ショート・ストーリーのKUNI[263]湖の彼方から
── ヤマシタクニコ ──

投稿:  著者:



なんて美しい風景だろう。
湖面はきらきらと輝き、かすかに吹く風が心地よい。
私たちはバルコニーのチェアに横たわっている。
私は彼の腕にそっと指を沿わせてささやいた。
「本当によかった。あなたと出会えて」
「僕もそう思ってるよ、よう子」
「最初からこうだと良かったのに。でも、最初がどんなだったか、もう覚えていない。気がついたらあなたがいて。私の人生はあなたと出会った時から始まったような気がする」
「なら、それでいい」
「そうね」
「ふたりで生きるようになってもう28年。かな」
まるでそこに「始まり」があるように、彼は遠い湖面のはるか彼方に視線を向けた。耳の後ろあたりに白髪が多い。出会った時はまだ30代で髪は黒かったし、肌はつやつやと引き締まっていた。今でも筋肉質の体にさほどの衰えはみえないし、同年代の男に比べたら若々しいほうだろう。この体、この男は自分のものだ。その思いは長く私の支えとなってきた。
「私と一緒に暮らしてきたこと、後悔していない?」
「するわけないだろ。君は妻であり、よき友人であり恋人であり、仕事仲間であり…あと、なんだっけ」
彼は笑い出し、私も笑った。
それからいろんなことを思い出す。
まったく退屈という言葉と縁のない人生だった。出会ったとき、彼は妻子ある身だったが、私のためにすべてを捨てて、新しい生活を選んでくれた。最初から、波乱含みのスタートだった。
私たちは雑居ビルの一室を借り、小さな事務所を開いた。私はそれまでのキャリアを生かして編集の仕事を、彼はフリーのカメラマンだが、時には私と共同で仕事をした。やりたい仕事だけしようね、と決めたから収入はかつかつだったけど不満はなかった。二人とも贅沢なものを身につけたり高価な店で食事をすることにもともと興味もなかった。

埋もれた詩人の作品をまとめ、詳しい年譜を添え、全5巻の詩集を出版したこともあった。売れないのは承知の上だった。表紙は私がデザインした。本文のところどころに彼が撮った写真を配した。
美しい野の花の写真集も作った。世の中の人々が「雑草」と切り捨てている小さな草花の写真集。図鑑ではない、ただ美しいだけの写真集。それも売れなかったけど。
二人で手がけ、完成させた仕事の歴史はそのまま二人の歩みだ。苦労も多かったが報われることも多かった。仕事を通して自分が成長できている実感もあった。
ああ、そうだ。彼の写真集を作ろうと思っていたのに、まだだった。私自身の作品集も。まあいいか。





              *

俺は患者と向かい合っていた。田崎よう子という末期がんの患者だ。今からひと月前のことだ。
「もう一度確認させていただきますが、前回のカウンセリングから気が変わったりしていませんか」
「はい」
患者はきっぱりと答える。俺は書類を取り出そうとして、思わず周りを見回す。警戒しすぎることはない。これは俺と患者だけの秘密だ。俺は表向きはあくまでも田崎よう子の主治医でしかない。

             *

不意に彼が聞く。
「ねえ…本当に子どもはほしくなかったのかい?」
「別にほしくなかった。あなたは?」
「僕も。よう子がいるだけで十分だと思ってた」
「よかった。私、実は子どもが大嫌いなの」
「そうなんだ?」
「絶対産みたくないの。ほんとよ、ほんとにほしくなかったの。今も」
私がついむきになったので、彼は笑う。
「わかったよ、わかった」
微笑みながら私の顔をのぞきこむ。その顔が急にぐらぐらっと揺れてゆがみ、また元に戻る。私は驚いて彼の腕をぎゅっとつかむ。
「ああ、大丈夫だ。気にしないで」
彼が言う。その声はここではない別の場所から降ってくるようだ。
「きっと…一種のバグのようなものだ」
バグ? 彼は何を言ってるのだろう?

             *

俺は書類を取り出した。俺と友人たちがひそかに開発を進めていたプラン、「LBDプラン」を適用することへの同意書だ。LBDとは「Last」と「Best」と「Dream」の頭文字を組み合わせたものだ。人生の最期は「最後の(Last)」「最良の(Best)」「夢(Dream)」を見ながら、というわけだ。
死に直面したとき、かなりの割合の人が思うだろう。自分の人生はこんなはずじゃなかったと。やり直せるものならやり直したい、と。もちろん、そんなことは不可能だ。だが、自分の人生はこうであるべきだったという強い思いがあるなら、そしてそれを脳内で実現できたらどうだろう。脳内で思い通りの人生を生きなおすことができれば。それはこの上なく幸福な死であったと言えないだろうか。

             *

「私たち、何でも言い合ってきたわね。自分を殺して思っていることを口に出さずしまいこんでしまう。そんなことはしなかった。少なくとも私は。あなたは聞き上手だったし」
「そんなことあたりまえだろ?」
「世間では必ずしもそうじゃないのよ」
「不幸な人が多いんだな」
「あなたの優しさに甘えて私は時々言い過ぎたかも」
「それは僕のほうだ。でも君と議論するのは楽しかった」
ああ、たちまち、たくさんの思い出がよみがえってくる。自由とは。愛とは。詩とは。文学とは。おたがいを敬うとは。生きるとは。人生でほんとうに大切なものは。グラスを片手に何時間でも語りあった日々。なんと実り多い時間だったことか。おたがいの魂を解き放った会話のない人生など考えられないと思う。自分は恵まれていた。少なくともこうして思い出しているだけで楽しくてしかたない。
「あなたでよかった。ほんとに」
空が揺れた。薄い雲の隙間から紫色の光が差しこみ、震え、そして消えた。また、バグ? それとも私の体のせいだろうか? 

