大学生時代に帝銀事件の死刑囚・平沢貞通氏の無実を訴え、再審請求を続けていた森川哲朗氏の講演を聴いたことがある。重病に冒され余命は限られていると聞いていたが、平沢氏の冤罪を晴らし、獄中から救い出そうとする執念に打たれた。その後、森川氏の『獄中一万日 追跡帝銀事件』(図書出版社)も読み、帝銀事件の背後にある闇の深さを教えられ、冤罪や権力犯罪に関心を持つきっかけの一つとなった。
今年、足利事件が冤罪であったことが明らかになり、菅家氏が釈放された。テレビの年末回顧でも、菅家氏の記者会見や栃木県警の本部長が謝罪する場面などが再び流れている。テレビや新聞、雑誌などを通して私なりに注目してきたのだが、森川氏の講演を聴いた30年前から現在まで、冤罪を生み出し続ける日本の警察、司法の問題は何も変わっていないと認識せざるを得ない。
裁判員制度が導入されるに当たって、冤罪を防ぐためにということで取り調べの可視化が議論された。しかし、結局実現されないまま裁判員制度は見切り発車された。このままではいずれ裁判員となった市民が、冤罪に加担させられてしまう危険性がある。本書を読んでつくづくそう感じている。
事件当時43歳で一人暮らしをしていた菅家氏が、自宅から警察に連れていかれたときの状況を、菅家氏自身が本書で記している。
〈朝の七時ぐらいのことで、目を覚ますと玄関をどんどん叩く音がするのに気がつきました。それで寝間着のまま玄関へ行くと、「警察だ。菅谷はいるか!」という乱暴な声が聞こえてきました。ドアを開けると、その途端、三人の刑事が家の中になだれ込んできました。六人の刑事がいて、そのうち三人が家に入ってきたのです。
「そこに座れ」と、家の中のガラス戸前に座らされると、すぐに「子供を殺したな」と言われました。
私はもちろん、「いえ、やってません」と答えましたが、次の瞬間にはいきなりヒジ鉄が飛んできました。座った体勢で、強く胸を殴られたので、後ろにひっくり返ってしまい、あやうく後ろのガラス戸にぶつかるところでした。それくらい強いヒジ打ちで、こちらもかなりの勢いで倒れてしまっていたのです〉(14~5ページ)。
刑事たちは殺された女の子の写真を菅家氏に突きつけ「謝れ!」と言い、謝る理由はないと黙っていた菅家さんが、つい可哀想になって冥福を祈るつもりで手を合わせると、警察への同行を求める。
〈それは任意などではなく、強制そのものでした〉(16ページ)。
そのようにして足利警察署に連れていかれ、連日厳しい取り調べを受けて、嘘の「自白」をするまでに菅家氏は追いつめられていったのである。
菅家氏はおとなしい性格で気が弱く、軽い知的障がいがあると言われていたという。そういう菅家氏を〃落とす〃ことは、刑事たちにとって難しいことではなかっただろう。菅家氏でなくても、平凡な生活をしている一市民が、いきなり暴力を振るわれて警察署に連行され、犯人と決めつけられて、相談相手もないまま連日厳しい取り調べを受け続ければどうなるか。何を言ってもダメだ、たとえ嘘でも犯行を認めて楽になりたい、という心境になるのは珍しいことではないのだ。
代用監獄、取り調べの密室化、予断による決めつけ、暴力的な威嚇と誘導、それらによって虚偽の「自白」が創り出されるという、過去の冤罪事件を生み出したのと同じ構図が、足利事件においてもくり返されたのである。
だからこそ、代用監獄の廃止や弁護士の立ち会い、取り調べのビデオ撮影などによる可視化が冤罪防止のために主張されてきた。しかし、先に述べたように裁判員制度がスタートした今日においても、それは実現していない。読谷村における米兵のひき逃げ死亡事件でも、米国に比べて遅れている日本の警察の取り調べのあり方が問題となっている。
本書では、菅家氏の二審以降の弁護人である佐藤博史弁護士によって、警察の取り調べ以外にも多くの問題点があったことが指摘され、批判されている。その一つは、家族への手紙や裁判の過程で菅家氏が、自分はやっていない、と犯行を否定していたにもかかわらず、それにきちんとした対応をしなかった一審の弁護士の問題である。
