井出英策教授の『幸福の増税論』で最も印象深かったのは、「なぜ、新自由主義という間違っているはずの政策が大勢に支持されるかに思いをはせ、対策を講じる必要があった」と自己批判し、「新自由主義的な言説は、明確な成長のビジョンを示せなかった左派やリベラルの言説を無効化した」、「新自由主義やアベノミクスの誤りを力説するだけではダメなのだ」とする部分であった。成長や仕事が欲しいという国民の切実な願いを、どう受け止めるかは、極めて重要だ。これに対し、井出教授は、成長の幻想を捨てさせ、そのために消費増税による分かち合いを説くのである。
………
予め言っておくが、筆者は保守の立場であり、現実主義、漸進主義を信条としている。それゆえ、「ネオリベ」における自由の放埓さは、まったく受け付けない。そして、本コラムでは、それに代わるべく、「明確な成長のビジョン」を示すとともに、増税なしに、社会保険の改善によって大規模な再分配が可能なことを明らかにし、その具体策を提案してきた。すなわち、井出教授とは、批判の対象は同じでも、処方箋は異なるわけである。
アベノミクスが国民に支持されたのは、最初の1年において、金融緩和に財政出動を組み合わせて、大きく成長を回復させ、雇用を増やしたからである。他方、その欠点は、2年目に増税で消費を圧殺し、その後も緊縮財政で内需を低迷させたことだ。すると、代わり得る明確な成長のビジョンは、ストレートに「緊縮の緩和」となろう。一般政府の資金過不足は、2012~17年度の5年間でGDP比5.5%も改善しており、これはやり過ぎなのである。
この5年間のGDPの実質成長率の平均は1.3%だったから、年度平均1.1%の緊縮はいかにも過大であり、抑圧がなければ、成長率は2%半ばに高まっていたかもしれない。したがって、過去の実績だけで、成長できないと思うのは早計だ。また、2%成長なら、毎年、新たに10兆円の経済力を得るということであり、厚生年金の国庫負担が10兆円弱であることを踏まえるなら、ある程度の成長があれば、社会保障の維持はまったく問題ないと分かる。
………
重要なのは、成長と財政再建の両立であり、要はバランスである。その点、アベノミクスは、過激な緊縮路線なのだから、対抗したければ、成長の果実の全部を財政再建に充てず、社会問題の解決にも分配する路線を掲げることであろう。例えば、「緊縮半減、一兆円施策」といったキャッチフレーズはいかがか。むろん、かつての自民党・石橋湛山政権の「一千億円施策、一千億円減税」のマネだ。
年々の国の予算を、社会保障の自然増の5000億円だけに抑えるのではなく、別途1兆円の新施策を用意する。幼児教育無償化が8000億円、高等教育も同規模であることを踏まえれば、1兆円の使いでは大きい。そして、非正規への育児休業給付の実現、社会保険料軽減と適用拡大と、連続して再分配の強化策を打ち出し、普遍性の欠落を一つずつ補修すれば良い。それでも、財政再建は、ペースが緩やかになりつつも、着実に進んでいく。
アベノミクスの最大の成果は、財政再建の大幅な進捗だ。一般政府の「赤字ゼロ」の到達までは、GDP比であと2.5%程に迫る。ここから緊縮ペースを半分にしても、2025年度には到達できる計算だ。きつい緊縮の犠牲で、これだけの余裕ができたのだから、「ハイ、ご苦労さん」とばかりに、チェンジオブペースでおいしいところを頂いたらどうか。アベノミクスは2020年度の財政再建目標を達成できなかったと、あげつらうよりマシだろう。
………
戦後、保守主義の原型は、湛山に始まるように思える。精一杯、成長させて、果実を国民に還元する。アベノミクスは、還元なき成長戦略であり、革命的言辞を弄する点でも、保守からは距離がある。かつての革新は、成長より分配と主張して、保守に敗れた。分配は薄くとも、成長優先の人手不足が賃金上昇による総中流化をもたらしたのである。ところが、保守は、構造改革に狂い、1997年の過激な緊縮財政によってデフレに転落し、取り柄を失う。
バフル崩壊後、財政出動をしても、成長が回復しなかったが、消費は着実に伸び、これを基盤に設備投資は底打ちしていた。現実を見据えて、漸進しておけば、悲劇は起こらず、経済は平常に復していただろう。ところが、財政出動は効かないという誤った教訓を得て、緊縮しながら、構造改革で成長を果たそうとし、失敗を繰り返すことになる。それは、還元なき成長戦略への変質であり、外需が得られたときだけのうたかたの夢でしかなかった。
人は苦難に遭うと、一気の逆転を狙ったり、諦めの境地に陥ったりするものだ。しかし、それは、却って事態を悪化させる。高度成長と総中流化は、リアリズムの徹底がクリエイティブの域にまで達したものである。財政再建におけるグラジュアリズムを捨てたとき、もはや、保守は過去となった。右だろうが、左だろうが、「改革」が人気を博し、実情に根ざした改善は受けない世の中だ。筆者のような保守派のオールドケインジアンは、そう思うのである。
(今日までの日経)
改正入管法 成立へ。平成の30年・アパレルに明暗。税収60兆円程度に。米、中国ハイテク排除。景気回復 最長への関門・増えない可処分所得・「賢い工場」活発な設備投資・世界経済に頭打ち感。
※2018年度の国の税収は61.1兆円になると見ている。御当局の60兆円だと、11月以降の毎月の税収の前年比が物価上昇率並みの1.1%まで落ちる計算になる。そこまで景気が急減速するようなら、とても消費増税は無理だろう。きちんと税収や資金過不足を把握し、世の中で共有することが、現実に則した経済運営の第一歩である。
(図)

