私の勤務先は70-80%が海外向けの仕事だ。20年以上前に入社したときから、この比率はあまりかわっていない。ずっと、世界市場で直接の競争を生き延びてきた。しかし、仕事のやり方はそれなりに変わってきたと思う。一番の変化は、海外企業との共同プロジェクトが増えたことだ。昔は一社単独で元請けになり、国内や海外のメーカー・工事業者をつかうやり方だった。いまでは半分以上のプロジェクトが、海外のエンジニアリング会社との共同遂行で行われている。
こうなった理由はいろいろある。プロジェクトの規模が大きくなりすぎて、単独で請け負うにはリスクが大きくなりすぎたのも一因だ。プラントの値段はこの10 年間で2倍以上にはね上がり、1案件2000億円以上のジョブが珍しくなくなってしまった。それ以外に、日本人エンジニアのマンアワー単価が高いため、南欧や中進国の比較的安価な会社と組んで価格競争力をねらう、という面もある。 こうした海外企業との共同プロジェクト遂行におけるリスク因子については、今年の初めにプロジェクトマネジメント学会誌に同僚の秋山氏と論文を書いたので、興味のある方は読んでいただきたい。そこで私たちが強調したのは、「文化の差は主要な問題ではない」ということだった。 カルチャー・ギャップが主要な問題でなければ、何が問題なのか。それは、一口で言うと『フォーメーション・デザイン』である。もう少し具体的に言うと、相互の協力関係をいかに契約とスコープ分担に反映させるか、という問題だ。 同一プロジェクトを共同遂行するときに大事なことは、参加する会社が利益共同体の関係になり、同じ方向を向くことだ。全員が同じボートに乗って、利益の浮沈をともにする。そのためには、内部で利益背反がおこらないよう、協力関係の仕組みを最初にうまく設計する必要がある。 共同遂行には一般に、ConsorciumとJoint Ventureの二種類がある。Consorciumは、お互いが別々の財布を持ち、分担を切り分けて遂行する。いわば独立採算制だ。この方式は単純でよいが、残念ながら、プロジェクト遂行の途中で発生した境界線上の問題は、互いに押し付け合いになりがちだ。パートナーが損をしても、自社が得をすればよい--こんな風潮が許されると、プロジェクトは難関を乗り切れなくなる。 そこで生まれたのが、Joint Venture(J/Vと略す)による、profit/loss shareの考え方だ。これは、複数の会社がプロジェクトで共通の財布をもち、得をしても損をしても、お互いにシェアしましょう、という仕組みである。J/V体制の元では、プロジェクトに問題が発生した場合、たとえ原因がどちら側にあるにせよ、それを解決するために協力して動くようになる。皆が一つの方向を向くのである。つまり、真の利益共同体になるのだ。 最初にこのJ/Vによるprofit/loss shareの契約方式を知ったとき、ずいぶん感心した。なるほど、これが欧米流の大人の考え方というものか、と思ったものだ。実際にJ/Vを遂行するとなると、いろいろと方式や思惑など面倒なセットアップがあるのだが、それでも複数の会社を一つの利益共同体にすることのメリットには代え難いと感じる。 ところで、私が生産スケジューリングやサプライチェーン・マネジメントの分野に取組み出してから常々思うのは、この方式を一つの会社の中でも使ってみたらどうか、ということだ。なぜなら、製造業ではしばしば、部門間がちっとも利益共同体として働かないからだ。生産と販売、需要と供給を同期化することがサプライチェーン・マネジメントの根幹である。それなのに、たいていの会社では、この両者は仲が良くない。なぜか? それは、両者が別々のモノサシで、いわば別会計で動いているからだ。そこで、つねに問題の押し付け合いが生じてしまう。 Consorciumと同じだ。 それならば、営業と生産がJoint Ventureと同じように、Profit/Loss shareを取り決めればよいはずである。売価から、仕入れた値段を差し引いた、会社で産み出した付加価値総額を、営業部門と生産部門がシェアする。比率は50:50でもいいし、40:60でもいい。それは社内の取り決めである。営業が高い値段で販売できたら、その利益を工場も甘受する。だから技術部門は客先のニーズや悩み(ペイン)をうまく解決できるような製品機能を工夫する。また、工場が生産性を上げたら、営業も成績がアップする。そこで、営業は無理な割込み注文をとって生産計画や購買手配を混乱させない。そう動ければ、ベターではないか。 いや、そもそも会社というのは、そういう風に動くはずのものではなかったか。それなのに、なぜ営業はシェアと売上高ばかりを追い、工場はサプライヤーに単価低減/短納期の無理難題を押付ける存在になってしまうのか? なぜ、問題を、自分のいるサイロの外側に投げ出すだけでこと足れりとしてしまうのか。 それは、「自分たちは利益共同体である」という基本的な事実を忘れて、部門業績ばかりを追いかけるからである。また、それを促すような、評価基準や成果主義がはびこるからである。これを断ち切るには、一度ためしに、各部門から人を出して、部門横断的な小さなプロジェクトを進めてみると良い。プロジェクトの成果は、参加者全員の成果とする。そうしたら、部門間で経費の押し付け合いをしている暇はなくなる。互いに、相手の立場で考えることができるようになるはずだ。そう。同じボートに乗った仲間ならば、みな運命共同体なのだ。 さて、ここまで考えてみて、気づいたことがある。それは、私たちの地球もまた、運命共同体ではないか、ということだ。それを、目に見えもしない地表の境界線で分断して運営して、本当に皆が満足し納得できるのだろうか。 今年、日本はまた「記録的な気象異常」をあちこちで記録した。それは日本ばかりではなく、今年ばかりでもない。私たちは今、ちっぽけなボートに一緒に乗っていて、その船には何かきなくさい煙が立ちこめはじめている。もう一度言おう。私たちは、同じ船に乗っている。運命共同体なのだ。ならば、世界がひととき活動を休めて平和を願うこの季節に、さまざまな国に住む人々が、分断されずに、同じ目的を目指して生きるにはどうすべきかを、せめて考えたいと願うのである。
by Tomoichi_Sato
| 2007-12-22 23:51
| サプライチェーン
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