また、足利事件ではDNA鑑定が大きな焦点となったが、他の証拠についてもそれを丁寧に検証すれば、菅家氏が犯人であるとするには多くの矛盾があった。にもかかわらず、誤審をくり返し、結果として菅家氏の人生を17年半も奪い取った検察官や裁判官の問題がある。それらの問題を検証し、なぜ冤罪が生み出されたのかが明らかにされ、冤罪を生み出した者たちの責任が問われなければならない。
しかし、現実には徹底的な検証を阻む動きが出ている。本書の第七章は「裁判所は真実を闇に葬るつもりなのか」という題が付けられ、菅家氏の無実を証明したDNA鑑定が恣意的に扱われていることを佐藤弁護士が批判している。裁判所の再審決定以前に検察官が菅家氏を釈放したことで、一見、足利事件の反省と検証が進んでいるかのように見えるが、そうではないのだ。
足利事件と同じく科学警察研究所(科警研)のDNA鑑定によって死刑判決を受けていた飯塚事件の久間三千年氏が、08年10月28日に死刑執行された。そのことと足利事件の問題究明は深く関わっていて、佐藤弁護士はこう批判している。
〈久間さんの死刑執行は、疑いもなく、あまりに非人間的な殺人というほかはありません。
久間さんが無実だと言っているのではありません。しかし、久間さんが無実である可能性は、足利事件の科警研のDNA鑑定が、鑑定以前の誤鑑定だったことが明らかになった今、より一層強まっています。そうではないという人も、再審請求の機会を奪って久間さんの死刑執行をすべきだったとはまさか主張しないでしょう。しかし、現実にそのようなことが起きたのです。
こうして、法務・検察は、科警研といわば共犯の関係になりました〉(210ページ)。
それによってもはや法務・検察には科警研の誤りを暴くことはできなくなったと佐藤弁護士は指摘する。そして、足利事件について最高検が早期再審開始・無罪を指示したことや、東京高裁の矢村裁判長が再審開始決定をしたのは、足利事件と飯塚事件に共通する科警研のDNA鑑定の問題を隠蔽し、早期の幕引きを狙うものだと批判している。
〈足利事件の悲劇を二度とくり返さないために、足利事件で何がどこでどうまちがっていたのかを、辛いことかもしれませんが、ひとつひとつ検証することこそが求められています。パンドラの箱から飛び出す悪の顔がどんなに醜悪でも、それを正視する勇気を持たなくてはなりません。それが、菅家さんの蒙った冤罪の苦しみを未来に活かす唯一の道なのです〉(211ページ)。
この佐藤弁護士の言葉は警察・司法関係者だけでなく、すべての市民に向けられている。裁判員制度によって市民も自らが下した判断が、冤罪を生み出す可能性を負わされることになった。警察や司法に職業として携わっているわけでもなく、専門的な訓練も受けていない市民が、裁判員として下した判決が冤罪であった場合、どのような責任が生じるのか。これは重要な問題だと思うが、今までどれだけ議論されてきただろうか。
年が明ければ裁判員制度も2年目に入り、死刑や無期懲役という重い判断を迫られたり、被告が法廷で罪を否認して難しい判断を迫られる市民が出てくる。仮に自らが関わった裁判で冤罪が生み出されたとき、裁判員となった市民は、自らの責任にどう向き合えばいいのか。その時に抱くであろう戸惑いや疑問、加害者意識、罪責感などの感情をどう処理すればいいのか。
警察や司法を職業とする者は、組織が守ってくれたり、専門家として感情を処理することができるかもしれない。だが、裁判員として冤罪に関わった一般市民はどうすればいいのか。取り調べの可視化さえ実現できていない現在、冤罪が生み出される構図は何も変わっておらず、裁判員となった市民が冤罪に巻き込まれ、人を苦しめ、自らも苦しむ可能性があるのだ。佐藤弁護士が指摘するように〈足利事件で何がどこでどうまちがっていたのかを〉〈ひとつひとつ検証する〉と同時に、冤罪を防ぐための具体的な手だてを尽くす必要がある。
