金辰吉氏と言えば、ソニー中村研究所専務、ソニー・グローバル生産革新部門長を歴任されたのち、独立して、現在は㈱ワークセルコンサルティング代表取締役を務められる著名な論客である。また、'90年代における日本企業復活の原動力となった『セル生産方式』の命名者としても、よく知られている。その金氏が、先日の日本経営工学会春季大会で「日本メーカの生き残る途」と題した特別講演をされ、とても興味深い内容だったので、ここにその聞き書きを記しておきたい。
金氏とは以前、経営工学会の特別委員会で何度か同席させていただいたこともあるが、きわめて率直かつユーモアあふれる物言いをされる方だという印象がある。むろん、ここに記すことは私自身が聴衆として書きとったメモの内容であって、金氏の本来の発表原稿や主張と差違があるとしたら、その責は私にある。 金氏の講演は、何枚かの新聞の切り抜きから始まった。まずは直近の経済新聞から、「日本の電機業界大手8社の利益の合計は、(なんと)ヤマダ電機1社の合計よりも低い」という事実の紹介である。8社には無論、ソニーやパナソニックや東芝やNECなどが含まれている。日本の電機業界トップが韓国のサムソン電子に利益額で追い抜かれた云々が、世間では「大問題」として議論されているが、とんでもない。日本の流通業1社にさえ、束になっても追いつかないのだ。この事実は電気電子製品分野における、メーカー(供給側)とチェーン店(販売側)の力関係の逆転を、象徴している。 ついで金氏は、もっと目立たない、小さな産業紙の記事をあげる。中国上海ちかくの、ある電子製品工場で、この1年間に何人もの若い女子社員が自殺しているという記事である。その会社は台湾資本の会社で、EMS(受託製造)業をビジネスとしている。ソニーやAppleなどの製品を、受託して作っている企業である。“若い女子社員”というのは、つまり農村から出稼ぎに来た低賃金の「女工」のことだ。その彼女らが、なぜか職場で追い詰められて、次々に命を落としている。この背後には、何があるのか? そして3番目の記事は、ソニーに関する外電だ。欧州スロバキアのニトラにある工場を、ソニーがEMS業者に売却したというニュースである。そのニトラ工場とは、ソニーが欧州における製造拠点とすべく計画し、他ならぬ金氏が自ら立ち上げに関与した、巨大工場であった。その工場を、建設してわずか3年後に、受託製造業者に売却したのだ。 電機業界には、「スマイルカーブ」という不思議な概念、ないし信念がある。製品の企画→設計→製造→販売→サービス、という一連の流れを横軸にとって、それが生み出す利益を縦軸に取ると、両側が高くて、真ん中の「製造」が一番低くなるカーブを描く、という(下に凸のカーブを、笑っている口の形になぞらえて『スマイルカーブ』と呼ぶのだ)。製造は一番儲からない。だから外部に委託する--そういう論理だか迷信だかにしたがって、日米のセットメーカーは我先に、EMSに工場を売却してきた。 ところで--と金氏は聴衆に問う--スロバキアの工場の売却先は、例の台湾のEMS業者だが、現地で働いている労働者は、無論スロバキア人ばかりだ。まさか全員を中国人に入れ替えるわけにはいかない。そのスロバキア人はソニーが現地で雇った人たちだ。では、EMS業者は、その工場で、どうやって利益を出そうというのか? 皆さんは、どう思われます? 金氏は会場を見回してから言う。仕入れの部品代も物流費も急に変わるわけがない。ならば、スロバキア人たちの給料を下げるしかないはずでしょう? それが行き着く先は、例の上海の工場の記事が暗示しているのかもしれない。いや、それはもうすでに、日本で起こっているのだ。12年連続、年間3万人の自殺者が出ている国。その中でも多いのが、東北3県だ(金氏は東北出身)。 我々の時代は、2008年に大きな節目を超えたのではないか、と金氏は言う。電気自動車や太陽電池が急速に脚光を浴びて、『化石燃料大量消費時代』はいつか終わりになると、皆が感じ始めた。また、アメリカ型のマネジメント思想を『グローバル・スタンダード』だと皆に押しつける時代も、リーマン・ショックとともに終演に近づいている。 日本国内を、『グローバル・スタンダード』的思想で塗りつぶそうとした張本人の一人として、金氏は経済学者・中谷巌氏の名前を挙げる。中谷教授はいわゆる構造改革路線のブレーンでもあったが、'99年にはソニーの社外取締役にも就任している。そして、そのころからソニー社内は、妙な新自由主義がはびこる組織になっていった、という。(中谷氏は最近、以前の自分の考えは間違っていたと認める著書を出している)。 金氏の言う『グローバル・スタンダード』的な思想とは、“お金さえ儲かればそれで良い”とする思想である。それは、昔の日本人が持っていた商道徳の感覚、すなわち“ご先祖様が見ている”という無言の感覚とは無縁のものである。ご先祖様とは、会社で言えば創立者だ。そして、ソニーの創立者の理念とは、 「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達にして愉快なる理想工場の建設」 ではなかったか。では、その理念を守っている企業はどこにあるのか。女工が次々と飛び降りる工場は、別の会社だから無関係なのか。 