
「メンタル不全に陥っている人が増えた」と感じる場面に、このところ立て続けに遭遇している。
講演会で、打ち合わせで、講義で、プライベートの集まりで、
部下が、
同僚が、
パートーナーが、
「ウツになってしまって……」と、みんな、みんな、切ないほど悩んでいた。
大切な人がストレスの雨でびしょ濡れになるのは、とてつもなくしんどい。四六時中「なぜ、そんなことになってしまったのか? どうすれば力になれるのか?」という問いに脳内が埋め尽くされる。
上司は部下への仕事の与え方に悩み、同僚はつきあい方に悩み、妻はひたすら自分を責め続けていた。
「夫がウツになってしまって……。なんでこんなことになってしまったんだろう、って」
講演会が終ったあと、ひとりの女性が、涙をうかべながら話し出した。
彼女の話には、現代の社会で起こっているさまざまなひずみと不条理が語られていて。聞いていてとんでもなく悲しくなった。
そこで今回は、「夫のウツ」をテーマにアレコレ考えてみようと思う。
「彼と向き合うのを避けている自分がいました」
「夫は3つ上の44歳です。まさか彼がウツになるなんて、想像したこともありませんでした。残業で遅くなることもありましたが、それはあくまでも自主的にやっていて、会社がブラックというわけではありませんでした。
40を過ぎてからは責任の重い仕事を任されるようになり、大変そうではありましたけど、私も似たような状況になっていたので、お互いにそういう年齢だよねって感じだったんです。2人で過ごす時間は減ってしまいましたけど、夫婦関係はとてもよかった。夫も私もやりがいを感じていたんだと思います。
そんな彼がウツになった(話を聞く限りウツ病ではなく抑ウツ状態)。えっ、ウソって感じで。全く信じられませんでした。
彼はその頃、とても難しい案件を任されていたんですが、トラブルが続いてなかなか結果を出すことができなかった。時を同じくしてボスが代わり、運悪くその上司がとても厳しい人で、コミュニケーションも上手くいってなかったみたいで。
『弱音は絶対に吐けない』って、彼はよく言っていました。
私が勤続20年の大型休暇を取ったとき、本当は彼も有給を取って2人でヨーローッパ旅行する予定でした。ところが、彼は『行かない』って言い出した。今、休んだら何を言われるかわからないから、行きたくない、休めないの一点張りでした。
……私が彼をもっと理解して、サポートしてあげられれば良かったんです。でも、できませんでした。私も仕事で疲れていて余裕がなかった。本当は仕事をセーブしてでも彼中心の生活にすべきだったのに、それができませんでした。
自分でもなぜ、できなかったのかわかりません。私が仕事に熱を入れれば入れるほど、彼がしんどそうになるって感じていたのに。彼と向き合うのを避けている自分がいました。
主人は僕はダメ人間だと、自分を無能呼ばわりするようになりました。昔はどちらかといえば自信があった人なのに。何がなんだかわからなくて。ちょっとしたことでイライラして、私にも大きな声を出したりするようになりました。
なぜ、彼が……、なぜなんだって。なぜ、なんで彼がウツにならなきゃいけないんだって……。すごい苦しくて……。本当にずっと苦しかった。
でも、河合さんのお話を聞いて、元気がでました。夫と正面から向きあう勇気が持てました。本当にありがとうございました」
「主婦にでもなろうか」「なれば? 私には無理」
私が講演会で話したのは上司部下関係で、ストレスやメンタルヘルスに特化した内容ではない。感動のドラマを話したわけでも、苦悩のストーリーを話したわけでもなく、ただひたすら、人の心が環境、とりわけ「他者との関係性」で、どのように変わるのかを話した。
その中に、彼女の琴線に触れるナニかがあったんだと思う。これはよくあることなのだが、傷ついている人ほど敏感に“言葉”に反応する。
彼女はときに涙を浮かべ、最後には笑顔で御主人のことを話してくれたのだが、実は夫から逃げたくなるような言葉を何度も浴びせられていたそうだ。
