み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春はきにけり (藤原良経) エンジニアリング会社で、それなりに長い間、働いてきた。昨日、4月1日は入社式の日だ。自分のときもそうだった。考えてみるとずいぶん昔のことだが、なんだか、ついこの間のようにも感じる。 率直に言うと、同じ会社でこんなに長く働くとは思っていなかった。エンジニアリング会社は受注産業だ。仕事が取れなくなれば、すぐに倒産する。入社したときに、「この会社は3年もつだろうか」と思ったことを記憶している。 長く働く間に、わたしも人並みに「よそに転職しようか」と思わなかった訳ではない。だが、製造業にも建設業にも、コンサルティング会社にもIT企業にも転じなかったのは、やはり「エンジニアリング」という仕事に、それなりにこだわりをもっていたからである。 幸いわたしの選んだ勤務先は、3年以内に倒産することもなく、しぶとく生き延びている。1928年が創業だから、あと6年で創業100周年を迎える計算だ。ずいぶん長寿とも言えよう。 とはいえ、プラント・エンジニアリング業界は、今や大きな曲がり角に来ている。本当に、さらに次の100年を越せるだろうか。 いや、組織の存続は大事だが、それ自体が目的(「パーパス」)ではない。存続自体が会社の自己目的化してはいけない。ただ、『エンジニアリング』という仕事が、次の100年間、どうなるのか・どうなるべきかを考えるのは、頭の体操としてムダではあるまい。わたしは一介の会社員だが、あえて今、もしもエンジニアリング会社をゼロから作るなら、どういう設計をするか思考実験してみよう。 そもそも、現在のエンジニアリング会社とはどういうビジネスなのか? 「エンジニアリング会社とは、工場づくり・プラントづくりのプロフェッショナル集団です」ーー自分の会社を紹介するときに、わたしはよくこういう言い方をする。 ただし、自社では工場を持たないし、建設労働者も抱えていない。工場のための資機材は、すべて外部のメーカーから調達する。建設工事も実際の作業は地域の工事業者に頼み、自社では建設工事管理をやっている。 社内にいるのは純粋に、ホワイトカラー層だけである。オフィスを見学してもらっても、机と椅子が並んでいるのみだ。自社でやる仕事は、主に設計とプロジェクト・マネジメント。これで金を稼いでいる。 設計(Engineering)と、調達(Procurement)・建設(Construction)がメインなので、通称、EPCビジネスとも呼ばれる。でも、実はE・P・Cをつなげる機能として、プロジェクト・マネジメント(PM)がつねに重要な役割をもつ。 ちなみに正確に言うと、作るものは、工場・プラントとは限らない。研究所の建物などもよく作っているし、わたし自身、病院づくりに携わったこともある。鉄道や空港・新交通システムなども、ターゲットの内だ。 これらに共通するのは、ある程度の規模があり、かつ技術的に複雑だと言う点である。それも、機械・電気・土木・建築・化学・制御など、複数領域の技術が関わるような複雑さだ。そうした技術リッチで複雑なものを作りたいときに、エンジニアリング会社が呼ばれる。 裏を返せば、複数領域の幅広いエンジニアを抱えている点が、「総合エンジニアリング」企業の特徴である。ほとんど大学の工学部の全学科が集まっているような感じだ。
今、「総合エンジニアリング会社」という言葉を使ったが、世の中には「エンジニアリング」を標榜する企業は数多い。 実はわたしの義理の弟も、少し前に「エンジニアリング」を名前に含む、小さな会社を立ち上げた(義弟は雑誌「トランジスタ技術」の編集長だったが、その前は電子技術者だった)。仕事の内容は、電子回路の設計、並びに関連する研修セミナーなどのビジネスである。こうした会社を、仮に「専門エンジニアリング企業」と呼ぶことにしよう。電子回路の設計は、もちろん立派なエンジニアリングである。ただ、技術メニューは、電子工学という特化した1つの領域にある。 これに対し、総合エンジニアリング企業は、非常に幅広い技術分野のポートフォリオを持っている。それはもともと、石油・化学プラントが、それだけ様々な技術の組合せを必要とするからだ。 