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SNSは相互に監視されている

2019-05-12 14:51:04 | ç¾ä»£å²

佐伯啓思著 『異論のススメ 政論のススメ

 

 

1 今や、正月が平日と変わらなくなったのは、ボーダレスの影響か?

 

 「正月は、多くの店が開き、デパートやショッピングセンターなども二日から営業している。普通の休日と変わることはない。かつてのすべての活動が停止した空白の時間日常に割り込んできた不便極まりない非日常の時間を味わうことは大変難しい。

 

 

日の丸はおろか門松もしめ縄もあまり見かけなくなった。あの死んだような空白の時間と静寂はどこへ消えたのか。

 何やらバリアフリーの時間を文字通り何の障害もなく移動しているようなものである。

 ボーダレス社会とはこういうものなのだろう」と。

 

昔は、子供頃、公園で凧揚げをしたり、コマを回したりした。今はあまり見かけない。

 

日本は右化していると、言われるが、祝日にも日の丸を揚げている家はあまり見かけない。

正月やこの前の十連休を見ればよい。みんなが行くところへ、自分も行く、ただそれだけでないのか。分けもわからず、正月に神社へ行くのも、みんなが行くからだろう。日本人の幼児化現象ではないかと思う。

しかし、外国人移住が多くなるにつれて、正月の神社参拝も崩壊するかもしれない。

 

正月せめて三が日は店もあかず、家でじっくり考える時間を国が作るべきではないか。

 

 

2 スポーツすることは、まともな態度を保てない状態?

 

「スポーツとは、「デイス・ポルト」から出た言葉である。「ポルト」とは、「停泊する港」という意味である。「デイス」はその否定であるから、「デイス・ポルト」とは、停泊できない状態、つまり、秩序を球てない状態であり。はめをはずした状態、ということになる。「ポルト」はまた、「態度」という意味もあり、、「まともな態度を保てない状態」という事になる」と。

 

スポーツというからには、息をはずませる。僕は、この状態が嫌いだ。はあ、はあ・・・と。

この状態の人と話をすると、何となく叱られていると思わないだろうか。あるいは、相手のせっかちな状態がこちらに伝わり、平静状態になれない。

 

マインドフルネスになるには、スポーツは厄介なものだ、と思う。

 

また、 ホイジンガは、今日、スポーツから遊びが失われている、

そもそも祭祀との関連がすっかり失われ、ただ勝つことや記録だけが自己目的化され、カネをかけた大規模な大会に組織され、機械的で合理的な訓練が優位になり、もっぱら職業的な活動となっている。政治も経済も、もともと遊びに淵源を持つ」と。

 

これを読んで、スポーツ選手のインタビューを思い出す。

みんな人形のように、「オリンピックで楽しんできました」や「自分にご褒美をあげたい」とか。

何となく気持ちの悪い表現としか言いようがない。

オリンピックで一秒でも速く結果を出す、が決まり文句で、お金のためと言う人も多いはずだ。

 

 

 

 

3 何事も偏らず、中立で?

 

 「シューマッハーの『スモール・イズ・ビュウテイフル』によると、人間が、安定した生活をし、よい社会的関係を作って行くには、ものごとには適切な規模がある、という。

 

 巨大信仰、効率科学技術、成長信仰ではなく、人間の身の丈に合った経済活動があるはずだ、という。科学技術の力を使って経済成長を生み出す現代の巨大な機械技術は、人間が楽しんでする仕事や、頭や手を使って行う創造的な仕事を奪ってしまった。人間の尊厳や創造的能力も破壊しかねない」と。

 

この文章を読んで、感じたのは、何事も一つに固まってはいけない、と思ッた。

 

雑誌には過激な表現で読者に買ってもらおうする。特に、右寄りの雑誌に韓国、中国への誹謗をあらわにしている。

そして、5年後、中国は崩壊するとか、平気で書いて、崩壊せず、飽きもせず、同じ論調で10年後、崩壊すると言い出す。読者にお詫びもせず、平気でくり返す。どういう心理だろう。

 

 「この世に絶対はない」とカール・ポッパーは言ったが、今の常識がいつ覆されてもおかしくない。

 

テレビの健康番組でも、「これを食べれば、健康になる真実」とかいったものが多い。

それを真に受けて、翌日、買い物へ行くと、すべて売り切れる。かつての納豆がいい例だ。今は、サバ缶か。

食品にはいい面もあるが、マイナス面もある。それをテレビはなかなか言おうとしない。

色々な物を少しずつ食べるのがいいと思うが。

黑か白か解答があるはずだと焦らない。

二分割思考に陥ってはならない。

 

世の中には答えがない。

だから、あれもこれもほどほどに中立を守るのがいいのではないか。

 

 4 今のSNSの社会は相互監視社会か?

