わが逃走[6]こわい話の巻
── 齋藤 浩 ──

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夏は終わったというのに、寝苦しい日々が続いております。私なんざ毎晩自分のかいた汗の冷たさで目がさめ、夜中にシーツと枕カバーをとりかえて……てな具合ですっかり寝不足。布団も湿気を帯びすぎて腐るのではないかと心配です。しょっぱなから臭そうな話でごめんなさい。

何が言いたいかというと、季節はもう秋かもしれませんが涼しさを求める気持ちは夏と変わらず。という訳で、今回は私が体験したコワイ話を紹介したいと思います。といっても、世の中にあふれる怪談に比べればたいしたことはありません。でも、これは確かに私が実際に経験したことなのです。本人が言うんだから間違いありません。

そもそもこの『わが逃走』は、齋藤浩が書きたいことを好き勝手に書くという企画ですので、私が体験したことを私が死んだ後の世にも伝えたいという極めて個人的な理由により今回のテーマも決定された訳です。なので皆さん、そんなに恐くなくても文句言わないように。


【その1:動く木彫りのレリーフの話】

その当時、祖父が軽井沢に別荘を所有しており、よく両親に連れられて遊びに行ったものだった。

別荘というと聞こえは良いが実際は祖父の仕事部屋のようなもので、優雅な生活を楽しむというよりも、とりあえず住めるんですといった程度の小屋だったのだが。

とはいえ私はその家がとても好きで、縁の下にもぐってはアリジゴクと戯れたり、近所に流れる小川にダムを作って遊んだりと、まあ今思えば贅沢な幼年期を過ごしたとも言える。えっへん。

さて、確か四歳くらいだったと思う。四畳半の和室で両親と供に寝ていた私は、誰かに呼ばれたような気がして目をさました。

明け方だったので窓から薄明かりがさしていて部屋の様子は把握できる。右側の壁面からカタカタという音が聞こえたので見てみると、獅子舞だったか笠をかぶった旅装束の男だったか忘れたが、壁にかけてある木彫りのレリーフが動いているのだ。

それを見た私はどう思ったかというと、へー、これ動くんだという程度で、たいして驚きもしなかった。というよりも、このレリーフには鳩時計のような仕掛けが仕込まれていて、ある時間が来ると動くように設計されているんだな、と妙に納得してしまったのだ。

確かにその動き方というのは決して滑らかなものではなく、いかにも木のおもちゃといった様子で、からくり人形のようにカクカクとした動きだったと記憶している。

翌朝私は母に「この絵動くんだよねー」と言ったのだが、「あらそうなの」と返事をしたかと思うと、そのまま母は食事の支度をはじめてしまった。

そんな訳で、私は高校生くらいまでそのレリーフには仕掛けがあるもんだと信じていたのだ。で、ある日、何気なくその裏側を確認してみたところ(当たり前だが)そこには何のギミックも仕込まれていないことを発見し、愕然としたのであった。

いやー、あのときはぞっとしました。普通だったら四歳くらいの記憶なんて信憑性が薄く、勘違いということで納得してそのうち忘れてしまうものなんでしょうが、そのときの様子が異常なほど鮮明に脳裏に焼き付いていたもので、ホント、十数年間その額の裏側には歯車の詰まったムーブメントが存在しているとずーっと信じていたのです。なので、ただの木彫りと分かったときは、背筋の凍る思いだったのです、少なくとも本人は。

【その2:四本足動物に乗られた話】

大学二年のゴールデンウィーク、車の免許を取ったはいいが誘う婦女子もいない私は、中学時代からの友人ユキオと共に野郎ふたりでやはり軽井沢の別荘に来ていた。特に何をするでなく散々食った飲んだりした後、例の木彫りのレリーフがかかっている四畳半で眠りについた。運転で緊張した後の飲み効果により、かなりぐっすりと寝入っていた。

午前三時頃だったと思う。布団をかけて仰向けに寝ていた私の上になにかが乗ったのだ。思わず目をあける。暗くてよく見えないが、猫よりも大きい動物のようだ。その動物らしきものは布団の右側から左前足、右前足の順に乗ってきて、私の胸の上で静止した。

もう、びっくりして声も出なかったのだが、その四本の足が私の胸をぎゅーっと踏みつけるのでとにかく苦しくて、やっと「ギャーッ」とさけんで飛び起きて蛍光灯をつけた。周りを見ても何もいない。左隣で寝ていたユキオが「なんだよー」と、眠い目をこすりながら私を見ていた。

「いま何か動物が俺の胸にのった」
「いねーじゃん」
「でも絶対なんかいた」
「でもいねーじゃん」

確かに何もいなかった。でも掛け布団の沈む音も聞こえたし、息づかいも感じた。もう、とんでもなく恐ろしくなった私は蛍光灯をつけたままにさせてくれとユキオにたのみ、結局眠れないまま朝まで起きていた。

