小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

テロとグローバリズムと金融資本主義(その3)

2016å¹´01月16æ—¥ 23時14分07秒 | æ”¿æ²»

      




 このシリーズ(その1)で私は、第一次大戦時にバルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたのに倣い、現在の世界情勢がその当時によく似ていると指摘したうえで、次のように書きました。

 しかし、今やこの「火薬庫」の力が、かつてにも増して地球の隅々にまで広がりつつあることは明瞭です。そればかりではなく、その「火薬庫」それ自体のもつ意味がかつてとは変質しつつあります。それは単に、地球が狭くなったために、人の集まる賑わい豊かな都市ではどこでもテロが起こりうるようになったといった変化を表しているのではありません。(中略)「火薬庫」は今では、現実の火薬の爆発や殺傷の危険を秘めた場所だけを意味するのではなく、一つの象徴的な意味、日々の生活において私たちの大切にしているものをじわじわと破壊してゆく見えない動きという意味を担うようになったのです。それはむしろ「携帯(させられてしまった)化学兵器」あるいは「庭先やベランダに遍在する地雷」とでも呼ぶべきかもしれません。その心は、私たちの生産、消費、物流、情報交換などの生活活動そのものの中に常に、爆発の要因が深く埋め込まれるようになったということです。

 この「携帯(させられてしまった)化学兵器」「庭先やベランダに遍在する地雷」という言葉で表現したかったのは、金融資本の極端な移動の自由が、各国の普通の国民の生活を、真綿で首を絞めるようにじわじわと圧迫し、困窮に追いやっていくという現実についてです。この金融資本の極端な移動の自由は、国境とまったく関係なく、どこの国のどの企業やどの資源・産業にいくら投資しようが投資家の勝手しだいという様相を呈しています。ここで投資家とは、個人投資家ではなく、むしろそれをリードしている金融機関・グローバル企業などの巨大な機関投資家を指しています。
 こうしたグローバル資本主義が極限まで進むと(現に進んでいるのですが)、どの地域においても、極端な貧富の格差をもたらし、その結果として、世界のあちこちで怨嗟が鬱積し、貧困者の群れや経済難民が大量に発生します。そのコントロールを誤った地域では暴動や内乱や革命に発展します。
 現在の世界の為政者には、このことの恐ろしさと、そうなる必然性に対する認識と自覚が不足しているように思えてなりません。テロを絶対に許すなとか、市民的自由を守れとかいった道徳的な掛け声は盛んですが、繰り返すように、現在みられるようなテロの多発には、金融グローバリズムの極限までの進行による超格差社会の出現(再来)という、経済構造的な要因が根底にあるので、それを何とかする方策を考えない限り、けっして解決しないでしょう。
 もちろん、わが国の為政者(安倍政権、特に財務省、経産省)も、その無自覚さにおいて例外ではありません。それどころか、この政権は、金融グローバリズムの最大の発信地であるアメリカ・ウォール街の意向にひたすら追随するような経済政策を採り、自ら進んで自国民を貧困化に追い込み、世界のハゲタカたちの餌食として差し出すようなことばかり推進しています。以下、その政策を列挙してみましょう。

①TPP条約締結による自国産業保護の精神の放棄と、医療・福祉・保険分野への外資の強引な参入受け入れ。
②規制緩和路線による優勝劣敗の精神の導入、結果としての低価格競争によるサービスの劣化と過剰労働の強制。つい先日のバス転落事故にもこの政策が影響しているでしょう。
③「地方創生」と称して脆弱な地方を自由競争に巻き込むことによる都市と地方の格差拡大。
④消費増税によるデフレの長期化。
⑤緊縮財政による需要創出の抑制。
⑥外国人労働者の受け入れ拡大による低賃金競争の呼び込み。
⑦労働者派遣法改正(悪)による非正規労働者率の増大。
⑧農協改革による組合組織の解体と株式会社化を通してのグローバル資本の呼び込み。
⑨育児期の女性の労働市場への駆り立てによる人件費の削減とゆとりある育児の困難化。
⑩電力業界における再生可能エネルギーの固定価格買取制度・電力自由化・発送電分離による安定供給の解体。

