■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1834 2005/09/30.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/
1998/04/13創刊 前号の発行部数 18390部
情報提供・投稿・広告の御相談はこちらまで mailto:[email protected]
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
<そうなったらデジクリに獄中記を書こう>
■映画と夜と音楽と…(264)
長い年月で失った何か
十河 進
■Otaku ワールドへようこそ![12]
人さがしの夏: 募る思い伝えたい
GrowHair
■イベント案内
トークイベント「私といっしょに頑張ってきたWebデザイナーたち」
【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1834 2005/09/30.Fri.14:00発行
http://www.dgcr.com/
1998/04/13創刊 前号の発行部数 18390部
情報提供・投稿・広告の御相談はこちらまで mailto:[email protected]
登録・解除・変更・FAQはこちら http://www.dgcr.com/regist/index.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
<そうなったらデジクリに獄中記を書こう>
■映画と夜と音楽と…(264)
長い年月で失った何か
十河 進
■Otaku ワールドへようこそ![12]
人さがしの夏: 募る思い伝えたい
GrowHair
■イベント案内
トークイベント「私といっしょに頑張ってきたWebデザイナーたち」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■映画と夜と音楽と…(264)
長い年月で失った何か
十河 進
───────────────────────────────────
●初めて買ったサントラ盤LP
14歳の僕は、ひと月の小遣いが800円だったにもかかわらず、1750円もするそのLPレコードを躊躇せずに買った。その前に映画代を払っているから、その日、僕は一体いくら使ったのだろう。高松市のスカラ座というロードショー館である。それはよく覚えている。
1965年6月26日の土曜日が封切り日だったが、僕は翌日の日曜日に見た記憶がある。朝早く起きて自転車で映画館にいったらすでに列ができていた。いや、あれは同じ年に同じスカラ座で見た「HELP! 4人はアイドル」というビートルズ映画だったかもしれない。僕は中学二年生だった。
先日(9月14日)、91歳でロバート・ワイズ監督が死んだという新聞記事を見て、僕は「サウンド・オブ・ミュージック」のサウンド・トラック盤LPを棚から探し出し、そんなことを思い出した。
LPレコードのジャケットはイラストレーションである。そこに描かれたマリアは、あまりジュリー・アンドリュースには似ていない。ジャケット裏に高原でギターを抱えたマリアが「ドレミの歌」を歌い子どもたちに音楽を教える映画のシーンが使われている。
40年前に買ったレコードだが、ジャケットはとてもきれいだ。何度読んだかわからない対訳付きの歌詞カードも少しシミが出ているが、40年の年月が経ったとは思えない。
そのLPレコードを繰り返し繰り返し聴いている少年の姿が浮かぶ。少年は「サウンド・オブ・ミュージック」に感激し、そのまま常磐商店街のタマルレコードでLPを買って帰り、ずっと聴いていた。聴きながら映画のシーンを思い出し、幸福感に浸った。
それから数十年後、レーザーディスクという形で映画を私物化できるようになったとき、僕は「サウンド・オブ・ミュージック」を買った。だが、そのLDはトリミングサイズで僕は一度見ただけで棚にしまい込んだ。あの冒頭のアルプスの空撮シーンを僕はトリミングサイズで見たくはなかった。
しかし、僕が一度しか見なかった理由はそれだけではない。あれほど感激した「サウンド・オブ・ミュージック」に僕は妙に白々しい印象を受けたのだ。文部省推薦のような映画だった。マリアは優等生的だし、ナチが型どおりの悪役にされているのもしらける要素だった。ただ、音楽はどれも名曲だった。
しかし、「サウンド・オブ・ミュージック」に対する落胆は、僕自身の堕落を示しているような気がした。もう僕は「サウンド・オブ・ミュージック」に素直に感動できなくなっている…、それはとてもさみしいことだった。
長い年月を経て僕は何かを失ってしまったのだろうか。とても大切な何かを…
●ニューヨークのロミオとジュリエット
レーザーディスクの棚には「サウンド・オブ・ミュージック」の隣りに「ウエスト・サイド物語」が並んでいた。ロバート・ワイズ監督が「サウンド・オブ・ミュージック」の4年前に作ったミュージカルである。
僕は「サウンド・オブ・ミュージック」を見た数年後にリバイバル上映された「ウエスト・サイド物語」を見た。その頃には「ウエスト・サイド物語」は伝説の映画になっていたのだ。何年か後、初めて「ウエスト・サイド物語」がテレビ放映されたときの視聴率が凄かったのを記憶している。
「ウエスト・サイド物語」は1961年もおしつまった12月23日に封切られた。東京の丸の内ピカデリーでは509日間のロードショー新記録を作ったという。リピーターが多かったのだろう。「ウエスト・サイド物語」を何回見たかを自慢しあうような風潮だがあったと、昔、聞いたことがある。
「ウエスト・サイド物語」が公開されたときの衝撃は、小林信彦さんの「夢の砦」を読むと生の感覚が伝わってくる。「夢の砦」は1960年末から1962年を背景に、主人公が突然、ミステリ雑誌の編集長になって悪戦苦闘をする物語だ。
主人公は小林信彦さん自身を彷彿とさせるが、小説の中には「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」編集長だった中原弓彦(小林信彦さんの当時の筆名)が登場する凝った仕掛けになっている。
1961年11月28日の東劇の早朝試写会に主人公は出かける。彼は「『ロミオとジュリエット』の物語を現代のアメリカに置きかえた舞台ミュージカルがあること、そして、その映画化が完成したこと」しか知らなかったが、そのミュージカルを見た後、こんなふうに思う。
──いまの彼は「ウエスト・サイド物語」のことしか頭になく、「ウエスト・サイド物語」に狂喜している人間としか、口をききたくなかった。ほかの話をするのは、〈不純〉に思えた。
