海浜通信[010]海の向こうについて
── 池田芳弘 ──

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海が好き、ただそれだけの理由で、大阪市内から和歌山の漁港に移住した。

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ある日バイクの整備をしていると、東北訛りのお婆さんに浜へと降りる道を尋ねられた。親しい人がこの近くの沖で亡くなり、花を手向けに来たという。年配者の足でも5分ほどで到着する距離のため、私は道順を教えて整備を続けた。

しかしその晩、私は悔やんだ。ホテル脇の石段を降りられただろうか。波打ち際で足元を濡らさなかっただろうか。バス停から歩いたとなると、私に出会うまで10分以上はかかっているだろうし、喉は渇いていなかったか。帰りのバスも一時間に一本しかないのに、さぞかし心細かったのでは。

なぜ亡くなった方の墓に参らなかったのか、それとも墓がないか、参ることの叶わない関係なのか。





私の父は、死んだら海に撒いてくれと言っていた。もちろんその望みは叶えられず、祖母によって先祖代々の墓に葬られた。いずれ長男である私もそこへ入
るだろう。

しかし、すべての人が墓に葬られるわけではないのだ。十代の頃に読んだ本に「地先の島」のことが書かれていて、それは江ノ島のように岬から突き出た島は、古来から亡骸を葬る場所であったということ。

外洋を航海する船の場合や、戦争でも水葬のシーンは描かれているし、和歌山市の空襲で亡くなった方たちは、美しい片男波(かたおなみ)に流されたとも聞いた。

私は保守的な人間だと思うので、現在のオブジェと化した墓石を見ると、既に弔う意味は崩壊しているように感じる。

故人の趣味嗜好を現した墓石など、現世への執着に他ならず、かえって極楽往生を妨げるのではと思うが、それは高野山に散見する武将や実業家の墓にも通ずる、生臭さの終着点なのか。

それなら雑念から遥か彼方にある、清らかな大海原に葬られる方が人の気持ちに沿うように思える。父がいつから死を意識したかわからないけれど、確実なのは私が父の年を越えたことが、自分自身の最果てに思いを巡らす時期に差し掛かったきっかけだろう。


【Ikeda Yoshihiro】
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