物語やシステムや設定と「エロ」が密接に絡み合ったエロゲは最高だ、という話。
先日……てゆうか結構前ですが、『euphoria』というエロゲをやりました。これの「エロ」がですね、かなり良かった(正直言うとそれ以上に「惜しかった」のですけど)。
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文字だけだと寂しいのでアマゾンリンク載せときますが、アフィとかは登録してないので買うと多分はてなに金が入るんだと思います。やったねはてなちゃん、お金が増えるよ!(それ以前に売れない)
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、『euphoria』は後半の展開が神がかってると話題になったゲームでして、つまりネタバレしたらダメな作品なので、後半部分や核心部分のネタバレはしませんが、話の都合上序盤のネタバレは含みます。公式のあらすじ+α程度ですけど。さて、『euphoria』は、その公式のあらすじを見た方が早いですが(http://entacom.org/clockup/product/euphoria/story.html)、要約すると、目が覚めたら女の子数人と一緒に主人公が謎の建物に閉じ込めらているところから始まります。そんな中、部屋にあるスピーカーから「謎の声」が「これからゲームを開始します」と告げてくる。Hな命令(背徳的で暴力的で凌辱的な)が送られてくるので、主人公は女の子を一人選び、それを実行しなければならない。逆らえば死、上手くその命令を達成できなくても死。実際、ゲーム開始早々に速攻で、逆らった一人が死にます。上手く命令を遂行できれば建物の扉を一枚ずつ開いてあげよう。そのうち脱出できるかもね。―――そんなゲームです。この設定が素晴らしい。そしてエロい。
お分かりかもしれませんが、これってエロゲの縮図そのものでもあるわけです。稀に例外もありますが、ほとんどのエロゲにおいて、主人公とヒロインは絶対にセックスをします。言い換えれば、強制的にセックスをさせられるのです。現実の人間だったら、付き合ったからといって必ずセックスするわけではない。童貞のまま処女のまま人生を終える者もいる。しかしエロゲにおいては、主人公とヒロインが付き合ったらほとんど必ずと言っていいほどセックスするし、主人公・ヒロインといったメインの人物はほとんど必ずゲーム内のどこかにおいて童貞・処女を喪失することになる(既に失っていた場合は普通にセックスすることになる)。何事にも例外はありますが、基本的には、どんなに描写が薄かろうとも、エロのないエロゲというのはあり得ないし、セックスをしないエロゲというのもまずあり得ないわけです。故にこれはつまり、エロゲのメイン登場人物となった以上、彼ら彼女らは、その想いや性欲どうこう以前に「エロゲというジャンルの要請によって」必ずセックスをすることになる*1。
『euphoria』の設定は、そういったエロゲというジャンル構造そのままでもあるわけです。強制的にセックスさせられるというジャンル要件を暴力的な形で顕現した。ちなみに、命令されてHなことをしている時に、作中で主人公は「この様子を何処かで見て愉しんでる奴らがいるんじゃないか」と推測します。誰もいない建物の中に閉じ込められ、Hな命令を強制されるというものですから、そのように考えるのは当然であるでしょう。そしてそれは正解である。まさにプレイヤーが、それを見ている。