──たいがいの映画は、二度観ると、がっくりくるものだが、「ウエスト・サイド物語」に関しては、失望どころか、いよいよ昂奮した。試写のあとで、辰夫は、同世代の映画批評家と喫茶店に屯して、「どんなに苦しいことがあっても、十二月二十三日(映画の公開日)までは生きていなくてはいけない」とか、「二十三日までは自殺もしてはいけない、をわれわれの合言葉にしよう」などと、みんなで、わけのわからぬ言葉を口にしていたのである。
「ウエスト・サイド物語」に対する熱気(フィーバー)は、僕が初めてリバイバル上映で観た1967年頃まで続いていた。同級生の女の子はやはり「私、もう十回以上見たわよ」などと言っていたし、そのおかげでシェークスピアの「ロミオとジュリエット」がよく読まれた。
オリビア・ハッシーとレナード・ホワイティングが主演した「ロミオとジュリエット」が公開され大ヒットした(主題曲もアメリカン・ヒットチャートの一位になった)のは1968年のことだったが、それは「ウエスト・サイド物語」の下地があったからではないかと思う。
しかし、今の僕はナタリー・ウッドが自らの胸をナイフで刺して死ぬ姿に涙することができるだろうか。そんな涙を僕は失っているかもしれない。
●声高ではないロバート・ワイズのメッセージ
「砲艦サンパブロ」はロバート・ワイズ監督が「サウンド・オブ・ミュージック」の次に作ったシリアスなドラマである。1966年に公開された。デビューしたばかりのキャンディス・バーゲン、ナンバーワン人気を誇っていたスティーブ・マックィーン、この作品でアカデミー助演男優賞を獲得したマコ岩松などを思い出す。
1926年の中国。老朽船のサンパブロ号に機関士である水夫(スティーブ・マックィーン)が転任してくる。彼は上海から揚子江上流にいるというサンパブロ号にいくまでの旅で宣教師のスタッフとして奥地に向かう娘(キャンディス・バーゲン)と知り合う。
彼は当時の複雑な中国情勢の中で、ただ誠実に生きているのだが、中国女を愛した同輩の水夫は悲劇的な最期を遂げ、彼が仕込んだ中国人の機関夫(マコ岩松)はアメリカの戦艦で働いているという理由から同胞の中国人たちにリンチに遭う。
中国共産党が勢力を持つ地域だったのだろうか。外国人排斥運動が盛り上がり、マコ岩松はサンパブロ号の乗組員に見せつけるように吊され切り刻まれる。その無惨さを見ていられず、マックィーンはマコ岩松を小銃で射殺する。その慈悲の行為を中国人たちは逆手にとり「アメリカ人が同胞の中国人を殺した」と騒ぎ出す。
その地区にはアメリカ人宣教師が布教のために残っていた。今はマックィーンと愛し合うようになっていたキャンディス・バーゲンも同じ教会に残っている。艦長以下、マックィーンを含む数人のチームが危険を覚悟で宣教師たちを救出に向かう…
先頃、中国で起こった反日運動のニュース映像を見ながら僕は40年近く前に見てよく理解できなかった「砲艦サンパブロ」を思い出していた。政治的かつ歴史的背景については無知だったが、集団ヒステリーのような群衆の怖さを僕は「砲艦サンパブロ」を見ながら肌で感じたものだった。
そんな一触即発の情勢の中で、マックィーンは自分に忠実に生きる。可愛がっていたマコ岩松を撃ち殺すときの悲しみも見る者の身に迫る。だが、彼は中国人たちに憎しみを抱くことはない。むしろ、心通わせた何人かの中国の友人がいることで、彼は中国を、そしてそこに住む人々を愛している。
「砲艦サンパブロ」は、アクションスターとして人気があったスティーブ・マックィーンを主役に据えて戦争映画のように宣伝していたが、素朴で、それがゆえに力強いヒューマニズムを声高にではなく訴える。だからこそ、そのメッセージは多くの観客に届いたに違いない。
ロバート・ワイズという監督は、明確なメッセージを映画に込める人ではなかった。しかし、「ウエスト・サイド物語」ではニューヨークの貧しい若者たちの鬱屈、差別されるヒスパニック系の移民の悲しさ、被差別者たち同士が憎しみ合う不条理を悲恋物語に託して描き、「サウンド・オブ・ミュージック」では音楽を圧殺するファシズムの姿に明確な反戦意識を込めた。
今では、僕は中学生のときのように素直に感動できなくなったのかもしれないが、幼さと無知ゆえに読み取れなかった監督の秘かなメッセージを、年齢を重ねたことで読み取れるようになったのではないかと自らを慰めている。慰めるしかないじゃないか。
【そごう・すすむ】[email protected]
中北千枝子さんが亡くなったと、ロバート・ワイズ監督の死亡記事と同じ欄に出ていた。一時期、テレビCMの「日生のおばさん」と言えばわかる人がいたが、今はどうだろう。戦後の成瀬巳喜男監督作品にはほとんど出ているのではないか。主演作は黒澤明の「素晴らしき日曜日」だけだろうか。
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Otaku ワールドへようこそ![12]
人さがしの夏:募る思い伝えたい
GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20050930140200.html
───────────────────────────────────
話の発端は、夏も盛りに差し掛かった8月上旬である。ひょっとしてこの時季になるとひときわ寂しさが募ったり孤独が身にしみたりすることが案外よくあるものなのか。もしかしてそれは世界的にもそうなのか。
愛・地球博会場内で開かれた世界コスプレサミット終了後、夜行の快速列車で帰京し、8月8日(月)の早朝に帰り着くと、見知らぬアメリカ人男性からメールが届いていた。差出し人にはLuisとあり、タイトルには"I need your help."(お力を貸して下さい)とある。迷惑メールの類かと、危うく読まずに捨てそうになったが、なんとなく切羽詰った気配を感じていちおう開いてみると……。
私のホームページに写真を載せているコスプレイヤーさんの一人、「さくらこ」と、かつて知り合いだったのだという。14年前、Luisが19歳のときにカリフォルニアで出会ったのだが、音信が途切れてしまい、ぜひもう一度会いたく、もし彼女の連絡先を知っているなら教えてもらえないだろうかという。一生恩に着る、とある。
さくらこは、ほぼ一年近く前、夏コミで東京ミュウミュウのコスプレをしているのを撮らせてもらった二人組のひとりである。残念ながら、連絡先までは聞いていない。その場で名前を聞いて、掲載許可をもらっただけなので。しかし、それであきらめずにネットを検索してみると、彼女と一緒に写真に写っている相方のホームページを見つけることができた。見ると、さくらこの写真も載っている。そのURLを教えてあげた。メールアドレスも載っているので、まず相方さんに聞いてみては?
