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※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
「シン・ゴジラ」は庵野秀明総監督による斬新なアイデアが具現化された映像だけでなく、緊迫感を醸成する音楽の構成や場面設定の背景にもプロの仕事が詰まっている素晴らしいエンタテインメントだった。
特に、描かれている官僚や政治家の動きのリアリティについて各メディアで大いに話題になっている。ひと頃霞ヶ関で過ごした立場から見ても非常に真に迫っていた。
気になるのは、緊急時の閣僚レクの場では、徹夜明けで小汚い課長補佐や係長がもう少し画面に映っているはず、などの些末な点に限られる。
そのリアリティゆえに劇中の「虚構」を「現実」の示唆につなげてみたくなる特異な作品だ。かつて経済産業省でアジア各国との経済連携(FTA・EPA)交渉に従事した経験を持つ私がシン・ゴジラを観て、頭をよぎったキーワードは「ジャパン・パッシング」だ。
シン・ゴジラは喪失の映画
劇中ではゴジラの上陸、そして対ゴジラの作戦のなかで日本の中心部が破壊され、多くの人命、国民の生活が失われた。
また、この映画の中では甚大なる経済的損失も発生している。建物・インフラの損壊や空港閉鎖による産業機能の不全だけでなく、放射線物質の除染の問題や通貨、国債の暴落によるデフォルト(債務不履行)リスクにとどまらず、今後発生する損失についての言及もあった。多くのビジネスパーソン、家庭人が心のどこかに持っている破滅願望を爽快に映像化した。
現実の世界で英国のEU離脱など不安定なグローバル動向下で円高にあえぐ日本企業からすれば、例えばゴジラによる都市の壊滅で起きる円の暴落もまた爽快、かもしれない。ただ、東日本大地震直後には多くのエコノミストが円の暴落を指摘していたものの、実際には復興需要を見越した円高となった。
要するに、今日の現実の日本からすれば、ほぼ何もかもが悪化した喪失の世界を見せたのがシン・ゴジラという映画だ。
国際的なプレゼンスの向上につながる?
多くを失ってしまったゴジラ襲撃後の日本ではあるが、良くなったこともある。
古い政治機構を正しくデザインし直せることや、インフラをより効率的に作り直せること、そして矢口(蘭堂=長谷川博己)と泉(修一=松尾諭)の更なる親密化などなど、視点に応じて挙げるものは異なるだろう。
その中でも、現実の日本が置かれている状況との比較で圧倒的に改善されるであろうことは、「国際的なプレゼンス」の向上だ。
近年「ジャパン・パッシング」と言われるように、海外の政府や企業が日本の存在感を軽んじて日本を「素通り」する現象が危惧されるようになっている。
有力ブランドが日本ではなく中国にショップをオープンしたり、グローバル企業が日本ではない新興国に投資の比重を置いたりすることが増えている。アジアからの留学生が日本を素通りして英語圏に留学することはもはや珍しいことではない。
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉は、日本が交渉参加を決めた2013年までの3年間以上、ジャパン・パッシングの様相のままアジア太平洋地域のルールづくりが行われてきた。
映画の中では、まずゴジラ自身に日本(東京)が「パッシング」された。
首都防衛のために多摩川を絶対防衛線とする丸子橋橋梁周辺の河川敷を主戦場とした「タバ作戦」が、用意した全兵器を用いても第4形態のゴジラに傷一つつけることなく失敗に終わる。
自衛隊の攻撃はゴジラを怒らせることすらできず、ゴジラの進行を許してしまった。おそらく近郊に位置するキヤノン本社は全壊しただろう。
だがゴジラは、米軍のことは無視しなかった。
夜間に行われた米軍の空爆で用いられた地中貫通爆弾によってゴジラは傷を負い、第5形態となることで霞ヶ関、永田町は火の海と化す。
無視されている存在であれば攻撃されないが、敵と見做されれば無慈悲な攻撃を受けるのはまさに対テロの構図と同じ。その意味では米軍のアクションが肯定されるものとは言えないが、少なくとも日本はゴジラからの「パッシング」という無力感を感じた。
映画の中で、日本はもうひとつ大きな「パッシング」を受ける。 日本の災害であるゴジラの駆除方法を、被災国日本の参画なく議論された国連安保理や多国籍軍の会議で決定された点だ。
「米国西海岸への上陸の可能性が13%」と分析された時点で、ゴジラ駆除を日本の災害対策と限定せずに主体的な立場をとった米国が熱核兵器の使用を決めたのだ。これは映画のキャッチコピーである「現実対虚構」のうち、より「現実」に近づけた描写だと感じた。
天災としてのゴジラには畏怖すれども怒りを示してこなかった登場人物たちも、この対米・対国際社会での無力感には怒りを表した。このことは日本人が「ジャパン・パッシング」を受け入れたくない直感的な矜持を示している。
「矢口プラン」が生んだ外交カード
多国籍軍の熱核兵器によるゴジラ焼却作戦の対案として、血液凝固剤の経口投与によるゴジラ凍結を目指す「矢口プラン」が考案された。
矢口プラン実現のプロセスには、官民の叡智や不休不眠の調整が詰まっているものの、成功させた後のことまでは巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)メンバーも検討する余力はなかっただろう。
