深夜放送でたった1度だけ聞いた曲。
それでもその曲はまだ耳に残っている。
1972年か73年頃、もう40年も前の話だ…
カルメン・マキ&OZが「午前1時のスケッチ」を出したのは1974年。
四人囃子が「一触即発」を出したのも1974年。
金子マリ&バックスバニーが神田共立でデビュー・コンサートを行ったのは1976年。
70年代初期、日本のロックと言えば「フラワー・トラベリン・バンド」ぐらいか。
でも、英語の歌だった…
だからと言って、はっぴいえんど…じゃないんだよね。
ただ私より上の世代の人とは、「日本のロック」に対しての感覚は違うかもしれないが…
RCサクセション
デビューは1970年、「宝くじは買わない」なんだけど、この頃はまだ知らない。
でもロックじゃない。
ヒットしたのは「ぼくの好きな先生」、1972年のシングル。
それで知った、RCサクセションを。
フォーク・ソング。
どう聞いてもロックじゃない。
「デビュー当時から奇抜なファッションで日本のロック界をリードしてきた清志郎」
って、ワイドショーのナレーションは嘘を垂れ流す。
3歳上の姉がRCのファンでLPレコードはリアルタイムで聴いた。
「初期のRCサクセション」
「楽しい夕べに」
「シングルマン」
「ぼくの好きな先生」がヒットした時は人気が出た。
だって写真集が出てたもの。
自転車に乗っていた清志郎、三輪車だったかしら。
国立あたりの風景だったか…
もう遠い昔の写真の記憶。
その写真集は姉が買って持っていた。
たぶん、今はない。
ファースト・アルバム「初期のRCサクセション」の1曲目はフォークというよりは「ロックだなぁ~」って感じの「2時間35分」。
あの当時、72年頃の話。
中学生だった私の中で日本語で歌うロックだなぁ~と感じたのはこのRCサクセションの「2時間35分」とモップスの歌う「たどりついたらいつも雨ふり」の2曲だけだった。
リブヤングで見た「キャロル」はちょっと私の中では「ロック」じゃなくて「ロクンロール」なんだよね、まあ感覚的なものなので定義づけしろ、って言われると困るけどね。
ま、その「2時間35分」と「たどりついたらいつも雨ふり」以降、私の中で日本のロックというのはカルメン・マキ&OZの「午前1時のスケッチ」まで空白になる。
ただその間に「これってロックじゃん!」って思った曲が1曲だけある。
それが冒頭の40年も前に1度だけ聞いた曲、RCサクセションの「マイホーム」。
かなりヘビーなサウンドだったと思う。ベースの重低音がね、とても効いていたんじゃないかな。
これを聞いた時にピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」を思い出したのだから…
覚えている、と言ってももう40年も前の事。
実際は勘違いして記憶しているのかもしれない。
ただね、ラジオから曲が流れてきたときに「おおっ!」て感じたのは確かだったなぁ~
「マイホーム」。
RCサクセションのディスコグラフィーを調べてもこういうタイトルの楽曲はない。
結構未発表曲が多いみたいだからね。
歌の始まりは
「ぼくはいつも~」
だったと思う。
歌詞はとぎれとぎれしか記憶にない。
たぶんサビは
「待っていておくれよ、君のところへゆくよ~」
だったかなぁ~
そしてうろ覚えなんだが、その後に続くのは
「そんなに悲しいか、そんな寂しいか、良い子で○○~」
かな…
歌詞の最後は
「オー、マイホーム」
だったと思う。
「雨上がりの夜空に」で1980年、いきなり日本のロック界のトップに駆け上がったRCサクセション。
その後の快進撃はもうご存じの通り。
たぶん79年、テレビで久々に見たRCサクセションは3人組のフォーク・グループではなく、ド派手な衣装とどぎついメイクの清志郎をヴォーカルとするロックバンドだった。
歌は「ステップ」。
ちょっとびっくりだったけど、なんか40年前に聞いたRCの「マイホーム」があったから結構、納得出来たんだよね、やっとロックに来たか、って…
なんだかいつものようにグダグダになっちまったなぁ~
清志郎が亡くなってからもうすぐ2週間になる。
大ファンじゃなかったけど、やはり好きだったんだなぁ~
あらためてご冥福をお祈りします。
それでもその曲はまだ耳に残っている。
1972年か73年頃、もう40年も前の話だ…
