理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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湯布院正心館 佐竹館長講話「白紙の心とは何か」2010.12.17

2010å¹´12月30æ—¥ 14時01分44秒 | å¹¸ç¦ã®ç§‘学 宗教 宇宙 UFO 霊(スピリチャル)

湯布院正心館 佐竹館長講話「白紙の心とは何か」2010.12.17
ブログ・心に届けたい
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皆様、こんにちは。ようこそ、湯布院正心館に
おいで頂きました。

本日は12月度の二度目の七の日でございます。
この聖なる日を、ここ湯布院正心館にて相集う
ことができましたことを、主に心より感謝申し上げます。

本年は『創造の法』を賜りまして、この『創造の法』
に基づきまして、一年間流れて参りました。

まずは「『宇宙の法』入門」が説かれまして、
その後陰陽道につきましても、また深く学ばせて頂きました。

そして、選挙もございましたし、
また中華帝国の危機というものについての
実体もはっきりと分かって参りました。

そしてまた、レプタリアンの存在ということに
つきましても、私たちは深く認識をするという一つの
流れが出て参りました。

この一年間を見ましても、昨年と比較致しまして
、非常に変化・スピードが早いと言いますか、
あっという間に物事が展開していくと、何か
アクション映画を見ているような感じの時代の
流れになってきております。

そして、この時代の流れはまた、過去を振り返りまして、
そういった事例といいますか、その参考に
なるものを引っ張り出してきて対応できる
というものではなくて、常に全く新しい
局面に立たされているということに対して、
主は創造力、新しい発想・先見性、
そういったもので、私たちをお導き
くださっているわけでございます。

まさしく、この地球的危機の時代に対して、
『創造の法』によってお導きを頂いている
この一年間であったと思います。

そして、この『創造の法』の中でも、
中心的な考え方というのはイノベーション
ということであろうと思います。
イノベーションとよく言われていますけれども、
自己変革とも言われるものでございます。

このイノベーションの中心というのは二つあると。

簡単に言いますと、逆発想しなさいと、逆さまに
発想しようというのがありますね。

もう一つは捨てなさいというこの二点ですね、
要約しますと。これを主張した人が、
一人はシュンペーターという方がいて、
この方は異業種結合といいますか、
違うものをくっ付けて新しいものにしなさいと
言いましたし、

ドラッカーという人は体系的破棄という
難しい言い方をして、まとめて捨てろと
言ったわけですね。これを簡単に言いますと、
このシュンペーターの言う異業種結合という
言い方は、何か難しいんですけれども、
もっと平たく言うと、逆に考えなさい
ということでございます。

また、ドラッカーも難しいことを言って
いるんですけれども、一言で言うと、
捨てろということです。

通常はこれができないわけですね。
通常、この二つができない。
できるにはどうすればいいかと言うと、
白紙の心を持たなければいけないということです。

白紙の心、固定観念を持たない心、
今までのしがらみを捨て去った心ですね、
これを持たない限り、これがなかなか
できないですね。白紙の心を持たないとできない。

この白紙の心について、主は今年一年間
どのようなことを展開してくださったかというと、
霊言集でございます。霊言集が大量に出て参りました。

もう60冊以上出てきたわけですけれども、
この霊言集、主が白紙の心をお持ちである、
無我なる心をお持ちであるが故に、こういうこと
が可能であったということでございます。

また、この白紙の心というものがあるが故に、
霊的な現象というものも降りてくるわけですけれども、
ここで問題になりますのは、白紙の心がないと
正確な色が分からないということですね。

ということで、今年一年間はこの白紙の
心の具体的な展開というものを、
主は私たちにお教えくださったわけです。 

けれども、翻りまして自分の白紙の心とは
一体何かというと、今仏宝護持研修などで
学んでいる極めて重要なことは、守護霊の
心をもって白紙というかということなんですね。

通常ですね、私たちも初期の頃、守護霊と
同通するということは非常に素晴らしい体験で、
この辺に一つの正しさの基準を持つという
ようなことを思いましたけれども、
守護霊の世界は残念ながらまだ白紙では
ないということがよく分かったということです。

というのは、守護霊と言っても自分とほぼ
変わらない人ですから、考え方にやはり傾向性
を持っておりますね。ということで、真っ白
ではないということです。

守護霊レベルは色がついているんだと。
ましてやですね、これが裏側であったり、
レプタリアンみたいなもので、
そのレプタリアンの中でもエル・カンターレに
帰依していないレプタリアンということになると、
もう別物であって話にならない。

