
サウジアラビアとイランの関係悪化が中東全域に波紋を広げている。サウジアラビアがイランとの外交関係断絶を表明して以来、サウジと関係の深いバーレーンやスーダンもイランとの断交を宣言。アラブ首長国連邦(UAE)やクウェートもイランから大使を召還した。イスラム教スンニ派のサウジアラビアを中心とするグループとシーア派イランの対立が深まっている。
きっかけは1月2日にサウジアラビア政府がシーア派の有力な宗教指導者ニムル師を含む47人の死刑を執行したと発表したことである。これに怒ったイラン人の群衆がテヘラン(イランの首都)のサウジ大使館やイラン北東部マシャドのサウジ領事館を襲撃。対抗措置としてサウジ政府はイランとの外交関係断絶を表明した。急ピッチの展開だった。
シーア派の若者たちの間で絶大な支持を集めていたとされるニムル師を処刑すれば、イランをはじめシーア派社会で激しい反発を招くことは事前に十分に予想されていた。米政府もサウジ政府に対して同師の処刑に踏み切らないよう自制を散々呼びかけていたので、サウジアラビアがイランの反発や同国とのさらなる関係悪化を承知の上で今回の措置をとったことは間違いない。
ではなぜサウジアラビアはこのタイミングでイランとの対立を煽る措置をとったのだろうか? 国内的な要因と国際的な要因の両面からみていきたい。
増大する国内の不満を外に向けさせる
「サウジアラビアが現在の政策を継続した場合、原油安により、歳出維持に必要な金融資産を5年以内に使い果たす恐れがある」と国際通貨基金(IMF)が警鐘を鳴らしたのは昨年10月のこと。長期に及ぶ原油価格の低迷で2015年のサウジアラビアの財政赤字は国内総生産(GDP)の20%相当に達し、当局は外貨準備の取り崩しや8年ぶりの国債発行を余儀なくされた。
昨年末には2016年の歳出を14%削減することとともに、一部国有組織の段階的民営化、付加価値税の導入、たばこへの課税を行う方針を発表。また向こう5年間の補助金見直し計画の一環として燃料や電気、水道料金の引き上げを打ち出し、潤沢に補助金を投入していた燃料価格については約50%引き上げることも発表した。これを受けてニムル師が処刑される数日前にはガソリンスタンドに長い行列が出来たことが報じられていた。
サウジアラビアにおいて、社会不安の抑制と治安維持のために、政府の補助金は不可欠の要素である。いわゆる「アラブの春」が吹き荒れた2011年に、サウジ政府は新たな社会保障や賃上げ、そして公共住宅に1000億ドルを上回る資金を投入する「バラマキ」を行うことで、国民の不満を抑え込んだ。
今回は国内での「バラマキ」が出来ない状況になっており、国王の統治能力に対する不満が若年層を中心に拡大する恐れが十分にある。一般国民だけではない。息子のムハンマド副皇太子・国防相に軍事・経済面での権力を集中させているサルマン国王の手法に対して、王族内でも不満が広まる可能性がある。
体制維持に最も重要なスンニ派の保守勢力の不満を和らげるために、イランとの対立を煽ることは、少なくとも短期的には現サウジ政府の利益に適っている。国内政治の文脈で今回のサウジ政府の行動を見ると、増大する国内の不満をサルマン体制に向かわせるのではなく、外に向けさせる狙いがあった、という推測が成り立つであろう。
米主導のシリア和平プロセスへの不満
次に現在サウジアラビアが置かれている戦略的な状況を国際政治の文脈からみてみよう。
「サウジには事前に米政府の懸念を伝えていたが心配した通りの結果になった。(サウジとイランの対立は)米国の国益に打撃を与える」。アーネスト米大統領報道官は1月4日の記者会見でこう述べた。オバマ政権は不満を露わにしている。
今回のサウジの行動は、米国から見れば最悪のタイミングだった。オバマ政権が最も懸念しているのは、シリア和平プロセスへの影響であろう。
昨年12月18日に国連の安全保障理事会が、シリア内戦の終結を目指す決議を全会一致で採択した。米国が主導してまとめたこの決議は、今年1月に国連の仲介でアサド政権と反政府勢力の対話を実現し、6カ月以内に各宗派などが参加する統治体制を発足させ、新憲法制定の手続きを始め、18カ月以内に国連による監視の下で民主的な選挙を実施するという内容だ。
この決議では、ロシアと、米欧やサウジアラビアとの対立を先鋭化させないため、米国がロシアと妥協して「アサド問題」を棚上げにした。ロシアはアサド大統領を支持している。一方、米欧やサウジは、アサド大統領の退陣を和平交渉の条件としてきたシリア反政府勢力を支援してきた。
ここでロシアに歩み寄ったのは米側だ。オバマ政権はこれまで、アサド大統領が暫定的に残留することにも反対していた。にもかかわらず、この安保理決議の直前にモスクワを訪れたケリー国務長官は、「シリアで体制転換(レジーム・チェンジ)を目指さない」と明言し、「シリアの将来はシリア人自身が決めること」に同意した。
アサド退陣を条件とする反体制派を支援してきたサウジアラビアが、この流れに不満を募らせていたのは間違いない。サウジアラビアはこの国連安保理決議に先立つ12月9、10の両日、シリア反体制派の主要勢力をリヤドに集めて会合を開催。来る和平プロセスに向けて分立する反体制派の結集をはかり、アサド政権側と協議をするための統一組織づくりを目指した。
会議に参加した反体制派組織は、「内戦終結に向けた移行政権にアサド大統領が参加することは認めない」として、和平プロセスの条件としてアサド大統領が退陣することを改めて要求した。
