理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

マスコミで報道されないような
情報と日記です(^▽^)/
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マスコミ批判に関する一考(23) マスコミに告ぐ、報道しない自由、報道の自由に責任を付帯させよ!

2010å¹´12月14æ—¥ 00時30分51秒 | ä¸€èˆ¬æ„›å›½è€…、 ご紹介記事。

マスコミ批判に関する一考(23) マスコミに告ぐ、
報道しない自由、報道の自由に責任を付帯させよ!

http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2010/12/post-5522.html
コンサルタント宇田川のちょっと変わったニュースとちょっと変わった解説より転載

マスコミ批判に関する一考(23) マスコミに告ぐ、
報道しない自由、報道の自由に責任を付帯させよ!

この文章は、激論ムック1月号に掲載される「報道しないマスコミ」
の特集の中の記事です。正式版は激論ムックでお読みください。

 菅直人内閣の支持率が急落の一途をたどっている。
もちろん、失政続き、とくに国家観なき弱腰外交での失敗は、
将来の大きな禍根を残した。このことは、昨年の総選挙で
「政権交代」を鵜呑みにして民主党に投票した多くの日本国民
を失望させ、民主党離れを起こさせた結果だ。このことは
「激論ムック」の読者のみなさんならば、ここに書かなくても
すでにご存じのことと思う。しかし、敢えてこれを繰り返した
のには理由がある。
 今回は、マスコミ批判ということだ。私は、私自身新聞社に
いることもあり、世の中の安易なマスコミ批判には同調しない。
とはいえ、今のマスコミの報道体制、ことにテレビ報道の印象
操作や番組編成には非常に強い不満と、デマゴーグに陥る危険性
をはらんだものであるということに危惧している一人でもある。

新聞社にいる私にとって言えることは、「報道の自由」
「報道しない自由」は報道機関の裁量として存在するものと思う。
しかし、「自由」には必ず「責任」が伴う。
マスコミは「報道しない自由」を主張する以上「報道しなかった
ことによる責任」を負う義務もあるのだ。現在のマスコミに決定的に
欠けているのは、この「責任」の部分である。まさに、マスコミ各社は
「自由」と「勝手」を履き違えており、「勝手に報道しない」
「報道しなかったことの影響に責任を負わない」というような傲慢
さを持っている。これが最大の問題なのだと思う。私自身、新聞社
としてこの責任を全うできているかといえば、そうではないかも
しれない。しかし、その責任を意識していることによって
、少しでも良い記事を目指そうとするのが国民と国家への義務では
ないのだろうか。
 さて、ではマスコミは何をを「報道しなかった」のか。私の
知る限り、マスコミのほとんどは、現在の事態を予想していた。
現在の事態とは、まさしく民主党に失政続きで外交で失敗し、
そして政治が迷走することをさす。では、いつごろどうしてそれが
分かったのか。民主党の幹部たちは「公約を守る体質にない」
民主党議員の性質を知っているのである。
 ある新聞社のデスクは語る。「私たちは、民主党の幹部、とくに
今首相の菅直人の『言葉』が信用できないものであることは、十分
に報道してきましたよ。それでも民主党に投票したのは国民ですから」
と、国民にその責任を転嫁している。ではその「十分な報道」とは
何を指すのか。新聞社のデスクはこう続ける。「だって、菅直人の
ことをネットで『ミスターブーメラン』って言うじゃないですか。

あれって、要するに菅直人は自分のことを棚に上げて無責任な言葉で
しか話せないということを言っているのでしょ。そのことを知って
いても、民主党が政権をとったんですよ」とのこと。
 私は、この新聞社のデスクに「では、菅直人の三権分立否定はなぜ
報道しなかったのか」ということを言うと、初めて新聞社デスクは
言葉が止まった。
 昨年九月一七日、NHKのクローズアップ現代という番組に出演
した菅直人副首相(当時)は、「日本国憲法には三権分立の規定は
ないんですね」といった。この時NHKのアナウンサーは、何の
反応も示さずにそのままほちしてしまったのである。しかし、与党
第一党で副首相である人物が、日本国憲法の理念を根本から覆す発言
をしたのであるから、その発言は話題になってしかるべきであった。
ここで批判を受けなかった菅直人副首相は、その後之通常国会の
参議院でも「日本国憲法では三権分立は存在しない」という持論を
展開。その理由として「議員改革制は内閣胡国会が一体であるから」
という理由が出てきている。
 