日本には、通称「プラント御三家」と呼ばれる総合エンジニアリング企業が3社ある。千代田化工建設と、東洋エンジニアリングと、わたしの勤務先・日揮だ。この3社とも、プラント・ビジネスを中心にして成長してきた。 もともと、千代田化工建設は三菱石油のプラント工務部門が独立してできた会社であった。また東洋エンジニアリングは、「東洋高圧」という化学会社のプラント工務部門が母体である(東洋高圧はその後、三井系と合併して「三井東圧」となり、現在は「三井化学」に吸収されている)。 工務部門とは、製造業の生産技術部門の一部である。生産技術部門は、製造業において、ものづくりのプロセスや技術を考案し、製造設備や装置を設計し、発注・据付け・工事管理・試運転立ち上げなどを行う部署だ。工務はとくに、製造現場における業務に携わり、様々な発注先や業者のマネジメントなどを行う。 つまり総合エンジニアリング会社とは、製造業の生産技術部門が独立して、他社の仕事も受け入れるようになり、アウトソース先として独立した業態となったものを指すのである。 もちろん千代田化工建設も東洋エンジニアリングも、母体であった三菱系や三井系に限らず、どこの顧客の仕事も受け入れて行っている(しかも、いずれの会社も今や、海外の仕事の比率が8割以上なので、そもそも日本の財閥系などと限ってはいられない)。 3社の中で、日揮だけは少し系譜が異なっている。日揮は設立時の社名を「日本揮発油」と言った。揮発油とはガソリンのことである。もともと創業者は、自動車の増大を見越して、ガソリンを製造販売する会社を作ろうと思い立ったのだ。そのために米国の大手石油会社から、ガソリン製造プラントのライセンス技術を導入した。 ところがその後、いろいろな経緯からガソリン製造プラントを自社で持てないまま、ライセンス技術に従ってプラントを設計し顧客におさめるビジネスになっていった。こうなると名前が実態と合わなくなってきたので、70年代の中頃に略称の「日揮」に社名を変更したのである。 3社とも、戦後の高度成長期に、重化学工業の拡大とともに業容を拡大してきた。その後、オイルショックなどで国内投資が鈍化すると、各社とも生き残りをかけて海外に進出した。もちろんその道のりは平坦でなかったが、幸い各社とも成功して、今では世界的なプレイヤーとなっている。 石油会社や化学会社の生産技術・工務部門が子会社化し、独立したエンジニアリング企業となっているところは、他にも多数ある。ただし、その多くは親会社向けのビジネスに依存しており、他の企業や海外から仕事を受注し自立している会社は、必ずしも多くない。 なお別の系譜で、製鉄メーカーの工務・保全部門がエンジニアリング会社として独立しているケースもある。JFEエンジニアリングや日鉄エンジニアリングがその代表格である。製鉄プラントとプロセスプラントでは、基本となる技術が相当に異なるが、大規模で複雑な点は共通している。 さらに言うと、重工メーカー、造船業、そして大手ゼネコンの一部なども、エンジニアリング・ビジネスを提供しており、上記のエンジニアリング会社と競合する部分もある。
エンジニアリング企業は、多くの場合、二通りのビジネスで収益を得ている。 1つ目は、プラントや生産設備など、ハードウェアを顧客に納品して代金を得るものだ。成果物契約といってもいい。 2つ目は、エンジニアリングをプロフェッショナル・サービスとして顧客に提供するもので、こちらは人件費を主体とした実費償還型契約である。 いずれの場合も、仕事は普通プロジェクト単位になる。プロジェクトとは、時限的・一過性の、ユニーク(個別的)な仕事である。エンジニアリングには、同一品種大量生産がない。これは設計と言う仕事の中身を考えてみればわかるだろう。設計においては、全く同一の図面を繰り返し何枚も作成する事はありえない。作成する図面は、すべて個別であり他とは違っている。工場のように同じ製品をいくつも繰り返し作るビジネスとは、根本的に異なっている。 このためエンジニアリング・ビジネスでは、プロジェクト・マネジメント能力が必須の要素となる。 もともと、わたしがエンジニアリング企業に入ったのは、自分の専門が化学プラントの設計論である化学工学科だったこともあるが、プロジェクトをやりたかったからだ。