金氏は早稲田大学の工業経営学の出身である。研究室の研究テーマは、IE=Industrial Engineeringだった。具体的には、工場の生産性と人間性をともに高める方策の探求だ。IEは米国のテイラーが「科学的管理法」という著書で確立してからちょうど今年で100年になる。そのテイラーの管理法はフォードに応用されて20世紀の大量生産型工場の技術的基盤になるのだが、一つだけテイラーが失敗したことがある。それは、出来高給による労働者の意欲アップだった。 「人の意欲はお金では買えない」--これは、近代の経営学や経営工学が数々の実験を通して発見してきた事実である。お金というのは、生き延びるための必要事項だが、それだけで人をより高いところまで動かせるものではない。マズローの欲求5段階説を持ち出すまでもなく、人には「尊重されたい」「自己実現したい」という、高次の欲求がある。これを満たす労働環境でなければ、本当の意欲は続かないのだ。 労働者の人間性を活かす一つの基準として、工業経営学が提起したのは、「作業時間内に、自由に休憩できる」という、単純な指標だった。これが満たされないと、仕事の能率は有意に下がる。だが、100人の労働者からなるベルトコンベヤー・ラインでは、一人が抜けても、システム全体のパフォーマンスに影響するのだ。では、どうしたら良いのか? そこで出てくるのが、「セル生産方式」なのである。比較的小さな自己完結的工程からなるこの方式について、ここでは詳しく述べないが、少なくともセル生産には働く者の自由度がある。自分で休みたいときに休み、また働きたいときに働いても、自分の成果が変わるだけで、他のセルには何の影響もあたえない。自由度とフレキシビリティ--これがセル生産方式のメリットだと、普通は喧伝される。 だが、セル生産方式で一番重要なことは、働いている労働者の人間性を少しでも尊重できる点にあるのだ。これが金氏の最大の論点である。労働者を、単なる「コスト」として、取り替えのきく「部品」として見るのではなく、一個の人間として遇すること。人間性の向上と生産性の向上がともに目標であること。これが日本メーカの生き残る途ではないかというのである。 現在、日本にいる5400万人の就業人口のうち、約1/3は非正規従業員である、と言われる。非正規従業員は、同じ工場で同じように働きながら、食堂でも休憩所でも、社員とは口をきかないことが多い。それが、私たちの社会の現状なのである。ここに、まともな「意欲」が存在するだろうか。それが日本社会のあるべき姿だろうか。人を人として遇することが、当たり前になる日を目指しつつ、金氏は今日もセル生産方式とカイゼンを説いて回っているのである。
by Tomoichi_Sato
| 2010-05-23 21:04
| ビジネス
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Comments(6)
こんにちわ。はじめてお邪魔させて頂きました。
金さんの事を検索していて、この記事に辿り着きました。私は某精密機器メーカーで「デジタル屋台」なる一人一台完結セル生産システムをプロジェクトリーダーとして構築しましたが(日本経営工学会の文献賞を頂戴したのは嬉しかったです)、その当時に金さんと知り合い、何度かお酒を酌み交わしたりしています。 金さんのお話し、興味深いですねぇ… 私も金さんと同じようにメーカーを辞め独立し一人でコンサルティングをしていますが、日本のモノづくり現場はまだまだ「濡れた雑巾」があちこちに落ちています。日本人の技術力、真面目な性格を活かした「明るく楽しい現場改善」で、まだまだモノづくり企業は競争力を高められると信じています。 金さんが頑張っておられるように、私も頑張らねば!
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Tomoichi_Sato at 2011-04-04 22:23
コメントありがとうございます。わたしも関さんとは名刺交換させていただいたことがありますよ! 独立されたんですね。応援しております。また機会がありましたらお話を伺いたいです。
はい、私もちゃんとお名刺を保管してあります! 昨年3月に独立したのですが、まだまだ苦戦しております。
今週から大学でのSCM講義が始まります。昨年に引き続いての15回の講義ですが、きちんとアップデートして臨みます。今年の学生はどんな雰囲気か楽しみです。 それでは、今後とも情報交換をよろしくお願い致します。
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at 2011-09-03 12:18
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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Tomoichi_Sato at 2011-09-03 23:28
ありがとうございます。コラムが掲載されましたら、またご連絡させて頂きます!
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