私症説[86]ならず者の世界
── 永吉克之 ──

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今でこそ、電車内における携帯電話での通話は《マナー違反》として、世間一般に認知されているが、まだ20世紀、携帯電話が世間に浸透し始めた頃は、そんなマナー意識はなく、電車内でもあちこちで通話している乗客がいたのを覚えている。

かくいう私も、何の抵抗もなく車内で携帯を使っていたクチであるが、そのうちに、それは公衆マナーに反すると主張する人たちが現れて、え、ほんまに? そんなに気になるもんなん? ぼくは何とも思わへんけどなぁ、と意外に感じた記憶がある。

そばに相手もいないのに、なにやら独りでしゃべって独りで笑っている光景は、当時としては奇異な印象を与えただろう。とはいえ、同窓会帰りのオバさんたちや、忘年会帰りの酒臭いオっさんたちの傍若無人なダベりに比べれば、携帯電話での会話なんて奥床しいもんやないか、と思ったものだ。

しかし世間の認識が変われば、そのなかで呼吸をしている個人の認識も変わる。私も自然と、車内で通話をしている人間を見て、底知れぬ憎悪を感じることができるまでになったのだった。

なぜ、かつては何ら痛痒を感じなかった他人の行動に、不快感を抱くようになったのか。世間という清濁混じり合った大河のなかで流されるままになっていることで安心を得ていた私には、およそ考え及ばぬことだった。




不快に感じるようになったのは、車内での通話はマナー違反ですよ、という認識が広がってからのことだろう。

のべつ幕なしにしゃべり続けるとか、大声で話すとかいうのでない限り、他人の会話そのものは不快ではないはずだ。車内での通話はマナー違反、という常識が浸透しているにもかかわらず、悪びれもせずに通話をしている《ならず者》から聞こえてくる会話だから不快になるのである。

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もうひとつ、私がマナー違反だと長い間気づかなかった他人の行動に、電車内や食事の席での女性の化粧がある。これにも眉を顰める人たちがけっこういて、Yahoo!でググってみると、不躾な行為であるという意見が多い。

ところが私は、女性がどこで化粧をしようが気にならない。何が他人の眉を顰めさせているのかわからない。同性から見ると、見苦しいものを見せつけられているから、というのが気に食わない主な理由らしい。

私は仕事の性格上、食事に当てる時間がなくて、コンビニで買った握り飯やサンドイッチを移動中の電車のなかで食べなければならないことがある。時計を気にしながら、握り飯の包装をばりばり破って貪り食い、ペットボトルのお茶を喉をぐびぐび鳴らして飲むわけだが、果たして、化粧をするのとどちらが見苦しいだろうか。

Googleでヤフってみたら、車内での飲食については寛容な意見が多数を占めている。食欲に男女の壁はない。くさやの干物やシュールストレミングを食べるわけではないのだから。お腹が空いたのなら仕方がないわね、おむすびじゃ怒れないわね、いいわ、ゆるしてあ・げ・る。ということだろう。

化粧も、家を出る前にする時間がなかったから、やむなく車内という衆人環視のなかでしているのだろう。私が車内で握り飯を食べるのと同じ論理だ。私は男だから女心の機微団子はよくわからないが、女性にとって化粧とは、腹を満たすのと同じか、それ以上に大切なものなのかもしれない。

……いやいやダメだ。電車内での化粧は厳禁にすべきだ。車内での化粧は《見苦しい》という意見が多数を占めているっぽいからだ。多数っぽい意見には従わなければならない。でないと各人が身勝手な判断で、すでに周知されたっぽい公衆マナーを骨抜きにしかねないっぽいからだ。

だから今はぜんぜん気にならないが、これからは、車内で化粧をしているならず者を見たら不快になるように努めようと思う。

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職場や公共の場での、気に障る他人の行為をGoogleでググってみると、わんさと出てくる。

タバコのポイ捨てや唾吐きといった悪名高いものを始めとして、電車の乗り降りの時に入り口付近に立って動かない、道端に坐り込む、口を塞がずに咳やくしゃみをする、食事の時にくちゃくちゃと噛む音を立てる、車内が空いているのに優先席に座っている、知り合いなのに挨拶をしない、歩きスマホ、パソコンのキーボードでENTERキーをいちいちカーンと打ち鳴らす……などなど。

上に挙げたなかで、私は歩きスマホについては不快を感じない。しかし、“歩きながらの携帯電話の操作は危険ですのでおやめください”と、駅構内で、しょっちゅうアナウンスしているところを見ると、歩きスマホもマナー違反なのだろうから、今後は私も、歩きスマホをしている輩を見たら不快感を抱くことができるように粉骨砕身する所存である。

