※この記事は、11月15日 【内容起こし】IWJ百人百話 第6話 紋波幸太郎さん【その②】の続きです。
また、
8月20日【内容起こし】岩上安身×飯田哲也×岩井俊二×松田美由紀 in 小田原ウィーク【その①】、
11月13日 【内容起こし】野呂美加さんお話会「チェルノブイリからフクシマヘ」【その①】にも関連しています。
【動画】
11月15日 百人百話 第七話 鹿目久美さん
http://www.ustream.tv/recorded/18534936 (78:07)
【以下、お時間のない方のために内容を起こしています。ご参考まで】
2011年8月25日収録
福島と神奈川との行き来をする自分だからわかること。
~子供は子供らしく生活をさせてあげたい~
※このインタビューは、「8.20-8.26 メモリアルウィークin小田原~記憶にとどめる夏・記憶に残る夏休み」で撮影されました。
Q.お名前とお住まいは?
鹿目久美といいます。今は大玉村のほうに住んでるんですけど、夏休みだけ夏休み避難という形で、相模原の実家のほうに今来ています。
Q.神奈川の相模原ご出身ですか?
相模原で生まれ育っています。
Q.福島へはいつごろいらしたんですか?
結婚した時ですので、2005年に福島のほうに来ました。
最初は郡山に住んでたんですが、3年前に家を建てるということで、大玉村に引っ越しをしました。
Q.大玉村ってどこらへんにあるんでしょう?
二本松市と本宮市のちょうど間なんですけども、ちょうど安達太良山のふもとあたりになります。
Q.お仕事は?
主人は普通の会社員です。私は専業主婦です。
Q.ご主人はご実家はそちら?
主人は郡山市出身です。
やっぱり震災があって、原発の事故があって以来、娘は5歳なんですけど、外で遊ばせることはほとんどないです。外に出るときも、やっぱり空間には飛んでないとは言われているんですが、心配なのでマスクもしっかりさせて、外出はなるべく控えてる感じで、週末はやっぱり線量の低いところに行って、外で遊ばせたりとか、あと、今幼稚園に通わせてるんですが、月に1回くらいは1週間くらい休ませて、実家の方に来てリフレッシュさせたりするような状態です。
Q.3.11の震災はどのような状況で遭われたのですか?
3月11日は、娘がまだ幼稚園に通っていなかったので、子育てサークルに参加をして、そこのお母さん方とほかの子育てサロンとかに行って遊んで、帰り道。ちょうど車の中で地震に遭いました。
幸いなことに、私は警察署の前で、ちょうど信号待ちをしてるときに揺れ始めたんですね。
で、その頃は、震度3、震度4の地震が頻繁に起きていたので、既にです。地震の朝に、震度4並が2回くらいあったんです。2,3日前とかもっと1週間単位で震度4は、ざらにあったので、同じように車の中で地震に遭ったことは何度もあったので、
「あ、また止まってれば収まるだろう」
と思ってたんです。
そしたら、どんどん大きくなっていって、
「あ、これは」
ってぱっと横を見ると、電信柱があったので、
「これは怖い」
と思って、もう本当に電信柱のないところに移動して、車を。
Q.電柱が折れる、ということですか?