この時が最初のおばけっぽいものとの接触でした。よくおばけのことを“この世のものではないような……”と表現したりしますが、私が体験したこの目に見えない存在は、明らかに動物でした。たぶん狐とか、そういった類いのものかと思われます。いやー、恐かった。少なくとも本人は。

【その3:中年男が降って来た話】

『天空の城ラピュタ』では空から女の子が降って来た訳だが、私の場合は天井から背広を着た中年男が降ってきたのだ。

1991年の冬の終わりだったと思う。実家の二階の六畳間、朝6時30分頃。いつもより早く目がさめた私は、天井付近に浮いている男と目が合った。葬式に行くような黒い背広とネクタイ姿で、年齢は40代後半くらいだろうか。

私は仰向けに寝ていて天井を見たのだが、その男は私とちょうど向き合う状態で、天井に背中をくっつけてじっと私を見下ろしていたのだ。

ぎょっとした。しばらくにらめっこをしていると、男はそのまま姿勢も表情も変えずにゆっくりと落ちてきた。徐々に距離が狭まってくる。

コワイ。

そして掛け布団の上に乗ってきたと同時に、ものすごい力で肩から背中にかけてつかまれたのだ。五本の指が上腕に食い込む。

痛い。もがいても、がっしりと体をつかまれているので肘から先しか動かせない。苦しい。

階下では今日からフルムーン旅行に出かける両親が出発の準備をしている。朝食の片付けをしながら、荷造りをしている様子が聞こえてくる。

助けを求めたかったのだが、男の体重が私の胸に集中して声が出せないのだ。苦痛がしばらく続いた。

すると男は徐々に私の体に浸透し、体を通り過ぎ、背中から敷き布団へ染み込み、畳から一階へと落ちていった。

そこでようやく動けるようになった。声も出せる。私は慌てて飛び起き、階段を下りて両親にいま起きたことを伝えた。しかしふたりともたいして興味を示さず、「じゃ、留守番よろしくねー」と言い残して出かけてしまったのだ。

これが私の人生で最初の“人の姿をした人じゃないもの”との接触でした。その後も何回か似たようなことはあったのですが、この体験が記憶・感覚ともいちばんはっきりしています。

よりによってそれから一週間、この一軒家に一人で生活することになってしまった私は、恐ろしくて二階では寝られなくなってしまいましたとさ。

【その4:いい子】

そんなこんなで、なぜか20歳になった途端におばけが寄ってくるようになった。前項でも書いた“人の姿をした人じゃないもの”が、あの一件以来、頻繁にやってくるようになったのだ。

最初のうちは、それはもう恐ろしくて恐ろしくてタイヘンだったのだが、慣れてくると「なんだ、またか」といった具合で、いわゆる金縛り状態になっても「はやく終わらないかなー」と思う程度の余裕を持てるようになってきた。

とはいえ、こう年がら年中寄って来られても疲れてしまう。そんな訳で、あるとき母方の祖母たまきに相談してみた。

母方の家系は割と“見える”人が多いのだが、肝心な母はそんなに見えない。余談ではあるが、母は一度だけヒトダマを見たことがあったらしい。しかしその時は流れ星だと勘違いしてしまい、息子が真っ当な大人になりますようにと願い事をしたという逸話が残されている。

話がそれた。で、祖母に相談してみた。すると、「それはね、あんたが“いい子”だからよ。そういうものたちは“いい子”に寄ってくるの。だからね、もう少し悪い子におなんなさいな」とアドバイスされた。

なるほど!!

確かに、同情するとそういったものたちはどんどん憑いてくると聞いたことがある。当時の私は、例えば優先席に若者が座っていてお年寄りが立っていても何も言えず、そんな自分が嫌で自殺したくなるような、そんな細い神経の持ち主だったのだ。そりゃ憑かれるよな。

その後、祖母のアドバイスの甲斐あって、コインリターン式のロッカーで見つけた百円玉を着服したり、エッチなレンタルビデオがデッキ内でからまってしまっても何事もなかったように返却したりと着実に悪事を重ねていき、それとともにおばけ達も徐々に私から離れていったようだ。

さらにいつだったか金縛りにあった際、あまりにきつく私の肩をつかむので、もういい加減にしてほしいと思った私は試しに「もっと」と言ってみたところ途端に軽くなり、それ以来おばけはほとんど来なくなったのだった。

それから18年くらい経過した今年。三軒茶屋駅から東急田園都市線に乗ろうとしたところ、突然「乗っちゃだめ」という声が私の脳に響いたのです。
「え?」と思い、一度乗った扉から出ると急行は発車してしまいました。

で、何が起こったかというと何も起こらなかったのです。おかげで打合せに遅刻してしまいました。どうやらこれは霊とかではなく、幻聴だったらしい。こうして人はもうろくしていくのですね。考えてみれば、これがいちばんコワイです。少なくとも本人は。

【さいとう・ひろし】[email protected]
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。
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