 

 「今の自由社会は、過剰なまでの競争に駆り立て、過剰なまでの情報の中に投げ込み、メデイアやSNSを通じて、他人のスキャンダルを暴きたて、気に食わない者を誹謗する。実に不寛容な相互監視社会となった。これは一種の全体主義ではないか」と。

 

スマホの簡単に写真が撮れるようになって、自分の知らない間にインターネットに流され、下手をすると、脅迫される。

 

かつての東側の共産主義より、簡単に監視されているようだ。

 

また、スマホやインターネットをすると、時間泥棒に簡単に引っかかる。

 

 いつの頃からか、時間の流れが実感されない。本の一年前でも過ぎ去ってどこかへ消えてしまっている。

 この時代の特質なのかもしれない。ともかくも、日々がさしたる深みも味わいもなく、しかもただただあわただしく過ぎてゆく。

 

 

5 現代は精神的に一貫していない風潮があちこちに?

 

「終戦記念日の黙祷の厳粛さは、戦死者たちへの深い哀悼と生き残った者の自責に似た内省を示している。しかし、この厳粛さは、例えば、一分間過ぎると、もとの高校野球の熱狂と騒々しさに戻る。一分の黙祷の後には何もなかったかのように賑やかな宴が始まる。こうして、何を記念しているのかわからないうち戦後七十五年が過ぎてしまった」と。

 

テレビでも、ある時間帯は教養番組だが、則、コマーシャルで次の時間はお笑い番組になる。何ら一貫していない。

これを毎日見続けると、まさしく、精神的薄弱者になりはしないか。考えられない、その場が良ければよい人間になる。


恐るべしフランクフルト学派

2018-08-30 13:39:42 | ç¾ä»£å²

田中英道著  『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』

この本を読んで感じたのは、日本やアメリカの大学がいかにフランクフルト学派の共産主義化に汚染されていることとルーズベルト大統領がもっと、長生きしていれば、日本は共産国になっていた可能性があるという事だった。

 

 

1 なぜ、ルーズベルト大統領は日本に怨みを懐いたのか?

 

 「ルーズベルトの母の家は、中国貿易で財をなした。中国に親近感があり、日本が満州国を建国し、仏印へ進駐するに及んで、夜も眠れなく、日本に反感を懐いた」という。

 

 

2 ルーズベルトが日本に対して行った行為とは?

 

 「ルーズベルト大統領は、ユダヤ人の子孫で、原爆を作ろうとして「マンハッタン計画」をたてたが、ドイツの原爆開発に対抗するためであった。実際は、ドイツではなく、日本の十八都市への原爆投下命令書の方にだけサインをした。空爆もドイツには工業施設へ限定したが、日本には民間人をも巻き込む無差別爆撃であった。

 

ルーズベルト大統領はドイツ人を憎んでいない。憎んだのは日本人に対しであった」と。

 

3 アメリカと戦争をした時、東条英機首相が、真珠湾攻撃の計画を知ったのは、何と攻撃の一週間ほど前だったとは。

 

  「日本において、真珠湾攻撃の秘密は海軍内だけで留まり、ほかに知られなかった。時の総理の東条英機が知ったのは十二月一日の御前会議の直前、杉山元陸軍参謀総長から耳打ちされたときであった。東條は戦争を戦争を避けようとして、知らされなかったのだろう。陸軍主導であった戦争が、海軍に先行されたので、開戦前夜、東條は自室で慟哭した」という。

 

4 もし、日本軍が真珠湾攻撃でハワイの石油タンクを攻撃していたら、戦局は大いに変わっていただろう。

 

