関西ローカルながら、不思議な人気を持つテレビ番組「~オトナ度ちょい増しTV~おとな会」。
そこでは、独自の手法で成功した会社などが取り上げています。関西ならではの着眼点、ど根性、そしてユーモア―――、そのエッセンスを伝えています。第21回は、日本一暗い村と呼ばれた長野県の小さな村が、日本中から観光客が押し寄せる一大名所になった物語をお送りします(前回の記事はこちらをご覧ください)。
こんにちは。大阪はMBS(毎日放送)のアナウンサー上泉雄一です。私は今「~オトナ度ちょい増しTV~おとな会」(水曜深夜0時59分から放送・関西ローカル)という番組の司会をしております。
1日に50万人以上が乗り降りする関西私鉄最大のターミナル阪急梅田駅。ここに隣接している「新梅田食道街」は、1950年に旧国鉄の退職者に対する救済事業として始まった食堂街で、様々な飲食店が狭い通路に並んでいるところから「食道街」と名づけられたそうです。いまでもその当時の面影残るお店から、今風のスイーツのお店に至るまで様々な種類のお店が、その名の通り、通路にところ狭しと並んでいて、昼夜を問わず大賑わいなんです。
なかでも特にランチタイムに行列が絶えないお店が、天ぷらと一品料理の「新喜楽」です。多くの皆さんのお目当ては名物の「かも鍋」。なにが美味しいって、とにかく優しいお出汁の味。一人鍋の中に、そのお出汁がたっぷりと張られ、ぶつ切りにされた鴨肉と、豆腐にネギ。そこに溶き卵がやわらかく絡んで、ひと口に運ぶたびにそのお味が身体中に染み渡ります。ピリリとしっかり効いた山椒もいいアクセント。とくにこの寒い季節は、自然と身体が欲してついつい足を運びたくなります。この鴨なべは、ご飯との定食にするもよし、ここに海老天とうどんが入った「かも鍋うどん定食」にするもよしです。
筆者のおススメは、かも鍋のサイズはやや小さくなりますが、これに小さな天丼をセットにした「ミニかも鍋・ミニ天丼セット」。お店の名物をどちらも楽しめるランチメニューです。夜も天ぷらをはじめ、様々な一品料理をお一人でも十分楽しめるお店です。出張などでお越しの際は、大阪の昭和の香りが漂うお店を是非ご堪能ください。
四方を山に囲まれた村に観光客が集まる
みなさん、最近星空をゆっくり見上げたことがありますか?
冬は空気が澄んでいて綺麗に見える機会も多いですが、都会だと明かりも多く「満天の星空」を見る機会はなかなかありませんよね。
実はこの「星空」を観光資源に、廃業寸前だった温泉宿を中心に、見事に復活を遂げた「奇跡の村」と呼ばれる村があるのをご存知ですか? それが四方を山々に囲まれた静かな里、長野県・阿智(あち)村です。
村長の熊谷秀樹さんも「星といっても、私たちは小さい頃からずっと見ているものですから。この人気は我々が1番驚いています」と話すほどなのです。なにしろ人口6500人の小さな村に、年間にその人口の10倍にもなる6万5000人が訪れる村になったのですから、村長の驚きも無理はありません。
では、一体、阿智村に何が起こったのでしょうか? その奇跡をひも解いていきましょう。
【メソッド2】星空ビジネスで新たな(???)を生んだ
【メソッド3】(???)が一体となり村の魅力をPR
【メソッド1】当たり前だった星空を(???)にした
これまで阿智村の観光の中心は、美肌の湯といわれる昼神温泉でした。1973年に出湯した歴史が浅い温泉郷ですが、名古屋から車で1時間30分という好立地であることから中京圏の団体客が殺到し、2005年の「愛・地球博」の頃は、阿智村にある20軒を越える宿はどれも大賑わいだったそうです。
しかし、観光客はこれをピークに、12年には27%も減少し、廃業する旅館も出始めていました。
そんな村の危機に立ち上がったのが、温泉の観光案内所で働くスタービレッジ阿智CAPC事務局長の松下仁さんでした。3年前まで、温泉宿で働いていた松下さんは、客足が遠のいていった状況を、身を持って感じていた1人です。松下さんは「温泉といっても日本中にありますし、ここにしかない新しい魅力を打ち出していかなければならないな、と感じていたんです」と、当時を振り返ります。
そこで、「そば打ち体験」「パワースポット巡り」などを企画しますが、一向に集客に繋がりません。さらに、夜になると山の中の温泉郷なので辺りは真っ暗になってしまいます。いつしか阿智村は「日本一暗い村」などと呼ばれるようになりました。
普段から見ているものなのに
「ここにしかない強みは何なのか?」と皆が行き詰まっていたとき、村のスキー場で働くスタッフから「宿直の時に山頂で見る星空がこの上なく綺麗だ」という話を聞きつけました。阿智村にはゴンドラで登った山頂にある標高1400mの「ヘブンスそのはら」というスキー場があります。冬のスキーシーズン中でもナイター営業はしていないため、夜の星空の美しさは、宿直のスキー場スタッフしか知りませんでした。「そうは言っても温泉街でも星は十分綺麗に見られるしと、思っていたんですが、そこまで言うならと試しに行って、星空を見上げたら……それはそれは素晴らしい星空だったんです!」と当時の興奮を思い出しながら話す松下さん。普段、星を見慣れている阿智村の皆さんが驚くぐらいですから相当な美しさだったのでしょう。
「これは十分観光の目玉になる!」と確信した松下さん。夏の夜、山頂に星を見に行くツアー「星空ナイトツアー」を企画、星に村の命運をかけた営業をスタートさせます。
ところが、12年8月1日のナイトツアー初日のお客さんは、ほとんどが関係者の家族で、本当のお客さんはたった3人。えっ、なんかAKB48の初日の公演が7人のお客さんからスタートした伝説みたいじゃないですか! でもAKBは7人、ACM(阿智村)は3人じゃないですか!松下さんは「初年度の目標は5000人だったので、『これはヤバイぞ』と思いましたね」そうでしょうね。いくらなんでも3人では……。
そこで、集客のためには、顧客満足度を上げなければならないと、ツアーに工夫を凝らします。お客さんは、冬はスキー用に使われるゴンドラに揺られて、山頂までの15分間は闇の中を進みます。一方で山頂ではライトを煌々と照らし、明るい状況を作りました。
え? 明るかったら星空が見辛いんじゃないですか?
