石原都知事が言い放った。
「フランスごとき会社が出てきてだね、手賀沼(千葉県の湖沼)の浄水やるなんてのは、私に言わせりゃ、こしゃくな話で、こんなものはとっくに、東京に依頼すればやったのに、そういうところのセールスがだめなんだな、日本人は」

 2010年春、海外からの水ビジネスの参入について、コメントを求められた石原知事は一気にまくし立てた。フランスの水メジャー・ヴェオリアが千葉県の浄水事業を落札したことに憤っている。

水メジャーの虜になる自治体

 東京都の漏水率はわずか3%。ロンドンやパリの20%とは比較にならない。その技術力は世界トップクラスなのだから、もっと世界へ打って出るべきだと。

 海外では水道施設が民営化されている事例が少なくない。すでに13カ国で民間企業が上下水道事業を行っており、水道事業はビジネスの時代に入っている。グローバルな実態は、欧州大手の水メジャーの上位3社、ヴェオリア、GDFスエズ、テムズ・ウォーターが世界の水道市場のほぼ過半を占める。

 このうちのトップ、ヴェオリアの日本法人が千葉県などから下水道施設の管理を委託されている。まさに黒船襲来である。

 水男爵(ウォーターバロンズ)と呼ばれる彼ら水メジャーは優秀だ。高給取りの社員は、自社がもつ設計システムの優秀さをスマートに説き、もっともらしい指標と複雑なバランスシートを持ち出し、たちまち自治体職員や議会議員を虜にしてしまう。自治体ニーズのツボもよく抑えている。

「これなら事業仕分けにも耐えられる」

 彼らのプレゼンを聞いた者なら、だれもがそう思うだろう。バイリンガルを匂わせる口調はなめらかで、すべてがテイクノートすべきご高説に聞こえる。
 東京都としては、「そうはさせない」というわけだ。外資ヴェオリアの向こうを張って、海外進出も視野に入れ実践していく。手始めは三菱商事などと組んで、オーストラリアへ進出だ。(*1)

 現在、世界の水需要は逼迫の極みにあり、世界の投機マネーは、天然資源になだれ込んでいる。空気と水と安全はタダだと思ってきた日本人には驚異だ。こうした水環境の中、東京都の踏み出しは、水道事業だけにとどまらない。視点がグローバルだから、さまざまな影響や問題も東京都には見えている。

 思い切った買収さえ、首都東京なら可能になる。

(*1)2010年5月、東京都はオーストラリアの水道事業会社UUAとコンサルティング契約を結んだ。UUAは、三菱商事、日揮、産業革新機構(官民出資)によって買収(150億円)された豪州水道事業会社で、約300万人に給水している。

“急募! 4000ヘクタールの水源林”首都東京の即効手段

 妙なうわさを耳にするようになった。経済成長が著しい中国が日本の山林を買いあさっている、と。
 目的は森林でなく水源地を押さえるためだ。将来の水不足を見越しての動きではないか。ならばどこで? 東北地方、いや中部地方かな。はっきりしない。日本の企業を買収しているらしく、実態はなかなかつかめない。以前はやった"口裂け女"のエピソードによく似ていないか。うわさばかりで、本当にみた人はいないのだ。

―― 猪瀬直樹「水ビジネスの時代」(*2)

 東京都副知事の猪瀬氏がそう書くぐらいだから、東京都でも話題になっていたのだろう。
 確かに東京都奥多摩地区では、2006年頃から外資による森林買いの噂が出ていた。首都圏の水がめだから気になっていた。
「奥多摩エリアについても、一度精査しておかねばならないかも…」
 そう思っていた矢先のことだった。

世界に誇る日本の水源林(写真:平野秀樹)

 2010年春、突如、東京都水道局は宣言した。
 『都、奥多摩の民有林買収 来月にも地権者募集』(*3)
 多摩川上流の〈水源林〉をすべて都有林にしていく計画だ。
 面積は約4000ヘクタール。山手線の内側のほぼ7割に相当する水源林(私有林)を都は所有者から買収する。林地ごと買い取るのだ。平均的な買収価格は公示価格を勘案して決めるという。

 なぜ、こういった大事業がはじまったのか?

