中国農業が悲鳴を上げている。土と水の汚染、担い手である農民の疲弊は、国内消費量の20%に当たる野菜を中国からの輸入に頼る日本にとって他人事ではない。

 『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)を上梓した愛知大学の高橋五郎教授は徹底した農村調査で中国農業の病理を浮き彫りにしている。現地の農民と語り、土や水に触れる異色の学者に中国農業の現状を聞いた。


 ―― 残留農薬をはじめ、中国の農産物の危険性を指摘するものは少なくありませんが、その中でも『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)は、農村調査に基づく徹底したルポルタージュという点でかなり趣が異なります。中国農業の危険性に関するニュースを理解するためにも、先生が見てきたお話を伺えないでしょうか。

「おふくろの味」ではなく「袋の味」が幅を利かす日本

高橋五郎(たかはし・ごろう)氏
1948年新潟県生まれ。愛知大学法経学部卒、千葉大学大学院博士課程修了。現在は愛知大学国際中国学研究センター所長、同大現代中国学部教授を務める。専門は中国農村経済学、国際社会調査学。中国の農村事情や農民に詳しい
(写真:高木茂樹、以下同)

 高橋 初めに申し上げておくと、僕はいわゆる中国専門家ではありません。あくまでも農業の専門家、食料の専門家です。多くの中国専門家は中国そのものを研究していますが、私は中国という国を研究しているのではなく、中国で生産されている食料について、農作物を実際に作っている農民について、さらには、どういう農地を使って農業をしているか、どのような生産をしているか――といったことを研究しています。

 中国の農業を本格的に研究し始めたのは15年ほど前になりますが、それまでも様々な国の農業を研究してきました。日本はもちろんのこと、アジアや米国、ヨーロッパなどで農民に話を聞き、農業の実態を調査してきました。私の関心事は、日本で消費している食料がどのように作られているか、農民がどのように食料を作っているか、その暮らしぶりはどうなっているか、というところにある。

 ―― 中国の農業を研究しようとしたきっかけはどこにあったのでしょう。

 高橋 僕の出発点は日本の食生活があまりにひどいことから始まっているんです。現代の食生活は「おふくろの味」ではなく、加工食品を中心とした「袋の味」が幅を利かせています。ただ、食品の加工度が高くなればなるほど、原材料は見えにくくなり、食品の安全性にかかわるリスクは大きく広がる。

 こうした加工食品の多くは中国産の原料を使用し、中国で製造しています。じゃあ、中国に多くを依存している野菜や果物の生産現場はどのようになっているのか。食料自給率が落ち込んでいる今、中国農業の現場を見なければ、食生活の崩壊や自給率改善について何も言うことができない。そう考えたことがそもそもの動機でした。

地中の塩分が溶け出した地下水

 ―― 15年前というと、中国産の農作物が直接的にも(加工食品などで)間接的にも入ってきた時期でしょうか。

 高橋 そうです。この十数年の変化にはすさまじいものがあります。1997~98年を境に、中国は食糧不足の国から食料過剰の国に転換していきました。

 統計的にいいますと、98年頃に穀物の生産量が5億トンを超えました。世界の穀物生産量が約20億トン。穀物生産の25%が中国で作られるようになったわけです。それ以降、中国では食べ物が余り始め、それとともに、食品を輸出入する企業が介在し始めました。

 日本企業は現地に出向き種を持っていき、肥料や農薬のまき方、収穫の仕方など様々な技術移転をしました。そして、生産した農作物を日本に輸出したり、中国で加工した加工品を輸出したりするようになったわけですね。90年代の後半以降、特に2000年以降にこうした変化が加速していきました。

 ―― 15年前と今を比較すると、中国の農村や農業は変化しているのでしょうか。

 高橋 「よくない」という意味では変わらないのですが、「よくない」の質が変わってきている。

 初めに、水の話をしましょう。日本と比較するとよく分かりますが、中国の水の分布は恐ろしく偏っている。日本の場合、水不足はたまには起こるものの、水の分布状況は北も南もそうは変わらない。

 ところが、中国は北と南で分布状況が大きく異なる。中国では北と南を長江で分けますが、北にある水の量は中国全体の18%に過ぎない。だから、そもそも北は水不足になりやすい。それが、最近ではさらに深刻になっていて、井戸水が枯れ始めた。特に、山東半島から北で顕著ですね。

 井戸水が枯れ始めると、井戸をより深く掘らなければならない。しかし、井戸が深くなるほど、地下に浸透していた塩分が溶け出してしまう。実際、200~300メートルの深さの井戸の水を舐めると、アルカリ臭く、真水とは違う味がします。これは農作物生産にとってはかなり深刻な状況です。

まるで“下水”の水を畑にまく惨状

 ―― 水質汚染もひどいようですが・・・。

 高橋 北の方は河川灌漑が少なく、ため池が多いのですが、そのため池がかなり汚れていますね。現場に行くと驚きますが、ため池全体をアオコが覆っており、水が全く見えない。そこに、ホースを突っ込んで、ポンプで揚水し、畑に水をまいている。その水は、本当に悲惨なものですよ。

 中国の農村はほとんど浄化設 備がありません。そのため、油、石鹸、洗剤、雨水、し尿などが一気にため池に行ってしまう。アオコが繁茂しているのはため池の富栄養化が甚だしいため。悪臭もすさまじい。そういう水を畑にまいているんですよ。

 ―― 下水で植物を育てているようなものですが、その水で作られた農作物は大丈夫なのでしょうか。

西安郊外の集落を流れる河川は、100メートル手前からすさまじい悪臭がしたという

 高橋 ダメに決まっているでしょう。雑草でも何でもそうですが、植物は水があれば育つ。ただし、食べ物として相応しいかどうかは別問題ですよ。まあ、水がないからしょうがないんですわ。地下水でさえ量が減っていますからね。本来であれば、浄化槽に行くべき水をためて使う、という状況にならざるを得ない。

村の周辺を流れる「コーヒーよりも黒い川」

 ―― それは、企業が所有する農地も同様なのでしょうか。

 高橋 農民も企業も使っている水の条件は同じですからね。それに、本でも書いていますが、川自体が汚れている。

 ―― 「真っ黒な水が流れている」と本に書いてありましたね。

 高橋 本当に真っ黒ですよ。

 ―― コーヒーみたいな感じですか。

 高橋 いや、コーヒーより黒い。本当に黒。

 ―― 100メートル手前から悪臭がしたという話ですね。

 高橋 本当ですよ。すさまじい臭いですよ。

 ―― 周りに人は住んでいるんですよね。

 高橋 慣れとは恐ろしいものですね。汚染でいうと、長江もひどいものですよ。上海の河口に行くと、ゴミだらけ。上流から流れてきたゴミがたまっている。それから、上流の武漢には遊覧船がありますが、その遊覧船では観光客が食べた食べ残しをそのまま川に捨てていた。食べ残しがたくさん出ますよね。それをウェートレスがテーブルクロスごと丸めて川に捨てるんですよ。

 断っておきますが、僕は中国が嫌いでは決してありません。でも、本当に汚れているのだから仕方がない。これまでお話ししてきたことは1つの例ですが、川の汚染は大変なものですね。

水だけでなく、土も荒れ始めた

 ―― 「水が死んでいる」という話はよく分かりました。それでは、土はどうなのでしょう。

 高橋 土も荒れています。僕は農村に行くと、必ず畑や水田を触ることにしています。表現は難しいのですが、僕が見ているのは土の固まり具合。水田は軟らかいですよね。同じ土でもよくかき回されている水田は固まりがありません。

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