さて、ここで『euphoria』が上手いのは、公式のあらすじにも書いてありますが、主人公が密かに愉しんでしまっているという点です。下される命令というのは、無理矢理犯したり無理矢理イラマったり水に沈めてなんちゃらとか首を絞めながらどうたらとかアスホールあれこれしたりとか、要するに大半が凌辱的暴力的残酷的なのですが、主人公はそういった、女の子をめちゃくちゃにするということに密かに愉しみを覚えてしまっています。内心そう思ってる、密かに、というのがポイントで、口では女の子をいたわるようなことを言っておきながら、心の中ではこの陵辱劇に暗い喜びを感じているのです。強制されているだけなんだ、命令されているだけなんだ、仕方ないんだという外面をしておきながら、心の中では愉しんでいる。ここにプレイヤーがリンクする。私たちも、ゲームを進める為には、たとえ嫌でも女の子に酷いことしないといけない。そうしないと物語が進まないんだから。私たちも事実上強制されているのです。しかし同時に、その強制されたセックスを、楽しんではいないだろうか、愉しみではないだろうか、エロシーンでズボン下ろしちゃったりしていないだろうか。
これが素晴らしいくエロいのです。主人公はやらなきゃ脱出できない、プレイヤーはやらなきゃゲームが進まない、だから渋々、非道な行いも為しちゃいます。とか言いつつ、実際はその非道な行いで生じるエロは充分味わってるし、あまつさえ愉しんですらいる。この、罪悪感や責任感が棚上げされた結果、上辺だけの正当性を得られる、その設定が、抜群にエロさをパワーアップさせている。たとえばですね、現実で考えてみてください。誰かに命令されて仕方なく犯しているんだ、ああでも気持ちいい―――そんな場面は、ただ普通に犯すよりさらに遥かにエロさを感じないだろうか。いやまあ実際にそんな場面に出くわすことになったらそれどころじゃないかもしれませんけど、妄想として。実際には色々と痛みがあるだろうけど、そういうの抜きにして。てゆうか『euphoria』自体、そういう「現実だったらあり得る(心の)痛み」を、それこそ安全に痛いレベルになるまで濾過しています。つーかクソ上手いですよこれ。天才じゃねと思いました。たとえば、『euphoria』のこの設定というのは、真の意味での罪悪感や責任感を、手が届かない領域に遠ざけます。どれだけ酷いことしようが、どれだけ犯そうが、そういうゲーム(他に選択肢はない)なのだから、主人公は/我われは悪くない、という構図が出来上がってしまう。命令されてるから(他に選択肢がないから)仕方ないから悪くない、という意味ではなく、命令されてる(他に選択肢がない)という前提条件がある以上、どう頑張っても1から100まで全て「悪い」ということにはなれないのです。つまり、主人公は/我われは、たとえ罪悪感を持ちたくても、罪悪感を真の意味で抱くことが出来ない構造になっている。責任感もまた然り。常に逃げ道が確保されていて、せいぜいが、真の痛みを取り除いて愉しめるレベルまで落とし込まれた痛みになっている。それがいいのです、エロ的に。罪悪感というのはエロを増幅させるスパイスである、というのは例えばNTRモノの作品読んだことある方は十全ご理解頂けるでしょう。勿論大きすぎる罪悪感ではそうならないかもしれませんが、しかしどうだろう、『euphoria』のように、愉しめるレベルまで濾過された罪悪感であれば。目の前のエロ行為に「さらなるエロい意味」を付け足してくれるのではないだろうか。例えばNTRモノで女の子が、”彼氏を裏切ってるからこそ普段より余計に感じている”描写があったりするように。
ということで、単純に裸でいちゃいちゃしたり愛撫したり挿入したりすればエロいというわけではなく、もっと他の部分によりエロさというのは構築されていると思うのです。たとえば昔精神分析のジャック・ラカンとその周辺の人たちの本をよく読んでいたのですが、あの辺の人たちがセックスにおいて最も重要なものと見做していたのは「幻想」です。幻想というのは、あるものをそのもの以上の何かにするヴェールのこと。てゆうかそんな風に言わなくても、みなさんだってご存知でしょう。どうしてただ挿入するだけで満足せず、衣装にこだわったりシチュエーションにこだわったり立場や年齢にこだわったりするのか。たとえばもし、同じ顔同じ声同じ性格同じ体形同じ身体つき、つまり全てが同じである40歳とじゅうなんとか歳(好きな数字を入れよう!)がいるとして、その両者とセックスしたときに、得られる快感は両者ともに同じであるだろうか?