彼女の仕事や会社の話を機嫌よく聞いていた途中で突然、
「キミのように僕は優秀じゃない」
「キミのように僕は出世はできない」
と怒り出したり、ボーナスでバッグを買って帰ったら、
「高給取りはさすがだね」
と、イヤミを言ったり、
「キミは僕といる意味あるの?」
と、夫への愛情を問われたりした。
彼女は自分に暴言を吐いて夫がすっきりするなら、と我慢した。ところが、ある日、キレた。
取引先との付き合いで彼女が遅くなったので、先に帰った夫は夕食を作って待っていたそうだ。「ありがとう」と彼女が食事を食べようとした瞬間、
「主婦にでもなろうか。帰ってきたときに、ご飯をつくって待っててもらえるなんて、最高じゃん」
と夫は呟いた。
反射的に彼女は、
「だったらなれば? 私には無理」と、言い返した。
その途端、夫は口をギュッと結び、一点を見つめ、元気なときには一度も見せなかった悲しそうな表情になり、テレビをつけ、朝までテレビを見続けた。
それから二度と彼女に、弱音も暴言も吐かなくなり、一人で籠ることが増えたそうだ。
ウツは夫婦間で伝染する
スピルオーバーという現象がある。
スピルオーバー(余剰・余波)とはもともと、電波が目的の地域外まで届く現象を指す言葉だが、心療内科では、職場でのストレスと家庭でのストレスがそれぞれの界面を超えて影響を及ぼす現象に使われている。
また、スピルオーバーは夫婦間でも起こり、夫(妻)のストレスが妻(夫)に伝染し、妻(夫)が専業主婦で献身的なほど「夫のかわりにウツ」になる傾向が強い。
件の彼女は専業主婦ではなかったけど、スピルオーバーが起きていたと十分考えられる。加えて、夫を心配する気持ちと、疲れと、自責の念がグチャグチャに絡み合い、感情が割れるだけ割れ、彼女自身が“ストレスの雨”にびしょ濡れになってしまったのだ。
これまでにも、家族がウツなどのメンタル不全に陥ると、本来、傘になるはずの家族の過大な負担になったり、ウツがうつったりと、ネガティブな影響が指摘されてきた。それでもやっぱり、最後は「家族」。妻(夫)、子供、親、兄妹など、できるだけ多くの家族メンバーが入れ替わり立ち代わり関わることができれば、メンタル不全脱出の大きな糸口になる。そうなのだ。家族ほど大きな傘はないのである。
だが、今回のケースは、DINKS。つまり、お子さんはいない。夫の両親は他界し、妻の実家は地方で、頼れる家族は近くにいなかった。互いを思いやる気持ちが強ければ強いほど、逃げ場のない家族関係は両者を追いつめる。
おそらくこういった事例は今後、増えていくことが容易に予想できる。だが、ウツなどのメンタルヘルスに関する問題は、かつてほど大きく取り上げられなくなった。
明日は我が身かもしれないのにどこか他人事のような空気が漂い、“ウツ”が社会問題化してから10年以上経つのに、問題解決に向かうどころか、むしろ深刻化しているのである。
責任の転嫁先がない社会
そもそも、「ウツ=長時間労働」と思われがちだが、長時間労働だけがウツの原因ではない。
仕事の要求度、裁量権、上司・同僚のサポート、職場の人間関係、担わされている役割、能力を発揮できる機会、報酬――。これらの程度や有無、適切性などに問題があると長時間労働以上のリスクファクターと化す。
特に最近は、仕事をこなすのに高い質が求められるので、デキる社員ほど危険だ。
かつての成功方程式が崩れ、試行錯誤を繰り返す以外に術がない現代社会では、当然ながら失敗も増える。が、会社はそれを許さない。
「早く結果を出せ!」「なぜ、できない?」と責め立て、「失敗を許容しない空気」のプレッシャーにさらされるのだ。
最初は「なにくそ」と思っていた人でも、次第に追いつめられ、周囲にデキる人が多ければ多いほど、難しい案件になればなるほど、しんどさが増す。
「俺はなんてダメなんだ…」「なんて私は能力がなんだ」と自信喪失し、閉塞感と無力感に襲われ、心も身体もいうことをきかなくなり、折れる。