そうですね。本当に私が今、思い出すと、世界が全部こういうふうに波打って揺れてるように感じたので、ちょっとだけ移動して、そこに止めて、娘は後部座席にいたんですけど、「前に来なさい」って言って、娘を抱きかかえて、ずっと収まるのを待ってたんですけど、本当にもう、「本当にいつ止まるんだろう?」っていうくらい長くて、また車の中でトランポリンに乗ってるような状態に感じました。
ちょうど警察署の前だったので、警察署の中から事務の方とか皆飛び出してきて、私と娘が抱き合ってるのを見て、遠くから皆さん、
「大丈夫よ!大丈夫よ!」
ってすごく励ましをしてくれたので、まだ私は救われてたかなと思うんですけど。
それで、地震が一度、大きな地震が収まって、警察署の方たちも駆け寄ってきてくれて、
「これからきっと大きな余震もたくさんあるから、休んでいきなさい」
って言ってくださったんですが、その時は主人は夜勤で家で寝てるのが判っていたので、車でほんの5分の距離だったので、
「主人も心配なので、一回帰ってみます」
って言って帰ったんですけど。
まだその時に、不思議なことに、すっごい吹雪に遭ったんです。地震が起きて移動してる時に、もう途中で電気も消えて、信号ももう、全部消えちゃった状態なんですが、ゆっくりゆっくり家に向かってる途中に、もう吹雪になって、前が見えないくらいの吹雪になって。
あとからほかのお母さん方に話を聞いても、あの吹雪を見た時に、
「もう日本が、っていうか世界が終るんじゃないか?」
っていうくらい、本当に異様な雰囲気だったんですね。
それで、家に帰り着いて、主人はもう、やっぱ寝てたんですけど飛び起きて、もう・・・、まず考えたことが、テレビが倒れそうだったので、テレビを押さえてたっていうんですね?まぁ、とりあえず無事で落ち着いて、でも、その時はもう余震がまたずっと続いていて、しかも1時間、ずっと揺れっぱなしでした。
私たち、大きい地震は車の中だったので、まだなんか怖さ・・・、異様な感じはしたんですけど、怖さは家の中に居るよりは、車の中に居た時の方が怖くなかったですね。
家に入ったら、今度はもう家がギシギシなる中、娘と二人でテーブルの下でずっと抱き合いながら、余震が収まるのを待ってたんですけど、ほんと、時計を見ていたら、1時間ずーっと、揺れっぱなしでしたね。
それからいつ止まるともわからない状態で、このまま永遠に止まらないんじゃないかと思うくらいの酷い余震でした。
Q.お怪我はなかった?
怪我は、もう幸い、あの、私の住んでる場所は地盤が強いらしく、郡山市とか白河市とかは、瓦が落ちたりとか塀が倒れたりとかいうところがたくさんあったんですが、私の住んでる村は、比較的被害が、そういう被害も少なく道が陥没してるとことかもあまりなかったですね。
Q.通信が途絶えたりしましたが、あなたのところはどうでしたか?
通信は、えーっと、携帯の方はもう全く夜は通じない状態で、途中からネットとかを使えたので、ミクシィを使ったりだとかツイッターだとかを使って、知り合いには連絡したりとかして、それを伝手にうちの母親とかに連絡をしてくれた従妹とかもいて、その日の夜には、うちの母親は、私たちが無事だということは、知れたので、良かったと思います。
Q.直接的に電話で連絡は取れなかったけれど、間接的にソーシャルメディアを使って連絡をとって、口づてで伝えてもらったと?
そうでしたね。はい。
とりあえず直接電話はつながらなかったので、ミクシィのほうに私の従妹が登録をしていたので、そちらを使って従妹が無事だというのを家の母親のほうに伝えてくれました。
Q.他の情報を得る手段はどんなものでしたか?
私は新聞をうちは取っていなかったのと、あと、電気は停電をしていたので、ちょうど幸い1週間くらい前にラジオを購入していたので、その日の夜からはずっとラジオをつけっぱなしでしたね。それも福島の地元のラジオをずっと聞いて、情報を得るような形をしてました。
Q.ツイッターやミクシィなどが役立ったようですが、いつごろからどのように使っていたんですか?
えーっと、ミクシィの方は娘が生まれたころに始めまして、今娘が5歳なので、お腹にいるころからなので、多分6年前くらいからはじめて、自分の友達に近況報告をするような形で利用をしていました。
やっぱり身近な人との登録ばかりだったので、親戚とか本当に身近な友達と連絡をするっていう形で使っていました。
ツイッターの方は、やっぱり友達から誘われたので登録だけはしていたのですが、震災前はほとんど使っていない状態で、震災が起きてから、情報を得る手段として、活用するようになった感じです。
Q.どういう情報を得る手段として活用していたのでしょうか?
