海外にいるかのようなオープンで穏やかな空気感。和気あいあいと楽しそうに働くスタッフ。そこに上下関係はなく、それぞれがフラットな関係性で、何をやるか、どうやるかを話し合いながら運営しているという。
他の宿泊・飲食業と比べても独特な文化の源泉はどこにあるのだろうか。Backpackers' Japanで働くスタッフ一人ひとりに焦点をあてたインタビュー集 "Each Perspective"
今回は、東京・馬喰町のホステル「CITAN」のバーで働くお二人に話を伺います。
竹原 昌吾 | Shogo Takehara
2012年、Nui.の立ち上げメンバーとして入社。その後レッドブルで3年間働き、CITANの立ち上げ時に音楽文化の醸成を担うため再入社。現在はバーテンダー、コーチ、イベントの企画・運営、音響管理などを担う。また個人の活動として、出身地である福井県の行政事業や大型都市開発事業にも携わっている。
堀江 航 | Wataru Horie
オープン当初にCITANを訪れ、スタッフのホスピタリティや空間づくりに感動し、2021年にラウンジのナイトホールとして入社。現在はバーテンダーやCITANで取り扱うクラフトビールの選定などを担当している。
ボランティア活動から始まった最初の関わり
—— 普段、お二人はCITANでどんな仕事をしてるんですか?
竹原:大きくは3つで、現場のシフトとしてはバーテンダー、現場業務以外だと店舗のコーチ業務とその派生で店舗の設備管理とか人員管理、あと別で大きいのは週末のDJラウンジと月に2本くらいのライブイベントの企画や制作、運営ですね。
堀江:僕はバーテンダーの仕事と夜のホール業務、あとはバー業務の派生でクラフトビールのボトルとタップの選定って感じですね。CITANに入って1年半くらいになります。
—— 竹原さんはCITANの立ち上げから関わってるんですよね。
竹原:そうですね。正確には、2012年のNui.の立ち上げから関わっていて、一度レッドブルで3年働いたあと、2016年のCITANの立ち上げで戻ってきて、現在に至るという感じです。
—— ということは、Backpackers' Japan(以下、BJ)と関わり始めて10年以上になるんですね。最初のきっかけはなんだったんですか?
竹原:きっかけは東日本大震災のボランティア活動だったんです。BJの前代表のヒロ(本間貴裕)さんが東北でボランティア団体をやっていて、そこに合流して一緒に活動したのがきっかけです。ReBuilding Center JAPANの東野唯史さんやONIBUS COFFEEのあっくん(坂尾篤史)たちが今の会社を旗揚げする前の時期だったんですが、実はみんな同じボランティア団体にいて。そこで仲良くなって、よくtoco.で飲んだり遊んだりしていました。
—— なるほど、いま振り返るとすごいメンバーですね笑
その後、BJがNui.を立ち上げるタイミングで、バーテンダーが古さん(古里大輔・現BEER VISTA BREWERY事業責任者兼ヘッドブリュワー)しかいなくて、さすがに回らないと。自分が同時期に銀座でバーテンダーのバイトをしていたというのもあって、ヒロさんに誘われてBJに入社しました。
ホテルマンへの挫折から思いがけず訪れた出会い
—— 堀江さん入社の経緯についても教えてもらえますか?
堀江:実は中学生くらいのときからホテルマンになりたいなって思ってたんです。どこのホテルかは覚えてないんですが、家族旅行で泊まったホテルのドアマンがマジでかっこいいなって衝撃を受けて。元々、人としゃべるのが好きなので向いてるかもしれないと思って、大学はホテルマン向けの学部があるところを受けました。
大学ではホテルマンになるための授業を受けつつ、実際に自分もホテルで働いてみたいと思って、ハイアットリージェンシーというホテルのパーティ担当のアルバイトを始めました。
—— 着々とホテルマンへの道を歩んでいますね。
堀江:ところがアルバイトを始めて思わぬところで壁にぶつかりました。ホテルのパーティ担当なので、当然革靴を履いて仕事をするんですが、どうやら革靴と絨毯という組み合わせが、自分の身体に致命的に合っていなくて、腰を痛めてしまったんです。
絨毯の上を革靴を履いて仕事をするというのがホテルマンの大前提なので「あ、俺ホテルマンなれねえじゃん」というのをそこで悟ったんですよね。
—— なんと......それはつらい。
堀江:とはいえ親にもホテルマンになると言ってしまっていたので、大学は通い続けていました。CITANを見つけたのはこのタイミングでした。僕の大学の進級条件がTOEICの点数だったので、国立の自宅と千葉の大学の間で勉強できる場所を探していたんです。
当時は開業1年目くらいのSIRUPやyonyonがDJをやっていたときで、自分も音楽が好きだったのでちょうどいいじゃんと思ってCITANでTOEICの勉強をし始めました。
—— なるほど、そうやってCITANと出会ったんですね。
堀江:そうなんです。しかも、CITANの床は、絨毯じゃなくコンクリートだったんです(笑)。靴も服装も自由だし、自分の身体のことを気にせずに宿泊の仕事ができるって。それはもう嬉しかったですね。
—— それでCITANに応募した?