「上が使えない」と責任転嫁できるダメ上司がいればいいけど、そういった人たちはとっくにリストラされているから、逃げることもできない。
「責任転嫁なんて……」と口を尖らせる人もいるかもしれないけど、逃げるが勝ちというように、責任転嫁も立派な“傘”。言葉は悪いけど、ちょっとダメな上司も、ストレス社会を生き抜くには価値ある存在なのだ。
予防ではなく、うつ「後」の対処へのシフト傾向
メンタルヘルス対策には、個人へのアプローチと環境からのアプローチがあり、とりわけ後者が効果的で、生産性への影響も大きい。
しかしながら、環境からのアプローチは手間も時間もかかるので、国などが強制的に進めない限り企業独自で行うのは現実的には難しい。例えば欧州では1989年に、「EUの労働安全衛生の改善を促進するための施策の導入に関する指令」の中で、職場のメンタルヘルスへの対応を明記し、以下のようなPDCAサイクルの実施を企業に義務づけると共に、厳しく管理している。
○メンタルヘルスを阻害する職場の心理・社会的リスク要因を、実地観察やアンケートで明らかにする
↓
○職場改善の具体的な行動計画を立てる
↓
○実行する
↓
○結果を評価し、改善を繰り返す
もっとも厳格に実施されているデンマークでは、従業員1人以上のすべての企業がこのアセスメントを3年に1度以上行い、その改善状況を労働環境監督署が査察。徹底的なチェックが行われ、問題があれば同署から改善命令が出される。企業は命令に基づき、アクションプランを策定、遂行する。その達成状況は完全に公開されるため、働く人たちは一目で「問題ある企業」がわかる。
一方、日本では実効性に乏しい施策ばかりが横行し、企業が実施しているメンタルヘルス対策の主流は、「相談窓口」の設置と「管理職研修」。
リーマンショックが起こるまでは、職場環境の改善や社員のストレス対処力を高める予防プログラムにお金をかける流れがあった。私は一次予防が専門なので、独自に開発したプログラムを使いたいという依頼を頻繁に受けた。
ところが、リーマンショック後その流れは途絶え、三次予防や四次予防のニーズが急増する。復職プログラムを完備し、亡くなった人に訴えられないように対応を徹底させたりと、メンタル不全の「事後」対応に必死な企業が増えていったのである。
進む「切り捨て社会」
最近は「健康経営」を積極的に行い(これについては別の機会に取り上げます)、従業員の健康を守り、生産性を高めている企業も徐々に増えつつある。だが、そもそもそういった会社はトップの問題意識が高く、“人にやさしい企業”で、かねてから環境対策に取り組んできた企業なのだ。
いまだに「メンタル不全=甘え」だの、「メンタル不全=ダメな人」という価値観から抜け出せないトップは多いし、数年前に「「大企業の8割に『メンタル不調』の従業員 理由の過半数は『本人の性格』」というタイトルの記事が新聞に出たように(参照記事:「性格が原因?」 メンタル不調者に張られるレッテルの恐怖 )、一般社員の中でも「個」の問題として捉える人は少なくない。
日本生命が2015年度に実施した調査でも、半数の企業が「(ここ5年以内で)メンタルヘルス不調による休職者数が増加した」と答えている。
同様の質問項目を設けたアンケート調査は、さまざまなところで行われているが、答えはいずれも一緒。「増えた」が5~6割、「変わらない」が2~3割、「減った」はわずか1割弱という傾向が認められている。
ちょっとだけ弱い人、ちょっとだけへなちょこな人、ちょっとだけ仕事がうまくできない人、ちょっとだけ人間関係を築くのが下手な人、そういった人たちはどんどんと切り捨てられ、家族も疲弊し、この先どうなってしまうのだろう?
繰り返すが、メンタル不全は個人の問題ではない。環境の問題である。職場環境を見直さない限り、明日は我が身かもしれないのですよ……。
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