だが、矢口プランだったからこそ、その後の日本は国際社会で大きな存在感を発揮するためのツールを手にすることになったはずだ。
多国籍軍の行動開始のタイミングが迫るなか、特命担当大臣(巨大不明生物防災)の矢口と、内閣官房長官臨時代理の赤坂(秀樹=竹ノ内豊)が最終的な対ゴジラ作戦の選択について議論する。
熱核兵器の使用を回避しつつ危機を脱することが可能な矢口プランを推す矢口に対し、赤坂の主張は核の使用による「各国からの同情」を梃子にゴジラ駆除後の日本の復興を実現しようとするものだった。
勿論、熱核兵器による首都崩壊が回避できるだけでも矢口プランには正当性があるのだが、その後に日本が得るアセットにこそ両プランには大きな差がある。
最も大きな違いは、矢口プランだったからこそ東京にゴジラの凍結体が残ったことだ。矢口が最後につぶやいたように「日本はゴジラとともに生きていく」ことになった。いつ復活するともしれない凍ったゴジラを抱えるリスクと引き換えに、日本は国際社会で様々なカードを手にすることができる。
ゴジラ出現は、新たな安全保障の枠組みを作る
凍結したゴジラを廃炉原発やグラウンド・ゼロ、原爆ドームと同一視するのであれば、日本のプレゼンス向上につながる外交カードとはならないだろう。過ちを繰り返さないための教訓のシンボルとして遺るのみだ。
しかしこれを「いつまた世界各国に甚大な損害を与えるかわからない危機」と捉えれば話は別だ。
丸の内で沈黙するゴジラが引き続き安全な状態かを報告する必要がある国際会議は無数にのぼる。国連での安全保障に関連する会合や気候変動枠組条約締約国会議(COP)のみならず、アジア各国とのエネルギー大臣会合や国際民間航空会議など、多くの官民の定期会合で必ず日本のプレゼン機会が与えられるだろう。
国際会議で日本が登場する機会が拡大すれば、グローバルなルールづくりにおける日本の影響力も増す。勿論、ゴジラ災害に起因する国際的な社会課題についてのルールは日本がリードする。
天才漫画家、手塚治虫が描いた作品の1つに『W3(ワンダースリー)』というものがある。無益な戦争を繰り返す地球の人類に対して、宇宙の秩序を管理する「銀河連盟」が地球を存続させるか、あるいは反陽子爆弾を使って消滅させるかという社会派なテーマのSFマンガだ。作品の中で、宇宙人が地球に反陽子爆弾を埋め込んだと知った地球の国々は、紛争を捨てて世界的な協力体制を築くようになる。
同様に、対ゴジラの脅威の名のもとに世界が新たな安全保障協力の枠組みを構築し、その中心に日本が座るだろう。TPPならぬ「環太平洋ゴジラ対応連携協定(TPGP)」なるものも締結されるかもしれない。
「諸外国に対する危機」をカードに国際舞台で存在感を発揮することは「瀬戸際外交」と呼ばれる。ゴジラの脅威を外交カードとして活用することが日本の品格として適するかはわからない。
しかし、もし本当に凍結したゴジラとともに日本が生きていかざるを得ないのであれば、これを最大限レバレッジして「ジャパン・パッシング」から脱却することを、矢口や泉など野心的な政治家たちは考えていくだろう。
「ゴジラとともに生きる」の真意
個人的に妄想を膨らませるならば、日本に新たな国際機関の設置が進むことに期待したい。
まずはゴジラおよび放射線物質の状況を常に観察・分析する国際機関を東京に設置することになる。映画中、ゴジラの細胞サンプルの大半は米国に召し上げられたとのことだが、凍結中のゴジラの細胞を調べる国際研究センターは都心近郊にできるだろう。巨災対を国際機関として拡大させた防災インテリジェンス機関も日本のどこかに新設されるかもしれない。
現実の世界で、日本はこれまで国際機関の本部をあまり誘致してこなかった。例えば、日本が最大の基金拠出国であるアジア開発銀行(ADB)は、歴代の総裁はすべて日本から選出しているものの、本部はフィリピンのマニラにある。対して2016年に開業した中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)は世界各国から資金調達しながらも、本部は北京だ。
グローバルなプレゼンス向上のために、今後日本は国際機関の議長や総裁の座を獲得だけでなく、物理的な国際機関の本部の誘致にも積極的になるべきだ。経済的メリットも期待できる。たとえばEU機関やNATOをはじめ多く本部組織が位置するベルギーのブリュッセルは、雇用とGDPの約13~14%(Dun & Bradstreet and Analytica Consultingレポートより)が国際機関によるものだ。
官民の一部で「TPP本部」にあたる機関を東京や大阪に設置すべき等の動きがみられるなど、今後の日本の通商政策の展開として「国際機関の誘致」が加速する可能性がある。
10年後に総理の座を見据える矢口が「ゴジラとともに生きる」という言葉の裏にはきっと、この危機をも活かして日本の外交・通商力を上げようとするビジョンが含まれているに違いない。
映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
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