ところが、12月25日にシリアのアサド政権軍(もしくはロシア軍)が「イスラム軍」の秘密基地を空爆した。「イスラム軍」は反体制派の一つでサウジアラビアが支援している。この空爆で、ザフラーン・アッルーシュ指導者を含む「イスラム軍」の幹部が殺害された。アッルーシュ指導者はリヤドで開催された反体制派の会合にも出席していた反体制派の有力者の一人だ。その人物がアサド=ロシア=イラン連合に抹殺されてしまったのである。
ただでさえシリア反体制派はまとまりが悪く、一致団結して和平プロセスに臨むのが困難な状況だ。加えて、サウジが支援するアッルーシュ氏が殺害されたことで、反体制派はますます不利な立場に置かれることになった。それにもかかわらず、シリア和平プロセスは1月下旬にスタートする予定である。この状況をサウジ政府が面白く思っているはずはない。
米国はサウジに圧力ばかりかけてくる
対IS作戦をめぐっても、欧米諸国が最近、サウジアラビアをあからさまに批判するようになっていた。特にドイツによるサウジ批判が目立つ。ドイツの情報機関BNDが昨年12月2日に、サウジアラビアの体制の先行きへの不安を示す「異例」の発表を行った。12月6日にはドイツの経済相が「サウジアラビア政府は宗教過激主義者に対する資金提供を停止すべきだ」と公言した。
同時期にオバマ政権も、対IS作戦へのサウジアラビアの取り組みが不十分だとするコメントを多く出すようになった。カーター米国防長官は、「イランがこの地域でやっていることは面白くないが、彼らは少なくとも戦場に人を送りゲームに参加している。それに引き換え湾岸アラブ諸国は3万フィート上空にいるだけだ。彼らは効果的な特殊部隊を作ったり派遣したりすることよりも、最新の戦闘機を購入することにばかり興味があるようだ…」と述べた。サウジを名指しこそしなかったものの、対IS作戦に実のある貢献をしないサウジアラビアに対する批判を強めた。
サウジ政府が対IS作戦に消極的に見えるのは、スンニ派過激派であるISよりも、イランや彼らが支援するシーア派諸勢力の方がはるかに大きな脅威と考えているからだ。シリアでISだけを弱体化させてもアサド政権や同政権を支えるイランを利するだけ。またイラクでISを倒しても、ISが支配するスンニ派地域を、イランの「代理勢力」であるイラクのシーア派勢に取られるのであれば、結果としてイランの影響力が拡大するだけである。
サウジ国内のスンニ派保守派の中には、ISやアルカイダに同情的な人も多くいる。このため、イランを利することになる対IS作戦に本腰を入れることは、内政面においてもサウジ政府にとってメリットはない。
米国はイランとの核合意を進めることや対IS作戦でイランの協力を得ることを優先させており、サウジには圧力をかけてくるばかりで、サウジの国益は軽視されている――サウジ政府がそのように考えても不思議ではないだろう。
イランの「機嫌を取る」米国への牽制
オバマ政権は昨年12月30日、米議会に対し、イランの弾道ミサイル開発をめぐる新たな対イラン制裁の発動を延期すると発表した。米議会やホワイトハウスに対するロビー活動を展開していたサウジ政府は、またしても敗北感を味わった。敵対するイランが、弾道ミサイルをいくら発射しようが米国はイランに圧力をかけることはない。間もなく対イラン制裁は解除され、彼らは国際社会に正式に「復帰」することになる。
イランはますますパワフルになり、シリアのアサド政権、イエメンのフーシー派、イラクのシーア派政権、それにバーレーンの反政府勢力やサウジ国内のシーア派反政府勢力に対する支援を拡大させるに違いない…。サウジがこのように猜疑心と危機感を募らせたとしても不思議ではない。そしてこのような国際環境が出来上がっていくことに対して、何もできないサウジ政府に対する国内の不満が強まるリスクも高まる。
サウジ政府は元アルカイダのテロリストたちを処刑してテロ対策に積極的であることを示すと同時に、国内保守派の支持をつなぎとめるためにシーア派の指導者ニムル師を処刑。サウジの意向を無視してイランの機嫌ばかり取ろうとする米国に対する牽制の意味を含めたのであろう。
痛みの伴う緊縮策に対する国民の不満を外に向けさせ、自国に不利な戦略環境が出来つつあることに対しそれを容認する米国への不満の意志を示し、自らスンニ派諸国の同盟を強化してイランと対峙する…。少なくともそうした姿勢を鮮明にすることで、サウジ政府は米国を牽制する大きな賭けに出たのだと考えられる。
スンニ派・シーア派双方の過激主義が強まる
サウジ政府は、このような国内・国際的な状況からイランとの関係を悪化させているが、イランとの直接的な戦争に突き進もうなどと考えているわけではない。ただ、イラン革命防衛隊などシーア派強硬派が、中東地域のシーア派勢力(ヒズボラ、イラク・シーア派、アサド政権など)に対する支援を強化し、各地の強硬派が暴れて宗派抗争が激化することは十分に考えられる。また、バーレーンやサウジ東部でシーア派による反政府デモなどが激化し、サウジ政府が強硬に取り締まることで、暴力の連鎖が拡大する可能性はある。
また、スンニ派テロリストがシーア派権益に対してテロを活発化させる可能性もある。それぞれの宗派の住民が混在して暮らす地域では、宗派抗争激化に対する注意が必要となろう。スンニ派とシーア派の宗派対立が激化すれば、双方の過激派の活動が正当化される風潮が強まり、過激主義が強まってしまう。今後どこでどのような暴力が吹き荒れるか予測することは困難だが、ただでさえ不安定な中東の危険度がさらに増したことだけは間違いない。
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