アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【仏教をテーマにした和風ファンタジー小説】『鎮魂の唄』 ~国津神編~ 第五話 カリマ

 制托迦せいたかは祠を囲むように四方に白木を立て注連縄を張り、祠の前に敷物を敷き、その上に護摩を炊く炉を置いて、そこに座った。本山では兄弟子たちの後ろに並び、何度も行ってきた修法であったが、自分一人で行うのはこれが初めてだった。制托迦は大きく息を吸い、さらに大きく息を吐いて心を整えると炉に火を灯した。その灯は真っ暗な森の中で怪しく光り、辺りをぼんやりと照らした。その灯を見つめながら両手を不動明王印に組み合わせ、静かに真言を唱え始めた。

 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ そはたやぁうんたらたあ かんまん

 制托迦の唱える真言は時には高く、時には低く、次第に抑揚を増し、大気を震わせ始めた。それに応えるように炎もまた時には大きく、時には小さく、ゆらゆらと踊るようにその形を変えた。いつしか結界の中は燃えるような赤い光に包まれていた。その光は炎のように上空に伸びていった。

 突如、地が震え、祠が揺れた。そして黒い煙のようなものが祠の下から立ち上ってきた。 制托迦は負けじと真言を唱えた。しかし護摩を炊いた炎は徐々に萎み、今まで真っ赤に充満していた結界はどす黒い赤色に変化していった。そしてとうとうかすかに揺らめいていた炎も消えてしまった。あたりは急に暗くなった。だが目の前の祠の台座のあたりだけは、赤黒い光がぼんやりと漂っていた。制托迦は真言を唱えるのを止めると、緊張を漂わせて周囲を伺った。

 突然、巨大な声が地から湧き上がった。

「――お前ごときの力では我は抑えられん」

「なにものだ」制托迦は大声で誰何した。

「――我は、荒覇吐、この蝦夷の地を総べるものなり」

「この世界を統べるのは、唯一仏の御力のみ」

「――お前らは昔といささかも変わらぬ――傲慢不遜、己らのみが常に正しく、それ以外は悪だと決めつけ、押さえつけることしか頭にない」

「貴様らのような異教の妖物がなにをいうか! 仏の御力こそ、この世界に救いを与える唯一の力、唯一の真理だ」

「――笑わせる。お前らが仏を奉じるのは、仏がお前らのようなひ弱で、極悪非道なものどもであっても救いをもたらしてくれるとからと妄信しているからであろうに。仏もこんな馬鹿どもを相手にせねばならんとは、いささか、憐憫を禁じ得ぬわ」

「黙れ、黙れ! 仏を愚弄すると許さぬぞ!」

「――哀れな、智慧も力もない小童が己の分もわきまえず、この荒覇吐にたてつこうとは」

 その声を聞いた瞬間、制托迦の怒りが爆発した。

「馬鹿にしやがって! お前など俺の力で打ち砕いてくれる!」

「――お前ごとき、我が手をくだすまでもない――カリマよ、こやつを殺せ」

 その瞬間、後ろから物凄い殺気が制托迦を襲った。本能的にその場から飛び跳ねた制托迦はすぐに態勢を整えると、もといた場所をみやった。そこにいたのは手が四本もある悪鬼であった。四本の手にはそれぞれに怪しく光る剣を持ち、その肌は青白く光り、髑髏を数珠つなぎにした首飾りをつけていた。カリマと呼ばれたその悪鬼は制托迦を見据え、ぞくりとするような笑みを浮かべたかと思うと、次の瞬間には四本の刀を振り上げて襲い掛かってきた。

 制托迦は独鈷庶と呼ばれる武具を手に取って、カリマの太刀を防いだが、カリマの四本の刀から繰り出される斬撃はさながら烈風のようで、制托迦は次第に追い込まれていった。体の至る所から血が噴出していた。その血の臭いがカリマを興奮させるのか、カリマは喜悦の表情を浮かべて、さらに斬撃の速度を速めた。かろうじてカリマの攻撃を防いでいたが、明らかに制托迦には手が余る相手であった。そしてついに制托迦は逃げ場を失った。目の前に恐ろしい微笑みを浮かべたカリマが立ちはだかった。

「――いけ、カリマ、そやつを殺せ」

 大地から湧き上がるその声とともに、カリマの甲高い叫び声が暗い森の中に響き渡った。その瞬間、制托迦は死を覚悟し、目をつぶった。

 何か巨大なもの同士がぶつかる音がした。制托迦が思わず目を開けると、そこには相変らずカリマが立ちはだかっていたが、なんと自分の前に巨大な白い犬がいて、カリマに向かって身構えていた。それは昼間、三蔵と話していたスサノオと名乗る犬だった。