そういった、エロさを増幅できるような、生み出すような「設定」を、この『euphoria』は持っていて、そこが素晴らしくて、エロかった。そもそもエロゲの構図の縮図であり、それがエロさに直結しているというのが素晴らしいですね。たとえば2004年にPULLTOPよりリリースされた『お願いお星さま』というタイトルも、『euphoria』と同じようにエロゲの縮図的だったりします。
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主人公と幼馴染の女の子達の元に、ある日空から星が降ってきて、その星は願い事を叶えるという力を持っているのですが、願い事は(主人公たち関係ないところで)既に決められていて、それが全部エロいことで、しかし星は願い事を叶えるわけでして、つまり結果、”主人公たちは願い事である=星に設定されている「エロいこと」を半ば強制的にやらされる”、ということになるのです。この構図は「エロゲ」に対するある種の皮肉じみています。結果的に、ゲーム内の主人公たちは、エロゲプレイヤーの願い=欲望を叶えさせられている。プレイヤーの「エロ見たい」という願いを、主人公たちが勝手に強制的に叶えさせられているということです―――実はそれ自体は、ありとあらゆる殆ど全てのエロゲもそうなのですが(エロを見たいというプレイヤーの欲望を結果的には/形の上では主人公たちが叶えている、半ば・ある種・事実上は「強制的に」)、しかし『お願いお星さま』は、それを目に見える形として顕現させてしまっています。
『euphoria』と違って陵辱とかは無いので安心な分基本的にヌルくなっているのですが、しかしこれもまた相当にエロいタイトルでした。強制的にHさせられるという点で主人公/ヒロインとプレイヤーが同じ立場に立った上で、実はお互いの利害が一致しているというところなど最高です。『お願いお星さま』が上手いのはですね、たとえば「エロが見たい」「恋愛が見たい」というのはプレイヤーの欲望であって、その願いを主人公やヒロインが事実上強制的に叶えることになるのがエロゲの構図なのですが、同時に、「エッチがしたい」「恋愛がしたい」という主人公やヒロインの欲望を叶えることにもなっているという点もちゃんと拾っていることです。そう、つまり、エロが見たい/恋愛が見たいというプレイヤーの(潜在的な)願いを主人公とヒロインが叶えてるというのは、同時に、エッチしたい/恋愛がしたいという主人公とヒロインの(潜在的な)願いをプレイヤーが叶えていることでもある。PULLTOPはたまにメタいことかましてくるのですが(たとえば『てとて』のラストシナリオのように)、この作品でもそれは遺憾なく発揮されていて、エロゲの構図の縮図とでも言うものを、このように完璧かつ誰もが満足できるように(願いが叶うように)構築している。
そんな感じで、ただエッチするだけじゃなくて、エロシーンのテキストや絵に力を入れるだけではなくて、このように「何故Hするのか」「どのようにHするのか」「そういうHをする必然性は何処にあるのか」、そういったところに力を入れてる作品のエロさは最高だと思うのです。物語やシステムや設定というのは、エロと分離されているものではなくて、エロを増幅させるものでもある。物語やシステムや設定をエロに回収できれば、それは最高じゃないだろうか。たとえばエロ漫画でもですね、ボクは正直、岡田コウ先生とクジラックス先生さえいればあと100年は戦えるという感じなのですが、このお二方が素晴らしいのは、当然その画力が最高というのもあるのですが、それと同時に、彼らの漫画における物語や設定といったものが「エロに回収できる」という点が素晴らしいのです。たとえば岡田先生は妹モノやNTRモノが多いですが、前者は恋愛性や近親相姦なところを、後者は罪悪感や辛さを、見事なまでに「安全な痛み」のレベルまで研磨していて、それをエロに活用している。「浮空」とか、本当はそうではないのに奇妙なまでに淡白さを保っているのがまた素晴らしいわけです(引きずってどろどろしないで、まるでセミのひと夏の恋みたいに殺されるところが素晴らしい。そうでない方が彼女の望みであるというのが分かりきっているにも関わらず)。クジラックス先生も、その点に関しては気が狂ったレベルの天才。てゆうか「ロリ裁判と賢者の石」という常人では思い浮かばないようなタイトルをエロ漫画に付けてる時点で気が狂ったレベルの天才じゃないでしょうか。なにそのタイトル。その「ロリ裁判と賢者の石」は、物語も設定もまさに天才の仕業としか思えない領域のシロモノなのですが、しかしそれらをエロに回収することが出来るというのが最高に素晴らしいのです。イカれた裁判制度と、最後の新聞に垣間見える気の違った社会が、傍聴席の変態どもの欲望と、少女の確固たる復讐心と、レイプ犯の存在と合わさって、最高にアツいエロを現前させています。あれ最後のレイプ犯に対する死刑判決が「投石」なのがウケますね(「賢者の石」はそこにかかっています)。あのページまでに抜いて賢者モードに入った我われは善良な人間の顔して石投げますし、同時にあの陵辱で抜いた我われは見ず知らずの奴らによる投石を喰らわなければならない。そういうところがエロいんですよ。