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さまざまな行為のマナー違反化の流れのなかで私が危惧するのは、男性のヒゲまでが、その対象になるのではないかということである。

私は現在、ヒゲ禁止という狭量な職場にいるので我慢しているが、二十代半ばから五十代始めにかけての約三十年間、鼻の下にヒゲを蓄えていたのだ。だから隠居したら、大好きなヒゲをこれ見よがしにボーボーに伸ばすつもりでいる。ただ現状から推測すると、死ぬ直前まで働き続けなければ生活ができそうにないので、隠居もできそうにない。

男性のヒゲが嫌いな女性のまあ多いこと。検索してみると、ヒゲに対する印象はすこぶる悪い。三大紙のうち私が購読している一紙に、ヒゲが嫌いでたまらない、という女性の悩み相談が載っていたが、それほど嫌われているのだ。そのいちばんの理由が、不潔な感じがするから、らしい。

たしかに銀行やデパートなど、従業員の身だしなみに気を遣う職種でヒゲを禁止している企業は多い。それ以外にも、テレビのアナウンサーや、警備員、駅員などがヒゲを蓄えているのを見た記憶がない。

不潔な感じというのは、イヤフォンから漏れる音などと違って、生理的な嫌悪感を催させる。同じく生理的に不快な、くちゃくちゃと音を立てて食べることがテーブルマナーに反しているのなら、汚らしいヒゲをぶら下げてテーブルに着くのもマナー違反になる可能性がある。

毎日シャンプー&リンスを欠かさず手入れをしているヒゲでも、不潔と感じられたら、それはもうアウトである。セクハラするつもりがなくても、女性がセクハラだと感じたらそれがセクハラになるのと同じ理屈だ。

もしヒゲがマナー違反になったら、電車に乗れず、飲食店にも入ることができない。公共の場にいることまでマナー違反になったら、ヒゲはもう自宅で密かに栽培するしかないではないか。

いいでしょう。ヒゲもマナー違反にしてもらって結構。ただ、女性の前では、という条件つきで。女性のいない場所ではボーボーに生やしていいということなら、それで手を打ちましょう。

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ヒゲへの抵抗感には性染色体が関係している。男性がXY型、女性がXX型。つまり女性にはY染色体がないため、男性のY素(Yは、ヒゲを意味するインドネシア語"Jenggot"の頭文字)が理解できないのである。

したがって、女性がY染色体をインストールすればいいのだ。そしてXをひと削除すれば、XY型になる。すると、男性がヒゲを好む気持ちがわかるようになるばかりでなく、自分にもヒゲが生えてくるし、ノドボトケまで出てくる。そうなれば男女の相互理解が進むことになるではないか。

インストールは簡単だ。岐阜波布という地下組織があって、そこに依頼すると、まず携帯電話にY染色体が密かにインストールされる。するとそれが、Wi-Fi接続によって、細胞に埋め込まれる。XY型の女性誕生。男と女をつなぐ架け橋の人柱として生き埋めになってもらいたい。

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ある統計によると、女性の七割は男のハゲが嫌いだそうだ。ヒゲがないスッキリした顔の方がいいなんて言っておいて、頭がスッキリしていると今度は嫌いになる。

それでいて、もし恋人に胸毛があったら脱毛してもらうと言う。伸び放題の鼻毛もダメらしい。まったく女とはむちゃくちゃなクリーチャーだ。やはり、XY型以外の女性と理解し合うのは不可能である。

ヒゲ事情・パリと日本
http://toyokeizai.net/articles/-/147731?page=2



【ながよしかつゆき/文逆者】[email protected]

平成二十八年最後の月ですね。『私症説』もちょうど86回。二十八と86、どちらも7では割り切れないという、特殊な性質をもった数字です。そこで、この希有のタイミングを利用して、しばらく休載させてもらうことに決めました。

というのは、月一の掲載というペースにすらついていけなくなってしまったからです。今回のコラムも構想から完成までに5年という歳月を費やしてしまいました。無名ライターの分際で、そんな黒澤映画のようなペースで書くなんて許されることではありません。

とはいえ、しばしのお休みですから、またお目にかかることもあるでしょう。いやもうすでに『私症説』の次のシリーズ『爆笑コメディ! オラもうダメだぁ〜!』の構想を練っているところだという話はまだ聞いていません。

このテキストは、ブログにもほぼ同時掲載しています。
・ブログ『無名藝人』
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