「……お前は」制托迦がびっくりしたように声を出した。

「おしゃべりしている暇はない。今のうちに早く逃げろ! 今、三蔵もこちらに向かっている」スサノオはカリマから目を離すことなく、厳しい声音で言った。

「お前の助けなどいらん!」制托迦はむきになったように叫んだ。

「俺もお前を助けるつもりなどなかったが、三蔵に頼まれたからにはそうも言ってられぬ」制托迦はその言葉を聞くと押し黙った。

「お前が俺のことをどう思おうと勝手だが、三蔵のことだけは信じてやれ」スサノオは言葉を続けた。

「……三蔵も、お前も、この化け物も、みんな、みんな敵だ!」制托迦がわめいた。

「ならば、敵を打ち倒す力をその身に備えろ! 口先ばかりで、この者に歯も経たぬような密教僧がなんの役に立つ! 三蔵は恐るべき鬼神力をその身に宿した強大な羅刹をたった一人で打ち滅ぼした。俺や蝦夷の男の心をも虜にし、そんな我らとともに死ぬことも厭わぬ男だ。お前に三蔵の真似ができるか! そんなことを言う暇があるなら、お前も三蔵のような男になってみろ! それができぬうちは、敵に打ち勝つことなど到底できはせぬ!」スサノオの怒鳴り声が制托迦の耳に響いた。

 制托迦の体は血まみれだった。自分に力がないばかりにカリマに死ぬ間際まで追い詰められ、今、敵であるはずのスサノオに助けられている。そんな自分が悔しかった。悔しくて、悔しくて、涙がこぼれ出た。制托迦は走り出した、涙を流しながら山道を走った。

 カリマは制托迦を追おうとしたが、スサノオはすかさずカリマの前に立ち、それを遮った。

「カリマよ、お前の相手はこの俺だ――」

 カリマとスサノオは睨み合った。カリマの顔が次第に凶悪なものになっていった。

「……なぜお前が、我らの邪魔をする」そう言うや、カリマは刀を振り回しながら、スサノオに飛び掛かっていた。

 

インドの神カーリー

 

 制托迦は山道を走り下った。目を真っ赤にして走り続けた。痛みは感じなかった。ただ、悔しかった。情けなかった。不意に昔の記憶が蘇った。本山で修行に明け暮れていた頃、いくら頑張っても仲間の修行僧たちに追いつけず、何度も何度も悔しい思いをした。そんな時いつも三蔵が一緒にいてくれた。誰よりも高い才を持ちながら、いささかも奢らず、それでいて誰よりも厳しい修行を自分に課していた。そんな三蔵に憧れていた。三蔵のような密教僧になりたいとずっと思っていた。制托迦は思わず叫んでいた。闇の中で必死に叫んでいた。三蔵の名を叫んでいた。

 山道をひた走る制托迦の耳に懐かしい声が聞こえてきた。その声が制托迦の足を速めた。暗闇の先に小さく光るものが見えてきた。その光は次第に大きさを増していった。三蔵だった、三蔵の体が光り輝いていた。制托迦の目にまた涙が溢れてきた。たまらなかった。三蔵、三蔵と叫びながら、制托迦は三蔵の胸に飛び込んでいた。

 三蔵は自分の胸に飛びついてきた制托迦が全身血だらけなのを見ると、すぐに傷口を改め、懐から手ぬぐいをだして、激しく出血している部位を止血した。制托迦はこれまで抑えていたものが外れたようにわんわんと泣いていた。

「馬鹿やろう、一人で無茶しやがって」三蔵は、泣きじゃくる制托迦の背中を優しく擦った。

 しばらくして山頂の方から足音が聞こえてきた。三蔵と制托迦ははっとして暗がりを見つめた。それはスサノオだったが制托迦はその姿を見て声を失った。スサノオは全身血まみれで、とりわけ背中には大きな刀傷があり血がだらりと噴き出していた。

「スサノオ! 大丈夫か」三蔵がスサノオに近寄った。

「――大したことはないと言いたいところだが、ちとかわし損ねた――俺も耄碌したものだ」スサノオが己を嘲笑うかのように言った。

「――とりあえず、今日は寺に戻った方がよさそうだな」三蔵は満身創痍のスサノオと制托迦を見ると小さくつぶやいた。

「ああ、やつらもしばらくは動けぬであろうしな――」

「倒したのか」

「いや、腕を一本噛み切ってやっただけだ」スサノオはそう言ってふふと笑ったが、急に真面目な顔になった。

「――三蔵、やつらは俺たちを敵とみなしたようだ。準備が整えば今度は奴らが青龍寺に攻めかかってくることになるだろう」

 その言葉に三蔵は静かに微笑んだ。

「その方が好都合だ。村の人々に危害を加えられてはたまらんからな」

「だが、やつらの力は尋常ではない。何か手を打たねば、今回ばかりは我らの命も危ういやもしれぬ……」

「その時は、ともに死ぬだけさ」三蔵はそう言って、ふっと笑った。

「――そうか、それもそうだな」スサノオは三蔵の顔を見ると、同じようにふふと笑った。

 制托迦は、自分を救うために大きな怪我を負ったスサノオと、昔といささかも変わらぬあの三蔵が、まるで長年の友のように語り合う姿をじっと見ていたが、その心の中ではある強い決意が固まり始めていた。

 

目次へ

TOP