 「真珠湾攻撃で朝日新聞は「米海軍に致命的大鉄槌、戦艦六そうを撃沈大破す 航母一そう、大巡四そう撃破」と述べる。しかし、実態は、破壊できたのは戦艦二そうであり、ほかはサルベージされ修理され、戦艦に復帰した。空母三そうの一そうも撃破されていない。ハワイにある石油タンク群と巨大な海軍工廠も破壊されなかった」という。

 

5 フランクフルト学派が共産主義化を押し進める。

 

「アメリカのコロンビア大学のフランクフルト学派とは、もともとドイツのフランクフルト大学にいたユダヤ人の社会学の学者たちが、1923年に、マルクス主義のルカーチが設立したマルクス研究所から始まる。それが、ドイツ社会学研究所となり、ナチスの台頭で、アメリカに亡命した。ルカーチは「二十世紀のマルクス主義」と言われ、「歴史と階級意識」が基本書である。

 

ニューヨークのコロンビア大学ではもともと隠れマルクス主義のフランクルト学派の牙城である。ピュリッツァー賞は、コロンビア大学のジャーナリズム学科によってなされる。

 

 1960年代に、「貧困の撲滅」をスローガンに、アメリカの学生の間で五月革命を惹起した。

運動を思想的にリードしたのが、アメリカのフランクフルト学派のマルクーゼ、フロム、ホルクハイマー、アドルノなどユダヤ人マルキストたちだった。

 

6 ルーズベルト大統領は社会主義者で、日本と中国を共産国にしたかった。そのために、OSSを作った。

 

「ルーズベルト大統領は、OSSを作り、反日政策を実施し、社会主義を支持した。しかし、戦後、後任のトルーマンが解散させた。

 

 

 OSSこそが、蒋介石の国民政府を敗北させ、中国共産党の統一国家を作らせる計画を組織した。

 驚くべきことに、戦後ある時期までトルーマンとその部下たちは、スターリンとほとんど同じ、世界の共産主義化に同意していた。アジアの共産主義化をアメリカ一国で作り上げようとしていた。戦後の日本の検閲まで、それが貫かれた。つまり、アメリカとソ連は一致して、ある時期まで中国と日本の社会主義化を意図していた。

 このことは、1941年から始動し、1942年に立ち上げたOSSの存在によって、明確になっている」と。

 

7 構造改革を熱心に言う人にはご用心。

 

「マルクス主義は、労働者は階級闘争を忘れる。階級意識を持たせるために、文化活動全般で、階級意識、差別意識を作り出す運動を起こさなければならない。彼らの間で「批判理論」という。イタリアのグラムシに引き継がれ、戦後「構造改革路線」の名で広まったた」と。

 

8 現在の日本国憲法に宗教の規律がない。欧米の憲法を見よ。キリスト教の規律すれ憲法などあるか?

 

「憲法第二十条に「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とある。これは、「国家神道」を否定するために、「神道指令」とともに記された。

 しかし、キリスト教国では到底考えられないものである。欧米の法律が、キリスト教の神を想定して、規律を述べていることを知っている者たちが、意図的に日本人の精神性を抜き取ろうとした社会主義憲法である」と。


クジャクのメスは賢い

2018-07-28 14:51:26 | ç¾ä»£å²

鈴木紀之著 『すごい進化』
最も、興味がわいたのは、クジャクのメスはオスを相当、審査した上で選ぶということだった。人間以上にすごい脳を持っているのではないか。
 1 「クジャクのオスは美しい羽を広げてメスにアピール。メスは具体的にどのように判断しているのか。
 オスの羽にある目玉模様の数が求愛のコミュニケーションに重要。目玉模様が魅力的オスをアピールをするためのシグナル。
 しかし、目玉模様の数は一次審査だった。オスの目玉模様は少ない個体で120個。多い個体で160個。目玉模様がある標準の145個より少ないオスはメスから選ばれず。だからといって、目玉模様の数が多いほど、メスにもてるわけではない。
 メスはオスの目玉模様をまじまじと観察。まさか紙と鉛筆で数え上げるわけにはいかない。
 そこで、新たなシグナルとして、鳴き声が追加された可能性がある。目玉模様の数という一次審査を突破したオスは、甲高い声を響かせることがメスに対する重要なアピールだった。」
次に、チョウのオスはメスに交尾できれば、得という考えで、すでに交尾したメスの周りを飛び回る。メスにとって迷惑そのもの。進化学でもセクシャルハラスメントと呼ぶのは面白い。

