小学2年生のとき、テレビで見た航空自衛隊のアクロバットチーム『ブルーインパルス』の演技に感動し、さらに同級生の黒沢くん(仮名)がどこぞの航空祭に連れて行ってもらったらしく、やたら自慢話を聞かされたことも影響して「いつかは見に行きたいなあ」と思っていたのだった。
当時、親に連れていって欲しい旨伝えたところ、航空祭が開催される入間というところは地の果てであり、電車の本数も非常に少なく、一度行ったら帰って来れないと教えられたので諦めた。
実のところ、実家のあるO宮と入間とはかなり近いのだが、私は親の言うことをわりと鵜呑みにするタチだったので「同じ県なのにそこまでタイヘンだなんて、入間ってところは陸の孤島なんだな」てなことを思っていたのだ。今思えば、私の住んでいた場所も似たような環境だったのだが、巧みな政策により『O宮は、実質的には東京23区内』と考える風潮が我が家にはあった。
余談だが、私の伯父が世田谷に2億円の豪邸を建てた際、母は「いくら東京とはいえ、あんな狸の出るような田舎に家建ててもねえ...くっくっく」と小馬鹿にしたように笑っていたことを思い出す。そんなこともあり、子供の私にとって世田谷とは、青梅の先の山の中にある荒んだ土地という思い込みがあったのだ。後年、渋谷の隣と知ったときはたまげたね。
さて、その後の私は毎年11月3日の文化の日になると、実家の屋根から空を眺めることが多くなった。天気のいい青空を見上げていると、普段聞き慣れない轟音とともに、編隊を組んだブルーインパルスがちょうど頭上を横切り、入間方面に飛んで行くのを見ることができた。かっこいい!
当時、親に連れていって欲しい旨伝えたところ、航空祭が開催される入間というところは地の果てであり、電車の本数も非常に少なく、一度行ったら帰って来れないと教えられたので諦めた。
実のところ、実家のあるO宮と入間とはかなり近いのだが、私は親の言うことをわりと鵜呑みにするタチだったので「同じ県なのにそこまでタイヘンだなんて、入間ってところは陸の孤島なんだな」てなことを思っていたのだ。今思えば、私の住んでいた場所も似たような環境だったのだが、巧みな政策により『O宮は、実質的には東京23区内』と考える風潮が我が家にはあった。
余談だが、私の伯父が世田谷に2億円の豪邸を建てた際、母は「いくら東京とはいえ、あんな狸の出るような田舎に家建ててもねえ...くっくっく」と小馬鹿にしたように笑っていたことを思い出す。そんなこともあり、子供の私にとって世田谷とは、青梅の先の山の中にある荒んだ土地という思い込みがあったのだ。後年、渋谷の隣と知ったときはたまげたね。
さて、その後の私は毎年11月3日の文化の日になると、実家の屋根から空を眺めることが多くなった。天気のいい青空を見上げていると、普段聞き慣れない轟音とともに、編隊を組んだブルーインパルスがちょうど頭上を横切り、入間方面に飛んで行くのを見ることができた。かっこいい!
この頃からずっと思ってることなのだが、私は戦争が嫌いだ。戦争をすれば儲かったり借金がチャラになったりするらしいが、ヒトを殺してまでそうなりたいとは思わない。そもそも人が人と殺し合うなんて、言語道断である。
しかし、そのための道具である兵器〜戦闘機や戦車など〜を見てどう思うかといえば「かっこいい!」なのです。こればっかりは本当にそう思うんだから仕方がない。大は空母やイージス艦、小はナイフや銃弾にいたるまで、いずれも目的のために研ぎすまされた機能美を感じてしまうのだ。
戦争のための道具の美しさを賛美するというのも、倫理的観点からどうなのか?などとずいぶん悩みつづけたものだが、かっこいいものはしょうがないよ、だってかっこいいんだもん。という結論に至りました。要は使わなきゃいいんです。使わないための意思と、この国に暮らすことの意味を考えつつ、素直に戦闘機の機能美を愛でよう。幸いブルーインパルスは、戦闘機じゃなくてジェット練習機だしな。と、ちょっと言い訳もしたりする。
そういえば高校生になった頃、一度入間へ行こうとしたことがあったのだが、「そんなのはモテないからやめた方がいいよ」と小林くん(仮名)から忠告された。言われてみれば、極端な趣味に没頭する男よりも、無趣味な奴の方が圧倒的に(一般的な女に)モテる。小林くん(仮名)のひと言が当時の私にかなり重くのしかかり、結局そのときは行くのをやめた。ちなみに小林君はその後銀行員になった。
月日は流れ、私もこの秋バカボンのパパと同い年になったのだ。すると、極親しい間柄の年上の女性Aさん(年齢非公開)から「ああ、なんだかこの秋はジェット戦闘機の爆音が聞きたいわ」とのお誘いがあり、同時にしばらく停滞していたブルーインパルス熱がよみがえり、念願かなってついに入間航空際に行ってきたのです! それにしても、狭く深い趣味を共有できるパートナーは実にありがたいと思う今日この頃。
11月3日の空は快晴。これぞインパルス・ブルー!!(意味不明) 入間の航空際は都心に近いということもあり、例年スゴイ人出と聞いている。今年は過去最高の28万人とかなんとか。会場に入るまでがものすごい人で、ぜんぜん進まない! など、様々な情報が入っていたが、結論から言えば、確かに混んではいたが、移動も見学も実にスムーズだった。
ブルーインパルスの演技に間に合う程度、だいたい12:30頃到着目標で向かい、帰りは16時頃会場を出たのだが、どうやらものすごく混むのは朝とブルーインパルスの演技終了直後だったみたい。
さて、会場である航空自衛隊入間基地に着き、金属探知機によるボディチェックを受けた後、メイン会場である滑走路へと向かう。すると、おお、人の佃煮みたいな中にF-15が埋まってる!
