深い森の奥に、深い、とても澄んだ湖がある。
そのほとりに、わたしは立っている。
もう、ずっとここに。
そして、これからも一生ここに。
子どもの頃は、空を飛びたかった。
わたしの枝を訪ねる小鳥たちのように、わたしもどこか知らないところへ行ってみたかったし、この森を、遠くから、上から眺めてみたかった。
一度でもいいから。
叶わぬ夢。
そう、木に生まれたわたしには、どんなに頑張っても、叶わぬ夢だとわかっていたくせに、それでもどこかに魔法の呪文があると信じていた子どもの頃。
心の声で小鳥に話しかけてみる。
「ねぇねぇ。小鳥さん。どうやって飛んでいるの?」
小鳥は美しい声を出して答えてくれる。
「ち、ち、ち。そうだなぁ。考えたことはないけれども。
次に行きたい枝をじっと見るのだよ。
それで、えいやって身体を持ち上げてみれば、その枝に着いてるんだ。」
すれ違う鳥に、いつも尋ねてみたけれど、返事はいつも似たり寄ったりで、やっぱり自分にはできないとあきらめるようになった。
夢をあきらめることは辛かったけれど、いつまでもうちひしがれているより、上を向いて伸びていかなくてはならない、と身体の芯のほうから逆らえない指令のようなものがあった。
太陽の恵みを、身体中の枝と葉を伸ばして受け止める。
熱と光が全身を包む。それは気持ちの良い時間。
時には、鳥や虫たちがわたしの身体に巣を作る。
そうしてしばらく、わたしのそばにいてくれる。
それは心が躍る楽しい時間。
つらいのは、強い雨。あんまり激しく打ちつけられると、わたしの枝は折れてしまう。
そして、どんなに根で押さえようとしても、土が流され、根が地上に露出してしまう。
それでも、それを乗り越え、傷をふさいで、新しい枝を伸ばしてきた。
また太陽は登り、わたしは全身の葉を輝かせる。
わたしのいる場所は、きりたった崖の際。
だから、ここに来てくれるのは空から来る鳥のほかは、細い枝つたいの小さなリスくらい。
見たことのある一番大きな生き物は、人間というもの。
湖の向こうには、小さな村がある。
そこに住む人間たちが、ときどきボートを浮かべにやってくる。
とはいえ、ここまではまだ遠く、わたしは声すら聞いたことがない。
あれはいったい、どうやって生きている生き物なのだろうか。
わたしたち、木の仲間たちは、声というものを持たない。
そのかわりに、心の中で思ったことを、そのまま「想い」という形で伝えあっている。
あの人間というものも、鳥のように、さえずることで想いを伝えるのだろうか。
どんな声をもつのだろうか。
いつかわたしにも寿命というものが来て、生まれ変わることができるものならば、湖の上をあのように美しく軽やかに行ってみたい。
小鳥たちのように、声というもので想いを伝えあってみたい。
おしまい
イラスト by はんたろう
TB
うまれかわり うさとmother-pearl
あとがき
うさとさんの「うまれかわり」のものがたりにコメントをしたらお返事いただきましたよ。
>お花とか、草とか、が前世なんですね。
>なんて素敵でしょう。
せっかく素敵って言ってもらったのに。わたしの場合の「植物」って、樹木でした。
植物なら、なんでも良い気もするんですけど、せっかくなら、少し背が高くて風景が見渡せて、草花よりは長生きできる樹木。色気よりも・・・みたいかな(笑)。
「うまれかわり」を読んでですね、わたしの前世、なんだろって考えてみました。
今まで、このブログで何度となく植物(この場合はお花もあり)になってきたな...と、植物願望に気付きました。
そう言えば、小さい頃、言葉が出てくるのが遅くて、母に心配されたっけ。
いまだに、うまく言葉なんて出てこなくて、感覚的に生きてるなぁ。
運動は苦手だし、毎日座ってばかりでもあまり苦にならないなぁ。
人の気持ちより、花の気持ちのほうがわかるかもしれない。
人間として、歴史が浅いんだな、きっと。
うん、やっぱりわたしは植物だったのだな。
ということで、前世の木になってみました。
そのほとりに、わたしは立っている。
もう、ずっとここに。
そして、これからも一生ここに。
子どもの頃は、空を飛びたかった。
わたしの枝を訪ねる小鳥たちのように、わたしもどこか知らないところへ行ってみたかったし、この森を、遠くから、上から眺めてみたかった。
一度でもいいから。
叶わぬ夢。
そう、木に生まれたわたしには、どんなに頑張っても、叶わぬ夢だとわかっていたくせに、それでもどこかに魔法の呪文があると信じていた子どもの頃。
心の声で小鳥に話しかけてみる。
「ねぇねぇ。小鳥さん。どうやって飛んでいるの?」