エロゲも同様に、物語やシステムや設定が、エロに対して上手く作用している時、それは最高である。たとえば『euphoria』の「設定」は、そういう点で最高だったという話です。とはいえ、最初に「エロが良いんだけど正直惜しい」と書いたのは、罪悪感も責任感も完全に浮遊しちゃってるからこそ、もっと酷く・激しくした方がよりエロかったんじゃないかな、と思ったからでもありました。原理的にはですね、『グランド・セフト・オート』なんかと一緒なんです。一般ゲームもまた、そのジャンルによる要請や設定をプレイヤーに強いてきます。たとえば銃で人を撃つなんてとんでもないと思ってる方でも、FPSはじめたら、銃で人を撃たなくてはならない。だってそうしないと話が進みませんからね。モンスター殺すなんてヤダよ、みんな仲良くしようよと思ってる人でも、「モンスターハンター」やったら、モンスターを殺さなくてはならなくなる。そうしないとゲームが進まないので。つまりゲームの設定上、そのようなことをするのが「強いられている」。だから、強盗や人殺しなんてとんでもない、絶対やりたくないと思っていても、『グランド・セフト・オート』をプレイしたら、強盗や人殺しを絶対にしなくてはならなくなる(それが嫌なら、ゲームを進めない、ゲームをやめるという選択肢しかなくなる)。ここで順番を間違える言説が昔よくあったんですねー。たとえば、「恋愛ゲームのプレイヤーは恋愛を望んでいる(だからゲーム内では恋愛が描かれる)」。それは半分以上正しいかもしれませんが、完璧ではありません。もしプレイヤーが恋愛を望んでいなくても、恋愛ゲームをはじめたら”強制的に恋愛をさせられる”ということが、恋愛ゲームがプレイヤーの強制しているルールなのですから。プレイヤー個々人の願望や欲望は、ゲームそのもの(ジャンルそのもの)とは切り離されてもいるのです。たとえば『GTA』をプレイする人は強盗とか人殺しがしたいから『GTA』をやる、FPSをプレイする人は人を撃ち殺したいからFPSをやる、―――まさかですね。それじゃ『ドラクエ』をプレイする人は勇者になって世界を救いたいから『ドラクエ』プレイしているのか、レースゲームやる人は実際の車が運転したくてレースゲームをやっているのか。そういうわけではない。そういう願望・欲望を持ち合わせている人も勿論いるだろうけど、それ以前に、こっちが何を思って考えていようと、”そういうことをするのを強制的してくる”のがゲームなわけです。
そこを上手い具合についてくる『euphoria』は最高だったのですが、しかしこういう構造というのは罪悪感や責任感を究極的には棚上げにしてくれるので(だから人々は安心して『GTA』で殺人や強盗を犯せるし、もっと過激に・もっとリアルにという方向に走れる。たとえば『GTAライク』なゲームで、歩道にいる人々を轢き殺せないゲーム(そういう規制が日本版で入るゲーム)に対する批判などはどうだろう。別に人々は、本当は歩道にいる人間を轢き殺したいという欲望を持っているから批判しているわけではない。せっかくの過激さが失われることに批判しているのだ(欠損表現規制などに対する批判に関しても、それに近い赴きもある))、なので『euphoria』も、もっと酷く・もっと激しくしてくれた方が個人的には良かったかなと思ったのです。まあストーリー上それが難しいというのは分かるのですが。
で、このように「設定」をエロに上手く絡めて・エロに回収できるように作られている作品はエロくて最高なのですが、それは「システム」や「物語」でもまた同様です。たとえば、いわゆる黒箱系(陵辱とかそっち方面)ってあまりやらないのでなんかピント外れたこと言っちゃうかもしれませんけど、自分が一番お世話になった黒箱タイトルとして『輪[妹]姦〜傷モノの妹〜』があります。