しかし、こんなに人がたくさんいるのに、普通に近くまで行くことができた。みんな譲り合って見学しているのだ。日本人てすごい。で、目の前のF-15だ。やはり本物は違うなー。お台場で見た実物大ガンダムは"本物っぽい模型"だったが、これはまぎれもない本物。なんかグランドキャニオンで「ディズニーランドみたい!」とか言ってるみたいなオレである。
着陸脚やインテーク周りの注意書のグラフィックが妙にソソる。無駄な部品など何一つない、機能する形状。ディテールも全体のフォルムも実に美しいのだ。おや、あそこにいる皿を背負ったプロペラ機は...E-2C!
こんなのがよく空飛ぶもんだなあ。皿の直径が意外にデカイのに驚いた。また、翼が畳まれた状態で展示されているところもイイ。思わず断面のディテールを撮影してしまう。
などとマニアックに見学していると、そろそろブルーインパルスの時間である。地べたにビニールシートを敷いて空を見上げる。パイロットの入場や離陸を見たいのなら、早朝に来て場所取りしないとダメかもしれないが、純粋に演技を見たいのならこんな時間に来ても余裕で見られるのだ。しかもステージは空。たとえ背の高い奴が前にいても、頭上が空である限り誰もが等しく特等席と言えましょう。
離陸に先立って撮影機材を点検する。今回持参したカメラはソニーのα350。ちょっと前の機種だが基本性能は高く、一眼レフにしては軽い。レンズはミノルタの100mm-300mmズーム。10年前に中古屋で8,000円で買ったもの。銀塩のα7000で使おうと買ったのだが、イマイチ出番が少なく、今回やっと望遠ズームらしい使い方ができた。
さて、実は私、こういったヒコーキ写真というものを撮ったことがない。たぶん、そのスジの人にはそれなりのルールがあるのだと思うが、そのような知識も持ってない。なので今回は、露出はマニュアル、フォーカスも手動で撮ってみた。
あらかじめ、空ヌケのいい場所にある展示機の尾翼でだいたいの露出をみて、あとは勘をたよりに補正する。感度を800くらいに上げて、多少絞ればピントも固定でなんとかなるか。シャッターは1/640〜1/800前後。と思って撮ったのだが、もっと感度上げてシャッタースピードを稼いでもよかったね。よ〜く見ると被写体ブレしてるものが多かった。飛び回る飛行機は、思った以上に早かった。
で、どんな具合だったかというと... 滑走路に向かって右側からまず4機が離陸、スモークを吹きながら編隊飛行を披露...
その直後、ソロの5番機が離陸直後に急上昇、
ばびゅーんと頭上を通過すると6番機も離陸。あっというまに見えなくなった...と思ったら4機編隊が戻ってきた!
すごい。よく接触しないなあ。なんでも機体と機体の間は最短で90センチだそうだ。これぞ神業。とか関心しているとなんかスゴイことに...
ぐおーん!
背面飛行だー!!
ぼばひゅうー
< >
ずぎゅーん
< >
ばびゅわー
< >
ぎゅるるるる
< >
で、30分程いろいろやってくれた後、6機全てが無事着陸し、演技終了です。すごいわー、究極のエンターテイナーかも。次から次へと間髪開けず繰り広げられるダイナミックな演技の数々! プロだ! しばし唖然とする。
その後、F-4ファントムや支援戦闘機F-2等を見学。「蛍の光」が流れてきたので、ブルーインパルス饅頭を買って帰路についた。臨時の改札もきちんと流れていて、ごく普通に電車に乗ることができた。ピークを過ぎたせいか、車内もそこまで混んでない。
途中、池袋の飲茶屋さんで食べ放題コースで死ぬ程食って帰宅。まさに『メカと美食』の一日となりました。うーん、充実。来年もこのコースで行ってみようと思います。
【さいとう・ひろし】[email protected]
< http://tongpoographics.jp/
>
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。