堀江:いえ、実はそのときCITANは採用募集してなくて、一度Nui.を受けました。Nui.の面接のときに、経緯も含めて一通り話したあとに「結局、Nui.とCITANどっちで働きたいの?」と聞かれて。正直に「CITANすね」と答えました(笑)
それが原因かわからないけど、Nui.は不採用でした...…。でも、そのやり取りをしているときにちょうどCITANで採用が始まったから繋ごうかと採用担当の人に提案してもらって。CITANの面接を受けて、今度は無事に合格になってラウンジの夜のホールとして採用が決まりました。
バーテンダーという仕事の深さと広さ
—— 一度はNui.を受けたけど、再びCITANに引き寄せられたということですね。竹原さんはどういった経緯でCITANで働くことになったのでしょうか?
竹原:CITANに誘われたのは、Nui.の立ち上げを経験した後、レッドブルに転職して2年くらい経ったタイミングでした。CITANはもともと、音楽をできる場所にしたいという考えが強くあった場所で。僕が当時クラブやライブハウスを担当していて、カルチャーとしての音楽や音楽関係者の知り合いも多かったこともあり、音楽イベントのプロデュースや制作の役割で入ってこないかと誘ってもらったのがきっかけです。
—— バーテンダーとして戻ってこないか、ではなく音楽をできる場所を作ってほしい、というオーダーだったんですね。
竹原:そうなんです。新しいトライとして音楽がありつつ、もともと好きなバーテンダーの仕事もできる。外の世界を経験して多少なりとも力がついたと思えるタイミングでもあったので、自分にとってはチャレンジしたいと思える環境でした。
—— 竹原さんはバーテンダーという仕事のどんなところに魅力を感じてますか?
竹原:お酒を作るところから提供するところまで、自分一人で完結できるというのはすごくおもしろいと思います。あとは自分の性分にあってたというのもあります。しゃべるのも好きだし、人の話を聞くのも好きだし。長くやっているとお酒の文化みたいなものも自然とわかるようになってきたり、やっぱり技術も必要だし。
総合的に覚えることが多いのと、できる範囲が広いというのがたぶん単純に楽しくて。あとはお客さんもいろんな人が来るので、普通に生活してたら会わない人も含めて、色んな人と接することができるというのも飽きないポイントかもしれないです。
—— 堀江さんにはCITANのどこが魅力的に映ったんでしょうか?
堀江:CITANでは週末にフリーエントランスでDJラウンジをやってるんですが、当時よく通っていました。僕はCITANのメニューの中で、サワークリームチリソースのポテトフライが最強だと思ってるんですが、それを出してくれたのが瞬くん(松尾瞬・Each Perspective Vol.1に登場)だったんです。
大学の友達と一緒に来ていて、いま思えば若気の至りなんですが、注文のときに「悪魔のポテトください」ってオーダーしたんですよね。本当に悪魔的に美味いので。そしたら瞬くんが料理を出すときに「悪魔のポテトです」って言って持ってきてくれて。「え、やばい、かっけえ……」みたいな。僕らのしょーもないくだりも、ユーモアに変えて楽しませてくれる。その体験はCITANで働きたいと思ったきっかけでもありますね。
—— たしかにそれはグッときちゃいますね。堀江さんが前に働いていたハイアットリージェンシーとCITANて、同じ宿泊業でもまったくカルチャーが違うと思いますが、その辺はどうですか?
堀江:本当にカルチャーは180度違いますよね。CITANの方がオープンな雰囲気があって、スタッフもゲストもカジュアルでフランクです。それが自分にはよかったんですよね。
—— 物理的な環境だけでなく、カルチャーの部分も堀江さんに合っていたわけですね。二人のことは色々と伺えたので、今度はバーテンダーの仕事について教えてもらえますか?