5分足らずで返事が来た。6:34am。ものすごく感謝しているという内容。「これが私にとってどれだけの意味を持つか、きっと分かってはもらえないでしょうけど」とある。彼女が日本に帰ってからしばらくは手紙をやりとりしていたが、あるときから連絡がとれなくなっていたのだという。さらに1時間後、もう一通メールが来た。その相方さんにメールを打ったという。
その日の午後、またメールが来た。まだ返事が来たわけではないようだが、さくらこへの思いがつづってある。「彼女が遠くへ行ってしまったのは分かっているし、これだけの年月が経ってしまってはもうほとんど望みがないかもしれない。14年の間にはいろいろなことがあったとしても仕方がない。だけど、彼女がずっと忘れられない理由というのは他でもない、彼女がこちらにいた頃から好きになってしまい、だけど、そのときは勇気がなくて、思いを伝えることができなかったから。以来、彼女を思い出さなかった日は一日たりともない。何とかして連絡をとって、今度こそ思いを伝えたい。それだけでいい。どうか幸運を祈っていて下さい。音信が再開するかもしれないと思うと、わくわくするけど、反面、緊張で居ても立ってもいられない気持ちだ」。がんばれよ。
●先回り、ショボい結果に
2日後、Luisから何も言ってこないということは、相方さんからの返事をまだ待っているのだろうか。こっちでも手掛かりが見つからないかとそのサイトを見ていると、掲示板があった。読んでいくとさくらこの書き込みもあり、メールアドレスが残してある。先回りしては興をそぐかと思いつつも、早く展開が知りたくて、さくらこに直接メールを送ってみた。これこれこういう話なんだけど、14年前、カリフォルニアにいましたか、と。夕方6時ごろ。
夜10時ごろ返事が来た。なんとっ。「私は日本生まれの日本育ちなので、海外で生活したことはありません」とな。人違いじゃん。がぁーーーっ。終了~。わずか3日間の盛り上がりであった。写真を見てまでも間違うなんて、どうかしてるよ。
恋煩い氏にメールを送った。「時として我々は現実の厳しさと冷淡さに直面しなくてはならない。だけど、我々には希望をもつという能力が備わっており、それを頼りにものごとを前へ前へと進めていかなくてはならない。(中略)悪いけど、私にできることはすべてしたと思う。力を落とすなよ」。
返事が来た。14年前の写真と私のサイトの写真は本当によく似ているのだとか。しかも名前まで同じなもんだから、てっきりそうかと思ったと。私には本当に感謝しているという。で、これからもあきらめずに探すという。
ところでさくらこは私のことをよーく覚えていてくれた。今年の夏コミにも参加するので、よろしく、とある。実際、その週の土曜日にコミケのコスプレ広場で会うことができた。アドレスを探し出して送ってしまった水曜の変なメールのことを謝ると、気にしていないし、楽しめたという。だけど14年前に19歳だったなんて、そんな歳では絶対にないという。そりゃ確かに失礼な話だなー。「見つかることを祈ってます」との言葉をもらった。
●引越しで途切れた音信
話は水曜に戻るが……。Luisは私にはすごく感謝しているし、とんだ茶番につき合わせて申し訳ないことをしたという。そう言われると、ここで降りてしまうには忍びないような気がしてくる。まだ私にできることはないか。
しかしその一方では、それが本当にいいことなのかという疑問もないわけではなかった。思いが募るあまり、自分の側の思いにばかり囚われてしまい、相手のことを考えるゆとりをなくしていたとしたら、探し出された本人にはかえって迷惑が及ぶことになりはしないか。純粋に人を思う一途な心も、一歩間違えばストーカー行為の原動力にもなりかねない。とりあえず、これまでの経緯はどうなっているのか聞いてみた。もんのすごく長いメールが来た。要約すると……。
さくらことは大学時代に知り合った。授業の後で街へ出て食事でもどうかと誘ったらOKしてくれたのが始まり。彼氏彼女という形ではつきあってはいなかったかもしれないけれど、多くの時間を共有した。彼女が日本に帰ってからも、何通も手紙をやりとりした。電話番号も聞いていた。
ところが引越したときに、彼女からの手紙を全部入れていた箱をなくしてしまった。しかも、新しい住所はまだ伝えていなかった。そのころ彼女はいやな感じの男からつきあってくれとしつこく迫られていて、どうしたらいいかと相談してきていた。その手紙が最後になった。
彼女の住所は部分的にしか覚えてなくて、その部分だけ書いて手紙を何通か送ったけれど、返事が来なかった。おそらく届いていなかったのだろう。インターネットが普及しだしてからは、検索サイトに名前を入れてみたりしたが、ヒットしたサイトは全部無関係だった。それから日本語を勉強し、パソコンの言語設定を日本語にしたら、検索サイトの表示も日本語になった。ひらがなで「さくらこ」と入れてヒットしたのが私のサイトだった。
それと、部分的に覚えていた住所から、完全と思われる住所が復元できた。留学先から帰ったときの住所ということは、おそらくご両親のところだろう。もし本人がいなくてご両親が読んでも分かるよう、日本語で手紙を書きたい。
彼女が今でも私にとってどれほどの存在かと言えば、もし彼女が見つかってつきあいを再開してくれるというのであれば、アメリカでの生活を何もかも捨てて、日本に移り住みたいほどだ。彼女が弾いていた曲を聴くとつらい。彼女に思いを伝えられなかったのがつらい。再会することができたら、今度は必ず言う。遅すぎたかもしれないが、思いが伝えられればそれでいい。今の状態では、他の人に思いを向けることなど、全然できない。最近、また元の街に引っ越してきた。どうしてもあの頃のことを思い出してしまう。
……ということで、和訳を手伝ってあげた。14年間の募る思いを抱えているとは言え、まわりが見えなくなって猪突猛進、トラブルを起こしてしまう、といったアブナいタイプの人ではなさそうだ。
●探偵まがいのこと
こういうことに加担するのはいいことなのか、どうなのよ、という葛藤にはかなり悩んだ。追いかけている側が純粋な動機からだとしても、探されている側にとって、単純に喜べることなのか。例えば既に結婚して、子供もいて、平穏無事に暮らしているとしよう。それを知った彼は、これはどうにもならぬ、とあきらめるというのもひとつのありうる結末だ。それで終われば何でもないとは言え、探し出された方には心配の種が残らないか。探し出されたこと自体にも、喜べないものがありはしないか。
逆に手を引いてしまった場合、自分には火の粉が降りかかることはなくても、その後のことに素知らぬふりをすることになる。もし成り行きをずっと見守っていれば、まずいことになりそうな風向きになってきたときには、手を打つことだってできる。
ストーカー被害がよく話題になるご時世でもあり、アンケートをとったらおそらくこの手の人探しには反対する人の方が多いかもしれない。現在の社会は不信や猜疑に覆われている。人を見たら泥棒と思う側の理屈が支配的になってきている。しかしそれは、ここ数年の傾向であって、以前はそうではなかったし、将来はどうなるか分からない。
5~6年前、原宿でビジュアル系のコスチュームの人たちを撮らせてもらっていた頃、彼女らの差し出す名刺には本名や住所が書かれていた。おかげで写真を送ってあげることもできたし、お礼の手紙や年賀状やイベントの案内などをもらうこともあった。それがなくなったのは、やはりトラブルが起きるからなのだろう。同人誌の奥付からも、本名や住所は消えていく傾向にある。世の中を変えていく力は悪意の者が握っているというのも皮肉なもんだな。
将来の世の中は、犯罪抑止の名目の下に、プライバシーは一切認められず、すべての人のすべての行為がお互いに筒抜け、というふうになっているかもしれない。今回のような人探しは誰にでもいとも簡単にできる代りに、探していること自体がまた筒抜け。おかげで悪いことはできない。あるいは、反動で、社会は別の方向性を追求しているかもしれない。日本というひとつの狭い地域における、ある過渡期の事情に左右されて、ものごとの善悪を簡単に判断してしまうのも、どうだろう。