 2「モンキチョウやアゲハチョウは、よく一匹のオスがメスの周りにまとわりつく。
 たいていは、メスはすでに交尾しており、受精に必要な量の精子を体内に蓄えている。
 しかし、オスは交尾できるかもしれないと思い、メスにちょっかいを出す。このオスの行動はメスには迷惑。オスがメスにもたらすこの行動を、進化学の専門用語で「セクシャルハラスメント」と呼ぶ。オスは不要どころか、繁殖の邪魔になる。」

三つ目に、テントウムシはアブラムシをエサにするが、テントウムシの子供に与えたいが、他の生き物に食われるかもしれない。
そのため、テントウムシは卵を産んだ時に、孵化する卵と孵化しない卵の二通りを用意する。テントウムシは子供の面倒を見ないが、運よく生まれた子供には孵化しない卵を用意して後にする。なかなかの頭脳プレイヤーだ。
 3「アブラムシは幼虫のエサを期待するには心もとない。テントウムシの母親は、孵化した幼虫がハンティングしやすいように、アブラムシのコロニー(群れ)の近くに卵を産む。しかし、産卵から孵化の間に他のテントウムシや肉食性昆虫がアブラムシを食べるかもしれない。このように近くのコロニーが失われた時は、幼虫は共食いをする。多くの昆虫同様に、テントウムシの母親は産卵後、子(卵)から離れる。その後も面倒を見ず。しかし、母親は不測の事態に備えて、わが子に「お弁当」を持たせる。テントウムシの孵化しない卵は、母からの幼虫への追加投資なのです。」
四番目に、昆虫はある植物の上に寄生し、食べ物にするが、かなり以前は、自由に植物を選んでいた。それができなくなった。時代が進むにつれて、植物は食べられたくない、昆虫は食べたいの欲望でせめぎ合いが続く。軍拡競争と名付けたのは名文句だと思う。

 4「アメリカの生物学者のエーリックとレーブンは論文で、軍拡競争にもとづいた仮説を提示。
 
 植物は昆虫に食べられないように「毒」となる化学物質を葉に貯めこむ。すると、昆虫は、その化学物質を体内でうまく解毒できるメカニズムを進化させる。植物も負けていません。今度は、別の種類の化学物質を作り上げて、昆虫の食害から葉を守る。このように、両者のせめぎ合いが続く。異なる種類が影響を及ぼし合い進化することを「共進化」という。共進化の中で、植物と昆虫は敵対的で、時間がたつにつれて、エスカレートするので、軍拡競争と呼ばれている。
 特定のペアで軍拡競争が進むと、昆虫は別の植物を食べられなくなる。軍拡競争によって、スペシャリストとなった状況を「進化の袋小路」と表現。共進化の歴史が現在のエサ選びを規定してしまったのです。」
 5「ダーウィンは、外来植物に注目して、近縁な種類どうしは同じ環境で暮らしにくいと気づいた。
  近縁な種類がすでに生育している場合、新たに持ち込まれた植物は定着しにくい。近縁な種類の存在が帰化に対する生物的なバリアになっている。今日では、「ダーウィンの帰化仮説」と呼ばれている。」
六番目に、重大事故が起こる前には、軽い事故が何度か発生しているという。その軽い事故が起こった時にいかに反省できるかが指導者、経営者の仕事となる。