……と、数え上げればきりがありません。

 これらはすべてひっくるめて、グローバル資本やごく一部の富裕層を利することは明らかです。そうしてその根底には、新自由主義イデオロギーがでんと居座っています。それは裏を返せば、日本が経済的な主権を放棄し、国民生活を発展途上国並みに追いやる道をひた走ることにほかなりません。よくもこれだけ「悪政」の見本をそろえてみせてくれたものだと驚いてしまいます。
 これこそが、私たち日本人がいま出くわしている「携帯(させられた)化学兵器」なのです。それを提供しているのは、経世済民を第一に考えなくてはならないはずの日本政府なのです。テロを警戒せよ、警戒せよと騒いでいる間に、安倍政権は、こうして着々と(?)一億総自爆テロの準備を進めているわけです。
 
 しかし、このように安倍政権が進めているグローバル政策のひどさを抽象的に列挙しただけでは、その国民貧困化の現実を実感できないかもしれません。以下に、いくつかの資料を示します。

①老後に夢も希望もない! 現役世代に忍び寄る「下流中年」の足音
http://diamond.jp/articles/-/82697
http://diamond.jp/articles/-/82697?page=2
http://diamond.jp/articles/-/82697?page=3
http://diamond.jp/articles/-/82739
http://diamond.jp/articles/-/82739?page=2
http://diamond.jp/articles/-/82739?page=3

 この記事からさわりを一つだけ紹介しましょう。

 30代前半までの「離職」が、中年での下流化につながるケースもある。Sさん(36歳)は、現在フリーター状態だ。彼は4年前まで一流企業に勤めていたが、日々の仕事にストレスを感じて退社。それからフリーターを続けているという。
「会社を辞めるときは、もう会社員にウンザリして『一生フリーターでいい』と思いました。それで2年ほど暮らしたのですが、実際にフリーターになってみると、生活を切り詰めるのは辛く、また将来も不安になってきます。ただ、いざ会社員として復帰しようにも、なかなか再雇用してくれる企業はなく……。今考えると、4年前の決断は安易でしたね」


②「派遣法改正案」のいったい何が問題なのか(「案」となっているのは、記事掲載当時はまだこの法律が国会を通過していなかったからです。)
http://toyokeizai.net/articles/-/73553
http://toyokeizai.net/articles/-/73553?page=2
http://toyokeizai.net/articles/-/73553?page=3

 この記事で戸館圭之氏が述べている改正派遣法の問題点を簡単にまとめると、次のようになります。

 a.同じ労働者が派遣先の同一組織で3年以上働くことはできない。
b.3年を超えて雇用されることを派遣元が依頼することができる。
c.専門26業務とその他の業務の区別を取り払う。

 aは労働者を入れ替えて使い捨てにすることが容易になる規則ですね。厚労省はこれをキャリアアップのためなどと言い訳していますが、逆だろう!と突っ込みたくなります。 bは「依頼することができる」となっているだけなので、派遣先が断ればそれで終わりです。
 cは一見平等を期しているようですが、内実は正規雇用への可能性の道をいっそう閉ざすものです。これまでの派遣法では、専門26業務の派遣労働者が同じ派遣先で仕事をしている場合、その派遣先が新しく直接雇用をする際には当の労働者に雇用契約の申込み義務があるという制度が存在し、これにより当の労働者に直接雇用の見込みが不十分ながらあったのに、今回の改正(悪)ではこの制度が削除されたのです。

③そして、非正規社員割合がついに4割に達しました。政府は有効求人倍率のアップや失業率の低下だけを見て、雇用は改善していると嘯いていますが、問題はその中身です。非正規社員の給与は正規社員のそれに比べてはるかに低く(三分の二未満)、また男性の非正規社員の未婚率は正規社員のそれに比べてはるかに高い。政府はこの現状をどう見ているのでしょうか。少子化対策では、一向にこの問題に触れていません。

http://www.komu-rokyo.jp/campaign/data/


http://www.garbagenews.net/archives/2041223.html


http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3256.html


④「死ぬまで働け」・始発まで待機……ワタミ、当時の実態
http://digital.asahi.com/articles/ASHD85Q03HD8ULFA02X.html?rm=450

 ブラック企業の代表・ワタミが、女性社員の自殺から7年たってようやく過労自殺の責任を認めたわけですが、それにしても、社長の渡辺美樹氏が自民党の参議院議員をぬけぬけと勤めているというのは、許し難いことですね。