というような葛藤に悩みつつ、8月11日(木)の仕事帰りに千葉県のその番地へ行ってみた。着いたのは夜の10時半。探し当てたその番地には10軒ほどの家が該当し、一軒一軒表札を見てみるも、彼女の姓は見当たらず。しかし、この挙動、思いっきり不審だよな。見られて通報でもされた日にゃ、即、犯罪者。そうなったらデジクリに獄中記を書こう。
公衆電話で電話帳をめくってみるが、やはりその住所にその姓の人、なし。その住所の区画の真ん中へんには広い駐車場がある。ひょっとすると以前には家があって、引っ越した跡地なのかもしれない。
Luisにそのことを伝えた。引っ越したとしても、ちゃんと郵便局に届け出ていれば転送してもらえるので、その住所に手紙を送ってもらうことにした。もう、可能性薄。あとは近所に聞き込みとか。うう、だんだんヤバくなる気が……。
●新たなる手がかり
8月16日(火)になって、新たな手がかりを見つけたという知らせが来た。運命のめぐり合わせで、かつてさくらこと一緒に住んでいた人に偶然出くわしたという。彼女が持っている住所は、自分のよりも新しいという。旧住所と新住所に手紙を送り、返事を待っているというのが現在の状況。
さらなる展開があったら、またお知らせします。
【GrowHair】[email protected]
カメコ。……なのだが、今回はオタクワールドでも何でもなくてすいません。Luisにその種の話題を振ってみても、全然反応してくれない。なじみがないらしい。さくらこさんのことが上手くいった暁には、アナハイムで開かれるアニメエキスポに案内ぐらいしてくれてもバチは当らないと思うが。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/
>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■イベント案内
トークイベント「私といっしょに頑張ってきたWebデザイナーたち」
~あなたの興味×Webで何ができるのか~
< http://www.dhw.co.jp/tokyo/akiba/1003
>
───────────────────────────────────
1日29万ページビューと驚異的なアクセス数を誇るWebメディア「Cafeglobe.com」( http://www.cafeglobe.com/
)の代表、矢野貴久子講師が、Webデザイナーという仕事について、プロデューサーの立場から、お話しいたします。あなたの興味×Webで何ができるのか。Web業界屈指の女性起業家が、いっしょに頑張ってきたデザイナーたちの実例をご紹介しながら、みなさんにアドバイス。
ゲスト:矢野貴久子(株式会社カフェグローブ・ドット・コム代表取締役デジタルハリウッド大学院客員教授)
ナビゲーター:櫻井孝昌(デジタルハリウッド株式会社取締役)
日時:10月3日(月)
第1部 「スペシャルトーク」20:00~21:00
第2部 「コース説明会」21:00~22:00
場所:デジハリ秋葉原校(秋葉原ダイビル7階)
参加:要予約・無料
定員:100名(先着順)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(9/30)
・無断撮影された写真を(財)日本ファッション協会サイトに掲載された結果、ネット上の別の掲示板で服装を中傷され精神的苦痛を受けたとして、30歳代の女性が協会側に慰謝料など330万円を求めた。東京地裁は、肖像権の侵害を認め「下品な中傷で女性は通院が必要となった」などと述べ、35万円の支払いを命じる判決を言い渡した、という新聞記事があったので、検索したら多分これかというサイトが現れた。今週のベストショットというページで、東京の最先端ストリートを行く人(個人、ペア)を正面から捉えた上手な写真だ。「被写体としてご協力を頂いたご本人様には、写真撮影時に当サイトへの掲載その他のご許可を頂いております」との断り書きもある。03年7月、東京・銀座を歩いていたくだんの女性は無断で撮られちゃったらしい。その頃は無断でやっていたのかな? これだけ個人が特定できる写真では、悪意はなくても無断掲載はまずい。判決は「第三者が悪意をもって中傷することまでは予見できなかった」として慰謝料を算定したとある。被写体に無断でサイトで公開したら、そういう覚悟は必要ということか。気をつけなくては。ところで、その女性の服の胸に赤い文字で「SEX」というデザインが施されていたことから中傷されたというが、それだけでなくものすごいセンスだったようだ。しかし、今週のベストショットに出てくる人たちの姿も、なんだかなあと思う。(柴田)
・モモヨさんの記事や、後記が「のまネコ問題」のまとめサイトで紹介されていた。ありがとうございます。この問題は、単に黒いイメージのある2ちゃんねるに限った話ではなくて、今回のような事態を黙認してしまうと、前例を作ると、様々な面でクリエイターの権利が踏みにじられる可能性があるということを知って欲しい。2ちゃんねるだろ~、嫌いなんだよね~、2ちゃんねるがどうなろうと関係ないし、なんて思わないで考えて欲しい。
この問題の一番大きなところは、「著作権者のわからないものを、わからないことをいいことに、一企業が著作権を主張し、商標登録によって独占しようとしている」ということ。元ネタであるモナーを使って儲ける事が一番の論点ではない。パブリックドメインという話もあるが、誰かが描いたわけだし、死後50年は経っていないだろうし、剽窃して良いはずがない。モナーは既にいくつかの企業の手によって商品化されているが、それに関しては皆は咎めなかった。将来著作者が出てきた時のために使用料をプールしていた人だっていたそうだ。本来の著作権者に入るはずのお金を寄付でもしてしまえば美談にもなっただろうに。
もう一つの論点はアスキーアートに著作権を認めるかどうか。文字を組み合わせてできる文章には著作権はあるが、それを絵にした場合は著作権と認められないというのが主流。でもこれは今のネット時代をふまえたものではないので認められる可能性はあるだろう。国がアニメやマンガ、ゲームを知的財産として認めはじめたよね。日本独自のアスキーアートも財産として認めてしまわないと海外でパクられてしまっても知らないよ。日本は自然資源が少ないからコンテンツ産業を大事にしないと。
後記なので長くは書けないが、どんな問題があるのか調べていって欲しい。別の問題点が見つけられるかもしれない。次は例え話を書くかもしれない。阪神のヒッティングマーチの事件とどう違う?(阪神優勝おめでとう!)
文化のわかるメディア、世の中の移り変わりを読めるメディア、たとえば「インターネット」が少しずつ広まりはじめた頃、馬鹿にしないで早くから真剣に向き合っていたメディアは、これらの問題点を理解していて無視せずに取り上げていこうとしている。この問題の表層だけを見ずに、論点を切り分け、様々な問題を取り上げ深く掘り下げ続けてきたメディアのプライドを持って報道していってほしい。これがソニーと東芝の話なら一面じゃない? 日本と海外なら? 法律は権利を振りかざすためのものではなくて、守るためにあるんだよね? 好きだから自然と影響を受けたというならここまで皆は問題視しない。最初はモナーそのものを使っていたのに、商品化にあたり、わずかに改変し、その改変したものを自分たちの著作物と言い張り、著作権管理会社まであらわれたそのやり方に驚き、問題点を指摘しているのだ。一企業を責めたくてこれを書いているんじゃない。前例を作りたくないのだ。日本はそういうのが許される国じゃないよね? 家電メーカーや車メーカーならどう対応し問題を収拾すると思う? 何かあってから、実はあの時報道したかったんだけど、なんて言葉は聞きたくないからね。(hammer.mule)
< http://www.bmybox.com/%7Estudio_u/nomaneko/
> のまネコ問題まとめ
< http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2005/09/post_43a9.html
> PD
< http://news.braina.com/2005/0302/enter_20050302_001____.html
> 詐称
< http://ja.wikipedia.org/wiki/
>ヒッティングマーチ管理委員会
