
中国語で“覇”という漢字は、「占領する」とか「横取りする」といった意味を持つ。そこで、中国語辞典で“覇”の付く熟語を調べると、“覇占(力ずくで占領する)”、“覇持(強行に独占する)”などといった言葉が目につくが、最近の中国でたびたび目に付くのが“覇座”という言葉である。“覇座”とは何を意味するのか。中国語の“座”は「座席」を意味するから、“覇座”は「座席占領」となり、列車や飛行機などの交通機関で他人が座るべき指定席を占拠して座り続けることを意味する。
“中国共産主義青年団北京市委員会”の機関紙「北京青年報」は12月8日付で「“動真格了 高鉄覇座女乗客首次被拘留(まじでやったぜ、高速鉄道で座席占領の女乗客が初めて拘留された)”」と題する記事を掲載した。その概要は以下の通り。
【1】12月6日に遼寧省“大連市”の“公安局”が発表したところによれば、12月3日14時9分、内モンゴル自治区“包頭市”発遼寧省“大連市”行きのK56列車が遼寧省“瀋陽市”の市内にある「蘇家屯駅」を出発した直後に、列車長から「1号車の車両で乗客による“覇座(座席占領)”が発生している」という通報が列車に乗車している“乗警(鉄道警察官)”へ発せられた。
【2】“覇座”を行っていたのは女性乗客の“劉某”(22歳、黒龍江省“甘南県”出身)であり、彼女は瀋陽駅から乗車して“営口市”にある「熊岳城駅」へ向かおうとしていた。瀋陽駅から熊岳城駅までの距離は218kmで、所要時間は約3時間であった。K56列車が蘇家屯駅を発車後に、1号車の座席番号64の指定乗車券を持った“祝某”という乗客が、当該座席に座っていた劉某に対して座席を明け渡すように要求したところ、劉某はこれを拒否し、「座席は早く座った者勝ちだ」と言い放った。列車の乗務員がやって来て劉某の説得を試みたが効果がなかったので、列車長経由で乗車していた鉄道警察官に報告した。
【3】劉某の不当行為に対して、2人の鉄道警察官が劉某の指定席占領という行為は列車の秩序をかき乱すとして何度も通告を行うと同時に、『治安管理処罰法』違反の容疑に当たると警告し、劉某に速やかに座席を明け渡すよう要求した。しかし、劉某は聞く耳を持たず、極めて無礼な態度で要求を拒否しただけでなく、鉄道警察官や周囲の乗客に対して罵声を浴びせる始末だった。劉某に何度警告を行っても効果が無かったので、鉄道警察官は列車の秩序維持を理由に、劉某を強制的に連行し、最寄りの「大石橋駅」にある派出所へ劉某の身柄を引き渡した。鉄道警察官2人が劉某を連行するために、力ずくで座席から引き離そうとした時、劉某は「座席の“搶劫啦!(強奪だ)”」と大声を張り上げて抵抗したという。
【4】派出所に身柄を引き渡された劉某は、“覇座”を行ったことに関して“供認不諱(包み隠さず自供した)”。“大連鉄路公安処(大連鉄道警察署)”は『治安管理処罰法』の関連規定に基づき、劉某に対して行政拘留の処罰を与えた。
初の「行政拘留の処罰」
上記のニュースが報じられると、人々は鉄道警察が劉某に対して「行政拘留の処罰」を与えたことに喝采を上げたという。それは記事の表題にもあった「“動真格了(まじでやった)”」という言葉が示すように、この種の“覇座”事件において「行政拘留の処罰」が下されたのは劉某が初めてだったからである。
劉某に適用されたのは『治安管理処罰法』の第23条第1項の規定だと思われるが、その内容は以下の通り。
【第23条第1項】
下記する5項目の行為のうちの該当するものが一つある場合は、警告あるいは200元(約3300円)以下の罰金。情状が比較的重い場合は、5日以上10日以下の勾留とし、同時に500元(約8250円)以下の罰金を科すこともできる。
5項目は箇条書きで規定されており、そのうちの第3項目が“覇座”に関連すると思われるが、そこには次のように書かれている。
(3)公共の自動車、電車、汽車、船舶、航空機あるいはその他公共交通機関上の秩序をかき乱す行為