やっぱりあの当時は、まずはガソリンがとにかく手に入らないのが、一番避難するにしろ何するにしろ困ったので、ガソリンの情報、ガソリンスタンドの情報を得たりだとか、あとはどの地区でどんな被害が起きてるのかとか、やっぱり同じ福島県内でも全然連絡取れない友達もいたので、そういうので取り合ったりとかして、困ってるところには、うちは水は出たので、水を運んだりとか、そういうことをしてました。
Q.地震・津波・原発事故が起こり、インフラも寸断され、情報も不十分だった福島で、どのようにそれらの状況を知ることができるようになりましたか?
実際に、正確な情報を得たのは、本当に後です。
えーっと、震災が起きてすぐのころは、もう何も判らない状態で、手探りでとりあえずこれからどうしていったらいいんだろう?っていうのが、まず始めでした。
本当にテレビも無かったので、まず津波の映像がすごかったっていうのを聞きましたけど、津波の映像を初めて見た記憶があるのが、1週間くらい後です。
地震の被害も、自分たちが福島市側が被害がちょっと多くて、友達が居たので、福島市に友達のところに水を運ぶ上で、皆さんがポリタンクを持って移動したりとか、道が陥没してるのを肌で感じたのが、地震の被害としては最初で、原発のことは、爆発、最初の爆発、2回目の爆発くらいまで何もしらない状態でした。私は。
14日の昼の爆発・・・も、その時点では知りませんでした。
テレビがついたのも12日の夜にはテレビはついていたんですが、テレビからの情報っていうのは、何でしょう・・・、全国的なもので、地元の情報っていうのは全く得られなかったので、ほとんどテレビは付けずに、ラジオが頼りだったんです。やっぱり身近な情報を知りたいってことで、ほとんどテレビをつけてて、テレビで映像を見ていたっていう記憶が、私には少なくて、15日に急に福島市でバッと線量が上がった時にニュースになって、初めて、そんな何回も爆発があったんだっていうのを初めてそこで知って・・・
(岩上氏:ラジオを聞いていても、ラジオでは原発の話は伝えてなかった?)
そうですね。私大体一日中つけてた記憶があるんですけども、爆発をしたっていうのをあまり聞いたっていう記憶がないんですよ。
車で移動もしてたことも多かったんですけど、車の中でもラジオをつけていたんですけど、そういう情報を、私耳にした記憶がありません。
Q.ネットでは既に膨大な量の情報が流れていたが、ネットで積極的に情報を検索などはしなかった?
