
「王健林がハリウッドに侵食していると、米国人たちが慌てている」。そういう趣旨の記事が中国国内でも10月初旬に相次いだ。中国一の大富豪にして大実業家の王健林率いる大連万達集団が米テレビ制作会社大手ディック・クラークプロダクションを10億ドルで買収しようとしている、と米紙WSJ(ウォールストリートジャーナル)などが危機感をもって報じたことを受けての記事だ。
ディック・クラークプロダクションといえばゴールデングローブ賞やアメリカンミュージックアワード、ビルボードミュージックアワードなど、米国映画、音楽文化を代表する賞を主管する。今年1月に、ジュラシックパークなどを制作した米大手制作会社レジェンダリーを35億ドルで買収したことに続いて、いよいよ中国がハリウッド乗っ取りに王手をかけた、このままではハリウッドの魂が中国に奪われてしまう、と米国人が焦るのも当然かもしれない。
というのも2012年から始まる万達の米映画産業の“爆買い”は、明らかに一企業の経済行為以上の意味があるからだ。つまり中国の文化覇権戦略を背景にした政治的行為とみられるからだ。
グローバルな映画産業で発言力を勝ち取る
万達集団のハリウッドがらみの買収を時系列にみていくと、まず2012年、米国で二番目に大きい映画館チェーンAMCを26億ドルで買収した。これは万達にとって初の海外企業買収であった。
続いて、2016年1月、レジェンダリーの買収を発表。この調印式のとき、王健林は「世界の映画産業は少数の米国映画会社に牛耳られている。この買収がその局面を変えることになる」「中国企業にとって、このように巨大で、その一挙手一投足が業界に影響を与えるような大企業を買収できたことは、まさに奇跡」「中国企業はこれからグローバルな映画産業において“話語権”(発言力)を勝ち取っていく」と挑発的な演説を行った。
また、この直後からハリウッド6大スタジオのうちの一つを買収する意欲をみせ、その6大スタジオの一つ、パラマウント・ピクチャーズの親会社ヴァイアコムがパラマウント株の売却先を探していると知るやいなや、その49%を推定資産価値よりも高い50億ドルで購入する提案を出した。
結局、ヴァイアコムの創業者の92歳になる大富豪、レッドストーンの強い抵抗で、パラマウント買収計画は頓挫。だが、かわりに、6大スタジオの一つ、ソニー・ピクチャーズの提携を発表した。この提携はソニー・ピクチャーズの一作品につき10%を上限とした出資を行うというもので、万達の影響力は限定的とみられてはいるが、今持ち上がっているディック・クラークプロダクション買収計画となると、これは米国人をかなり焦らせるだろう。
9月半ば、米下院議員16人が連名で、万達集団の“ハリウッド買収”に反対する意見書を米政府に提出、米政府側も「権限の及ぶ限りで、今後4か月調査を行う」との返答をしたという。
一方、万達集団は9月30日に、山東省青島市に中国版ハリウッドというべき映画基地「青島万達東方影都」をオープンさせた。これは15以上の映画スタジオ、11のセットを備え、10月にはここで「パシフィックリム2」の制作も始まるとか。
映画と話題は少しずれるが、万達は今年6月、ディズニーランドに対抗する映画テーマパーク「ワンダ・シティー」を江西省南昌にオープンさせ、2020年までに全国で15か所のワンダ・シティーをオープンさせる計画を明らかにした。この南昌のワンダ・シティーのオープニングでは、白雪姫などディズニーキャラのコスプレ姿の店員が映り、失笑を買ったが、王健林自身は「ショップが勝手にやったこと」と一蹴しつつ、今後20年、中国ではディズニーにはもうけさせないと豪語している。
このように、映画・エンタメ世界で破竹の勢いで進撃する王健林の本当の狙いは何なのだろうか。ハリウッドを牛耳り、映画王と呼ばれることだろうか。エンタメは儲かるからだろうか。私は、これは一企業家の行動ではなく、中国・習近平政権の覇権拡大戦略の重要な柱であるとみている。
習近平の覇権拡大戦略の一手
王健林という人物を簡単に説明しておこう。1954年生まれ、四川省出身。父親は長征にも参加した革命家の王義全。いわゆる紅二代だ。軍隊時代に、大連陸軍大学、遼寧大学に進学、卒業後は、ちょうど軍の大リストラにあい、公務員に転身し、大連市の住宅開発問題に取り組む。このとき、国有企業の大連市西崗区住宅開発公司の責任者となる。この国有企業が大連万達不動産集団の前身だ。