 都は説明する。直接の買収理由は、「おいしい水道水には高度な浄水処理技術だけではなく、良好な状態の森林が不可欠。長期的な視点で管理の対象を広げる」ためであり、「山林荒廃を防ぐ」ためだと。

 長引く林業不振の中、所有者に任せていても十分な森林管理が期待できない。森林が荒れると、雨が直接河川に流れ込んでダムが増水したり、山崩れによる土砂流出も危険性が大きくなる。水源林が雨水をろ過する機能が衰え、飲み水として利用できなくなる恐れもあるからだという。

 それだけだろうか。これほど大規模な森林買収を巨額な予算と労力をかけてはじめる必然性は、本当に荒廃防止のためだけか。ここまで急かすに十分な社会環境があったのでは…と勘ぐりたくもなってくる。迫りくる外資の手が噂どおり、この奥多摩水源林まで伸びていたからか。

 多摩川は東京都の主要な取水源の一つで、水道水全体の約2割をカバーしている。水源林はこの上流に広がり、そのエリアは奥多摩町ばかりでなく、都域を越え、山梨県の丹波山村、小菅村、甲州市に及ぶ。総計約2万2000ヘクタールが都が有する水道水源林である。

 ところが、これだけ広いエリアを擁していても、取水源となるすべての水源林をカバーしきれていない。小河内ダムに直接流れ込む湖岸のエリアのほとんどは〈私有林〉になっていて、その〈私有林〉をターゲットに、やはり蠢く不動産業者の噂があるとされる。東京都内のみならず、山梨県側でも。

 外国人が奥山水源林の所有権を抑えるというのは、確かにちょっと戸惑う。違法ではないが、万一を考えたとき、すべての〈私有林〉を公有林化しておいた方が安全・安心だという見方はあるだろう。

 こうした中、東京都は買収作業そのものの準備を整えた。とにかく〈公有林〉化は急ぐらしい。すでに、6月末からは水源林を売却する地権者を募集(~9月末)している。困った問題が足元まで、いや喉元まで及んできたことを、だれかが察知したのだろうか。

 「(水源林の買収について)中国人の報道があったということは、承知している」
 外資による森林買いの噂について、都はそのようにコメントし、直接的な関係については言及していない。

(*2)東京新聞 2010年2月19日
(*3)日本経済新聞 2010年4月6日、6月26日

他県の人が巧妙な手口で…

 東京都のみならず、すでに複数の道県議会(北海道、長野、新潟)においても森の買収がテーマとして取り上げられているが、事態の受け止め方に地域差がある。

 いち早く反応したのは、大分県だ。2010年6月末、県庁内に研究会を作った。
 「水資源・森林・水環境研究会」――。水源林と水資源を対象に、縦割りではなく横串刺し的に検討しようというものだ。そこまで手を打たなければならない事情が大分にはあった。

 一つは、植林放棄地の多さだ。
 大分県では、皆伐された山が再び植林されるケースは1割もない。わずか8.7%。9割が放置、もしくは天然更新と称して植林されずそのままの状態で置かれている(2007年)。その理由は、林業がペイしないと判断されていること、野生獣(シカ)の食害で植えても無駄だと諦める人が多数いることなどだ。

 市町村の広域合併も影響している。山を知悉する役場職員が減り、山林行政を専門的にしっかりとガバナンスできなくなってきている。このほか、大口の伐採を持ちかけ、それを販売ルートにのせるセクターがいることも植林放棄を増やす要因の一つだろう。

 植林放棄の場所は下の図のとおり、地域的に偏在していて、県境付近に多い。北部の福岡県境、南部の宮崎県境だ。

再造林放棄地の発生密度

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