はい。
えーっと、きっとネットとかをやっぱり調べれば、いろんな情報が得られたとは思うんですけど、まずその時は、当面の生活が、まずメインでした。
食料どうしよう。
水をどうしよう。
ガソリンをどうしよう。
それが先で、積極的に原発とか地震とかそういう情報を得ようっていう余裕がまだ、その時には生まれませんでしたね。
とりあえず、開いてるお店の情報とか、やっぱりガソリンスタンドがどこが開くとか、それしか多分利用してなかったと思います。
原発の情報は、うーん・・・。
14日の記憶っていうのが、まず私は娘と二人でガソリンを手に入れたくて、近くのサービスエリアで中に入れる場所があって、そこで携行缶を持っていけばガソリンを入れてくれるという情報をうちの主人が仕入れてきて、主人はそのときは会社に行っていたので、二人でガソリンを買いにいったんですね。
ちょうどそれが、3号機が爆発したくらいの時間で、その時に2時間くらい並んで、ガソリンを入れに行きました。その時に、帰ってきたら喉が痛くなり、咳がでて、顔が日焼けをしたようにヒリヒリヒリヒリ痛かったんです。その時は娘と二人、同じ症状で、
「なんだろうね?日焼けかな?咳かな?」
って言ってたんです。
「まぁ2時間も外に立ってたし、天気も良かったし」
ってそういう感覚だったんですね。
その日は、全く原発のことは全然意識はしてませんでした。
次の日15日、主人が実家のほうの瓦が落ちたっていうんで、手伝いに行って帰ってくる途中で、
「なんか原発の、昨日の事故で、急に線量が午後上がり始めた」
ってどこかのお店に入った時に放送してて、「なるべく外に出ないように」って。
「そういうことがあったので、店を閉めます」
って放送があった、それで、そういうことを言いながら家に帰ってきたんですね。
その時に、
「そういえばテレビでなんとなく、原発が爆発したって言ってたね」
っていう話になって、その日はでも、不思議と朝から外に出ていなくて、
「もしかしたら、大変なことになってるの?」
ってなって、それから多分テレビとかラジオとかでいろいろ言い始めたので、私ももしかしたら危ないんじゃないかと思って、情報を得るようになったんですが、本当にその前は、意識の中に残ってないんです。原発の爆発のことは。
その娘と二人で顔がヒリヒリしたり咳が出たのも、その時はまず、その放射能の影響だっていう、そういう知識すらないし、そういうこと、思いつくこともありませんでした。
それからいろんな情報を得て、
「あれはもしかしたら放射能の影響で、確実に私たちは被曝したんだ」
って自覚をしたのは、もう1か月とか経ってから・・・ですね。
「もしかしたら、あの時放射能の影響だったんだ」
っていう本当に自分で自覚したのは、もう本当に3月の終わりとか4月くらいになって、いろんな情報が流れ始めてから・・・、「もしかしたら・・・」って思ったのが始めです。
それで、ラジオでは、そうですね、爆発して、福島市が20マイクロシーベルト以上になった時に、その頃から放射能に詳しい人とかいって、いろんな話を聞くっていう、どなたがお話してたか・・・、ちょっと私も記憶にないんですが、やっぱり
『現時点では、直ちに身体には影響が無い数値だ』
っていうのをひたすら繰り返して言ってたのが・・・。
Q.講演ですか?テレビですか?
ラジオです。ラジオで、確か、福島FMとか、あと、ラジオ福島とかを中心に聞いてたんですけど、確か、どっかの新聞社の・・・、名前が、トガサワさんとかトガサキさん(斗ケ沢秀俊氏だと思われます)とかそんな人が、まぁ長年放射能の関係とかも詳しい人だっていう触れ込みで、電話取材に毎回答えてはいたんですが、
『現在の数値は、直ちには身体には影響はない』
っていうのを繰り返し言ってたのは、すごく記憶にあります。
Q.どこ新聞の…?
えーっと、どこ新聞・・・。それがちょっと今私の記憶がないんですが、その人が何回も出て、話をしてたのは記憶にあります。
Q.今考えると無責任の塊ですよね?