堀江:CITANのラウンジのバーは18時からなので夜シフトです。流れとしては、レジで注文を受けて、お酒を作って、ゲストに提供するというのが基本ルーティンですね。あと自分の場合はCITANで取り扱うクラフトビールの選定や事務作業などを昼の時間にやっています。
—— ビールの選定は、バーテンダーの人全員がやっているわけではないですよね。何かきっかけがあったんですか?
堀江:CITANのビールの選定は、今はBEER VISTA BREWERYで働くユウキくんが、CITANに在籍していたときにやっていたんですが、VISTAの立ち上げのために誰かに引き継ぐ必要があって。
堀江:僕がもともとビール好きだったっていうのもあって、ユウキくんから「お前、やれよ」って感じで言われて。褒めるのが上手くないユウキくんから遠回しに、お前しかいないって言われた気がして、ユウキくんがいうならやってみようかなという感じで始めたのがきっかけです。
—— もともとビールが好きだったんですね。
堀江:ビールは好きだけどクラフトビールはここに来るまでは知らなかったんですよ。ユウキくんと古さんに感謝だなって。二人が僕にクラフトビールの楽しさを教えてくれました。そしたら二人とも僕を置いてVISTAに行っちゃった笑
—— 堀江さんに引き継げたから二人とも安心してVISTAの立ち上げに専念できたんだと思いますよ笑 堀江さんが思うクラフトビールのおもしろさってどんなところでしょう?
2022年、清澄白河エリアにオープンしたBEER VISTA BREWERY
堀江:とにかくクラフトビールは深いですね。学ぶことが多くてきりがない。世界中にプレーヤーがたくさんいるし、新しいスタイル(ビールの種類)もどんどん出てくる。日本もここ10年くらいで、だいぶ盛り上がってきていると思います。
そのクラフトビールの多様さやおもしろさをいかにゲストに伝えられるかが大事だと思っていて、単に種類や味について伝えるだけではなく「風呂上がりに飲むのが最高なビールですよ」とか「こういう感じだから、疲れているときに飲むといいですよ」みたいな飲むときのことも含めて伝えるようにしています。
—— そのビールが飲まれるシチュエーションも含めて提案してるんですね。
堀江:これはユウキくんと古さんがやっていたことでもあるので、気づかないうちに自分の中に二人のイズムが流れているのかもしれません笑
あえて特化しないことで文化の裾野を広げる
—— 先ほどCITANは最初から音楽が聴ける場所にすることを念頭に置いて作られたとおっしゃっていて、そういう意味で音楽イベントの企画や運営もCITANという空間を構成する要素として非常に重要な気がしますが、その辺の話をお伺いできますか?
竹原:そうですね。僕がやっているのは毎週末やっているDJのブッキングと、あとは単発のライブなどのイベントが軸になります。
もともとCITANをつくるときに、常時ライブができるようなジャズ箱にしたいねとヒロさんと話していて。当時ヒロさんと渋谷のクラブや新宿のジャズバーに視察に行ったりしてました。でもライブって楽器を用意する必要があって、会場の音を最適な状態に調整する音響オペレーターという役割を置く必要がある。そこで折衷案として、DJイベントをやることになりました。
—— ふと思ったんですが、CITANは「ラウンジ」という位置付けだと思うんですが、「クラブ」との境界線ってあるんでしょうか。音楽が鳴っていて、人がわいわいしているというのは共通しているなと思っていて。
竹原:一つ目はその場に行く目的ですかね。音楽を聴きに行くのは、ミュージックバーやクラブ、ライブハウスとか。食事やお酒、空間なども含めて複数の要素で成り立っているのがラウンジ。
二つ目は、その場が盛り上がることが主題に置かれているか否か。パーティーを盛り上げて一体感を作ろうとするのが、クラブとかライブハウスだと思うんですが、ラウンジは場を盛り上げること自体は目的としていないんですよね。でも結果的に盛り上がったらそれはすごくいいことだなとは思っています。
—— なるほど。メインのコンテンツが音楽なのか、もっと総合的なものなのか。そして、盛り上がりや熱狂を生むことを目的にしているのか。総合的な空間という意味で、CITANのラウンジでは、そこにいる人がそれぞれ好きなことをやっていていいという空気が流れているような気がします。
竹原:そうですそうです。開業から今もずっと言い続けてることがあって、CITANという場所ではDJで集客したくないんですよ。素晴らしい方々に出てもらっているので、DJを前面に押し出せば多くの人に集まってもらうことはできると思います。
でもそれを続けていると、どんどんいわゆる音楽イベントに近くなって、音楽が好きな人だけが集まる場所になってしまう。それよりも料理やお酒、空間とか、音楽以外のコンテンツがあって、それを目的に来た人が音楽とかDJに出逢ってしまう。そういう体験がめちゃくちゃおもしろいと思うんです。
例えば、ご飯を食べにきたのに目の前でDJやってたらビビるじゃないですか。でも最初はビビるけど、意外とその場にいれるかもってなったらそっちの方がいいし、逆に音楽を聴きにきた人がご飯食べてる人を見て、自分たちも食べようってなったらそれもなんかいいなって。
—— たしかに。カルチャーって音楽に限らず閉じていきやすい性質があると思っていて、玄人とかそれに詳しい人が集まった方が熱狂は作れるけど、裾野は広がっていかない。BJのつくる場所はそれぞれの文化のゲートウェイ(入口)としての役割を担っているのかもしれませんね。
竹原:そんな気がします。CITANはオープンしてから今まで週末のDJは、意地でもエントランスフリー(入場無料)を守り続けてるんですが、それもそんな気持ちからです。CITANは今年で7年目ですが、今後もずっと続けていきたい方向性ですね。
それぞれが自分のやりたいことをやりたいようにやる
—— 最後にお二人が今後やりたいことについて教えてもらえますか?