 6「ハインリッヒの法則とは、現場における
 一件の重大な事故の背景に、数十件の軽微な事故が発生している。さらに、事故とは言えないが異常な出来事(いわゆるヒヤリ・ハット)が何百件も起きている。それぞれの事故が発生する回数はピラミッド型になっている。」
 7「DNAの配列が解析できるようになり、近縁種の一部のDNA配列が混ざっていることがあった。その原因は、近縁種との交尾を経て世代を繰り返すうちに、近縁種のDNAが浸透して取り込まれた。
  ホモサピエンスとネアンデルタール人とは別種ですが、同じヒト属に分類。互いに近縁な種類。およそ五万年前、両者はヨーロッパや中東で同じ時代を過ごした。
 眠りから覚めた古代のDNAは、ホモサピエンスの中にネアンデルタール人のDNAが数パーセント含まれている。ホモサピエンスとネアンデルタールが過去に交雑したことを示唆している。」
八番目に、最近、やたらと暑い。実際、36度と人間の体温より暑くなると、外に出るきがしなくなる。熱帯で生きている人は当然、温帯で生きている人より、動いたり、頭を働かせたくない理由がしみじみとわかった。
 8「ジャレド・ダイヤモンドは『銃・病原菌・鉄』の中で、「なぜ、ヨーロッパの白人はいろいろ発明して豊かになったが、パプアニューギニアや他の途上国はそうならないのか」と疑問を呈する。
  
 ダイヤモンドは、ヨーロッパの人々が暮らしてきた地理環境が文明の発展に有利だった、と指摘。」
 

 9 「マラリア原虫は単細胞の生物で、ハマダラカという蚊によって人へと媒介。人の幹細胞についたマラリア原虫は無性生殖で増え続ける。その後、赤血球へ侵入。高熱が出、死に至るケースあり。今でも、年間40万人の死者。アフリカ。アジア・太平洋諸島・中南米の熱帯で流行。
 しかし、特別に抵抗性を持った人々がいる。
鎌状赤血球血症の患者です。マラリア原虫は、鎌状になった赤血球に侵入できない。ある病気(マラリア)に対して有利になるために別の病気(貧血症)が維持されている。
 マラリアが流行していない地域では鎌状の赤血球はデメリットのみ。抵抗性が進化してほとんど分布せず。
 一方、古くからマラリアが流行している地域では、高い割合で、鎌状赤血球貧血症が維持。」

キング牧師の演説口調は大いに勉強になった

2018-07-26 14:51:15 | ç¾ä»£å²
黒崎真著 『マーケティン・ルーサーキングー非暴力の闘士』
非暴力をなすために、ロールプレイで白人と黒人の役を決めてするとは、徹底している。そして、キングのノーベル平和賞の賞金をすべて、寄付し、死んだときの資産は貧困ラインすれすれだったとは。
そして、キングの演説口調はリズミカルで、同じ言葉を何度も繰り返す。我々が朝礼をしたり、何かの時に話す時に参考になった。

 1 キングは自宅の壁に、ガンディーの存在を感じられるように、肖像画を飾った。キングはこのガンジーにあこがれて、非暴力を学んだ。
 
 2 キングは、三世代にわたる牧師の家系に生まれる。バプテスト教会の牧師であった。

 3 キングは、三点において、共産主義はキリスト教信仰とは相容れないとした。
第一に、神の場所を認めない唯物論的歴史解釈において
第二に、「目的は手段を正当化する」という倫理的相対主義において
第三に、個人の自由を軽視する政治的全体主義においてである。
 しかし、階級なき社会への関心は正しいとした。

 4 キングはコレッタと結婚するが、価値観を共有した。キングは、中産階級の出自で自分で勝ち得たものではないから、南部で黒人教会で大衆のために奉仕したいという。同じ思いがコレッタにもあった。

 5 説教を通じて、会衆は、神におる解放が一瞬到来した感覚になる。会衆は語られる内容だけでなく、、説教者の語り口、リズム、反復、口調の中に、「神に臨在」を確認。説教者の語りに対して、会衆は、「そうです(yes)」「繰り返して(repeat that)」「アーメン」などを語り返す。それが会衆が説教の中で「神の臨在」を確認していること説教者に知らせる方法だった。
こうして、キングはデクスター教会での第一歩を始めてた。
 6 キングの説教のスタイルは、最初は、準備原稿をゆっくり読む。そして徐々に、原稿を離れ即興的になる。口調も速くなり、感情的になる。抽象論を語らず、日々の経験や生活に即して語った。