そうです。
その時はでも、何か情報を得たいっていう気持ちがあって、放射能の影響っていうのは、私は勉強不足で知らなかったものですから、その、『安全だ』っていう言葉にすがりたかったっていうのが一番です。
なので、そういう言葉を信じ・・・、半分信じて、半分疑いながらいたので、私は18日に主人の仕事もしばらく滞りそうなので、相模原の実家に避難することを決めて移動したんですが、その間はやっぱり、何が真実かっていうのがすごく判らずに、そのラジオのつたない情報だけを一生懸命聞いて、
「今大丈夫なら、居てもいいのかな?」
って思いながらも、家からは一歩も出ず・・・。
まぁとりあえずその頃は、多分テレビでも頻繁にやってて、屋内退避の場所とか指定されてたので、自分たちも不安だったので、本当に屋内退避と同じような対処をしてましたね。
やっぱり、うーん。
自分の判らない未知なるものだったので、放射能というものが。
で、あの時は数値ばかりが出ていて、その数値の意味さえも全く分からない状態だったので、
「じゃあこのくらいの数値なら、そんなに心配、身体には影響がなくて、心配することはないんだ」
って、あの時点では、すごく安心はしました。
でも、今考えると、やっぱり自分がいろんな知識を得た中で、そういうデマというか、確実ではない情報を、その・・・、不特定多数の人間に広めたということは、本当に許しがたいことであって、もっと、何か違う方法は無かったのか?っていうのは、すごくありますね。
もし、避難とかいう方法がとれないんだとしたら、もっと、危険を訴えるようなことも・・・できただろうし、その、なんでしょう。出ているその数値の意味をきちんと伝えるべきだったり、『個々がきちんと判断できるような材料っていうのを何も出してくれなかった』っていうのは、私は、今、考えると、やっぱり憤りを感じます。
とにかく、『その数値がどういう意味か?』っていうの、未だに多分福島の中の人も判らない人もたくさんいますので、そういう・・・、なんでしょう。そこで暮らす人たち、日本で、これからどんどん汚染が広がっていく中で、個々に判断していかなきゃいけないことって、すごく増えていくはずなので、その判断材料っていうのをきちんと、そういう公の場で話す人たちは、伝えるべきなんじゃないかと、私はすごく思います。
Q.政府・官房長官などが「直ちに健康に影響はない」と事故直後から繰り返していたのはご存知でしたか?
それは知ってます。はい。
えーっと、国がそうやって『直ちに影響がない』というのを頻繁に言ってましたけど、そのやっぱり『直ちに』っていうのが、一番ひっかかりましたね。
やっぱり母親として、うーん、なんとなくこう、そういう野生のカンみたいなものが働いたのか、その『直ちに』っていうのが引っ掛かっていたので、それを鵜呑みにすることは、私は一度もありませんでした。
なので、その後いろんなことを勉強して、自分なりの知識を得たんですが・・・。
福島県の中の人たちは、それを素直に信じて、それを・・・、「大したことはないんだから大丈夫だ」っていう気持ちになった人もたくさんいるので、それは本当に許しがたいことだと思います。
Q.周囲には、そういった症状のようなものを訴える方はいらっしゃいましたか?
えーっと、放射能の影響ではないかと考えられる症状といえば、やっぱり自分の娘のこと、まずは娘のことなんですが、えーっと、まずは鼻血ですね。はい。
前から鼻血は、まぁのぼせた時とかは出すことはあったんですが、本当に幼稚園でも、ダラダラ垂れるくらいの鼻血が出たとか、家でも何度も寝てる時に、本当に布団を汚すくらいの鼻血を出したりとか、あとですね、うちの娘は、本当に1年に2回くらい熱を出せばいい方で、すごく健康だったんですが、震災以来、この夏休みになるまでに、4度ほど9℃以上の熱を出してます。
その中でも、風邪の症状がない熱っていうのが2回ほどあって、鼻水を垂らしたりとか、咳が出るならば、風邪だと思うんですが、そういう症状が全くなく、熱が9℃以上でるので、それがすごく心配でした。
Q.鼻血は最初いつごろ出たんですか?
