入業者に対して、木材の伐採国、樹種、許可書、数量、納入業者、取引業者、合法性を示す文書の提出を義務付けるとともに、違法伐採リスクの情報を収集したり仕入先と対話したりしてリスクを判断し、リスク低減の手続きをとることを求めている。罰則規定もある。
グリーン購入法の抜け穴を塞ぐため、日本もこうした仕組みを取り入れるべきだという論調が高まり、今年5月に議員立法で成立したのが「合法伐採木材利用促進法」だった。残念ながらデューデリジェンスの仕組みがちゃんと入ってはおらず、違法材排除の実効性に課題が残るものの、来年5月の施行に向けて実効性を高めようと政省令の整備が進んでいるところである。ところが、その最中に発表された東京五輪の木材調達基準が、これまで問題視されてきたグリーン購入法の合法性証明をそのまま適用する基準となってしまった。
問題は合法性ばかりではない。(2)~(5)の生態系の保全や地域住民の権利の配慮については、「輸入業者が合理的な方法で確認して書面に記録し、納入先に対して証明書を発行する」と定めたが、合理的な方法がどのようなものであるかは示さなかった。ロンドン五輪では森林認証材やリサイクル材に限定することで基準の確保を担保したが、東京五輪は証明方法を事業者の自主性に任せる形となった。
「基準を満たすことをどのように確認したか、その結果がどうであったかを記録するための定型書式を用意することを検討中で、今後その運用方法を詰めていく。ただし、記録の提出は義務化しない。組織委員会として記述の真偽も逐一審査しない」と東京五輪組織委員会の持続可能性部長の田中丈夫氏は話しており、全体のチェックシステムにも甘さが残った。「不適切な木材が使われている」と通報があった場合には組織委員会として調査する。NGOや消費者の監視の目に頼る、いわば受け身のチェックシステムだといえる。
もう1つNGOが問題視しているのが、五輪の建築物に使われるコンクリートの型枠用の木材だ。コンクリート型枠にはマレーシアのサラワク州産の合板がよく使われ、違法材問題や伐採会社と地域住民との土地紛争問題などが指摘されてきた。東京五輪の木材調達基準ではこのコンクリート型枠合板も対象に入れた。コンクリート型枠は「再使用品を推奨すること」と、再使用の場合は「(1)~(5)の基準を満たすことを目指し、少なくとも(1)は確保しなければならない」と規定した。
しかし、これも物議をかもした。生物多様性や土地紛争上の問題を抱える型枠であっても、再使用品であれば、(1)の合法性だけが求められ、(2)~(5)の生物多様性の保全や地域住民への配慮には目をつぶってもらえるからだ。問題ある型枠でも1度使用されると「みそぎは済んだ」とみなされる懸念がある。
こうした緩めの基準になって背景には、基準を厳しくすることで事業者の負担になり、建設コストがかさんだり工期が遅れたりすることを避けたいという組織委員会の思惑がある。
国産材の活用にチャンス
五輪施設は国、東京都、組織委員会がそれぞれ分担して建設する。今回の木材調達基準は組織委員会が建設する建物に適用されるものだが、組織委員会は国や都の入札基準にも同じ基準を適用するよう働き掛けている。果たして同様の基準が適用されるのか気になるところだ。
一方で、東京五輪を契機に国産材を活用していこうという動きが加速している。東京五輪では、国産材を使用した「和の空間でおもてなし」する方針を国は打ち出している。国が建設を担当する新国立競技場の技術提案書では、大規模屋根に国産のカラマツやスギを使うことを明記している。最近の技術の進歩に伴い、耐火性能の高い国産材の部材を用いた高層の木造建築物や、国産材の直交集成板(CLT)を使用した建築物も登場し始めた。これらの技術の適用が望まれる。
また、東京都は最近、建設会社とともに国産材を使った型枠の実用性や持続可能性を検証するモデル事業を実施し、国産材の型枠合板と南洋材の型枠合板では品質上違いがほとんどないことを確認した。東京五輪組織委員会は国産材の型枠の供給体制を確認ずみで、「事業者に使用を働き掛けていく」と話す。こうした技術を活用することは持続可能性を担保することになり、日本の森林整備にも貢献するだろう。
リオ五輪が終われば、世界の目が東京五輪に向く。第1弾の木材基準は東京大会の持続可能性を占う試金石になるだけに、今後の木材基準の運用方法に期待したい。五輪が呼び水となって持続可能な調達や流通システムが日本の社会に根付き、高度な技術を駆使した国産材の新しい市場が開ければ、東京五輪ならではのレガシーを残すことにつながるだろう。
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