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日本の美術館・博物館では模写ができない? その実情を探る

欧米の多くの美術館・博物館では認められている作品の模写やスケッチ。しかし、日本の美術館・博物館でそうした行為を見ることは多くない。模写をめぐる実情を探った。

文=浦島茂世

とびらボード © nakajima yusuke 提供=東京都美術館

 先日、博物館でスケッチをしようとした子供が、監視員に咎められたことをその父親が「note」で報告、SNS上で大きな物議を醸し出した。欧米の多くの美術館・博物館で認められているという模写やスケッチは、なぜ日本では禁止されているのだろうか?

法律では禁止されていない模写・スケッチ

 そもそも、日本の美術館・博物館で模写やスケッチをすることに関して、法律的にはなんら縛りはない。全国美術館会議 編集、甲野正道 著『改訂新版 現場で使える美術著作権ガイド 2019』(美術出版社)によれば、「作品の写真撮影やスケッチは、個人的な楽しみや研究の目的で行うのであれば、著作権法30条1項の『私的目的の複製』に該当」するとされており、制限を受けることはない。つまり、どの日本のどの美術館でも撮影、模写・スケッチが認められることとなっている。

 しかしながら、美術館には施設管理権があり、どの人物に入館を許可するか、来館にあたってどのような条件を付すかを決める権限がある。また、施設の利用者や働く人の安全に配慮する義務との兼ね合いもある。つまり、模写やスケッチを許可するかどうかは、美術館ごとの判断、方針に委ねられているということとなる(ちなみに、撮影した写真やスケッチをSNSなどにアップすることは、著作権者の公衆送信権(23条1項)の及ぶ行為であり、別の次元の話となるため今回は取り上げない)。

 このスケッチ・模写の問題に関して、国立西洋美術館館長や文化庁長官などを歴任した青柳正規は、美術雑誌『美術の窓』2012年10月号において、「そもそも美術館が欧米に比べて小規模である」ことや、(日本において)「模写に対する理解が足りないのかもしれません」という、物理的状況や日本の鑑賞者のリテラシーなどが禁止の遠因になっているとコメントしつつ、「美術館はいろいろな意味で、社会に貢献すべきなので、美術館内で模写ができるように取り組んでいかなければならないと考えています」と語っている。

 なお、前述の青柳正規の談話を掲載している「美術の窓」誌2012年10月号では、模写が可能かどうかを全国各地の美術館にアンケートを取り、その状況をリストアップしている。その結果によると、鉛筆のみなら模写・スケッチ可能な美術館は38館、事前申請書や電話相談、手数料の支払いなどなんらかの条件が必要なものの可能な館が29館、野外展示作品のみ可能な館が4館。合計71館がなんらかのかたちで模写やスケッチを受け付けると回答していた。

 もちろん、少なくとも日本に453館(2018年度 文部科学省 社会教育調査より)以上ある美術館の数から考えれば多数とは言えないし、新型コロナウイルスの流行により、方針転換した美術館も少なくないとは思われるが、日本の美術館が全面的に模写やスケッチが禁止されているというわけではないようだ。

ネックとなるのは他の鑑賞者との兼ね合い

 2012年当時は国立西洋美術館館長だった青柳が(前向きに)「取り組んでいかなければならない」と語っていた模写やスケッチであるが、2021年になっても展示室内で行えないのはなぜだろうか? 実際に美術館・博物館にコメントをもらった。

 まずは、話題の発端となった子どもが監視スタッフから注意を受けたとされる江戸東京博物館(以下、江戸博)だ。江戸東京博物館の展示は、徳川家康が江戸に入府してから約400年間を中心に、江戸東京の歴史と文化を紹介する常設展示と、特別展示室で年5~6回開催される特別展の2種類ある。江戸博によると、常設展示室は空間的に余裕があることから、模写・スケッチは問題ないという。また、小中学生の団体が社会科見学や修学旅行で多く訪れ、ワークシートの記入なども行っている(展示品保護のため、ボールペンやサインペン、毛筆の使用は禁止。鉛筆のみ)。ただし、特別展は事情が異なる。

 子供が注意を受けたのは、特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」(2021年10月9日〜12月5日)の展示室だった。江戸博では、特別展の展示室は、常設展示に比べて面積が狭く、また混雑が多いため、他の鑑賞者の妨げとならないよう、1993年の開館以来、模写とスケッチは遠慮してもらっているという。

 今回の論議について、広報担当者は「特別展では多くのお客様に展覧会を楽しんでいただくため、模写・スケッチをご遠慮いただいています。いっぽうで、夏休み中の特別展では、スケッチもできる小中学生向けの特別鑑賞会なども実施しています。様々なご意見があることを承知していますが、ご理解いただけますと幸いです」とコメントした。

 ちなみに、江戸東京博物館の分館である江戸東京たてもの園では、基本的に野外での写生はOK(油絵具やアクリル絵具の使用は禁止)。また、建造物内や建造物敷地内、庭園、特別展示室内においては、鉛筆、木炭を使用する写生はOKだが、イーゼルや椅子、絵具の使用は禁止となっている(現在は、コロナ対策として長時間にわたり同じ場所に留まらないよう依頼)。