鼻血は、最初4月くらいに入ってからだと思うんですが、回数としてはそんなに多くはない、私の記憶では、それでも4,5回はあるんですけど、その出方っていうのが、前は「あ、鼻血出た」っていっても、ポタポタくらいなんですけど、本当にティッシュに塊がつくことがあったので、それはすごく心配で、なかなか止まらなかったりとかするのがすごく心配でしたね。
周りにもやっぱり、幼稚園で
「今日あの子が鼻血出したよ」
とか、うちの娘が帰ってくると話をするので、やっぱり鼻血を出す子が多いんだなっていうのと、やっぱり私が仲良くしてるママ友さんの子供たちも、やっぱり「頻繁に鼻血を出すので心配だ」っていうお母さんは、もう聞くだけでも5,6人は居まして、その熱の話なんですけど、今思い出したんですが、娘が3度目くらいに高い熱を出したのが、幼稚園の遠足の後だったんですね。
幼稚園の遠足は、今年はしないっていう話だったんですが、なんかユニセフの方で、福島の子供を楽しい思いをさせてあげたいっていうので、援助がでて、それを利用して福島の幼稚園とかは遠足に連れていったりとかするような活動があったんですけど、そこで選ばれたのが、うちの幼稚園では那須だったんですね。
その頃、那須がホットスポットだってわからなかったので、那須を選らんだと思うのですが、私は那須が線量が高いことは知っていたので、ちょっと危惧していて、行かせるのはどうしようと思っていたんですけども、やっぱり幼稚園の行事なので行かせてあげたかったし、たった2時間くらいの滞在なので、「まぁいいか」と思ってたんですね。
そしたら、まず行ってる途中で熱を出した子が1人居ました。
それで、うちの娘も帰ってきて、熱を出しました。
後日ほかの幼稚園のお母さんに話をしたら、2,3人熱を出したって子が居まして、放射能のせいだとは考えたくはないんですが、やっぱりそういう場所に行って、普段福島ではマスクをしたり皆気をつけてますけど、「那須は大丈夫だろう」っていってマスクをさせた人は一人もいなかったし、普通に走り回ったり、緑が多いところだったので、草を触ったり皆したりはしたと思うんです。
その後にそれだけの人数・・・、私が知っているだけでそれだけの人数が熱を出したっていうので、私はちょっとやっぱり放射能の影響もあるのかな?ってちょっと考えたりもしてしまいましたね。
Q.何人中何人くらいが?
10人くらいでお話してるときに、その中で3,4人は居たので、相当の確率だとは思いますね。はい。
あとは、すごい気になったのは、皮膚疾患のことなんです。
うちの娘、とびひとかには、やっぱり蚊に刺されて掻いたりはしますけど、とびひとかには今までなったことないんですけど、初めてとびひになって、「あら?」って思ったときに、私の一番仲良い友達の子供も、ちょうどとびひになってっていう話をして、こちら茅ヶ崎に私の仲良い友達がいるんですけど、その人と話しても、
「うちの子も今年初めてとびひになった」
って言うんです。
だから、今までそういう話が、やっぱお母さん同士だと、
「今日こんな病気になっちゃったんだよ、こんな症状があったのよ」
って話、すごくするんですけど、本当に震災後に
「何とかになっちゃったのよ」
って言ったら、
「うちも。うちも」
っていう人がすごく多くて、私の実家に帰った時も、アトピーの子が近所にいるんですけど、
「最近アトピーの症状がすごく酷くなったんだ」
っていうのも、すごく聞くし、やっぱり、従妹の子供でも、
「毎日鼻血を出してる子がいて、すごく心配なんだ」
っていうのも聞いていますね。
Q.具体的に何人の幼稚園の中でどのくらいの割合だったのでしょうか?
幼稚園のおたよりで、感染症とかそういうのを、
「今月はこのくらいの人数の子が感染症にかかりました。」
幼稚園とか小学校とかトータルで、通知をだしたりするんですけど、幼稚園は100名くらいいるんですけど、溶連菌っていって冬に流行る感染症の熱を出した子が、確か6月くらいの時点で、えーっと、何人だろう?10人から20人くらいは、それに感染して熱を出したっていうのは見ました。
あとインフルエンザが5月から6月にかけてすごく増えて、それも10人くらいは確かいたと思いますね。
ちょっと詳しいのは、おたよりでは来てたんですが、はっきりした人数はちょっとわからないんですけど、二けたの単位でいたのは確かに見ました。
まずインフルエンザは冬に流行る、その溶連菌っていうのも、私、今年になって初めてその「多い」って聞いてから、初めて聞いた病名だったので、確実に今年は増えてると思います。
合計、そうですね。
インフルエンザが10名以上、溶連菌が確か20名以上は居たので、30名とかくらいは居たはずです。はい。
Q.110人中30人…。それ以外の疾患で休んだ子の数もわかりますか?