カルメン・マキ&OZが「午前1時のスケッチ」を出したのは1974年。
四人囃子が「一触即発」を出したのも1974年。
金子マリ&バックスバニーが神田共立でデビュー・コンサートを行ったのは1976年。
70年代初期、日本のロックと言えば「フラワー・トラベリン・バンド」ぐらいか。
でも、英語の歌だった…
だからと言って、はっぴいえんど…じゃないんだよね。
ただ私より上の世代の人とは、「日本のロック」に対しての感覚は違うかもしれないが…
RCサクセション
デビューは1970年、「宝くじは買わない」なんだけど、この頃はまだ知らない。
でもロックじゃない。
ヒットしたのは「ぼくの好きな先生」、1972年のシングル。
それで知った、RCサクセションを。
フォーク・ソング。
どう聞いてもロックじゃない。
「デビュー当時から奇抜なファッションで日本のロック界をリードしてきた清志郎」
って、ワイドショーのナレーションは嘘を垂れ流す。
3歳上の姉がRCのファンでLPレコードはリアルタイムで聴いた。
「初期のRCサクセション」
「楽しい夕べに」
「シングルマン」
「ぼくの好きな先生」がヒットした時は人気が出た。
だって写真集が出てたもの。
自転車に乗っていた清志郎、三輪車だったかしら。
国立あたりの風景だったか…
もう遠い昔の写真の記憶。
その写真集は姉が買って持っていた。
たぶん、今はない。
ファースト・アルバム「初期のRCサクセション」の1曲目はフォークというよりは「ロックだなぁ~」って感じの「2時間35分」。
あの当時、72年頃の話。
中学生だった私の中で日本語で歌うロックだなぁ~と感じたのはこのRCサクセションの「2時間35分」とモップスの歌う「たどりついたらいつも雨ふり」の2曲だけだった。
リブヤングで見た「キャロル」はちょっと私の中では「ロック」じゃなくて「ロクンロール」なんだよね、まあ感覚的なものなので定義づけしろ、って言われると困るけどね。
ま、その「2時間35分」と「たどりついたらいつも雨ふり」以降、私の中で日本のロックというのはカルメン・マキ&OZの「午前1時のスケッチ」まで空白になる。
ただその間に「これってロックじゃん!」って思った曲が1曲だけある。
それが冒頭の40年も前に1度だけ聞いた曲、RCサクセションの「マイホーム」。
かなりヘビーなサウンドだったと思う。ベースの重低音がね、とても効いていたんじゃないかな。
これを聞いた時にピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」を思い出したのだから…
覚えている、と言ってももう40年も前の事。
実際は勘違いして記憶しているのかもしれない。
ただね、ラジオから曲が流れてきたときに「おおっ!」て感じたのは確かだったなぁ~
「マイホーム」。
RCサクセションのディスコグラフィーを調べてもこういうタイトルの楽曲はない。
結構未発表曲が多いみたいだからね。
歌の始まりは
「ぼくはいつも~」
だったと思う。
歌詞はとぎれとぎれしか記憶にない。
たぶんサビは
「待っていておくれよ、君のところへゆくよ~」
だったかなぁ~
そしてうろ覚えなんだが、その後に続くのは
「そんなに悲しいか、そんな寂しいか、良い子で○○~」
かな…
歌詞の最後は
「オー、マイホーム」
だったと思う。
「雨上がりの夜空に」で1980年、いきなり日本のロック界のトップに駆け上がったRCサクセション。
その後の快進撃はもうご存じの通り。
たぶん79年、テレビで久々に見たRCサクセションは3人組のフォーク・グループではなく、ド派手な衣装とどぎついメイクの清志郎をヴォーカルとするロックバンドだった。
歌は「ステップ」。
ちょっとびっくりだったけど、なんか40年前に聞いたRCの「マイホーム」があったから結構、納得出来たんだよね、やっとロックに来たか、って…
なんだかいつものようにグダグダになっちまったなぁ~
清志郎が亡くなってからもうすぐ2週間になる。
大ファンじゃなかったけど、やはり好きだったんだなぁ~
あらためてご冥福をお祈りします。
YouTubeで40年振りに「マイホーム」を聴きました。
これはライブ音源みたいですね。
レコード化はされていないけど、ライブではやっていたんですね。
本当にうれしい!!
どうもありがとう!!!