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女の子が脅迫されて凌辱されまくって肉奴隷的にされちゃうお話でして、絵やテキスト・物語の構成や流れ、それらが素晴らしくてそれだけでも十分実用的なのですが、「システム」がまた良くてですね。女の子にどんなプレイを強いるのかを、スゴロク形式とかフローチャート形式とかスフィア盤みたいな形式で選んでいくのですが(参考(攻略ページ): http://anemonecosmos.x.fc2.com/kouryaku/kouryaku_rinkan.html )、これがなかなか思い通りにいかない。輪姦だの自慰だのアナルだのジャンルを選べるようになっているんですけど、ジャンル以上のものは選べないわけです。自慰を選べば自慰に絡んだ、アナルを選べばアナルに絡んだことを当然するのですけど、それがどういった内容になるのかは選んで見なければ分からない。挿入が見たくても選んでみなければ挿入があるかどうかも分からないし、輪姦なんて1〜5まであるのにその内の2〜5はほぼ使いまわしですw そもそもこれ「誰が選んでる」という話でもあって、ゲームは最初から最後まで一貫して女の子視点で進みますので、じゃあこの選択肢は誰が選んでいるんだという話でもあります。そこがまた良いのです。女の子は理不尽に強姦魔たちに振り回されるという話ですが、同時に我われもまたエロに関してはシステムに振り回されるわけである。勝手に話が進んで勝手にエロがはじまるのではなく、なまじ選べる形式になっているからこそ余計にそう感じさせます。しかもこのゲーム、妙に難易度が高いという面もある。通常のエロゲのように選択肢選んでいくタイプ&前述のフローチャート形式なので、一見するとそこまで難易度高くなさそうなのですけど、実際は何処でフラグが立つのかさっぱり分からないような内容になっています。やー、このゲームには姉ルートとか親友ルートもあるのですが、自分の場合は、何処でフラグ立つのか全然分かんなくて100周くらいプレイして先日ようやく辿り着きました。ハッピーエンドみたいなのもあるらしいのですが、未だそこには辿り着けていません。これが最高なのです。つまり、「いつ終わるか分からない凌辱」「どうやって抜け出せるか分からない凌辱」という彼女の状況と同じように、「いつ終わるか分からない」「どうやって抜け出すか分からない」状況を、攻略難易度という点でプレイヤーにも与えている。それも見るからに難しそうとか、あからさまに理不尽とかではなく、一見すると簡単そうなのに実は難易度高くて抜け出せない、というのが良いのです。それによって、プレイヤーもこの「抜け出せなさ」に引きずり込まれていく。まあ攻略サイトとか見ながらやれば話は別になるんですけど、しかし何も知らないではじめれば、(偶然上手くいく/あるいは総当りで別ルート見つけない限り)いつまでもこの凌辱の嵐に囚われることになる。つまり「終わりない凌辱」というのを、半ば偶然ですけど、システム上で再現しているのです。
そういったゲームです。エロシーンが、ただその場面のテキストとその時のCGのみによって構成されるのではなくて、たとえば「設定」が、「システム」が、エロさを増幅させる幻想となって密接に絡まってくるゲームが最高なのです。それは勿論「物語」にも言えます。物語とエロシーンをどのような関係に持ってくるか……物語によりエロシーンのエロさをどうやってアップさせるか。この辺はいわゆる「抜きゲー」に限らず色んなゲームで感心させられる場合があって、たとえば『この青空に約束を―』みたいなシナリオゲーやら萌えゲーやらでも、十分凄いなと思わせてくれます。『こんにゃく』は基本的には普通のエロシーンなのですが、しかし会長シナリオは物凄くて、あれは言うなれば限界まで弓を引き絞ったみたいな感じで、さんざんお膳立てをしまくって舞台を整えまくってキャラの心情をそこに持っていきまくって「ついに来た」なエロシーンだったので、これもうエロい、オナれる、なんてのを通り越して、「モニターの前にいる俺もパンツ脱がないと失礼である」と思えるレベルでした。ここまでのエロシーンに対して、素でプレイするなんて失礼でしょう、抜かなくてもせめてパンツぐらいは脱げ、それが礼儀ってもんだ。そう思える出来栄えだった。『キッキングホース☆ラプソディ』ののばら初回Hもヤバかったですね。たとえ抜く気がなくても抜かないとならなくなるレベル。これもまたさんざんお膳立てして舞台整えてキャラの心情も最高潮にしてエロシーンに突入するので、「ここで抜かなかったら俺はこの先何で抜くんだ?」と自問自答してしまう出来栄えでした。また『はるまで、くるる。』もキチガイじみていまして、てゆうかアレ、エロシーンで作品テーマ的に重要なことをガンガン進めるんですよ。それがエロい。エロゲのエロシーンには、たまに、「このゲームは1ヒロインにつき4回のエロシーンがあるので、うーん最初のHと2回目のHはちゃんと大事な行為で必然性もあって主人公もヒロインも燃えてたしHのネタも充実してたんだけど、あとの2回はHのネタもないしHする意味もなんもないんだけど、まあいいや適当に入れちゃえ」―――という過程を経たのかどうかは定かではありませんが、そうなんじゃないかと疑いたくなるくらいの、ただ「エロゲなのでエロシーンが無いといけないので入ってるだけのエロシーン」がまれにあります。その対極に位置するのが『はるまで、くるる。』みたいなエロシーンで、セックス全てに意味がある。ただ物語的にどうこうって話じゃなくて、ちゃんと「セックスすることに意味がある」のがすげーのです。勿論普通にエロシーンとして見てもエロいのですが、さらに、何故人間はセックスするのか、よく言われてるような、身体のつながりとか心のつながりって一体どういう意味なのか。そういったことに対する解答まで入っている。ちょっとアレは凄いです。完璧すぎます。まあ完璧すぎて(完全に主人公とヒロインのモノになっているHなので)プレイヤーがオナるという形ですら参入しにくいかもしんない、という欠点も無きにしも非ずですが。