今年、足利事件が冤罪であったことが明らかになり、菅家氏が釈放された。テレビの年末回顧でも、菅家氏の記者会見や栃木県警の本部長が謝罪する場面などが再び流れている。テレビや新聞、雑誌などを通して私なりに注目してきたのだが、森川氏の講演を聴いた30年前から現在まで、冤罪を生み出し続ける日本の警察、司法の問題は何も変わっていないと認識せざるを得ない。
裁判員制度が導入されるに当たって、冤罪を防ぐためにということで取り調べの可視化が議論された。しかし、結局実現されないまま裁判員制度は見切り発車された。このままではいずれ裁判員となった市民が、冤罪に加担させられてしまう危険性がある。本書を読んでつくづくそう感じている。
事件当時43歳で一人暮らしをしていた菅家氏が、自宅から警察に連れていかれたときの状況を、菅家氏自身が本書で記している。
〈朝の七時ぐらいのことで、目を覚ますと玄関をどんどん叩く音がするのに気がつきました。それで寝間着のまま玄関へ行くと、「警察だ。菅谷はいるか!」という乱暴な声が聞こえてきました。ドアを開けると、その途端、三人の刑事が家の中になだれ込んできました。六人の刑事がいて、そのうち三人が家に入ってきたのです。
「そこに座れ」と、家の中のガラス戸前に座らされると、すぐに「子供を殺したな」と言われました。
私はもちろん、「いえ、やってません」と答えましたが、次の瞬間にはいきなりヒジ鉄が飛んできました。座った体勢で、強く胸を殴られたので、後ろにひっくり返ってしまい、あやうく後ろのガラス戸にぶつかるところでした。それくらい強いヒジ打ちで、こちらもかなりの勢いで倒れてしまっていたのです〉(14~5ページ)。
刑事たちは殺された女の子の写真を菅家氏に突きつけ「謝れ!」と言い、謝る理由はないと黙っていた菅家さんが、つい可哀想になって冥福を祈るつもりで手を合わせると、警察への同行を求める。
〈それは任意などではなく、強制そのものでした〉(16ページ)。
そのようにして足利警察署に連れていかれ、連日厳しい取り調べを受けて、嘘の「自白」をするまでに菅家氏は追いつめられていったのである。
菅家氏はおとなしい性格で気が弱く、軽い知的障がいがあると言われていたという。そういう菅家氏を〃落とす〃ことは、刑事たちにとって難しいことではなかっただろう。菅家氏でなくても、平凡な生活をしている一市民が、いきなり暴力を振るわれて警察署に連行され、犯人と決めつけられて、相談相手もないまま連日厳しい取り調べを受け続ければどうなるか。何を言ってもダメだ、たとえ嘘でも犯行を認めて楽になりたい、という心境になるのは珍しいことではないのだ。
代用監獄、取り調べの密室化、予断による決めつけ、暴力的な威嚇と誘導、それらによって虚偽の「自白」が創り出されるという、過去の冤罪事件を生み出したのと同じ構図が、足利事件においてもくり返されたのである。
だからこそ、代用監獄の廃止や弁護士の立ち会い、取り調べのビデオ撮影などによる可視化が冤罪防止のために主張されてきた。しかし、先に述べたように裁判員制度がスタートした今日においても、それは実現していない。読谷村における米兵のひき逃げ死亡事件でも、米国に比べて遅れている日本の警察の取り調べのあり方が問題となっている。
本書では、菅家氏の二審以降の弁護人である佐藤博史弁護士によって、警察の取り調べ以外にも多くの問題点があったことが指摘され、批判されている。その一つは、家族への手紙や裁判の過程で菅家氏が、自分はやっていない、と犯行を否定していたにもかかわらず、それにきちんとした対応をしなかった一審の弁護士の問題である。
