年が明けてひと月も経たないうちに、“大きなニュースの嵐”(と呼んでいいのかわからないものもありますが)が続いているが、私にとっての一番のニュースは、竹田さんが亡くなったことだった。

 連日連夜、スマップやベッキーの話題で盛りだくさんで、ずいぶん前の出来事のようだが、わずか2週間前の出来事である。

 竹田圭吾さん、享年51。慶応義塾大学を卒業後、スポーツ雑誌を経て、「ニューズウィーク日本版」編集部に移り、10年近く編集長を務めた。その後、ジャーナリストとして活躍。テレビやラジオのコメンテーターとしておなじみだったので、ご存知の方は多いと思う。

「がんは闘うものでは必ずしもなく……」

 私が竹田さんにお会いしたのは、2013年。九州の報道番組でコメンテーターをやっているときに、数回ご一緒した。時期的には、病気療養に入られる前だ。

 初めてご一緒したときに楽屋にご挨拶に言ったら、「今日は天気予報はやらないの?」と言われ、「やりませんが、お天気キャスターの方に『突っ込んでいい』、とスタッフには言われています(笑)」と私が答えると、「じゃ、楽しみだね」と、にこやかに笑ってくださったのを記憶している。

 竹田さんは大のダイエーホークスファン。福岡の番組だけにホークスネタが多く、そのたびに厳しい表情が野球少年に一変するのが面白かった。

 その竹田さんが自らの病状を告白したのは、亡くなる半年前。出演していた情報番組での出来事だった。

 「なんとか抑えながら生活の質を維持していくのが、“がん”なんだってことを、検診を受けているときから何となくイメージしておくといいと思う」

 こう視聴者にメッセージを送った竹田さんは、ご自身が抗がん剤治療で髪の毛が抜け、「カツラのおかげで、仕事が続けていられる」ことや、「がんは闘うものでは必ずしもなくて、自分の中の一部に棲みついたもの」と、当事者ならではの重みある言葉を紡いだ。

 そして、番組終了後のツイッターで、次のように記したのだ。

 「番組で時間がなくて言えなかったこととしては、こちらの孤独を認めて、いちど突き放した上でまた付き合ってほしいという身勝手な思いがある。自分は最初のうちは怖くて他人にがんであることを打ち明けられなくて、そのほうが苦痛だと気づくまでに時間がかかった」と。

 がんという病を受け入れることの厳しさ、しんどさ、孤独、光……。私は父をその2カ月前に亡くしたばかりで、ただただ、竹田さんの言葉を頭に留め置くことしかできなかった。

父のときと似ていた、画面越しの竹田さんの姿

 そんな竹田さんの訃報が届いたのは、1月10日。ちょうどその1週間前にご自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で、「来週、1月11日で降板します」と予告し、「みなさんに伝えたいことがある」と語った矢先の出来事だった。

 なんか嫌な予感がしていたのだ。昨年の12月頃だろうか。たまたま見ていた番組の画面に映し出されたその姿が、父のときと似ていて。激やせ、といった見た目だけの問題じゃなく、言葉の使い方、話すスピード、表情……。そのすべてが、まるで亡くなる数日前の父のようで……。

 51歳。若い。若すぎる。すい臓癌。そのとき初めて、父と同じ病だったことを知ったのである。

 「生活の質を維持するってことが、“がん”なんだ」――。なんて重い言葉なんだろう。

 奇しくも先日、がんの10年生存率(相対生存率=がん以外の死因による死亡の影響を補正した数値)が58.2%と発表され、「治療法は進歩しており、今がんと診断された人の10年後の数値はもっと良くなるだろう」と、国立がん研究センターの堀田知光理事長のコメントが報じられた。

 生活の質と生存率――。「がん」という極めて語感の悪いこの病に、自身や家族が向き合った経験がある人なら、この二つが必ずしも同じ方向を向いていない、ということに気付くはずだ。

 そして、そこに「仕事」というものが、大きく関係してくるということを。

 そこで今回は、「がんと仕事」について、生存率という窓からアレコレ考えてみようと思う。

手術と生存率の関係は?