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ちなみに『はるまで、くるる。』は、個人的には今までやった全てのエロゲの中で二番目に好きで高評価で良かったゲームでしたのでみんな買えと事あるごとにステマしてるのにボクの観測範囲の人たちは全然手をつけてくれないのでまだまだしつこくステマする。これ最高だぜ!(ちなみに一番は「C†C」です)。
さてここまで長くなりましたが、最後に、物語とエロとの合致という意味では世界最高峰だとボクが信じて疑わない『夏めろ』『シスターコントラスト』の話をしましょう。以前にも書いたことの焼き増しになりますけど、このゲーム最高だから仕方がない。どちらもAcacia Softというメーカーからリリースされ、木之本みけという天才がライターを務めた作品です。
で、この方の作品といえば、尿ジョッキやら包茎へのこだわりやら何やらと名前を聞いただけで五体投地したくなるような変態さ盛り沢山なのですが、その辺全部ちょっぱって『シスターコントラスト』と『夏めろ』の、物語とエロとの融合のヤバさを語ります。まず『シスターコントラスト』。条件が整うとヒロインキャラ視点から彼女の心情やら彼女のオナニーやらが展開されるというシステムが搭載されているのですが、それがライターさんのテキストの上手さと噛みあって神がかっています。女の子の主人公への想いや性への関心、そういうのが絶妙な倒錯具合で描写される。そもそもこれは、根本的には「窃視」の機構により成り立っています。一般的な「覗き見」と窃視との違いは、窃視の場合、常に、見られている向こうもこちらを見ている(のではないだろうか)という点にあります。深遠を覗くときは深遠さんの方もこっち見てんじゃね? という有名な言葉がありますが、それと同じように、ボクたちはこのゲームでヒロインのオナニーを窃視しているのだけど、オナニーしているヒロインもこっちを見てるんじゃね? という予感が付き纏うのです。どういうことかというと、彼女たちは常に、こちらの欲望を見ているんじゃないかというくらい、プレイヤーの欲望をあからさまに満たしていくのです。彼女たちが見ているのは僕たちの欲望です。木之本みけ先生は本当上手いと思いますね。このゲームにおいては、テキストが上手いことプレイヤーの欲望をコントロールしている。テキストが上手いこと、ここでこうなればいいな・こういうエロが欲しいなとプレイヤーの心理を誘導して、そしてそれをゲーム内で実現させている。つまり、「彼女たちがプレイヤーの欲望であるそれを、彼女たちの願望であるそれを実現して、それをプレイヤーが窃視的に見る」という、この世に二つとない倒錯しまくった性的欲望の昇華をここに実現させてしまってたのです。このエロさはヤバイです。おかしいです。ここまで綺麗に構築されたエロというのはまずお目にかかれません。なので皆さん、買え・やれ・抜け。
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続いて『夏めろ』。これねー、今ちょっとプレイし直したのですけど、やはり偉大すぎて説明できない。と言いつつなんか書くと、「全てがエロに回収可能なくらいである」というのが本当偉大なのです。たとえば橘花なんかは、「相手に自分の理想を投影」というのが物語における一つのキーワードになっているのですけど、それすらもHの時はお互い相手に欲望を投影して自分の性欲を満たしたりしているわけで、そういうところがたまんないのです。「幼い恋心の危うさ」「そういうセックスの危うさ」に対しゲーム内で正面から突っ込みを入れてるにも関わらず、それを貫き通す。なんか数ヵ月後くらいにこの二人普通に別れててもおかしくなさそうな危うさがあるのだけれど、だからこそ(それでも)セックスの濃密さが光る。他にも、たとえば中里シナリオなんかもヤバくてですね(てゆうか全シナリオ全エロシーンやばいのですが)、もう説明しようがないのでテキスト引用しちゃいますが、
徹生「しょ、処女じゃないって言った……!」
俺は焦った。
中里の初めてを奪ってしまった……!