また、足利事件ではDNA鑑定が大きな焦点となったが、他の証拠についてもそれを丁寧に検証すれば、菅家氏が犯人であるとするには多くの矛盾があった。にもかかわらず、誤審をくり返し、結果として菅家氏の人生を17年半も奪い取った検察官や裁判官の問題がある。それらの問題を検証し、なぜ冤罪が生み出されたのかが明らかにされ、冤罪を生み出した者たちの責任が問われなければならない。
しかし、現実には徹底的な検証を阻む動きが出ている。本書の第七章は「裁判所は真実を闇に葬るつもりなのか」という題が付けられ、菅家氏の無実を証明したDNA鑑定が恣意的に扱われていることを佐藤弁護士が批判している。裁判所の再審決定以前に検察官が菅家氏を釈放したことで、一見、足利事件の反省と検証が進んでいるかのように見えるが、そうではないのだ。
足利事件と同じく科学警察研究所(科警研)のDNA鑑定によって死刑判決を受けていた飯塚事件の久間三千年氏が、08年10月28日に死刑執行された。そのことと足利事件の問題究明は深く関わっていて、佐藤弁護士はこう批判している。
〈久間さんの死刑執行は、疑いもなく、あまりに非人間的な殺人というほかはありません。
久間さんが無実だと言っているのではありません。しかし、久間さんが無実である可能性は、足利事件の科警研のDNA鑑定が、鑑定以前の誤鑑定だったことが明らかになった今、より一層強まっています。そうではないという人も、再審請求の機会を奪って久間さんの死刑執行をすべきだったとはまさか主張しないでしょう。しかし、現実にそのようなことが起きたのです。
こうして、法務・検察は、科警研といわば共犯の関係になりました〉(210ページ)。
それによってもはや法務・検察には科警研の誤りを暴くことはできなくなったと佐藤弁護士は指摘する。そして、足利事件について最高検が早期再審開始・無罪を指示したことや、東京高裁の矢村裁判長が再審開始決定をしたのは、足利事件と飯塚事件に共通する科警研のDNA鑑定の問題を隠蔽し、早期の幕引きを狙うものだと批判している。
〈足利事件の悲劇を二度とくり返さないために、足利事件で何がどこでどうまちがっていたのかを、辛いことかもしれませんが、ひとつひとつ検証することこそが求められています。パンドラの箱から飛び出す悪の顔がどんなに醜悪でも、それを正視する勇気を持たなくてはなりません。それが、菅家さんの蒙った冤罪の苦しみを未来に活かす唯一の道なのです〉(211ページ)。
この佐藤弁護士の言葉は警察・司法関係者だけでなく、すべての市民に向けられている。裁判員制度によって市民も自らが下した判断が、冤罪を生み出す可能性を負わされることになった。警察や司法に職業として携わっているわけでもなく、専門的な訓練も受けていない市民が、裁判員として下した判決が冤罪であった場合、どのような責任が生じるのか。これは重要な問題だと思うが、今までどれだけ議論されてきただろうか。
年が明ければ裁判員制度も2年目に入り、死刑や無期懲役という重い判断を迫られたり、被告が法廷で罪を否認して難しい判断を迫られる市民が出てくる。仮に自らが関わった裁判で冤罪が生み出されたとき、裁判員となった市民は、自らの責任にどう向き合えばいいのか。その時に抱くであろう戸惑いや疑問、加害者意識、罪責感などの感情をどう処理すればいいのか。
警察や司法を職業とする者は、組織が守ってくれたり、専門家として感情を処理することができるかもしれない。だが、裁判員として冤罪に関わった一般市民はどうすればいいのか。取り調べの可視化さえ実現できていない現在、冤罪が生み出される構図は何も変わっておらず、裁判員となった市民が冤罪に巻き込まれ、人を苦しめ、自らも苦しむ可能性があるのだ。佐藤弁護士が指摘するように〈足利事件で何がどこでどうまちがっていたのかを〉〈ひとつひとつ検証する〉と同時に、冤罪を防ぐための具体的な手だてを尽くす必要がある。
訂正をお願いします。
お詫びして訂正します。