小鳥は美しい声を出して答えてくれる。
「ち、ち、ち。そうだなぁ。考えたことはないけれども。
次に行きたい枝をじっと見るのだよ。
それで、えいやって身体を持ち上げてみれば、その枝に着いてるんだ。」
すれ違う鳥に、いつも尋ねてみたけれど、返事はいつも似たり寄ったりで、やっぱり自分にはできないとあきらめるようになった。
夢をあきらめることは辛かったけれど、いつまでもうちひしがれているより、上を向いて伸びていかなくてはならない、と身体の芯のほうから逆らえない指令のようなものがあった。
太陽の恵みを、身体中の枝と葉を伸ばして受け止める。
熱と光が全身を包む。それは気持ちの良い時間。
時には、鳥や虫たちがわたしの身体に巣を作る。
そうしてしばらく、わたしのそばにいてくれる。
それは心が躍る楽しい時間。
つらいのは、強い雨。あんまり激しく打ちつけられると、わたしの枝は折れてしまう。
そして、どんなに根で押さえようとしても、土が流され、根が地上に露出してしまう。
それでも、それを乗り越え、傷をふさいで、新しい枝を伸ばしてきた。
また太陽は登り、わたしは全身の葉を輝かせる。
わたしのいる場所は、きりたった崖の際。
だから、ここに来てくれるのは空から来る鳥のほかは、細い枝つたいの小さなリスくらい。
見たことのある一番大きな生き物は、人間というもの。
湖の向こうには、小さな村がある。
そこに住む人間たちが、ときどきボートを浮かべにやってくる。
とはいえ、ここまではまだ遠く、わたしは声すら聞いたことがない。
あれはいったい、どうやって生きている生き物なのだろうか。
わたしたち、木の仲間たちは、声というものを持たない。
そのかわりに、心の中で思ったことを、そのまま「想い」という形で伝えあっている。
あの人間というものも、鳥のように、さえずることで想いを伝えるのだろうか。
どんな声をもつのだろうか。
いつかわたしにも寿命というものが来て、生まれ変わることができるものならば、湖の上をあのように美しく軽やかに行ってみたい。
小鳥たちのように、声というもので想いを伝えあってみたい。
おしまい
イラスト by はんたろう
TB
うまれかわり うさとmother-pearl
あとがき
うさとさんの「うまれかわり」のものがたりにコメントをしたらお返事いただきましたよ。
>お花とか、草とか、が前世なんですね。
>なんて素敵でしょう。
せっかく素敵って言ってもらったのに。わたしの場合の「植物」って、樹木でした。
植物なら、なんでも良い気もするんですけど、せっかくなら、少し背が高くて風景が見渡せて、草花よりは長生きできる樹木。色気よりも・・・みたいかな(笑)。
「うまれかわり」を読んでですね、わたしの前世、なんだろって考えてみました。
今まで、このブログで何度となく植物(この場合はお花もあり)になってきたな...と、植物願望に気付きました。
そう言えば、小さい頃、言葉が出てくるのが遅くて、母に心配されたっけ。
いまだに、うまく言葉なんて出てこなくて、感覚的に生きてるなぁ。
運動は苦手だし、毎日座ってばかりでもあまり苦にならないなぁ。
人の気持ちより、花の気持ちのほうがわかるかもしれない。
人間として、歴史が浅いんだな、きっと。
うん、やっぱりわたしは植物だったのだな。
ということで、前世の木になってみました。
TBありがとう。素敵な前世のお話です。
かなこさんの、物語と、はんたろうさんの挿絵が一体となり、絵本のようでした。おうちに持って帰り、星のきれいな夜には開いてみたい絵本のようです。
木は、叶わぬ夢を持っているから、うつくしい。
その仲で、内なる指令を聞いて、上へと伸びていくから、美しい。
木は鳥や人にあこがれ、
人は木や鳥にあこがれ、
そうすることで、木であることだけ、人であることだけの中で生きているより、ずっと美しくなるのだなあと気づきました。
私、何にも知らなかったんですが、ちょっとつながりがわかってきました。なあるほど。裏と表と、どちらも、かなこさんですね。
それから、はんたろうさんの挿絵、うらやましい!
そのうち、私のところにもお願いしたい!
なんだか、たくさん、たくさんほめてもらっちゃったみたいですよ。
でもね、今回はとにかく、うさとさんと初めてお話でつながれて、とっても嬉しいんですよ。
もう、それだけで十分・・・。(また、ぜひやりましょうね!)
うさとさんのすばらしいお話に対してあんまり見劣りするので、助っ人呼んできてしまいました。
絵は、ずるいですよね。なんだか。
うわあ。裏というか表というか、たどりつけましたか。
結構遠かったかと思うんですけれど、ありがとうございます。