「暗闇の中、ゴンドラに乗って山頂に行くのは日常では体験できません。非日常の空間で期待感をあおりながら山頂に到着した所は、明るくて最初は星が見えないのですが、カウントダウンで一気に照明を落とし満天の星空を楽しんでいただくんです」と、松下さん。なるほど、心憎い演出です。そして、星が現れるとレーザーポインターを使って星空について解説をするほか、松下さんが監修した星座の物語を紹介するアニメーションまで作りました。「実際に来られるお客様は若い方が中心なので、解説やアニメも難しい内容ではなく、心から楽しめる『星のエンターテインメントパーク』を目指したんです。感動は誰かに伝えたくなりますから」。
結果、この評判が口コミで広がり、初年度の集客は6535人と目標を大きくクリアしました。ナイトツアーの開催は4~10月。この間、ほぼ休むことなく毎晩行っていますが、平日でも500人、週末ともなると1日2000人が訪れ、15年には、初年度の10倍近い6万2714人を動員するまでになりました。まだ正確な数字は出ていませんが、17年は何と10万の動員を見込んでいます。人口6500人の村に10万人ですよ!驚くべき星空効果です。
実は筆者、この放送が終わった後、どうしてもその星空を見たくなり、実際に阿智村に行って、この目でその星空を見てきました。……確かにこれまでにない体験でした。
「星が降ってくる」
この言葉はこの星空のためにあったかのようです。まして、天の川を肉眼で見られるなんて思いもよりませんでした。満天の星空のもと、シートに寝転がり星空を眺めていると、星空に包まれているような感覚になって「ちっぽけな自分も宇宙の中で生かされているんだなぁ」など、普段考えもしないようなことが頭に浮かび、いつまでも眺めていられます。なんだか、心身ともにリフレッシュされて、本当に素敵な体験となりました。帰りのゴンドラを並んでいると、後ろにいたご家族が「ホントに来てよかったよね!この感動を誰かに伝えたいよね!」とずっと興奮しながら話しておられました。松下さんの「感動は誰かに伝えたくなる」という言葉はその通りでした。
阿智村の方にとって当たり前だった星空は「日本一星空がキレイに星が観測できる場所」として環境省からも認定されるほどでした。その訳は、周囲を山に囲まれ、都市部の光が届かないことでした。弱みとも思えた「日本一夜が暗い村」を「日本一の星空」という強みに変えて観光客の増加につなげました。
【メソッド1】当たり前だった星空を( 観光資源 )にした
次はメソッド2を見てみましょう。
【メソッド2】星空ビジネスで新たな(???)を生んだ
「星空ナイトツアー」の人気の理由の1つが「星空ガイド」です。確かに、おそろいのユニフォームに身を包んだガイドの皆さんの解説はシンプルでとても分かりやすく、また勉強になります。
「今でこそ10人のガイドがいますが、全員『星』関係の仕事とは無関係の、普通の村の住人なんです。新しい事業を始めたことで、村に雇用が生まれました」と松下さん。え、皆さんあまりにもお詳しいので、てっきり専門家の方かと思っていました。
しかし、開業時は大変だったのではないでしょうか?