従い、劉某に下された行政拘留は「5日以上10日以下」ということになるが、具体的に何日間の勾留になったのかは報じられていない。
なお、“覇座”行為を抑制するため、“広東省人民代表大会常務委員会”は2018年10月9日に『広東省鉄路安全管理条例』を採択し、同条例は12月1日から施行された。同条例には、「鉄道の乗客は乗車券に明記された座席に従って乗車せねばならず、他人の座席を占領してはならない」と明記されている。但し、同条例には“覇座”を行った場合に適用される具体的な罰則規定は記載されていない。
当事者の特定、容易に
ところで、中国では今年の8月以降に列車の乗客による“覇座”事件が頻発するようになり、それがメディアのニュースによって報じられることにより世論が盛る上がると同時に、“覇座”の当事者が社会から指弾を受けることが多くなっている。その原因はネット社会であり、限られた個人情報から当事者が容易に特定されることにある。
2018年8月21日、山東省の「済南駅」発「北京南駅」行の列車No.G334に乗った“王新穎”(仮名)という女性が、自分が購入した窓際の指定席(座席F)に座ろうとしたら、何とその席にはすでに赤の他人の男性が座っていた。驚いた王新穎が男性に乗車券を示して自分の席だから座席を空けるように要求したところ、男性は「俺はこの席が良い」と言うばかりで動こうとしない。困り果てた王新穎が列車長に窮状を訴えて呼んでくると、男性は列車長の要求に応じて乗車券を示したが、そこに記載されていたのは1列後ろの窓際の指定席(座席A)であった。列車長が「ここはこちらの女性の指定席だから、座席を空けて、貴方自身の指定席へ移動して欲しい」と要求すると、男性は「座席から立つことができない」と言い出した。
これを受けた列車長がどこか身体が悪いのかあるいは酒でも飲んでいるのかと尋ねると、男性は「酒なんか飲んでいない」と反発した。さらに、列車長が酒を飲んでいないのに、どうして立てないのかと聞くと、男は「俺にも分からない」と答えた上で、「下車する駅に着いても立てないと思うから、車椅子を用意しておいて欲しい」と述べ、その後に「俺は絶対に俺の席には座らない」と言い放つと、王新穎に向かって「あんたもそこに立っていないで、俺の席に座るか、食堂車へ行けば」と言う始末だった。
王新穎は大学を卒業したばかりの女性で、「済南西駅」から乗車したが、男性は1つ前の始発駅である「済南駅」から乗車して、彼女の指定席に座ったのだった。男性に対しては列車長のみならず鉄道警察官も自分の指定席に座るように説得を試みたが、らちが明かず、王新穎には“商務車廂(グリーン車)”の席が、男性が彼女の指定席を空けるまでという条件付きで手配されたが、結局彼女はグリーン車に座ったまま終点の北京南駅に到着した。
“覇座男”は誰なのか
北京に到着した王新穎は、指定席を占拠した不埒(ふらち)な男性に対する怒りを表明するために、彼女が列車長と男性のやり取りを撮影した動画をネット上に投稿したのだった。投稿された動画は大きな反響を呼び、“覇座男(座席占領を行った男)”は誰かという“人肉検索(ネットユーザーが協力して限られた情報から人物を特定すること)”が行われた。
その結果として判明したのは、“覇座男”は“孫赫(そんかく)”(1985年生まれの33歳、山東省莒南県出身)であり、現在は韓国“圓光大学”の博士課程在学中の人物だった。
人肉検索で特定された孫赫は、8月22日の夜、自分の態度が極めて悪く、深く反省しているとして、ネット上に王新穎に対する謝罪表明を書き込んだ。謝罪表明の全文は以下の通り。
ネット上で私が本人だと暴露された高速鉄道座席占領事件に関し、私は悔悟と自責の念を表明します。ここに、私は当事者となった女性と全国の人々に対して衷心よりお詫びします。私は深く反省し、この種の行為が社会のマナーに重く違反し、当事者を深く傷付け、社会に悪い影響を与えたことは、痛恨の極みです。今後はこの種の誤りを再び犯さぬように、さらに修養を積み、人としての素質を高めるよう努力しますので、どうか全国の皆さん、私に自分を改める機会を与えて下さい。