< http://tigers-hm.net/copyright.html
> 社会貢献のため寄付
< http://www.jasrac.or.jp/release/05/03_3.html
> ほっておくと
< http://www.dgcr.com/seminar/knn.html
> 検索ビジネスから学べる事
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
発行 デジタルクリエイターズ < http://www.dgcr.com/
>
編集長 柴田忠男 < [email protected] >
デスク 濱村和恵 < [email protected] >
アソシエーツ 神田敏晶 < [email protected] >
リニューアル 8月サンタ < [email protected] >
アシスト 鴨田麻衣子< [email protected] >
情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
< [email protected] >
登録・解除・変更・FAQはこちら < http://www.dgcr.com/regist/index.html
>
広告の御相談はこちらまで < [email protected] >
★等幅フォントでご覧ください。
★【日刊デジタルクリエイターズ】は無料です。
お友達にも是非お奨め下さい (^_^)/
★日刊デジクリは、まぐまぐ< http://mag2.com/
>、
E-Magazine< http://emaga.com/
>、カプライト< http://kapu.biglobe.ne.jp/
>、
Ransta< http://ransta.jp/
>、melma!< http://www.melma.com/
>、
めろんぱん< http://www.melonpan.net/
>、MAGBee< http://magbee.ad-j.com/
>、
のシステムを利用して配信しています。配信システムの都合上、お届け時刻が
遅くなることがあります。ご了承下さい。
★姉妹誌「写真を楽しむ生活」もよろしく! < http://dgcr.com/photo/
>
Copyright(C), 1998-2005 デジタルクリエイターズ
許可なく転載することを禁じます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■映画と夜と音楽と…(264)
長い年月で失った何か
十河 進
───────────────────────────────────
●初めて買ったサントラ盤LP
14歳の僕は、ひと月の小遣いが800円だったにもかかわらず、1750円もするそのLPレコードを躊躇せずに買った。その前に映画代を払っているから、その日、僕は一体いくら使ったのだろう。高松市のスカラ座というロードショー館である。それはよく覚えている。
1965年6月26日の土曜日が封切り日だったが、僕は翌日の日曜日に見た記憶がある。朝早く起きて自転車で映画館にいったらすでに列ができていた。いや、あれは同じ年に同じスカラ座で見た「HELP! 4人はアイドル」というビートルズ映画だったかもしれない。僕は中学二年生だった。
先日(9月14日)、91歳でロバート・ワイズ監督が死んだという新聞記事を見て、僕は「サウンド・オブ・ミュージック」のサウンド・トラック盤LPを棚から探し出し、そんなことを思い出した。
LPレコードのジャケットはイラストレーションである。そこに描かれたマリアは、あまりジュリー・アンドリュースには似ていない。ジャケット裏に高原でギターを抱えたマリアが「ドレミの歌」を歌い子どもたちに音楽を教える映画のシーンが使われている。
40年前に買ったレコードだが、ジャケットはとてもきれいだ。何度読んだかわからない対訳付きの歌詞カードも少しシミが出ているが、40年の年月が経ったとは思えない。
そのLPレコードを繰り返し繰り返し聴いている少年の姿が浮かぶ。少年は「サウンド・オブ・ミュージック」に感激し、そのまま常磐商店街のタマルレコードでLPを買って帰り、ずっと聴いていた。聴きながら映画のシーンを思い出し、幸福感に浸った。
それから数十年後、レーザーディスクという形で映画を私物化できるようになったとき、僕は「サウンド・オブ・ミュージック」を買った。だが、そのLDはトリミングサイズで僕は一度見ただけで棚にしまい込んだ。あの冒頭のアルプスの空撮シーンを僕はトリミングサイズで見たくはなかった。
しかし、僕が一度しか見なかった理由はそれだけではない。あれほど感激した「サウンド・オブ・ミュージック」に僕は妙に白々しい印象を受けたのだ。文部省推薦のような映画だった。マリアは優等生的だし、ナチが型どおりの悪役にされているのもしらける要素だった。ただ、音楽はどれも名曲だった。
しかし、「サウンド・オブ・ミュージック」に対する落胆は、僕自身の堕落を示しているような気がした。もう僕は「サウンド・オブ・ミュージック」に素直に感動できなくなっている…、それはとてもさみしいことだった。
長い年月を経て僕は何かを失ってしまったのだろうか。とても大切な何かを…
●ニューヨークのロミオとジュリエット
レーザーディスクの棚には「サウンド・オブ・ミュージック」の隣りに「ウエスト・サイド物語」が並んでいた。ロバート・ワイズ監督が「サウンド・オブ・ミュージック」の4年前に作ったミュージカルである。
僕は「サウンド・オブ・ミュージック」を見た数年後にリバイバル上映された「ウエスト・サイド物語」を見た。その頃には「ウエスト・サイド物語」は伝説の映画になっていたのだ。何年か後、初めて「ウエスト・サイド物語」がテレビ放映されたときの視聴率が凄かったのを記憶している。
「ウエスト・サイド物語」は1961年もおしつまった12月23日に封切られた。東京の丸の内ピカデリーでは509日間のロードショー新記録を作ったという。リピーターが多かったのだろう。「ウエスト・サイド物語」を何回見たかを自慢しあうような風潮だがあったと、昔、聞いたことがある。
「ウエスト・サイド物語」が公開されたときの衝撃は、小林信彦さんの「夢の砦」を読むと生の感覚が伝わってくる。「夢の砦」は1960年末から1962年を背景に、主人公が突然、ミステリ雑誌の編集長になって悪戦苦闘をする物語だ。
主人公は小林信彦さん自身を彷彿とさせるが、小説の中には「アルフレッド・ヒッチコック・ミステリ・マガジン」編集長だった中原弓彦(小林信彦さんの当時の筆名)が登場する凝った仕掛けになっている。
1961年11月28日の東劇の早朝試写会に主人公は出かける。彼は「『ロミオとジュリエット』の物語を現代のアメリカに置きかえた舞台ミュージカルがあること、そして、その映画化が完成したこと」しか知らなかったが、そのミュージカルを見た後、こんなふうに思う。
──いまの彼は「ウエスト・サイド物語」のことしか頭になく、「ウエスト・サイド物語」に狂喜している人間としか、口をききたくなかった。ほかの話をするのは、〈不純〉に思えた。
──たいがいの映画は、二度観ると、がっくりくるものだが、「ウエスト・サイド物語」に関しては、失望どころか、いよいよ昂奮した。試写のあとで、辰夫は、同世代の映画批評家と喫茶店に屯して、「どんなに苦しいことがあっても、十二月二十三日(映画の公開日)までは生きていなくてはいけない」とか、「二十三日までは自殺もしてはいけない、をわれわれの合言葉にしよう」などと、みんなで、わけのわからぬ言葉を口にしていたのである。
「ウエスト・サイド物語」に対する熱気(フィーバー)は、僕が初めてリバイバル上映で観た1967年頃まで続いていた。同級生の女の子はやはり「私、もう十回以上見たわよ」などと言っていたし、そのおかげでシェークスピアの「ロミオとジュリエット」がよく読まれた。
オリビア・ハッシーとレナード・ホワイティングが主演した「ロミオとジュリエット」が公開され大ヒットした(主題曲もアメリカン・ヒットチャートの一位になった)のは1968年のことだったが、それは「ウエスト・サイド物語」の下地があったからではないかと思う。