 7 敵をいかに切り崩すかが重要。非暴力の抗議者を敵が暴力で攻撃すると、敵の道徳的正統性は失われる。そして、内部分裂となる。メディアを活用すると、世界世論を味方につけられる。メディアの前では、敵も無制限の暴力を慎む傾向になる。こうした柔術的メカイズムが自衛へとつながる。

 8 キングはニューヨーク市のハーレムで自著に署名中、精神錯乱の黒人女性に左胸を刺される。
 幸い、手術が成功し、キングは、人を刺す行為に及ぶほど苦しんでいた女性の状況を思いやり、その女性を「許す」と述べた。
 非暴力を自らの生き方としたキングを公的に知らしめた。
 9 非暴力哲学を実践するために、黒人たちは、ロールプレイをする
 南部白人役の者は、参加者に「このニガー」「猿」「神は白人だぞ」と罵る。小突く、顔からケチャップをかける。顔に唾を吐く。椅子を揺らして引きずる。参加者は冷静を保ち、礼儀正しい言葉を使い、非暴力を貫く訓練をする。
 ロールプレイの参加者は、毎回、どんな反応をしたか、感情を持ったか、非暴力を貫くには何が必要かを参加者同士で話し合う。これを繰りえ返し、自己統制ができるようになる。
 
 参加者は身を守る方法も訓練する。相手が殴りかかってくると、両手で頭部を抱え頭蓋骨を守る。顔を傷つけないように両肘をくっつけて目の前に持っていく。
 相手が引きずり倒し蹴ってきたら、身体を丸めて膝を顎まで引き寄せて、胸部や腹部を守り、両手で頭部を守る。一人が殴られていたら、相手に向かうのではなく、殴られている者に覆いかぶさり、殴打の衝撃を和らげる。こうして、黒人の参加者は公民権運動を牽引していった。
 
 10 キングはワシントン行進をする。リンカーン像を前に演説をする。「私には夢がある」I have a dream演説。もし、準備原稿通り済んでいれば、11分で終わるはずだった。しかし、準備原稿を読み終わる寸前に、思い立ち、アドリブで五分間の演説を加える。これが歴史的演説となる。
 「私たちは明日も困難に直面するでしょう。しかし、私には夢がある。(そうですyes) それはアメリカの夢に深く根差している夢です。私には夢があります。・・・・・いつの日か、自分の四人の子供たちが、皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国に住むようになるであろうという夢です。」
 音階的抑揚を伴う「私には夢がある」のリズミカルな反復。キングと聴衆の絆は一段と強まる。
 11 1964年10月、キングはノーベル平和賞を受賞する。12月のノルウェーの演説で、「この賞は公民権運動に関わった全ての人々が獲得したものである。」だから、キングは賞金5万4千ドル全額を、公民権諸団体と関連する特別基金に寄付をした。
 
 12 キングは個人の自衛原理自体を否定しなかった。組織的な抵抗運動において、非暴力の方が道徳的にも戦術的にも実際的であった。
 一方、マルコムXは非暴力を無抵抗と捉えた。だから、キングとマルコムXは公民権運動を自衛を公式に加える点で、キングと意見が合わなかった。

 13 キングはついに、暗殺されるが、彼自信、死の二か月前に教会で説教をする。死はつねに、時間の問題だと考えていた。自分の葬儀の時には、こう言って欲しいと語る。
 「私はだれかに、キングは他者に仕えるために命を捧げようとしたと言って欲しい。(そうですyes)・・・・誰かを愛そうとしたと言ってほしい。飢えた人に食べさせようとした、(そうですyes)・・・・・もし、皆さんが私は目立ちたがり屋だったと言いたければ、どうか正義のために目立ちたがり屋だったと言って欲しい。私は後に遺すいかなる金も持つつもりはない。後に遺す立派で贅沢な人生の品々も持つつもりはない。私はただ、捧げ尽くした人生を遺していきたい。(アーメン)それが私の言いたいことのすべてだ。」と。
 実際、キングが凶弾で倒れた時、キングの預金口座には、当時六人家族の貧困ラインとされる年間所得とされる五千ドルしかなかった。
 


7月4日(水)のつぶやき

2018-07-05 01:57:34 | ç¾ä»£å²