 まずは、国立がん研究センターが発表した「がん患者の10年生存率」について。

 これは「全国がん(成人病)センター協議会」が公表したもので、1998~2002年に全国16施設で胃、大腸、肺など28部位のがんと診断された患者約3万5000人のデータから算出している。

 平均の10年相対生存率は58.2%だったが、部位により大きく異なり、甲状腺がんが90%なのに対し、食道がんは29・7%、膵臓がんに至っては5%にも満たなかった。

 また、発見時に進行していると相対生存率も下がる。ステージ1、2では「100%」の甲状腺がんでさえ、ステージ3で94.2%、4になると52.8%に低下。男性に多い大腸がんでは、ステージ2が84.4%、3だと69.6%、4になると8.0%だ。

 さらに、5年相対生存率と10年相対生存率を比較すると、胃や大腸は2ポイント程度しか変わらず、完治する可能性が高い。一方、乳がんは、5年88・7%→10年80・4%と、グラフが直線的に下がり、これは再発の可能性の高さを示すのだという。

 で、実はこれらのデータは、全がん協のこちらのページで、詳しく検索することができる(部位、年齢、性別、治療法など)。

 そこで、自分にとってリアリティーの持てる期間といえる1~3年まで、「ステージ3、40代、男女」「手術あり・なし」を基本属性にして、10年生存率の低かった食道がん、生存率の低いすい臓がんを検索(相対生存率)。以下の結果が出た。

◆食道がんの相対生存率
1年後 75%(外科的手術あり)  55%(手術なし)
2年後 60%(外科的手術あり)  40%(手術なし)
3年後 47%(外科的手術あり)  25%(手術なし)

◆すい臓がんの相対生存率
1年後 64%(外科的手術あり)  53%(手術なし)
2年後 43%(外科的手術あり)  19%(手術なし)
3年後 29%(外科的手術あり)  13%(手術なし)

 なるほど。食道がんでも「手術をすれば1年後も75 %」という比較的高い確率で生存できるし、すい臓がんでも「手術をすれば2年後でも43%」。こうやって比べると、“自分の中の一部に棲みついた”モノを、「手術して取るか、否か」の参考になる。

自分の親ががんになったら、手術を薦める?

 問題は、上記の条件を「70代」にした場合だ。

 なぜ、70代で検索したか?

 親の世代だからだ。私も含め、とりわけ同級生や同年代の知人たちが、立て続けに“親の変化”に直面しているのだが、そのほとんどが「がん」だ。それは親の人生の最期に向き合うことになるかもしれない出来事で、さらに、“プレ介護”が始まり、自らの生活が一変する出来事でもある。

◆食道がんの相対生存率
1年後 71%(外科的手術あり) 56%(手術なし)
2年後 49%(外科的手術あり) 27%(手術なし)
3年後 40%(外科的手術あり) 21%(手術なし

◆すい臓がんの相対生存率
1年後 56%(外科的手術あり) 41%(手術なし)
2年後 27%(外科的手術あり) 12%(手術なし)
3年後 16%(外科的手術あり) 05%(手術なし)

 さて、この数字をどう捉えればいいのだろうか。

 実に微妙だ。1年後の数値だけ見ると、「食道がんで手術をして71%、しなくても56%」「すい臓がんで手術をして56%、しなくても41%」であり、手術をしたほうが生存率は高い。

 が、果たして、この71%の方々はどういう状態なのか?

 普通どおり生活できているのか?

 入院したことで、メンタルが低下したりしなかっただろうか?

 先日、インタビューした50代の女性は、お父さんにがんが見つかり手術。「がん患部は摘出できた」が、手術に伴いさまざまな症状が出たため、結局1年間入院した。退院したときは車いすになり、要介護状態になり、彼女は仕事を辞めた。

 高齢者に「手術」は、肉体的に負担だ。ところが、日本人には「がんは手術で治すもの」という先入観があるためか、たとえ高齢者でも、手術が優先されることが多い。「入院する」こと自体、ダメージが大きいにもかかわらず、だ。

 私の父は、がんが見つかり、入院して1週間もしないうちに10歳、いや、それ以上、“おじいちゃん”になった。

 お風呂に入れない父の身体を拭いてあげようと、背中を見た時はあまりにショックで、嗚咽を押さえるのがやっとだった。

 80歳とは思えないほど筋肉モリモリで、大きかった父の背中が、ものすごく小さくて。1週間前の父とはまるで別人。

 話をしていても、「分からない」と、考えるのをやめることが増え、足腰は急速に衰え、ぼーっとする時間が増え、物事への興味が失われた。

 手術もしていないのに、抗がん剤治療のための入院だっただけなのに、みるみるうちに本当の“病人”になってしまったのだ。

生存率の数字の意味って、そもそも何だろう

 ……生存率って、何なんだろう? 死ぬか生きるかなんて、ゼロか1のはずなのに。まるで天気予報みたいで。なんだか数字を見れば見るほど、数字の意味が分からなくなった。

 「治療が順調で、家族に寄り添われて、友人や仕事仲間に励まされても、孤独からは絶対に逃れられない。孤独は克服できないけれど、違う側にいる自分と現実として向き合って、ちょっと種類の違う人生が続いてるだけなんだと思える」