             *

■LBDプランについての説明
1. LBDプランにより患者はあたかも別の人生を生きてきたように感じることができます。一方で、高確率で脳内の記憶を破壊する可能性があります。言い換えると、患者はそれまでに生きてきた実人生の記憶と引き換えに架空の人生の記憶を得ることができます。
2. 上記のような特性により、このプランは終末期と確定された患者にのみ適用することが推奨されます。
3. どのような「最後の最良の夢」をみるかという「ストーリー」については、患者の希望を最大限取り入れることができます。
■同意書
私は、LBDプランが現在のところ医療的見地からは意義を認められていないこと、また、開発途上につき時折バグが発生する可能性について理解しており、その上でこのプランの適用に同意するものです。

俺が差し出した書類に目を通し、田崎よう子は迷うことなく署名した。

             *

「よう子、だいじょうぶかい?」
少しめまいがして私は顔をしかめたが、たいしたことはない。
「だいじょうぶよ。気分は良好よ。でも、そろそろかもしれない」
「そうなのか」
「約束通り、私の手をずっと握っていてくれる?」
「ああ」
「うれしい」
彼が私の手をぎゅっと握る。

             *

廊下が騒がしい。田崎よう子の家族がやってきたようだ。今朝、容態が急激に悪化したとの報を受けてやってきたのだ。ドアがばたんと開けられる。
「お母さん!」
よちよち歩きの子どもを連れた女が病室に入る。娘の亜弥だ。患者の家族構成や関係性についてはくわしく聞かされており、理解している。
亜弥はベッドに近づき「お母さん、わかる? わかる?」と声をかける。もちろん、田崎よう子にはわからない。家族には鎮静剤で眠らせてある、とだけ言ってある。亜弥は母親の体を揺すぶり、泣き出す。つられて子どもも泣き出す。
少し遅れて無愛想な若い男がやってくる。息子の昌平だ。部屋に入ってきたものの手持ち無沙汰気に突っ立っている。誰にも聞こえない程度に「ちっ」とつぶやく。田崎よう子には子どもが二人いるのだ。
さらに遅れて、ぶよぶよと太った男が入ってくる。夫の光一だ。妻の横たわるベッドに近づき、立ちつくす。ため息をつく。光一の考えていることはたぶん、こんなところだろう。

 まいったなあ。
 まだしばらく持つかと思ったのに。
 これから誰が私の世話をしてくれるんだ。
 結婚以来28年間働きにも出ず──まあどうせ特にやりたいこともなかったようだし、大した技術もなかったはずだが──私や子どもの世話だけに徹してくれていたし、安心していたのに。計算が狂ったじゃないか。

すべて俺にはどうでもいいことだ。墓場まで持っていく記憶。もしそんなものがあるとしたら、田崎よう子の場合、そこにはここにいる家族は含まれていない。最初から存在していなかったも同然だ。そしてその選択をしたのは田崎よう子自身だ。どうでもいい。医者である俺は患者の意志をできる限り尊重するだけだ。

             *

突然、湖面の彼方からアパートほどもある大きな白い鳥がやってくる。翼をいっぱいに広げ、そこに風をはらみ、うっとりするようなやりかたで動かす。みるみる近づいて、バルコニーの前に降り立つと、背を差し出す。
私たちはゆっくりと、鳥の背に乗る。私の手は彼の手の中にある。やがて大きな鳥は私たちを乗せ、羽ばたき始める。私たちは上昇する。まばゆい光の差す方向に。

             *  *  *

「お母さん!」
病室に亜弥のひときわ大きな叫び声が響き渡った。医者ははっとした。田崎よう子が一瞬目を見開き、その顔が恐ろしげにに歪んだからだ。
そのとき、田崎よう子の脳内で壮大なバグが起きたこと、空が大音響とともに火の色に割れ、地が揺らぎ、白い鳥がにわかに失速して泡立つ湖面に真っ逆さまに落ちていったことを誰も知らなかった。


【ヤマシタクニコ】
[email protected]
http://koo-yamashita.main.jp/wp/


レイドバトルがあっても、ジムのまわりは誰もいないし、さびしいなあ。といったことを何回か前のあとがきに書いた。しばらくぶりに再開したポケモンgoはそんな気分であまり積極的ではなかったのだけど、先日、たまたま駅前のジムのレイドバトル開始時刻直前にちょうど居合わせることができた。

それで、一応参加したのだが、なんと、実際にはあたりに誰もいないのに蓋を開けてみたら20人ものトレーナーが! みんなリモート参加なんだ!(いまごろわかったのかって言われそうだけど)なんだかうれしくなって胸がじーんとしてしまった。みんな、いたんや…。また会えたよ…。といっても、知らん人ばっかりやけど。

しかも、居並ぶトレーナーを見れば、ほとんどが最高レベルである「40」。やっぱりね。リリースから4年も経ってるし。
アバターもみんなおしゃれでポーズもさまざま。私はいまだにレベル37だし、ポケコインをアバターのウェアやポーズの有料アイテムに費やすほど「金持ち」じゃないので、なんだか見劣りするんだよね…。早くレベル40になりたいし、アバターにおしゃれさせたい!