当然にこのような主張が通るはずがない。しかし、このような主張を
もとに民主党の国会軽視が横行するようになる。麻生内閣の補正
予算の「執行停止」は、本来国会で決議された予算を、国会の審議
もなく予算執行を行わないということを意味し、当然にマスコミに
よって、そして国民によって非難されるべき行為である。
しかし、マスコミはまったくそれを行わなかった。話題になった
事業仕分けも同じ内容だ。事業仕分けは、国会で審議された独立行政
法人の予算の使い方を一政党にすぎない民主党と民間の仕分け人と
いう、何の基準で集められたかわからない人々が、国会で決められた
予算と行政組織を「いじめ」のごとく批判し、国民の意思も国会の
決議もなくその執行を停止するものだ。これらを総称して「政治主導」
などと言っているが、結局のところ、三権分立による権力構造を専横
して、独裁に近い形で好き勝手に国の形を壊していったにすぎない。

正当なことをやるのであれば、しっかりとした国会審議を行えばよい
のに、密室で議論し、国会審議を数時間しか行わずに強行採決して
ゆく。このような民主党の国会運営は、国民の批判の的になった。
 
この国会運営の方法は、「革命」を標榜する菅直人・仙谷由人の
執行部になってからより一層鮮明に国民生活を蹂躙するようになる。
殊に、尖閣諸島問題における仙谷官房長官による「司法への介入」、
要するに逮捕した中国人衝突船長の政治介入と中国との密約による
いわれなき釈放は、まさに三権分立の最後の砦であり、良識を護る
べき司法の場まで政治権力が侵犯した非常に危険な兆候である。

明治時代、日露戦争直前にロシア皇太子(当時)ニコライ二世を襲撃
した津田三蔵巡査を、法律に従い、政治的な圧力に負けず無期懲役に
し、日本の司法の独立を世界に示し、日本を近代国家として知らし
めた大審院の時代以前に、仙谷官房長官は戻してしまったのだ。
このような民主党の雰囲気が、柳田稔法務大臣の国会軽視発言などに
つながり、国民の政治不信を増大にしているのである。
 
あの時「菅直人、もしくは民主党が三権分立を否定しているのは、
日本国において危機である」という報道をなぜしなかったのか。
先出の新聞社のデスクにさらに問い詰めた。デスク曰く「いや、
そんなことを言っても国民は興味ないでしょう」これが答えだ。
私がさらに「君が報道しないことによって、日本の政治において
空白の時間や失政が相次ぎ、日本国が国際的な信用を失い、そして
国民の生活が悪くなるとは思わなかったのか」と聞くと、「そこまで
の責任を負って報道などできないでしょ」というのが答えだ。
「報道なんで、嘘を書いてはいけないと思う。しかし、書かなか
ったことの責任まで言われても困るんだよね」これがマスコミの
正体だ。
 通常のマスコミ批判は「報道しない自由がおかしい」という。
しかし、森羅万象全てを報道することはできないのだ。だから当然
に様々な現象に対し、限られた紙面もしくは時間の中で取捨選択
をしなければならない。これがマスコミの実態だ。しかし、その
選択する権利と自由を持っているということはそこに責任が付帯
されているということを彼らはどうしても忘れてしまう。
結局「大衆が望むもの」という言い訳で「わかりやすい、簡単な
構図の記事」を書いてしまい、最も重要な最も安易な記事に流れて
しまう。根本や原理には触れたがらない。しかし、その最も重要な
ところが問われている。

そのことに関し、上記デスクのような「無責任」な報道を流して
いるようでは、国民は選択を誤ってしまうのだ。その無責任な報道
に乗った政権が今の無責任内閣になっている。

 敢えて言う。報道しない自由、報道の自由に責任を付帯させよ!


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