しかし、今の僕はナタリー・ウッドが自らの胸をナイフで刺して死ぬ姿に涙することができるだろうか。そんな涙を僕は失っているかもしれない。
●声高ではないロバート・ワイズのメッセージ
「砲艦サンパブロ」はロバート・ワイズ監督が「サウンド・オブ・ミュージック」の次に作ったシリアスなドラマである。1966年に公開された。デビューしたばかりのキャンディス・バーゲン、ナンバーワン人気を誇っていたスティーブ・マックィーン、この作品でアカデミー助演男優賞を獲得したマコ岩松などを思い出す。
1926年の中国。老朽船のサンパブロ号に機関士である水夫(スティーブ・マックィーン)が転任してくる。彼は上海から揚子江上流にいるというサンパブロ号にいくまでの旅で宣教師のスタッフとして奥地に向かう娘(キャンディス・バーゲン)と知り合う。
彼は当時の複雑な中国情勢の中で、ただ誠実に生きているのだが、中国女を愛した同輩の水夫は悲劇的な最期を遂げ、彼が仕込んだ中国人の機関夫(マコ岩松)はアメリカの戦艦で働いているという理由から同胞の中国人たちにリンチに遭う。
中国共産党が勢力を持つ地域だったのだろうか。外国人排斥運動が盛り上がり、マコ岩松はサンパブロ号の乗組員に見せつけるように吊され切り刻まれる。その無惨さを見ていられず、マックィーンはマコ岩松を小銃で射殺する。その慈悲の行為を中国人たちは逆手にとり「アメリカ人が同胞の中国人を殺した」と騒ぎ出す。
その地区にはアメリカ人宣教師が布教のために残っていた。今はマックィーンと愛し合うようになっていたキャンディス・バーゲンも同じ教会に残っている。艦長以下、マックィーンを含む数人のチームが危険を覚悟で宣教師たちを救出に向かう…
先頃、中国で起こった反日運動のニュース映像を見ながら僕は40年近く前に見てよく理解できなかった「砲艦サンパブロ」を思い出していた。政治的かつ歴史的背景については無知だったが、集団ヒステリーのような群衆の怖さを僕は「砲艦サンパブロ」を見ながら肌で感じたものだった。
そんな一触即発の情勢の中で、マックィーンは自分に忠実に生きる。可愛がっていたマコ岩松を撃ち殺すときの悲しみも見る者の身に迫る。だが、彼は中国人たちに憎しみを抱くことはない。むしろ、心通わせた何人かの中国の友人がいることで、彼は中国を、そしてそこに住む人々を愛している。
「砲艦サンパブロ」は、アクションスターとして人気があったスティーブ・マックィーンを主役に据えて戦争映画のように宣伝していたが、素朴で、それがゆえに力強いヒューマニズムを声高にではなく訴える。だからこそ、そのメッセージは多くの観客に届いたに違いない。
ロバート・ワイズという監督は、明確なメッセージを映画に込める人ではなかった。しかし、「ウエスト・サイド物語」ではニューヨークの貧しい若者たちの鬱屈、差別されるヒスパニック系の移民の悲しさ、被差別者たち同士が憎しみ合う不条理を悲恋物語に託して描き、「サウンド・オブ・ミュージック」では音楽を圧殺するファシズムの姿に明確な反戦意識を込めた。
今では、僕は中学生のときのように素直に感動できなくなったのかもしれないが、幼さと無知ゆえに読み取れなかった監督の秘かなメッセージを、年齢を重ねたことで読み取れるようになったのではないかと自らを慰めている。慰めるしかないじゃないか。
【そごう・すすむ】[email protected]
中北千枝子さんが亡くなったと、ロバート・ワイズ監督の死亡記事と同じ欄に出ていた。一時期、テレビCMの「日生のおばさん」と言えばわかる人がいたが、今はどうだろう。戦後の成瀬巳喜男監督作品にはほとんど出ているのではないか。主演作は黒澤明の「素晴らしき日曜日」だけだろうか。
デジクリ掲載の旧作が毎週金曜日に更新されています
< http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam007.html
>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■Otaku ワールドへようこそ![12]
人さがしの夏:募る思い伝えたい
GrowHair
https://bn.dgcr.com/archives/20050930140200.html
───────────────────────────────────
話の発端は、夏も盛りに差し掛かった8月上旬である。ひょっとしてこの時季になるとひときわ寂しさが募ったり孤独が身にしみたりすることが案外よくあるものなのか。もしかしてそれは世界的にもそうなのか。
愛・地球博会場内で開かれた世界コスプレサミット終了後、夜行の快速列車で帰京し、8月8日(月)の早朝に帰り着くと、見知らぬアメリカ人男性からメールが届いていた。差出し人にはLuisとあり、タイトルには"I need your help."(お力を貸して下さい)とある。迷惑メールの類かと、危うく読まずに捨てそうになったが、なんとなく切羽詰った気配を感じていちおう開いてみると……。
私のホームページに写真を載せているコスプレイヤーさんの一人、「さくらこ」と、かつて知り合いだったのだという。14年前、Luisが19歳のときにカリフォルニアで出会ったのだが、音信が途切れてしまい、ぜひもう一度会いたく、もし彼女の連絡先を知っているなら教えてもらえないだろうかという。一生恩に着る、とある。
さくらこは、ほぼ一年近く前、夏コミで東京ミュウミュウのコスプレをしているのを撮らせてもらった二人組のひとりである。残念ながら、連絡先までは聞いていない。その場で名前を聞いて、掲載許可をもらっただけなので。しかし、それであきらめずにネットを検索してみると、彼女と一緒に写真に写っている相方のホームページを見つけることができた。見ると、さくらこの写真も載っている。そのURLを教えてあげた。メールアドレスも載っているので、まず相方さんに聞いてみては?
5分足らずで返事が来た。6:34am。ものすごく感謝しているという内容。「これが私にとってどれだけの意味を持つか、きっと分かってはもらえないでしょうけど」とある。彼女が日本に帰ってからしばらくは手紙をやりとりしていたが、あるときから連絡がとれなくなっていたのだという。さらに1時間後、もう一通メールが来た。その相方さんにメールを打ったという。
その日の午後、またメールが来た。まだ返事が来たわけではないようだが、さくらこへの思いがつづってある。「彼女が遠くへ行ってしまったのは分かっているし、これだけの年月が経ってしまってはもうほとんど望みがないかもしれない。14年の間にはいろいろなことがあったとしても仕方がない。だけど、彼女がずっと忘れられない理由というのは他でもない、彼女がこちらにいた頃から好きになってしまい、だけど、そのときは勇気がなくて、思いを伝えることができなかったから。以来、彼女を思い出さなかった日は一日たりともない。何とかして連絡をとって、今度こそ思いを伝えたい。それだけでいい。どうか幸運を祈っていて下さい。音信が再開するかもしれないと思うと、わくわくするけど、反面、緊張で居ても立ってもいられない気持ちだ」。がんばれよ。
●先回り、ショボい結果に
2日後、Luisから何も言ってこないということは、相方さんからの返事をまだ待っているのだろうか。こっちでも手掛かりが見つからないかとそのサイトを見ていると、掲示板があった。読んでいくとさくらこの書き込みもあり、メールアドレスが残してある。先回りしては興をそぐかと思いつつも、早く展開が知りたくて、さくらこに直接メールを送ってみた。これこれこういう話なんだけど、14年前、カリフォルニアにいましたか、と。夕方6時ごろ。
夜10時ごろ返事が来た。なんとっ。「私は日本生まれの日本育ちなので、海外で生活したことはありません」とな。人違いじゃん。がぁーーーっ。終了~。わずか3日間の盛り上がりであった。写真を見てまでも間違うなんて、どうかしてるよ。
恋煩い氏にメールを送った。「時として我々は現実の厳しさと冷淡さに直面しなくてはならない。だけど、我々には希望をもつという能力が備わっており、それを頼りにものごとを前へ前へと進めていかなくてはならない。(中略)悪いけど、私にできることはすべてしたと思う。力を落とすなよ」。