 ツイッターでこう綴っていた竹田さん。

 2013年に一時仕事をお休みして手術をし、抗がん剤治療をしながらギリギリまで仕事をしていた竹田さんにとって、「仕事をする」ことが生活の質を維持することであり、希望だったように思う。

 健康な状態で働いていると、「仕事=しんどい」ものになりがちだが、「やるべきことがある、やりたいことがある、言いたいことがある、役割がある」――。そんな仕事のプラスの面が、生きがいだったのだろう。

 よく「抗がん剤治療をしながら、仕事って大変でしょ。休んだほうがいいじゃない?」と考える方がいるが、「仕事をしている、“今も”仕事ができている」という満足感が、抗がん剤治療の副作用を和らげることも多い。

 「生活の質を維持するってことが、“がん”」――。とするなら、竹田さんのように「仕事を続ける」という選択もあるのではないか。

 ところが、「仕事を続けたい」と願っていても、それが叶わない現実がある。診断後に依願退職したり、解雇になった人の割合は、34.6%(2013年厚生労働省調べ)で、この10年ほとんど変わっていない。

長く生きることより大事なことも……

 以前もコラムで書いたが(2人に1人はがん時代「アナタは会社に“がん”と伝えますか?」)。米国の合理的配慮(reasonable accommodation)、すなわち「ここを配慮してくれれば、ちゃんと働けるよ」って考え方を参考にし、「仕事を辞めなくていい」ように、積極的に国は取り組むべきだ。

 「治療法は進歩しており、今がんと診断された人の10年後の生存率はもっと良くなるだろう」というのであれば、なおさらのこと。

 そして高齢者の場合、本当に「生存率」を上げることだけを目標にするだけでいいのか?

 繰り返すが、親世代の「がん」のありようは、介護とかなり密接に関係している。

  QOLを把握する心理的尺度は、いくつもある。そういったものをもっともっと利用して、データベース化して、「がんは手術で治すもの」という患者の先入観を、医師側からのアプローチで変えることも重要なんじゃないだろうか。

 寿命とはナニか? 本当、寿命って何なの? 

 私は父が「がん」になるまで、家族というのは、「一日でも長く生きていて欲しいと願う」ものだと信じて疑うことがなかった。だが、実際に次々と予期せぬ“変化”が起こり続ける闘病生活に直面し、父が、「長く生きることより、笑顔でいられること」を願った。

どの道を選んでも、そこにはその人の「生活」がある

 最後に……。

 抗がん剤治療は否定的に捉えられることが多い。ところが、父にとって「まだ、治療できる」という状況は、“光”だった。副作用で白血球の数値が戻らず、抗がん剤の点滴が受けられなかったりすると、落ち込んだ。2週間に1回、通院で抗がん剤治療を受けていたのだが、“その日を万全な体調で臨む”ことを目標にしていたようだった。実際、発症部位にもよるが、抗がん剤治療の副作用は、以前に比べればだいぶコントロールできるようになっていると聞く。

 「生活の質を維持するってことが、“がん”」――。

 手術や抗がん剤治療を選択することも、頑張って仕事を続けることも、生活の質を維持するための選択肢だ。また、仮に積極的な治療を断る道を選んでも、そこにはやはり、最期の日を迎えるまでの生活がある。

 だからこそ、企業や社会は、仕事をしながら治療を続けられるための環境整備を進めてほしい。医師には、「長生き」だけがすべての大前提ではないことを周りに伝えてほしい。そして家族は、がんを患った本人が選んだ道を尊重して支え、「自らの人生も大切」にしてほしい。どれも、すごく大変なことだろうけど。

 2人に1人ががんを患い、3人に1人ががんで亡くなる時代なのだから。

■変更履歴
3ページ本文中
「数値だけ見ると、『食道がんで手術をして69%、しなくても54%』『すい臓がんで手術をして55%、しなくても40%』であり、手術をしたほうが生存率は高い。
 が、果たして、この69%の方々はどういう状態なのか?」

「1年後の数値だけ見ると、『食道がんで手術をして71%、しなくても56%』『すい臓がんで手術をして56%、しなくても41%』であり、手術をしたほうが生存率は高い。
 が、果たして、この71%の方々はどういう状態なのか?」
に修正します。本文は修正済みです。 [2016/01/26 17:00]
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