⑤一億総貧困社会がやってくる ニッポンの最貧困密着ルポ(週刊スパ2015年12月29日号)から一例を引きましょう。

 中高年にとって「介護離職」は年々、深刻な問題になっている。離職をきっかけに貧困生活へと転落してしまう例も少なくない。群馬県で母親の介護を続ける山西さん(仮名・52歳)も、介護が原因で、年収が520万円から160万円まで激減した。
「82歳になる母親は、心臓病や甲状腺の病気のほか、20年以上もうつ病にも悩まされていたりと、もともと体が弱い人でした。それが父の死や私の離婚などが重なり、とても一人じゃ生活させられない状態になってしまって」
 当時、山西さんは都内で勤めていたが実家に拠点を移し、片道1時間半の通勤と介護生活に耐える日々を続けたという。(中略)
 毎日終電近くまで残業を強いられ、たまの休日は母親の病院の付き添いで休むこともできない。そんな山西さんを病が襲った。
「無理がたたったのか、私もうつ病になってしまったんです。休職しても改善せず、母親の介護もあるので復帰をあきらめて地元の教育関係のアルバイトを始めました。今は大量のうつの薬を飲みながら、何とか介護を続けています」
 貯金も底をつき、頼りたい嫁も今はいない。山西さん自身のうつも悪化と再発を繰り返し、現在は母親の年金にも頼る生活だという。
「この先、もっと介護の出費が増えたらバイトの掛け持ちもしないと……自分の老後を考える余裕などありません」


⑥貧困寸前! 急増する「女性の生活苦」知られざる実態
http://diamond.jp/articles/-/83467
http://diamond.jp/articles/-/83467?page=2
http://diamond.jp/articles/-/83467?page=3
http://diamond.jp/articles/-/83467?page=4
http://diamond.jp/articles/-/83467?page=5

 この記事の中の概要部分を引用しておきましょう。

 色々な指標を見ると、そうした現状が見て取れる。たとえば、日本は子どもの6人に1人が貧困と言われ、OECDの発表によれば子どもの相対的貧困率はOECD加盟国34ヵ国中10番目に高い。また、ひとり親世帯の子どもの相対的貧困率はOECD加盟国中最も高い。ひとり親家庭の貧困率は50%を超える。そして、日本の平均世帯所得は1994年の664.2万円をピークに下がり続けており、2013年は528.9万円となっている。
なかでも前述したように、若年層を中心とする女性の貧困は深刻だ。昨年1月にNHKで放送された「深刻化する“若年女性”の貧困」では、働く世代の単身女性のうち3分の1が年収114万円未満と報じられた。非正規職にしかつけず、仕事をかけ持ちしても充分な収入が得られないという状況だ。


⑦また、現在年収200万円以下のワーキング・プアは、1100万人もいて、男性は全勤労者の1割ですが、女性勤労者では、なんと4割を占めます。
http://www.komu-rokyo.jp/campaign/data/
http://heikinnenshu.jp/tokushu/workpoor.html
 そういう人たちの多くは、乳飲み子や幼子を抱えながら、働かなければ食べていけないので、仕方なく職に就いているのです。

 以上、貧困化へと邁進している日本国民の経済状態を詳しく見てきましたが、政府は、有効な景気浮揚策(それは何よりも、アベノミクス第二の矢であったはずの財政出動です)をなんら打たずにこの現状を放置し、見て見ないふりをするために、「一億総活躍社会」だの、「すべての女性が輝く社会」だの、「GDP600兆円」だのと、空しい掛け声だけを上げています。そうしてやっていることは、先に見たような、グローバル資本家、グローバル投資家を富ませるだけの新自由主義的政策ばかりなのです。

 こうして、グローバリズムと行き過ぎた金融資本主義は、たとえ直接にテロや暴動や革命に結びつかなくても、中間層を貧困層へと追い落とし、そのすそ野をどんどん広げていきます。そうして怨嗟の蓄積が限界に達した時、相互扶助精神の発達したこのおとなしい日本国民も、いつか単純なスローガンのもとに集結して立ち上がるかもしれません。それがいまわしい全体主義への道に通ずるものであることは、歴史が教えています。
 EU・ユーロ圏の悲惨な状態や中東の終わりなき紛争、中国経済の破滅的状態に対して、日本は一国としてはほとんど何もできないでしょう(これらの危機が波及してきたときに瀬戸際でガードすることはできますが)。しかし、国民生活の安定と秩序を維持するためには、わが国は他国に比べて数々の有利な点を持っているのです。それらを活かすことは不可能ではないのに、安倍政権は国民経済や国民文化を破壊するグローバリズムの方ばかり向いています。
「ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国に相応しい資本主義を」と宣明したのは安倍首相自らです。いったいこの言葉を彼は覚えているのでしょうか。グローバリズムべったりの現在の安倍政権の性格に何としてもストップをかけなくてはなりません。