それ以外もいろいろ上がっていたんですが、私ちょっと記憶にはっきりないんですけれども、その感染症みたいなのが、やっぱり増えてるなっていう感じはしました。
放射能の影響で窓を閉め切ってる影響だったりとか、やっぱり外で遊ばせないことで体力の低下とか、免疫力の低下があるんじゃないかなと私は思うんですが・・・。
Q.放射能そのものが免疫力を低下させると言われていますが、そうはお考えではない?
えー、それも考えました。やっぱりその免疫力も放射能の影響の一つに、免疫力の低下というのを聞いたこともあるので、自分の娘を生まれてからずっと見ている中で、やっぱり免疫力の低下で熱を出したりとか、鼻血やそういう皮膚疾患って特にそうだと思うので、そういうのが影響してるんじゃないかと私は思います。
やっぱり、周りのお子さんや自分の子供の体力の低下や、体調不良を見ていまして、私もとても危機感を感じたし、いろんな、私もそれを機にいろんなことを勉強して、少しでも放射能の少ない場所に行けば、身体がリフレッシュして、また免疫力が高まってくるって言う話もいろいろ聞こえてきていたので、私は私なりに勉強をして、幼稚園のお母さんとか、サークルの子育てサークルのお友達たちの中で、勉強会とかをして、皆で話をしたら、その後はやっぱり、土日は山形のほうに行くなり、宮城とかもっと低いところに行くなりして、子供を外遊びさせてリフレッシュさせたりとか、本当に今回は夏休みだけでも、北海道とか西のほうとかに避難して、なるべく身体の中の放射能を排出するような形で、活動をするお母さんたちが増えましたね。
【その②】に続きます。
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記者の目:福島第1原発の放射性物質漏出=斗ケ沢秀俊
毎日新聞社 2011年3月18日
◇冷静に事態を見守ろう
16日、ラジオ福島の電話インタビューに応じた。福島支局長と東京本社科学環境部長を務めた縁で依頼された。私は「皆さんが今受けている放射線量は健康に全く影響しません。安心してください」と断言した。「安心しました」というメールやファクスがたくさん寄せられ、ラジオ福島は何回も再放送したという。人々が放射線の影響をどれほど心配しているのか、改めて痛感した。原子力開発史上前例のない重大な事態であることは言うまでもないが、東京を「脱出」する人もいると聞くにつけ、私たちに必要なことは事態を冷静に見守ることだと思う。
◇特殊な数値で不安高まる
不安が高まったのは15日午前、枝野幸男官房長官が「東京電力福島第1原発3号機周辺で、1時間当たり400ミリシーベルトの放射線量が測定された。これは健康に影響を及ぼす可能性がある数値」と発表した時からだ。この放射線量だと、1時間そこにいた場合、白血球の一時的減少などの症状が出る可能性がある。
これは3号機の損傷箇所のがれき付近で測定されたとみられる特殊な数値で、同じ敷地内でも第1原発正門の放射線量は同10ミリシーベルト程度だったことが後に分かったが、「400ミリシーベルト」の数値と、健康への影響に言及した枝野長官の姿が繰り返し放映された。
さらに同日夕、東京都内で原発から飛来した放射性物質が検出されたことが明らかになり、人々の不安は募った。
実際に、健康影響はあるのか。放射線を人体が受ける「被ばく」には、外部被ばくと内部被ばくがある。外部被ばくは放射線を直接受けることであり、内部被ばくは放射性物質を含む空気を吸い込んだり食品を摂取することによって生じる。当面、問題となるのは、身体が直接受ける外部被ばくだ。
外部被ばくは2通り考えられる。
(1)直接、原発から放出される放射線による被ばく
(2)原発から放出された放射性物質が各地に降り、これが放射線を出しているために起こる被ばく--の二つだ。放射線量は「距離の2乗に反比例する」という法則があり、避難範囲である周囲20キロの外側では、(1)の原発からの放射線は無視できる線量になる。