返事が来た。14年前の写真と私のサイトの写真は本当によく似ているのだとか。しかも名前まで同じなもんだから、てっきりそうかと思ったと。私には本当に感謝しているという。で、これからもあきらめずに探すという。
ところでさくらこは私のことをよーく覚えていてくれた。今年の夏コミにも参加するので、よろしく、とある。実際、その週の土曜日にコミケのコスプレ広場で会うことができた。アドレスを探し出して送ってしまった水曜の変なメールのことを謝ると、気にしていないし、楽しめたという。だけど14年前に19歳だったなんて、そんな歳では絶対にないという。そりゃ確かに失礼な話だなー。「見つかることを祈ってます」との言葉をもらった。
●引越しで途切れた音信
話は水曜に戻るが……。Luisは私にはすごく感謝しているし、とんだ茶番につき合わせて申し訳ないことをしたという。そう言われると、ここで降りてしまうには忍びないような気がしてくる。まだ私にできることはないか。
しかしその一方では、それが本当にいいことなのかという疑問もないわけではなかった。思いが募るあまり、自分の側の思いにばかり囚われてしまい、相手のことを考えるゆとりをなくしていたとしたら、探し出された本人にはかえって迷惑が及ぶことになりはしないか。純粋に人を思う一途な心も、一歩間違えばストーカー行為の原動力にもなりかねない。とりあえず、これまでの経緯はどうなっているのか聞いてみた。もんのすごく長いメールが来た。要約すると……。
さくらことは大学時代に知り合った。授業の後で街へ出て食事でもどうかと誘ったらOKしてくれたのが始まり。彼氏彼女という形ではつきあってはいなかったかもしれないけれど、多くの時間を共有した。彼女が日本に帰ってからも、何通も手紙をやりとりした。電話番号も聞いていた。
ところが引越したときに、彼女からの手紙を全部入れていた箱をなくしてしまった。しかも、新しい住所はまだ伝えていなかった。そのころ彼女はいやな感じの男からつきあってくれとしつこく迫られていて、どうしたらいいかと相談してきていた。その手紙が最後になった。
彼女の住所は部分的にしか覚えてなくて、その部分だけ書いて手紙を何通か送ったけれど、返事が来なかった。おそらく届いていなかったのだろう。インターネットが普及しだしてからは、検索サイトに名前を入れてみたりしたが、ヒットしたサイトは全部無関係だった。それから日本語を勉強し、パソコンの言語設定を日本語にしたら、検索サイトの表示も日本語になった。ひらがなで「さくらこ」と入れてヒットしたのが私のサイトだった。
それと、部分的に覚えていた住所から、完全と思われる住所が復元できた。留学先から帰ったときの住所ということは、おそらくご両親のところだろう。もし本人がいなくてご両親が読んでも分かるよう、日本語で手紙を書きたい。
彼女が今でも私にとってどれほどの存在かと言えば、もし彼女が見つかってつきあいを再開してくれるというのであれば、アメリカでの生活を何もかも捨てて、日本に移り住みたいほどだ。彼女が弾いていた曲を聴くとつらい。彼女に思いを伝えられなかったのがつらい。再会することができたら、今度は必ず言う。遅すぎたかもしれないが、思いが伝えられればそれでいい。今の状態では、他の人に思いを向けることなど、全然できない。最近、また元の街に引っ越してきた。どうしてもあの頃のことを思い出してしまう。
……ということで、和訳を手伝ってあげた。14年間の募る思いを抱えているとは言え、まわりが見えなくなって猪突猛進、トラブルを起こしてしまう、といったアブナいタイプの人ではなさそうだ。
●探偵まがいのこと
こういうことに加担するのはいいことなのか、どうなのよ、という葛藤にはかなり悩んだ。追いかけている側が純粋な動機からだとしても、探されている側にとって、単純に喜べることなのか。例えば既に結婚して、子供もいて、平穏無事に暮らしているとしよう。それを知った彼は、これはどうにもならぬ、とあきらめるというのもひとつのありうる結末だ。それで終われば何でもないとは言え、探し出された方には心配の種が残らないか。探し出されたこと自体にも、喜べないものがありはしないか。
逆に手を引いてしまった場合、自分には火の粉が降りかかることはなくても、その後のことに素知らぬふりをすることになる。もし成り行きをずっと見守っていれば、まずいことになりそうな風向きになってきたときには、手を打つことだってできる。
ストーカー被害がよく話題になるご時世でもあり、アンケートをとったらおそらくこの手の人探しには反対する人の方が多いかもしれない。現在の社会は不信や猜疑に覆われている。人を見たら泥棒と思う側の理屈が支配的になってきている。しかしそれは、ここ数年の傾向であって、以前はそうではなかったし、将来はどうなるか分からない。
5~6年前、原宿でビジュアル系のコスチュームの人たちを撮らせてもらっていた頃、彼女らの差し出す名刺には本名や住所が書かれていた。おかげで写真を送ってあげることもできたし、お礼の手紙や年賀状やイベントの案内などをもらうこともあった。それがなくなったのは、やはりトラブルが起きるからなのだろう。同人誌の奥付からも、本名や住所は消えていく傾向にある。世の中を変えていく力は悪意の者が握っているというのも皮肉なもんだな。
将来の世の中は、犯罪抑止の名目の下に、プライバシーは一切認められず、すべての人のすべての行為がお互いに筒抜け、というふうになっているかもしれない。今回のような人探しは誰にでもいとも簡単にできる代りに、探していること自体がまた筒抜け。おかげで悪いことはできない。あるいは、反動で、社会は別の方向性を追求しているかもしれない。日本というひとつの狭い地域における、ある過渡期の事情に左右されて、ものごとの善悪を簡単に判断してしまうのも、どうだろう。
というような葛藤に悩みつつ、8月11日(木)の仕事帰りに千葉県のその番地へ行ってみた。着いたのは夜の10時半。探し当てたその番地には10軒ほどの家が該当し、一軒一軒表札を見てみるも、彼女の姓は見当たらず。しかし、この挙動、思いっきり不審だよな。見られて通報でもされた日にゃ、即、犯罪者。そうなったらデジクリに獄中記を書こう。
公衆電話で電話帳をめくってみるが、やはりその住所にその姓の人、なし。その住所の区画の真ん中へんには広い駐車場がある。ひょっとすると以前には家があって、引っ越した跡地なのかもしれない。
Luisにそのことを伝えた。引っ越したとしても、ちゃんと郵便局に届け出ていれば転送してもらえるので、その住所に手紙を送ってもらうことにした。もう、可能性薄。あとは近所に聞き込みとか。うう、だんだんヤバくなる気が……。
●新たなる手がかり
8月16日(火)になって、新たな手がかりを見つけたという知らせが来た。運命のめぐり合わせで、かつてさくらこと一緒に住んでいた人に偶然出くわしたという。彼女が持っている住所は、自分のよりも新しいという。旧住所と新住所に手紙を送り、返事を待っているというのが現在の状況。
さらなる展開があったら、またお知らせします。
【GrowHair】[email protected]
カメコ。……なのだが、今回はオタクワールドでも何でもなくてすいません。Luisにその種の話題を振ってみても、全然反応してくれない。なじみがないらしい。さくらこさんのことが上手くいった暁には、アナハイムで開かれるアニメエキスポに案内ぐらいしてくれてもバチは当らないと思うが。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/
>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■イベント案内
トークイベント「私といっしょに頑張ってきたWebデザイナーたち」
~あなたの興味×Webで何ができるのか~
< http://www.dhw.co.jp/tokyo/akiba/1003
>
───────────────────────────────────
1日29万ページビューと驚異的なアクセス数を誇るWebメディア「Cafeglobe.com」( http://www.cafeglobe.com/
)の代表、矢野貴久子講師が、Webデザイナーという仕事について、プロデューサーの立場から、お話しいたします。あなたの興味×Webで何ができるのか。Web業界屈指の女性起業家が、いっしょに頑張ってきたデザイナーたちの実例をご紹介しながら、みなさんにアドバイス。