やがて企業家として頭角を現し、万達集団を中国最大級のコングロマリットとして導いていく。大連と言えば、失脚した元重慶市党書記の薄熙来との関係も当然深かったのだが、幸運なことに薄熙来が失脚する以前に王健林は薄熙来とけんか別れしていたという。さらに幸運なことに習近平に気に入られ、習近平の姉の蓄財にも貢献したとみられている。
権力闘争の機微にも通じており、習近平の政敵の巣窟・遼寧省出身でありながら、目下、習近平の一番のお気に入り企業家とみられており、本人も習近平政権の意向にそった言動をしている。FIFA(国際サッカー連盟)のオフィシャルパートナーになったのも、儲からないと自分で言っているサッカーチームへの投資も、習近平の無類のサッカー好きを見越してだと言われている。
ところで習近平政権の政策でいくつか顕著なのは、文化産業のコントロールと振興である。党を支えるのは二本の棒、銃とペン、すなわち軍とメディアでありその双方の掌握が重要というのは毛沢東の時代からいわれていることだが、習近平はそれを忠実に守っており軍制改革と強軍化によって軍の掌握を進める一方で、メディアコントロールにも前政権以上に力を入れている。
このメディアというのは単に新聞テレビなどの報道分野だけでなく、「政治宣伝」を担うあらゆるメディアのことであり、その中には映画、アニメ、文芸、音楽、芸能なども重要な地位を占める。特に映画の伝播力、洗脳力については非常に警戒と期待があり、だからこそ、国内のハリウッド映画などの中国人への影響力を「文化汚染」「文化侵略」と呼んで排除しようとやっきになったりもしている。
だが、実際のところ中国の映画市場でハリウッドを締め出すことは困難である。
「西側の普遍的価値観」に危機感
中国の映画市場は2015年、約440億元の売り上げがあり、うち国産映画のシェアが初めて60%を超え、さらに年間売り上げナンバーワン映画が初めて国産映画の「捉妖記」となったことが「中国映画市場のハリウッド離れ」という文脈で報じられた。逆に言えば、2014年まで中国映画市場でハリウッド映画はずっと人気のトップを走り、中国側が輸入枠を設けて進出を制限し、厳しいセンサーシップを設けて、上映映画館を限定して、上映期間も国産映画よりも短期に設定したとしても、売り上げ上位はハリウッド映画にほぼ独占されていたということだ。
“ハリウッド離れ”と言われた2015年に関しても冷静にみれば国産映画は278本、輸入映画は80本しかないのに、興行収入の割合でいけば4割が輸入映画だ。この80本の輸入映画のうちハリウッド映画は44本までに制限されている。1億元以上の興行収入の映画は81本、うち中国国産映画は47本にとどまる。
中国当局がハリウッド映画を警戒しているのは、ハリウッド映画がエンタメを装いながら米国的な価値観を非常に効果的に観客に浸透させることだ。例えば、自由や民主、人権、そして米国は正義、米国はヒーローというイメージ。中国が受け入れられるものもあれば、受け入れがたいものもある。
たとえば、「アバター」という映画は、一見、完全な娯楽SFのように見えて、マイノリティへの迫害問題もテーマになっており、中国人にはどうしてもチベット迫害を想起させる内容になっている。審査のときには当局はそのメッセージ性に気付かなかったが、上映されたとたん、映画を見た中国人ネットユーザーが民族問題について語るようになったため、いったん許可した上映を急きょ取り消す事態になった。習近平政権は、9号文件に代表されるイデオロギー政策で強く打ち出しているように、「西側の普遍的価値観」(自由、民主、人権など)の中国への浸透を非常に警戒しているが、ハリウッド映画など娯楽は、センサーシップをうまく潜り抜けてそうした価値観を中国人に浸透させてしまうわけだ。
こうした状況に対して、中国が取り得る対抗措置はもはや国内にハリウッド映画の流入を防ぐことよりも、ハリウッド映画よりも面白い中国映画を作ること、あるいはハリウッド映画の中身に中国サイドが関わることしかない。万達のハリウッド投資は中国にとって好ましいハリウッド映画を作ることが狙い、ということになる。