もう色なんか思いっきりついている
ということですから、正しい色なんか
分かりません。
もう、ぐちゃぐちゃに
なっているということが分かりました。

ということで、白紙とは一体何なんだと。
自分の守護霊に問うてみて、意外と守護霊に
おいても過去の認識、過去世の経験に基づいて
判断してきますね。

しかし、今起きていることは前代未聞、

新しい時代、今まで人類が踏み込んだことが
ないような経験が目の前に起きて来ている時に、
守護霊も分からないですね。

ではどうするのか。そうではなく、
主エル・カンターレを信じることである。
何故ならば、主は根源の光であるので、
この根源の部分、根本の部分をしっかりと信じると。

じゃあ、どこで信じるのか。まず表面意識で
信じるべきです。地上に出ている我々が信じるべきです。

過去において、我々の魂の兄弟も出会ったことの
ない方に今私たちが出会っている以上、
出会ったその地上に出ている我々が信仰を
持たなければならないということです。

ですから、今現在いろいろな問題が出ております。
もともとはレプタリアンであろうが、潜在意識が
どうであろうが、その守護霊が何を言おうが、
地上の人間がしっかりとした主に対する帰依の
姿勢を貫いたならば、関係ありませんね。

潜在意識がどう言おうが、表面意識において
我は主を信じるということがしっかりと固ま
ったならば、潜在意識を変えていくことは
可能であるということです。

何も潜在意識に振り回される
必要などないということになります。

これがまず言えることではないのか。


ですから、根源なるものがすべてですから、
これを基準にしなければいけない。
その基準にするものを白紙と言っていると。

この白紙の中にどういう教えがあるかというと
七色光線という教えを私たちは頂いております。

七つの色、いろいろな多様な考え方があり、価値もある。

それを全部素晴らしいものとして見ていくということです。
一色だけではないんだと。
一色で全部染めようとしているのではないんだと。
すべての色を包含していくという考え方です。

そうしますと、この七つの色が混ざりますと
何になるかというと、また白になっていくんですね。

太陽の光もプリズムで分かれますと
七色になるんですけれども、その七色を合わせますと
また太陽の光の色になっていきます。

本当は黄金の色になっていくんでしょうけれども、
そのように元に戻っていくものである。
ということは、主を信じることによって
白紙の心を得られるということは
何を意味するかというと、自由ですね。

究極の自由。何故ならば、色が偏っておりませんから、
本当に自由自在。しかも、あらゆるいろいろな
個性を認められるような寛容な心、これを
得ることができるというのが、白紙の心ではないかと思います。

そこで、もう一度戻りますと、主のもとにおいて
私たちは白紙の心というものを得たとしたら、
これによって初めて創造性というのは出てくるんじゃないのかと。

創造性というのは、自由じゃないとできませんよね。
ある枠を設けられて、この中でやりなさいとか言われたって、
その限界を越えることはできません。

限界を越えるものは自由です。でも、自分は今まで
自由だ自由だと思っていたが、本当はある柵の中で、
或いは、箱庭の中で遊んでいただけかも分からない
ということを、今回お教えを頂いているとこのように思います。

そして、偉大なる主を信じることによって
白紙の心を持ったならば、自由に描いていけば
いいじゃないか、自由にキャンバスに描いていけば
いいじゃないか、自由に色を使っていけばいいじゃないか
ということを私たちは与えられると。

この自由性・創造性を与えられるということでは
ないかと思います。これを更に別の言い方をしますと、
奇跡の時代が始まるという予兆が、
今出ているのではないかと思います。

自由にこの光が降りてきて、そして自由に思ったように
展開していく。これを奇跡というのではないか。
しかし、この奇跡の前には白紙の心、究極の白紙の心、
主を信じるという心がなければならないということ
だと思います。

ですから、今私たちが学んでいることは、単
に自分の守護霊だけを頼んで何々するということではない。
それ自身がある意味で不自由であるかも分からないと。
それを乗り越えるものは、地上にいる私たちが主を
信じることによって真の自由を得る。

それをまた、潜在意識に戻していく。
そして、魂一体となって自由になった時に、
大いなる奇跡というものが起きてくるのではないか
とこのように思います。そういった善きこと、
福音の鐘が今鳴り響いているということではないかと思います。

その音を聞いてですね、私たちも本来の親の元に
帰るべきである。

それによって、また主の願われる理想に向かって、
力いっぱい伝道に尽くしていくという時代が来たの
ではないかとこのように思います。

そのように私たちにとって待ちに待った、素晴らしい
善き時代が今から始まろうとしているということに対して、
素直に主に感謝を申し上げまして、私たちも主の御手足
となれますように、また今年から来年に向かって
頑張って参りたいと思います。
ありがとうございました。
以上 .
 
 

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