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予め言っておくが、筆者は保守の立場であり、現実主義、漸進主義を信条としている。それゆえ、「ネオリベ」における自由の放埓さは、まったく受け付けない。そして、本コラムでは、それに代わるべく、「明確な成長のビジョン」を示すとともに、増税なしに、社会保険の改善によって大規模な再分配が可能なことを明らかにし、その具体策を提案してきた。すなわち、井出教授とは、批判の対象は同じでも、処方箋は異なるわけである。
アベノミクスが国民に支持されたのは、最初の1年において、金融緩和に財政出動を組み合わせて、大きく成長を回復させ、雇用を増やしたからである。他方、その欠点は、2年目に増税で消費を圧殺し、その後も緊縮財政で内需を低迷させたことだ。すると、代わり得る明確な成長のビジョンは、ストレートに「緊縮の緩和」となろう。一般政府の資金過不足は、2012~17年度の5年間でGDP比5.5%も改善しており、これはやり過ぎなのである。
この5年間のGDPの実質成長率の平均は1.3%だったから、年度平均1.1%の緊縮はいかにも過大であり、抑圧がなければ、成長率は2%半ばに高まっていたかもしれない。したがって、過去の実績だけで、成長できないと思うのは早計だ。また、2%成長なら、毎年、新たに10兆円の経済力を得るということであり、厚生年金の国庫負担が10兆円弱であることを踏まえるなら、ある程度の成長があれば、社会保障の維持はまったく問題ないと分かる。
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重要なのは、成長と財政再建の両立であり、要はバランスである。その点、アベノミクスは、過激な緊縮路線なのだから、対抗したければ、成長の果実の全部を財政再建に充てず、社会問題の解決にも分配する路線を掲げることであろう。例えば、「緊縮半減、一兆円施策」といったキャッチフレーズはいかがか。むろん、かつての自民党・石橋湛山政権の「一千億円施策、一千億円減税」のマネだ。
年々の国の予算を、社会保障の自然増の5000億円だけに抑えるのではなく、別途1兆円の新施策を用意する。幼児教育無償化が8000億円、高等教育も同規模であることを踏まえれば、1兆円の使いでは大きい。そして、非正規への育児休業給付の実現、社会保険料軽減と適用拡大と、連続して再分配の強化策を打ち出し、普遍性の欠落を一つずつ補修すれば良い。それでも、財政再建は、ペースが緩やかになりつつも、着実に進んでいく。
アベノミクスの最大の成果は、財政再建の大幅な進捗だ。一般政府の「赤字ゼロ」の到達までは、GDP比であと2.5%程に迫る。ここから緊縮ペースを半分にしても、2025年度には到達できる計算だ。きつい緊縮の犠牲で、これだけの余裕ができたのだから、「ハイ、ご苦労さん」とばかりに、チェンジオブペースでおいしいところを頂いたらどうか。アベノミクスは2020年度の財政再建目標を達成できなかったと、あげつらうよりマシだろう。
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戦後、保守主義の原型は、湛山に始まるように思える。精一杯、成長させて、果実を国民に還元する。アベノミクスは、還元なき成長戦略であり、革命的言辞を弄する点でも、保守からは距離がある。かつての革新は、成長より分配と主張して、保守に敗れた。分配は薄くとも、成長優先の人手不足が賃金上昇による総中流化をもたらしたのである。ところが、保守は、構造改革に狂い、1997年の過激な緊縮財政によってデフレに転落し、取り柄を失う。
バフル崩壊後、財政出動をしても、成長が回復しなかったが、消費は着実に伸び、これを基盤に設備投資は底打ちしていた。現実を見据えて、漸進しておけば、悲劇は起こらず、経済は平常に復していただろう。ところが、財政出動は効かないという誤った教訓を得て、緊縮しながら、構造改革で成長を果たそうとし、失敗を繰り返すことになる。それは、還元なき成長戦略への変質であり、外需が得られたときだけのうたかたの夢でしかなかった。
人は苦難に遭うと、一気の逆転を狙ったり、諦めの境地に陥ったりするものだ。しかし、それは、却って事態を悪化させる。高度成長と総中流化は、リアリズムの徹底がクリエイティブの域にまで達したものである。財政再建におけるグラジュアリズムを捨てたとき、もはや、保守は過去となった。右だろうが、左だろうが、「改革」が人気を博し、実情に根ざした改善は受けない世の中だ。筆者のような保守派のオールドケインジアンは、そう思うのである。
(今日までの日経)
改正入管法 成立へ。平成の30年・アパレルに明暗。税収60兆円程度に。米、中国ハイテク排除。景気回復 最長への関門・増えない可処分所得・「賢い工場」活発な設備投資・世界経済に頭打ち感。
※2018年度の国の税収は61.1兆円になると見ている。御当局の60兆円だと、11月以降の毎月の税収の前年比が物価上昇率並みの1.1%まで落ちる計算になる。そこまで景気が急減速するようなら、とても消費増税は無理だろう。きちんと税収や資金過不足を把握し、世の中で共有することが、現実に則した経済運営の第一歩である。
(図)

この現実から目を背けるから、井出教授は増税を求めるし、国民は緊縮主義≒新自由主義を求めるし、筆者さんのような識者ですら均衡財政主義に陥り新自由主義の片棒を担ぐ。
どこが財政出動頼みなのだろう。増税前提の予算なら心細いにも程がある。どこがツケを先送りしてるのだろう。景気回復を犠牲に財政収支は改善しているというのに。
批判する方向が明々後日過ぎて絶望してしまう。