大学のサークルでやった、イベント的なプロジェクトの成功が、自分の原体験にある。人間が1人でできる事は限られている。だが人と協力できれば、その枠は大きく伸ばすことができる。それがプロジェクトだ。そのことを学んだわたしは、社会でも、プロジェクトに関わりたいと思った。 そしてそれ以来、何十年もの間、ずっとプロジェクトに関わり続けている。プロジェクト・マネジメントをテーマに、学位も取った。 別にプロジェクトを遂行する業種はエンジニアリングに限らないが、その規模と複雑性では、やはり右に出るものは少ないだろう。それくらい難しいが、面白いテーマでもあるのだ。
さて、今、エンジニアリングと言うビジネスを再設計するなら、どんな風な構想を持つべきか。 まず、わたしなら、設計するだけのデザインハウスは作らない。世の中は、「ファブレス企業」やアウトソーシングが大流行りだ。ある種の高付加価値な専門機能に特化して、それ以外の部分は、外部に発注し、安いところに競わせる。それが現代風の経営思想だと言われている。だが、わたしはこのような発想には反対だ。 どんな設計も、完全ではない。これがわたしの長年の実感だ。その不完全な部分は、実装の段階に入って初めて気がつくことが多い。また実装段階の品質が、基本設計の良し悪しに大きく依存するのもしばしば経験することだ。だから、製造や据付工事といった、実装段階の業務から、設計に対するこまめなフィードバックループをきかせることが、設計能力向上の必須の条件だと考えている。 これは英国流の、設計と施工を分離し、設計業者に施工を監視させる発想とは随分異なっている。この裏には、「施工業者性悪説」のような感覚が潜んでいるように思われる。日本でも、頭脳労働を尊び、手を汚す現場の力仕事を蔑視する風潮が、どこかにある。エリート大学出の戦略コンサルタントたちが、しばしば「ファブレス」を賞賛する背景には、こうした感覚もあるのではないか。 それはともかく、エンジニアリングと言う仕事の中核には、インテグレーションの能力がある。ここで言うインテグレーションには、成果物を構成する複数のサブシステム同士をつないだり、異なる技術領域をつないだりすることに加えて、設計・製造・施工・運転の異なるフェーズをつなぐ意味も込めている。 そうした観点から、エンジニアリングを支える一番根底の技術として、「システムズ・エンジニアリング」(Systems Engineering=システム工学) を掲げたい。これからのエンジニアリング企業とは、基本的にすべて、システムズ・エンジニアリング会社たるべきなのである。 なお、ここでいうシステムズ・エンジニアリングとは、航空宇宙産業などの分野の概念で、複雑な機能と構造を持つ人工物を作り上げる仕事を指す。もちろん人工衛星のみならず、プロセス・プラントも「システム」の一種である。決してIT業界のSEの仕事の意味ではないことに留意されたい。 そしてわたしの見解では、このシステムズ・エンジニアリングはまだまだ未完成である。その事は、MITの分厚い教科書の1ページ目を見てがっかりした経験、にはじまる記事でも書いた通りである。だから未来のエンジニアリング企業の重要なミッションは、この未成熟な技術体系を発展整備していくことにある。 なお設計業務それ自体は、今後のデジタル技術の進展とともに、より自動化が進んでいくだろう。自動設計への道は決して平坦ではないし、現在の機械学習を中心としたAIは、まだパターン認識が中心で、設計を自動化するには非力である。だが強化学習と量子コンピューターの組み合わせは、いずれ設計領域を、かなり機械化していくと思われる。 ではそうなったときに、人間に残される仕事は何なのか。それは2つある。設計成果物を評価する価値判断と、リスクへの感覚である。 設計成果物の評価は本質的に多元的であり、設計とは多目的最適化に他ならない。この時、どれを優先しどれを劣後させるのかの判断は、やはり人間に委ねられる。 そして、いかなる設計も完全ではない。設計の入力条件も、不確実性を伴う。環境も、プロジェクトの途中で変化する。そしてプロジェクトは個別性が高く、繰り返し性に乏しい。