堀江:僕はCITANで学んだことを活かしながら地方で働けたらいいなと思ってます。人と喋るのは好きだし、ここで働いてビールにも詳しくなったので、例えばビールのボトルショップとか。子どもの頃に山梨に住んでいたというのもあって、地方で働くことには結構興味あります。
—— 竹原さんはこれからについて、どんな風に考えてますか?
竹原:実はその質問が一番難しくて。今の自分の責任やお世話になった人への恩返しとかを取っ払ったときにこれからやりたいことって一切ないんです。流れに身を任せてる。たぶん自分がおもしろいと思ったら、いま持ってる全てを捨てて新しい環境に飛び込めると思います。あと誘われたら断れないという強い性分があって、自分が環境を変えるときはそういう引力が働いていることが多いです。
—— なるほどなるほど。竹原さんの内発的な動機は好奇心的なものが一番強いんですかね?
竹原:好奇心はどっちかっていうと行動するための燃料みたいなもので、もっと根本にあるのは反骨精神だと思います。学生の頃に同級生に比べて背が小さかったというのもあって、たぶんもともとすごく劣等感が強いんですよね。劣等感がバネになって、カウンターカルチャー的な性質が自分の中に根付いたような気がします。
—— その反骨精神に起因する、人と違うことをやりたいみたいな気持ちはあるんですか?
竹原:ありますね。同じ土俵で普通に勝負しても勝てないから、その土俵に違うルールを持ち込んだり、そもそも違う土俵を作っちゃうみたいな発想になるんだと思います。
CITANでいうと、一般的には音楽を目的とする人が集まるディープなカルチャーという側面を持つDJという概念に対して、あえてナイトクラブから切り離しフリーエントランスで、パーティ(盛り上がり)を求めないというスタイルでやっていて。それがこの日本橋という場所とも相まって、これまで誰も勝負していなかった土俵と環境が生まれているような気がします。
あと人と違うことをやりたい一方で、人を巻き込みたくないという気持ちもあるんです。
—— 人を巻き込みたくない?
竹原:周りの経営者だったり、他の人を巻き込みながら大きなことにトライしている人をみて、そうならなきゃって思ってるところもあるし、自分にはなれないなって思う部分もある。やっぱそういう人たちって、いい意味でも悪い意味でもわがままじゃないですか。でも自分にはそのわがままを突き通せるまでの自信がないんだと思います。
—— 今日竹原さんと話していてなんとなくですけど「あんたの人生はあんたのもんやろ」って思ってるんだろうなと。自分に影響されて、他の人の人生がそこに巻き取られるみたいな構造を作りたくないというか。
竹原:そうかもしれません。基本的にみんな独立した個人だと思っていて、それぞれの価値観やルール、意見がある。みんなが自分の意志でやりたいことを好きにやって、お互いに影響され合えばいいと思うんですよね。
—— それってまさにこれまで竹原さんが作ってきたCITANのラウンジと同じですよね。竹原さんがCITANに居続ける理由、そして竹原さんみたいな人が居続けられるCITANという場所のことが少しわかるような気がします。
竹原:個人が全体最適のための歯車になるんじゃなくて、それぞれが自分のやりたいことをやりたいようにやる。一つのものを作る過程においては、ぶつかることも多いかもしれないけど、結果的にそっちの方がおもしろい景色が生まれるんじゃないかなってずっと思ってますね。
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