◇現時点では健康に影響ない
各地で測定されている放射線量のほとんどは、(2)の飛来した放射性物質に由来している。福島県のモニタリングで測定された17日夕までの最高線量は最大でも30マイクロシーベルト(マイクロはミリの1000分の1の単位)以下で、多くは2~5マイクロシーベルト。胸部エックス線CTを1回受ける被ばく量が約6900マイクロシーベルト。仮に30マイクロシーベルトが続いたとしても、230時間にわたって外にいてCT1回と同程度という計算になる。
新聞やテレビの報道で、必ず出てくる言葉がある。「ただちに健康に影響するレベルではない」。この表現は科学的には正しい。私は知人に問われた。「ただちに影響しないということは、後で影響するかもしれないということでしょう」。実際には、合計の被ばく量が100ミリシーベルト以下では、将来がんになる確率が高まることはないとされる。
いま必要なのは「科学的に正確な情報」よりも「的確な情報」であり、現在の放射線量であれば、「健康に影響がない」と言い切ってよい。
燃料棒の水面上への露出などにより、放出される放射性物質がもっと増えるなど、事態が深刻化した場合は被ばく量が増える。そうなったら、その時点で避難すべきかどうかを判断しても間に合う。
もう一つの不安は「チェルノブイリ原発事故のようになるのか」ということだ。チェルノブイリ事故では、運転中に核分裂が制御できなくなり、出力が急上昇して、大爆発、大火災が発生した。膨大な量の放射性物質が上空に達し、世界全体に降り注いだ。
福島第1原発は1~3号機は地震直後に自動停止して、制御棒が挿入された。4号機は定期点検中だった。いずれも、今は核分裂反応が起こっていない。「チェルノブイリとは全く状況が異なる」というのは、多くの専門家の共通認識だ。
考えられる最悪の事態は、圧力容器、格納容器内の圧力が高まって損傷し、内部の放射性物質が外部に出ることだが、その場合でも大爆発には至らず、放射性物質の大半は敷地周辺にとどまるだろう。放射線量はかなり高くなるが、それでも「距離の2乗に反比例」するから、20キロ以上離れた地域の住民が致死量に達する放射線を受けることは考えられない。まして、一部の人々が言う「首都圏壊滅」はありえない。
ラジオ福島でこうした話をした後、福島市の男性がツイッターで「ほんと安心してゆっくりご飯を食べました。久しぶりに味のするご飯でした」と書いていた。被災者にとって的確な情報がいかに必要かを物語っている。
現場では東電や協力会社の社員、自衛隊、警察関係者らが懸命に放水作業などをしている。冷静に事態を見守ろう。私は現場の努力が実を結び、事態が打開されることを切に願っている
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20110318k0000m070147000c.html
※リンク切れしています。
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最終的に判断するのは各自かもしれませんが、いい情報ばかりだけでなく、悪い情報もオープンにして判断出来るだけの情報をTV・ラジオ・ネット等メディアを通じて発信していかなければいけないと思います。 このブログがそういった情報の発信源にこれからもなっていくようがんばって下さい。
>>ししまるぢさん
コメントありがとうございます。
本当に政府、行政、東電、メディアがやったことというのは、あまりにも酷かったと思います。
震災当時のパニックを差し引いても、メディアはただの政府・東電の広報となり、必要な解説をするなどはほとんど皆無でした。無用な被曝を生んだ意味で、確実に人災だと思っています。
二度とこんなこと、繰り返さないよう、国民全員が当事者として、できることを・・・
失礼します。