したがって、この先どのようなリスクが潜んでいるかについての感覚も、経験のある人間の直感に頼ることになる。 リスクはさらに、技術的リスクと遂行上のリスクに分けることができる。技術リスクとは文字通り、技術的理由で設計目的が達せられない可能性である。遂行リスクとは、技術面がOKでも、コストが守れなかったり納期に遅れたりする可能性である。 ところでビジネスの利益とは、ある意味リスクの上手な処し方によって生み出されるというのが、わたしの考え方である(「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」参照のこと)。他社がリスクが高いと感じる業務領域を、自社だけが低リスクで実行できるなら、そこに価値が生まれる。 こう考えると、将来のエンジニアリング産業は、技術リスクに強い企業と、遂行リスクに強い企業に分化している可能性がある。前者を支えるのは、固有技術とシステムズ・エンジニアリング能力である。後者を支えるのはプロジェクト・マネジメント能力である。前者は技術サービス提供型ビジネスを営み、後者はプロジェクト・マネジメントサービスを提供したり、成果物契約によって報酬を得るスタイルになっているであろう。 ただし、誤解しないでいただきたい。後者のようなプロジェクト・マネジメントサービスを提供するためには、優秀なプロジェクト・マネージャーがいるだけでは不十分である。異なる技術機能を受け持つ複数部署が、強調して動きながら、最後に矛盾が噴出しないためには、それぞれの機能を受け持つエンジニアたちが、互いにリスペクトしながら仕事を進める必要がある。 例えば、「ここでこういう設計にしておくと、下流部門がこういう苦労をするかもしれないので、少し余裕を持った設計をしておこう」といった配慮ができることが、プロジェクトでは大事なのである。つまりプロジェクト・マネジメント能力とは、組織全体の能力なのだ。そして、それを支えるのは相互評価と信頼である。 デジタル化が進んだ将来、ギグワーカーを集めて、プラットフォームを経由して、ワークパッケージを発注しつないでいけば、エンジニアを抱えないエンジニアリング会社が成立するかもしれない、といった予測がある。いや、きっと中国あたりでは、すでにそんな企業が出てきているに違いない。だが、わたしがあまりそうした可能性に怯えていないのは、エンジニアリングの根底に、人間同士の相互信頼が必要だと信じているからだ。 それはちょうど、オーケストラのようなものである。オーケストラのパフォーマンスは、指揮者1人で決まるわけではない。全員が一糸乱れなく、協調して動くことができる。このオーケストラの能力がなければ、どんな指揮者も実力を発揮することができない。 日本人技術者は、このような面では、比較的優れた能力を発揮できる。それは日本文化の特徴なのだろう。世界を見渡してみると、日本以外に、イタリア・フランス・スペインなどラテン文化圏に、プロジェクト・マネジメント能力の卓越したエンジニアリング企業が存在しているが、これも文化的なものなのかもしれない。欧米企業は卓越した設計能力を持っているが、協調して動くと言う面は、いささか薄いと感じられる。 このような協調性の高い組織を、文化を超えて運営するには、どのような制度設計と評価制度をとるべきかも、重要で興味深い問題だ。だが、ずいぶん長くなってしまったので、これについては省略しよう。 将来、いわゆる化石燃料型のプラント需要が衰退していても、高度なインテグレーションを要する技術的な仕組みを構築する仕事は、相変わらず残るだろう。システムズ・エンジニアリングも現在より、はるかに発展しているはずである。そこでの収益向上やビジネスのあり方は、現在とは随分違っているかもしれない。だがエンジニアリングという仕事は100年後も残っているだろう。また、残していかなければならない。そのために、何ができるだろうか。 桜咲く遊歩道の新入社員たちを見ながら、わたしはまだ、考え続けている。 <関連エントリ> (2022-02-19)
by Tomoichi_Sato
| 2022-04-02 17:41
| ビジネス
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