最新の画像[もっと見る]

5 ã‚³ãƒ¡ãƒ³ãƒˆ

コメント日が  古い順  |   新しい順
グローバリズムと人倫の関係について (原田 大介 )
2016-01-18 22:35:41
小浜先生

興味深く拝読しました。グローバリズムというかヘッジファンドや機関投資家を中心とする金融資本主義の担い手達は、その「超」国家主義(国際ではなく、国家が眼中にないという意味で)から、どうしても、倫理的な意味において、責任を持ちようがなく、その結果、倫理が欠落するように思うのですがいかがでしょうか。

ですが、共産主義という悪夢から覚めてしまった今、新自由主義(的なロジック)に代わるエートスというか背骨のようなものを安倍政権も含めて、誰も多くの人が納得できるような形で語れていないことが、閉塞感の元であるような気がします。

倫理と金融資本主義の関係は上述のように理解しておりますが、小浜先生は、その著作において「人倫」という絶妙なニュアンスの言葉をお使いになられるので、その理解を伺いだくコメント差し上げました。
(オープンクエスチョンかつ抽象的で申し訳ございません)

急な大雪など、非常に寒くなってまいりましたので、ご自愛ください。
返信する
原田大介さんへ (小浜逸郎)
2016-01-19 15:28:13
コメント、ありがとうございます。

おっしゃる通り、国境無視の上に成り立つグローバリズム、そして「経済的合理主義人格」の仮定にもとづいた新自由主義には、もともと倫理の成り立ちようがありません。

市場の自由原理の元祖は、アダム・スミスであるように理解されていますが、彼の『道徳感情論』を読みますと、それは誤解で、彼は人間の活動における道徳性を最も尊重していることがよくわかります。また、佐伯啓思氏の『アダム・スミスの誤解』を読みますと、スミスは当時の新自由主義に相当する重商主義に対して国民経済を守るモチーフをもって『国富論』を書いたこともわかります。

過激なマルクスも、穏健(?)なケインズも、その思想活動の源には資本主義の暴走を食い止めようとする倫理的モチーフがありました。

さてお尋ねの件ですが、「人倫」とは文字通り「ひとのみち」ということですから、今日のグローバリズムの暴走に対しても、なんとかこの「ひとのみち」の重要性を説いていかなくてはなりません。しかし、グローバリゼーション(グローバリズムではなく)が極限まで進んだ現代にあっては、なまなかの精神論などでは歯が立ちません。「ひとのみち」を根底に踏まえながら、行き過ぎた資本の自由に有効なブレーキをかけうるような提言をしていく必要があるでしょう。さしあたって2つの方向性が考えられます。
①国際経済の共倒れを防ぐために、極端な資本移動の自由に対して一定の規制をかけることを提案し、IMF、世界銀行など国際諸機関や先進諸国の中央銀行の合意を取り付ける。
②各国は自由貿易至上主義を改め、国の扉を半ドアくらいにしておく。

これ以上の細かい点について言及することは、今の私の手に余ります。また何の権力も手にしていないので、言ってみるだけ空しいような気もします。
お答えになりましたでしょうか。
返信する
訂正とお詫び (小浜逸郎)
2016-01-19 18:42:32
先ほどのコメントで、佐伯啓思氏の書名を『アダム・スミスの誤解』と誤って表記してしまいました。正しくは『アダム・スミスの誤算』です。訂正してお詫びいたします。
返信する
お礼 (原田 大介)
2016-01-25 21:25:41
訂正も含め、丁寧なお答えを頂き、ありがとうございました。もう少し自分なりに考えてみます。考えるヒントをありがとうございます。(小林秀雄じゃありませんが…)
返信する
追記 (原田 大介)
2016-02-15 19:04:36
アダム・スミスの誤算、読みました。これから下巻ですが、先生が誤解としたのも納得できました。内容的には「誤解」が正しいですね。蛇足ですが…
返信する

コメントを投稿