 また、総合文化展(常設展)において縄文土器を展示している東京国立博物館(東博)にも見解を聞いた。東博の広報担当者によると「鉛筆スケッチなら、総合文化展・特別展(借用作品で特別な条件が付与された場合は除く)で可能、許可申請は必要ない」とのこと。「ただし、長時間展示品の前で動かないなど、ほかの観覧者の鑑賞の妨げにならないように」とのことだった。

 そして、数多くの大型展覧会、いわゆるブロックバスター展を開催している東京都美術館にも見解を尋ねた。都美術館によると、作品を借用する場合、契約に汚損などを避けるため模写禁止条項が含まれていることがあるため、展示室内にイーゼルを立てたり、鉛筆以外の画材を使用したりする模写行為は一切禁止となっている。展示室や動線が狭く、他の鑑賞者の妨げになる恐れがあることから、チケットの裏面などにも模写が禁止である旨を記載しているという。

 ただし、鉛筆でノートやメモ帳に短時間で描くスケッチ行為は、原則として禁止はしていない。とはいうものの、長時間にわたり同じ作品の前や動線上にいる場合などは、声がけをする場合もあるという。

 他館から借りた作品の場合は、契約の問題、そしてほかの鑑賞者の鑑賞状況を損ねる恐れがあるというのが、日本では模写やスケッチについては大きな問題になるようだ。

美術館内での模写・スケッチのこれから

 前述の『美術の窓』誌が、2012年に模写・スケッチを受け付ける館を調査してから約10年。この間で美術館を取り巻く状況は、特に「教育普及」の分野で大きく変わっている。

 Googleで「美術館 スケッチ ワークショップ」、あるいは「博物館 スケッチ ワークショップ」で検索をしてみよう。すると、数多くや館が、美術館・博物館でスケッチや模写のワークショップを行っていることがわかる。

 前述の東京都美術館は、2012年よりすべての特別展において、中学生までの子供たちに「とびらボード」という、磁気式のお絵かきボードを貸し出すサービスを行っていた。子供たちは展示作品をみながら、自由にスケッチをすることができるボードだ。インクを使用せず、消すことも簡単なので、子供たちは心の赴くままにスケッチができることから、リピーターも多いという。

とびらボード © nakajima yusuke 提供=東京都美術館

 残念ながら新型コロナウイルス感染症予防対策のため、現在は貸出が中止されているが、感染症対策が十分にできるようになったら、貸出再開を検討するとのことだ。

 また、東京都美術館を含め上野公園内の9つある文化施設(上野の森美術館、恩賜上野動物園、国立西洋美術館、東京国立博物館、国立国会図書館 国際子ども図書館、国立科学博物館、東京藝術大学、東京文化会館、恩賜上野動物園)が連携して取り組んでいるプロジェクト「Museum Start あいうえの」(以下、あいうえの)では、ワークショップに参加している子供たちに特製キット「ミュージアム・スタート・パック」を配布している。

ミュージアム・スタート・パック 2021年度版 提供=東京都美術館

 「ミュージアム・スタート・パック」はスケッチができる冒険ノートや各館の説明を記載したガイドブック、ノートを入れるミニトートバッグなどからなる。このかばんとノートを持って参加館を訪れると缶バッジがもらえるのも子供たちには魅力的なようだ。

 そして、この「ミュージアム・スタート・パック」の冒険ノートと鉛筆を使用したスケッチは、各館で自由に行うことができる(混雑状況により難しいこともあるが、その際は利用者に周知する)。

 あいうえのでは、各館の展示室などで展示物を観察し、冒険ノートに鉛筆でスケッチをしたのち、東京都美術館のプログラム開催会場や自宅に戻って、色をつける、図版を貼るなど完成させて、ウェブに投稿するアクティブ・ラーニングを推進している。

 「Museum Start あいうえの」のウェブサイトには、これまで9つの文化施設を訪れた子どもたちの観察ノートが絶えずアップされており、子供たちが何をどのように見て、思ったのかを見ることができ、大人にも非常に参考になることが多い。

冒険ノート 中学2年生 提供=東京都美術館

 東京都美術館の広報担当者は「『アートへの入口』というミッションのもと、作品をじっくり鑑賞いただける環境と、より多くの方に快適に鑑賞いただける環境を、できる限り両立してまいりたいと思っております」と語った。

 あいうえのをはじめとして、対象を鑑賞、観察し、手を動かし、記録する模写やスケッチは、よりいっそうの学びが深まることは多くの館が理解している。また、鑑賞者の多くもスケッチができる環境をミュージアムに求めており、お互いの望む方向は一致している。

 物理的な状況や、スケッチを行う人、他の鑑賞者それぞれのマナーなど、障壁は多いが、模写・スケッチが全国全ての美術館・博物館で自由に行える日がやってくる日は遠くないはずだ。

編集部

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