孫赫は上述のように謝罪表明を行ったが、事態はそれで終わりとはならなかった。その翌々日の8月24日、列車No.G334 を管轄する“中国鉄路済南局集団公司”は、加害者である孫赫に対する処罰を発表し、『治安管理処罰法』第23条第1項の規定に基づき孫赫に200元(約3300円)の罰金を科すと同時に、一定期限内における列車乗車券の購入制限を付加したのだった。
一方、8月22日早朝には、広東省「深圳駅」発で山東省「青島駅」行の高速鉄道T398の済寧区間で、“無座車票(立ち席乗車券)”を購入した、赤い上衣を着た40歳前後の女性が女子大生の購入した指定席に座り込んで占領するという事件が発生した。自分の指定席に座ろうと思ったら他人が座っているのを見た女子大生は、列車の乗務員を呼んで協力を要請した。乗務員が女性の乗車券を調べると、それは「立ち席乗車券」で、座席に座ることができない乗車券だった。そこで、乗務員が女性に席を空けるよう説得したが、女性は厚顔にも最後まで席から離れず、女子大生は座席指定の乗車券を持ちながら早朝4時から6時までの2時間をずっと立っていることを余儀なくされた。
「ごね得」処罰に喝采
この女性については、いかなる処罰も与えられなかったようで、関連記事をチェックしても何もない。要するに、“覇座”に関しては、上述した孫赫のように、罰金と一定期間の乗車券購入制限が処罰の限度と考えられ、T398の女性のように何の処罰も受けない「ごね得」が通用することもあったのである。そうした状況に一石を投じたのが、文頭に述べた北京青年報の記事で、「“動真格了(まじでやった)”」と喝采を浴びたように、処罰を「罰金」から一歩踏み出して「行政拘留」まで拡大したことだった。
ところで、中国ではどうして“覇座(座席占領)”が多発するのか。教育レベルが低いからだというのは、上述した孫赫が韓国の圓光大学博士課程の学生であることを考えると説明がつかない。もっとも、孫赫は人間検索を受けたことにより過去に行った各種の悪事が露見しており、本質的に悪事を平然と行うタイプの人間であることが判明しているので例外と言えるのだが。
この点について中国メディアが報じている意見は、鉄道の列車長や乗務員、さらには鉄道警察官が“覇座”に対して寛大で、厳しい処罰を行うことなく、200元程度の罰金で済ませて来たことが、「指定席だろうが、誰も座っていない空席に座って悪いか」という意識を持つ人々を増長させたというものである。それは、最悪でも200元の罰金で済むというなら、屁理屈を並べながらも指定席に座っていた方が得だといった感覚を持たせるに至ったということである。誰かが“覇座”で得をしたという話を聞けば、俺も俺もと模倣犯が出て、いつの間にかそれが流行するという中国の伝統的な行動形態なのである。
“覇座”の処罰にようやく「行政拘留」が導入されたことで、模倣犯の出現率は低下すると思うが、“覇座”をより一層厳しく取締り、厳罰に処すことが改善の鍵だと思われる。中国には“殺鶏給猴看(ニワトリを絞め殺してサルを脅かす)”という成語があり、日本の「一罰百戒」と同様な意味を持つが、1件でも良いから典型的な“覇座”事件に厳しく対処して、メディアを通じて大きく報じ、ごね得は絶対に許されないと人々に示すことが、中国社会の改善には不可欠だと思う。但し、こうした事件は中国だけでなく、日本でも少数とはいえ発生しているのである。

中国は世界の多元化時代の壮大な実験国家なのか!? 中国脅威論や崩壊論という視点を離れ、中国に住む人のいまと、そこに至る歴史をわかりやすく図解! 本書はドローンのような視点をもって、巨大国家「中国」を俯瞰し、その実像を解き明かしています。中国の全体像を知りたい読者必読の一冊です。
太田出版 2018年7月10日刊
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。