当時をよく知る、現在は星空ガイド教育担当者である谷澤信さんは「ハッキリ言って大変でした(笑)」。そうでしょうね!「相当本を読み込んで勉強して本番に臨みましたが、実際、勉強した以上の星があって、どれがどの星か分からなくなってしまったんです。ですから『綺麗ですね』しか言えず、初日は惨敗でした」。
ガイドもボランティアという手作り感
そんな苦い失敗をきっかけに、ガイドの皆さんは、ツアーの後、今でも毎晩反省会を欠かしません。自然を相手の解説ですから、毎日、気温や環境も変わります。しかし、ガイドにマニュアルはなく、星の知識も自分たちで本を買って勉強して、解説用の原稿も自ら作っているそうです。自分たちの体験がそのままガイドのコメントとして活きています。いやいや、実際聞いてみると、とても素人さんとは思えない解説でしたよ。
中には、星で人生が変わったというガイドさんもいらっしゃいます。ガイド2年目の寺崎沙織さんは、観光で訪れた阿智村の星を見て、そのあまりの美しさに、ここに住むことを決めてガイドになりました。
星空ビジネスの新規雇用で村の人口の増加にも繋がっていたんです。
【メソッド2】星空ビジネスで新たな( 雇用 )を生んだ
【メソッド3】(???)が一体となり村の魅力をPR
「星空ナイトツアー」が誕生したことで、村に元々あった温泉宿にも、変化が生まれました。
「旅の玉手箱 おとぎ亭」という宿を経営する熊谷安博さんは「今までは、1泊のお客様が主流だったのが、2泊、3泊という方が増えてきました」と話します。なぜだかお分かりですか?
そう。雨や曇りで星が見られないことを想定して「確実に星が見たい」というお客さんの宿泊数が増加したんです。かく言う筆者も2泊しました。実際、1日は不安定な天気でしたので、2泊で大正解でした!
週末には宿の稼働率は90%にも
4~10月のナイトツアー開催中の週末は、20軒ある宿すべてが稼働率90%という盛況ぶり。この数字は、確かに驚きです。
お客さんに「ナイトツアー」をより楽しんでもらいたい!と、独自のサービスをはじめる旅館も出てきました。ツアーに手ぶらできてもいいように、双眼鏡や星座早見表などに加えて、山頂で寝転がるためのシートや寒さ対策の寝袋など星空観測グッズを宿泊客に無料で貸し出したり、さらには、ツアーの時間に合わせて夕食時間を1時間繰り上げて夕方5時から提供するサービスや、ゴンドラ乗り場まで各旅館がバスで送迎したりするようになりました。
「今でこそ言えますが、星空なんかで商売ができるのか、旅館を経営している者は皆、不安でした」と、熊谷さん。
それほど、村の皆様の間では「星空」は当たり前のものだったのですね。
「しかし、松下さんはアイデアマンで、僕らは彼のやることに付いていこうとなったんです」とも話します。
順調に観光客が増える一方で松下さんには悩みがありました。
「実は、ナイトツアーや温泉のお客さんは増えているのに、地元の商店までなかなか足を運んでもらえていないことが分かったのです。
そこで阿智村を、「星の村」としてさらに盛り上げるために、松下さんは、観光客が喜ぶあるものを作りました。ガイドセンターで換金できる「スターコイン」という地域通貨です。
1スターは500円。このスターコインを使えば、あるお店では、お土産の和菓子540円が1スター(=500円)で買えたり、中には800円のランチが、1スターで食べられるお店があるなど、観光客はとってもお得。スターコインの導入により、地元の商店でもお金が消費されるようになりました。
さらに役場も、村をあげて星をPRできないか?と、星空がディスプレーされた「ご当地ナンバープレート」を作成したり、カップル向けに星空がデザインされた婚姻届を作りました。
官民一体となって「星空の村」をPR。その効果もあって阿智村の名前は全国に知られるようになったのです。
【メソッド3】( 官民 )が一体となり村の魅力をPR
では、ここで「阿智村」のメソッドをまとめてみましょう。
【メソッド2】星空ビジネスで新たな( 雇用 )を生んだ
【メソッド3】( 官民 )が一体となり村の魅力をPR
毎回番組では、取材の最後に、「おとなフィロソフィ」と名づけて、経営者やリーダーに企業理念や経営哲学を端的に語ってもらっています。
ずっと側にあったのに、その価値に気づかなかった「星空」。そんなずっとなくならないモノで日本全国の人々を魅了する阿智村。阿智村を魅力あふれる村に変えた松下さんに「おとなフィロソフィ」を伺いました。
「ただ単に儲かればいいのではなく、星の村を作っていく中で、観光のお客様も、私たちも、村全体を楽しくして行きたいんです」
弱みを強みに変えると
暗い村と言われ、一時は寂れかけた温泉郷が、星をきっかけに大復活を遂げ「奇跡の村」と呼ばれるようになりました。
実は「弱み」と思っていた「暗さ」が星空を活かす最大の「強み」だったのです。
私たちの小さな深夜番組は、ゴールデンタイムの大きな番組と比べると、それは「弱み」かもしれません。しかし、これを「強み」と考え「あたりまえ」と思っていたことに、もう一度目を向ければ、まだまだ可能性があるような気がしてきました。いつしか「奇跡の深夜番組」と呼ばれる日を星空に夢見て……。
(この記事は「~オトナ度ちょい増しTV~おとな会」2016年8月17日分の放送を元に構成しました。編集:日経トップリーダー)
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