「第三者委員会の信頼性が揺らいでいる」と話題を振った時のことだった。國廣正弁護士は怒りも露わに、大声を出した。「第三者委員会が悪いんじゃない!それを悪用しようとする人達がいけないんだ!」。

國廣正弁護士(写真:新関雅士、以下同)
國廣正弁護士(写真:新関雅士、以下同)

 今や、民間企業で不祥事が起きた時には当然のように設置されるようになった第三者委員会。弁護士など企業と直接の利害関係を持たない「第三者」が、不祥事の実態や発生原因、その背景などを徹底的に調査して再発防止策を提言するものだ。

 「官による強制捜査に頼る前に、民間企業が自浄能力を発揮することで不祥事の再発を防ぐ」(國廣弁護士)。第三者委員会が報告書を公開することで、他の企業も改革のヒントを得られ、社会全体の学習効果が期待できる。日本独特のこの仕組みは有効に機能した時、大きな価値を発揮する。

 だが、第三者委員会への信頼は今、東芝の不正会計問題などによって大きく揺らいでいる。「事件を一件落着させるためのツール」と揶揄する声すら上がっている。この仕組みを日本に根づかせてきた1人である國廣弁護士にとって、その状況は耐え難いものに違いない。

山一證券の自主廃業に原点

 「社員は悪くありません!」。1997年11月24日、山一證券の社長は、こう絶叫して泣き崩れた。巨額の簿外債務発覚により、四大証券の一角が自主廃業に追い込まれたのだ。第三者委員会の原点は、日本経済史に残るこの事件にある。

 山一證券における簿外債務の実態は、闇に包まれていた。少数のトップが秘密裏に管理していたからだ。突然解雇されることになった社員から、簿外債務問題の徹底調査を要求する声が上がるのは当然のことだった。そして設置された社内調査委員会の中に2人の弁護士が外部委員、すなわち「第三者」として入った。その1人が國廣弁護士である。

 当時、類を見ない存在だった調査委員会の設置に対し、社内外に大きな波紋が起きた。國廣弁護士の著書「修羅場の経営責任」によれば、取締役会では「山一自身が事実を調査する必要などあるのか」「公表して名誉毀損などで訴えられた時の責任は誰がとるのか」などという意見も出たという。今の常識に照らせば低レベルな発言に聞こえるかもしれないが、それが当時の実情だった。一方で、社内委員には「仲間を告発するのか」という無言のプレッシャーがかかった。山一證券の調査報告書は1998年4月15日に公開され、大きな反響を呼んだ。

 その後、「法的責任判定委員会」が設置される。旧経営陣はその本来の役割とは裏腹に、山一證券に巨額の損害を与えた。だから、山一證券は損害賠償を請求する必要がある。法的責任判定委員会からは、利害関係を排除するため、社内の人間は除かれた。

 法的責任判定委員会の報告書は、二段階で提出された。役員の責任を認定した第一次報告書、そして監査法人の責任を認定した最終報告書だ。両方の報告書をいずれも会社が、正式に公表することはなかった。だが、それぞれ朝日新聞と読売新聞が正確に報じ、世の中に知られることになった。

先駆者の試行錯誤

 実は、社内調査委員会の発足当時は、法的責任も同委員会で判断することになっていたという。だが、調査の過程で社内調査委員会の委員長を務めた取締役が「自身が法的責任追及の対象になりうるのに、法的責任を判断するのはおかしい」と申し出たことで、こうした形に変わった経緯がある。当時、第三者の目を入れて徹底的に調査してから、役員責任を判断するというスキームはまだ確立されておらず、先駆者の試行錯誤があったことが分かる。

 事件を通じてできあがった基本的な枠組みは、社内調査委員会が第三者委員会になったほかは、現在も踏襲されている。オリンパスの不正会計においては、「第三者委員会」が問題の詳細を調査した後、「取締役責任調査委員会」「監査役等責任調査委員会」が賠償請求の必要性などを判定している。東芝の不正会計の調査でも外形的には、この枠組みに従っている。

 当時の関係者の労苦は、記者の想像を絶する。だが、その努力は第三者委員会という形に昇華され、日本企業の自浄能力を高めることに貢献してきた。

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