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頭の良いおバカさんたち

歌を歌いながら、頭の中で数を数えられますか? --誰かにそう聞かれたら、あなたはなんと答えるだろうか。

ノーベル賞物理学者のファインマンは、これができたという。なかなか面白い資質だ。そう思いながら、ためしに自分もトライしてみたら、一応不器用ながらもできることに気がついた。だからといって、私がファインマンなみに頭が良いわけではない。第一、私は高等数学が苦手だ。

その理由はなぜかというと、頭の中での代入操作が下手だからだ。頭の中にひとつの記号を保持しておいて、それを別の記号で連続して置き換えていくような『演繹』的操作ができない。数式の展開や、複雑なプロットのミステリーはとまどうばかり。囲碁将棋などでは「3手先を読む」こともできないので、人に勝てたためしがない。私が好きなのは、『帰納』的に情報を集約することで、「それは要するにこうでしょ?」と乱暴な断定をして、人をあきれさせるのが得意技である。

ついでにいうと、私は年々歳々、記憶力の減衰を実感している。とくに、短期記憶が弱い。意味のない記号列や、単語だけの記憶力が弱いので、ひどいときには同僚宛の電話の伝言を受けて、受話器を置いた瞬間に相手の名前を忘れていたりする。“なんて頭がわるいんだ”と自分でもあきれる。聞いている最中に紙にメモしないと、頭に残らないのだ。

世界史の年号暗記なども学生時代からひどく不得意である。そもそも、理解しないものごとを暗記することができないのだ。ただし、長期の記憶、それもエピソードや五感や情動に裏打ちされた記憶は、それなりに頭の中に残る。

だが、そもそも「頭が良い」とは、どのようなことを意味しているのだろうか? 心理学者のC・G・ユングは人間の心理的な類型を、『思考型』『感情型』『直感型』『感覚型』の4種類に大別した。どうやらここに大きなヒントがあるようだ。元のドイツ語と日本語の訳語(漢語)の対応が良くないので、わかりにくいが、思考型の人間は言語的な論理性を中心に演繹的にものを考える傾向があり、直感型は非言語的なパターン認識能力によって帰納的にものを判断するのが得意であるらしい。私は明らかに直感型に属するようだ。つまり、思いつき型、である。これは私の家族も同僚も苦笑しながら同意してくれると思う。

私のような直感型の人間にとって、筆記試験のための勉強とは、暗記でも論理性のトレーニングでもない。「出題者はこの種の問題でどいういう答えを求めているのか?」を推測するための、パターンの検出こそが試験勉強なのだった。出題者は受験者の論理能力とか、記憶力とかを、たぶん測るつもりでいるのだろう。しかし、私は、他人のモノサシを検出する能力を磨くことで、試験をくぐり抜けてきた。

日本では、記憶力の良い人、勉強がよくできる人を指して、「頭が良い」と評することが多い。しかし、こうしてみると、頭のよしあしの方向というものは、いろいろあるのだ。それはちょうど、身体能力といっても、いろいろあるようなものだ。目が良い、足が速い、動作が俊敏である、力が強い・・頭が良いという性質は、こうしたことと同列のことでしかない。

かつて狩猟と採集の時代には、目が良いことや足が速いことは、とても生存に有利だったにちがいない。農耕の時代には、力が強いことが大事だったはずだ。手工業の職人の時代なら、手先が器用である、とか。どの能力が幅を利かせるかは、その時代の生活様式によって決まる。

ポスト工業時代の現代は、「頭の良い」人たちがいろいろと幅を利かせる時代である。試験勉強がお上手で、良い大学を出て高学歴を誇る人たちは、自分たちが赤の他人に命令する天賦の権利を持つ、ひとかどの人間であると考えちがいをするらしい。そして、若くしてキャリア職やマネージャー職について、采配を振るうことになる。お勉強上手の人たちは、「わかる」ことと「知る」ことの違いを気にかけない。そんなことに煩わされていたら、よくわかりもしない事象について、本社から末端現場に指示を出せなくなってしまう。

“日本を代表する自動車の2大メーカーのうち、片方の企業は一時、まったく東大出の人間を採用しなかった。もう一方の企業は、東大出をどんどん採用し続けた。その結果はどうだ。会社としての実力は完全に差がついてしまったではないか”--そんな話を昔、父親から聞いた記憶がある。真偽のほどは定かではない。しかし、後者の企業はプレゼン上手な人が出世する、というような噂を聞くと、さもありなん、と思ってしまう。

お勉強上手なだけの「頭の良い」人達の話を、あまり鵜呑みにしない方がいいと思う。自分の頭のよさを証明するために生きているような人が多いから、自分のロジックに酔う。狭いスコープの中で自分の論理性をひけらかすのに忙しくて、マクロな視点から問題を捉えることを怠る。モノサシを疑えないのだ。

大事なことは、賢くなることだ。私はこの言葉を、頭が良い、とは別の、人格を含めた意味で使っている。両者は、無関係の属性だ。大した教育は受けていなくても賢い人は賢い。頭が良くておバカな人も多い。頭のいい人は与えられた問題を解く。しかし、賢い人はより適切な問題を提示する

私は、少しは賢くなりたいと思う。そして、こいつが難しいのだ。頭の良さは、大学で学べば少しは磨かれる。しかし賢さは大学では学べない。そもそも、教えたり教えられたりできることではないのだから。
by Tomoichi_Sato | 2010-09-08 22:54 | 考えるヒント | Comments(0)
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