2016年には中国映画市場の拡大にともない、ハリウッド映画の輸入枠上限が撤廃されることになったが、もはや本数の制限ではなく、中国にとって都合のよい映画をハリウッドに作らせることに力点が変わってきている、ということだろう。王健林のいう「話語権」とはまさに、中国が伝えたいメッセージをハリウッド映画に組み込んで世界に伝えるということであり、これはハリウッドの文化侵略、文化汚染を恐れていた中国が、一転して攻めの姿勢となって「文化覇権」を狙っていると言えなくもない。
マット・デイモンが中国人兵士役
実際に近年のハリウッド映画は明らかに、中国寄りになってきている。なにせ中国は2017年には米国を抜いて世界最大の映画市場となるのだから、中国人観客に受けないことには、ハリウッド映画も成功しない。例えば2015年に公開されたハリウッド映画「オデッセイ」は火星に取り残されたNASAの宇宙飛行士を救出するために万策尽きたとき、中国国家航天局が国家機密のブースターを提供するという、すごく頼りになる国家に描かれている。実際の中国は、こんなお人よしではない。
今年12月に公開予定のスターウォーズシリーズの最新作「ローグ・ワン/スターウォーズストーリー」には、中国人気俳優で監督でもある姜文と香港アクションスターのドニー・イェンが正義感あふれる役で登場するのも中国市場の受けを計算したと言われている。
さらに張芸謀監督、マット・デイモン主演で万里の長城を舞台にしたファンタジー映画「長城」が、来年春節前後に公開される。マット・デイモンは目覚めた古代中国人兵士役なので、なんで中国古代兵士を白人が演ずるのか、不自然だ、と一部中国人側からブーイングも起きている。確かに中国市場受けを狙うなら中国人俳優の起用の方がいいのではないか。だが、これは中国側の狙いとしては、中国の悠久の歴史や文化の深さ、美しさを世界に発信するため映画だという。つまり中国のポジティブイメージをハリウッドの手法で世界に発信するために、ハリウッドスターを主役に起用したわけだ。
習近平政権が目下、強軍化による海洋覇権をもくろんでいることや、人民元の国際化やAIIB(アジアインフラ投資銀行)の設立などで、通貨の国際化を進め、いずれは米ドル基軸体制に挑戦するという「通貨覇権」をねらっていることは、このコラムでも取り上げてきた。国際社会で影響力を拡大していくには軍事と経済の実力が欠かせない。だが同時に欠かせないのが文化の力なのである。
政権の安定に、治安維持力と経済成長とメディアコントロールによる世論誘導が必須であるのと同様、国際社会における影響力も軍事力、金融・経済、そして文化・情報発信力による国際世論誘導力が重要だ。強引な戦争を仕掛けても国際世論の誘導力があれば、それは正義の戦いとなる。世界の秩序が今、米国基準になっているのも、“普遍的価値観”が西側のデモクラシーが基本になっているのも、すべて米国の文化・情報発信力の強さのせいだとしたら、それをしのぐ発信力で中国の秩序、価値観を広めれば、中国が世界の正しさの基準になるわけだ。これが今の中国の考え方だ。
イデオロギーか、「自由な発想」か
ただし軍事、金融・経済に比べて、文化の覇権は難しい。軍事は金の力で強化できるが、文化は金があれば質の良いものができる、というものでもないからだ。そこには、「表現の自由、思考・思想の自由」という精神の問題も絡んでくる。自由な発想がなければ、そこに金や技術があっても優れたコンテンツは生まれない。
米国人はハリウッドが乗っ取られることを恐れているが、中国が本当にハリウッドの手法で世界市場に通用する映画を作ろうとすれば、表現の自由、思考・思想の自由を求めるように変わっていく可能性もあると、私は思っている。もちろんハリウッド映画がつまらなくなる、という可能性もあるが。
中国がハリウッドを乗っ取るのか。それとも、ハリウッドに引き込まれた中国の映画産業が政治やイデオロギーのくびきから自由になろうとするのか。それは今後、生まれてくるハリウッド映画や中国映画を見てみないことにはわからない。
『SEALDsと東アジア若者デモってなんだ! 』

日本が安保法制の是非に揺れた2015年秋、注目を集めた学生デモ団体「SEALDs」。巨大な中国共産党権力と闘い、成果をあげた台湾の「ひまわり革命」。“植民地化”に異議を唱える香港の「雨傘革命」――。東アジアの若者たちが繰り広げたデモを現地取材、その深層に迫り、構造問題を浮き彫りにする。イースト新書/2016年2月10日発売。
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