ゲスト:矢野貴久子(株式会社カフェグローブ・ドット・コム代表取締役デジタルハリウッド大学院客員教授)
ナビゲーター:櫻井孝昌(デジタルハリウッド株式会社取締役)
日時:10月3日(月)
第1部 「スペシャルトーク」20:00~21:00
第2部 「コース説明会」21:00~22:00
場所:デジハリ秋葉原校(秋葉原ダイビル7階)
参加:要予約・無料
定員:100名(先着順)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(9/30)
・無断撮影された写真を(財)日本ファッション協会サイトに掲載された結果、ネット上の別の掲示板で服装を中傷され精神的苦痛を受けたとして、30歳代の女性が協会側に慰謝料など330万円を求めた。東京地裁は、肖像権の侵害を認め「下品な中傷で女性は通院が必要となった」などと述べ、35万円の支払いを命じる判決を言い渡した、という新聞記事があったので、検索したら多分これかというサイトが現れた。今週のベストショットというページで、東京の最先端ストリートを行く人(個人、ペア)を正面から捉えた上手な写真だ。「被写体としてご協力を頂いたご本人様には、写真撮影時に当サイトへの掲載その他のご許可を頂いております」との断り書きもある。03年7月、東京・銀座を歩いていたくだんの女性は無断で撮られちゃったらしい。その頃は無断でやっていたのかな? これだけ個人が特定できる写真では、悪意はなくても無断掲載はまずい。判決は「第三者が悪意をもって中傷することまでは予見できなかった」として慰謝料を算定したとある。被写体に無断でサイトで公開したら、そういう覚悟は必要ということか。気をつけなくては。ところで、その女性の服の胸に赤い文字で「SEX」というデザインが施されていたことから中傷されたというが、それだけでなくものすごいセンスだったようだ。しかし、今週のベストショットに出てくる人たちの姿も、なんだかなあと思う。(柴田)
・モモヨさんの記事や、後記が「のまネコ問題」のまとめサイトで紹介されていた。ありがとうございます。この問題は、単に黒いイメージのある2ちゃんねるに限った話ではなくて、今回のような事態を黙認してしまうと、前例を作ると、様々な面でクリエイターの権利が踏みにじられる可能性があるということを知って欲しい。2ちゃんねるだろ~、嫌いなんだよね~、2ちゃんねるがどうなろうと関係ないし、なんて思わないで考えて欲しい。
この問題の一番大きなところは、「著作権者のわからないものを、わからないことをいいことに、一企業が著作権を主張し、商標登録によって独占しようとしている」ということ。元ネタであるモナーを使って儲ける事が一番の論点ではない。パブリックドメインという話もあるが、誰かが描いたわけだし、死後50年は経っていないだろうし、剽窃して良いはずがない。モナーは既にいくつかの企業の手によって商品化されているが、それに関しては皆は咎めなかった。将来著作者が出てきた時のために使用料をプールしていた人だっていたそうだ。本来の著作権者に入るはずのお金を寄付でもしてしまえば美談にもなっただろうに。
もう一つの論点はアスキーアートに著作権を認めるかどうか。文字を組み合わせてできる文章には著作権はあるが、それを絵にした場合は著作権と認められないというのが主流。でもこれは今のネット時代をふまえたものではないので認められる可能性はあるだろう。国がアニメやマンガ、ゲームを知的財産として認めはじめたよね。日本独自のアスキーアートも財産として認めてしまわないと海外でパクられてしまっても知らないよ。日本は自然資源が少ないからコンテンツ産業を大事にしないと。
後記なので長くは書けないが、どんな問題があるのか調べていって欲しい。別の問題点が見つけられるかもしれない。次は例え話を書くかもしれない。阪神のヒッティングマーチの事件とどう違う?(阪神優勝おめでとう!)
文化のわかるメディア、世の中の移り変わりを読めるメディア、たとえば「インターネット」が少しずつ広まりはじめた頃、馬鹿にしないで早くから真剣に向き合っていたメディアは、これらの問題点を理解していて無視せずに取り上げていこうとしている。この問題の表層だけを見ずに、論点を切り分け、様々な問題を取り上げ深く掘り下げ続けてきたメディアのプライドを持って報道していってほしい。これがソニーと東芝の話なら一面じゃない? 日本と海外なら? 法律は権利を振りかざすためのものではなくて、守るためにあるんだよね? 好きだから自然と影響を受けたというならここまで皆は問題視しない。最初はモナーそのものを使っていたのに、商品化にあたり、わずかに改変し、その改変したものを自分たちの著作物と言い張り、著作権管理会社まであらわれたそのやり方に驚き、問題点を指摘しているのだ。一企業を責めたくてこれを書いているんじゃない。前例を作りたくないのだ。日本はそういうのが許される国じゃないよね? 家電メーカーや車メーカーならどう対応し問題を収拾すると思う? 何かあってから、実はあの時報道したかったんだけど、なんて言葉は聞きたくないからね。(hammer.mule)
< http://www.bmybox.com/%7Estudio_u/nomaneko/
> のまネコ問題まとめ
< http://blogs.itmedia.co.jp/kurikiyo/2005/09/post_43a9.html
> PD
< http://news.braina.com/2005/0302/enter_20050302_001____.html
> 詐称
< http://ja.wikipedia.org/wiki/
>ヒッティングマーチ管理委員会
< http://tigers-hm.net/copyright.html
> 社会貢献のため寄付
< http://www.jasrac.or.jp/release/05/03_3.html
> ほっておくと
< http://www.dgcr.com/seminar/knn.html
> 検索ビジネスから学べる事
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
発行 デジタルクリエイターズ < http://www.dgcr.com/
>
編集長 柴田忠男 < [email protected] >
デスク 濱村和恵 < [email protected] >
アソシエーツ 神田敏晶 < [email protected] >
リニューアル 8月サンタ < [email protected] >
アシスト 鴨田麻衣子< [email protected] >
情報提供・投稿・プレスリリース・記事・コラムはこちらまで
< [email protected] >
登録・解除・変更・FAQはこちら < http://www.dgcr.com/regist/index.html
>
広告の御相談はこちらまで < [email protected] >
★等幅フォントでご覧ください。
★【日刊デジタルクリエイターズ】は無料です。
お友達にも是非お奨め下さい (^_^)/
★日刊デジクリは、まぐまぐ< http://mag2.com/
>、
E-Magazine< http://emaga.com/
>、カプライト< http://kapu.biglobe.ne.jp/
>、
Ransta< http://ransta.jp/
>、melma!< http://www.melma.com/
>、
めろんぱん< http://www.melonpan.net/
>、MAGBee< http://magbee.ad-j.com/
>、
のシステムを利用して配信しています。配信システムの都合上、お届け時刻が
遅くなることがあります。ご了承下さい。
★姉妹誌「写真を楽しむ生活」もよろしく! < http://dgcr.com/photo/
>
Copyright(C), 1998-2005 デジタルクリエイターズ
許可なく転載することを禁じます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■