美夏「や……やーい……。引っかかった……」
中里は痛がりつつも、ふざけた声で俺をからかった。
徹生「な……。引っかかったって……」
美夏「だって、深町……。初めてだって言ったら、やめちゃうでしょ……?」
美夏「このトシで処女なのも……恥ずかしいしね……」
美夏「こうなったら……最後まで……しようよ……?」
美夏「深町となら……いい思い出に、なりそうだし……」
美夏「深町も……出したいでしょ……?」
美夏「あたし誘惑しちゃったし……あたしのカラダ……好きにしていいよ……」
徹生「そ、そうなのか……?」
俺はそんな間抜けな返事しかできなかった。
そんな話をしている間にも、中里の膣内は俺のものを柔らかく締め付けて、もどかしくてたまらなかった。
動かしたい……。もっと中里を感じたい……。
中里の子宮に精液を注ぎ込んで、俺のものにしたい……。
そんな気持ちでいっぱいで、中里の言葉を深く考える余裕もなかった。
根元まで押し込んだら、もう一度手前へ……。
徹生「はぁ……はぁ……中里の処女、もらっちゃった……」
親友なんだし、そのくらい役得があってもいいよな?
そんなわけの分からないことを考えながら、俺はゆっくりと腰を前後させる。
(中略)
徹生「だんだん……出そうに……なってきた……」
俺は中里に射精が近いことを告げる。
徹生「中に……いいよな……? 親友だもんな……」
中に出したくてたまらなくて、俺はわけのわからないことを言いながら中里の腰を引き寄せた。
親友関係ねー! これが物語と絶妙に絡まって最高にエロいのです。その後も、「お前は俺の性欲処理係だ(こいつ多分Mだからこんなこと言っても大丈夫だよな……?)」とか言い出したりしてマジ最高です。あーもうなんだろう、こういう書き方で伝わるでしょうか。伝わらないですよね。もう正直、みんなやって下さい、プレイして下さいとしか言いようがありません。
たとえばですね、この作品、共通ルートはたいていのエロゲと同様にプレイ時間にして5時間くらいあるのですが、個別ルートが1時間強しかないのです。もちろんエロシーンも全部入れて1時間。しかし1時間しかないのに、普通のエロゲと同じように、女の子とデートして喋ってさらに仲良くなって、女の子の抱えているトラウマが出てきてそれを主人公が解決してあげて、かつ当然エロシーンが4回くらいある、という一般的なエロゲ個別ルートのフォーマットを踏まえています。一般的なエロゲは個別ルートが3〜5時間くらいの長さでして、その中で色々やるわけです。しかし『夏めろ』は1時間しかありません。普通のエロゲと同じように描くには尺が足りていません。しかもエロシーンが4回くらいあって、それぞれ10分くらいのシーンと考えると、残された時間は30分くらいしかないのです。その時間だけでデートしてイチャイチャして話すすめてトラウマを解決して、なんて常識的に考えてムリでしょう。なのでこのゲームは、纏められるところは一つに纏めてしまいました。つまり、セックスしながらトラウマを解消するのです。はっきり言ってこれが頭おかしいくらいエロい。肉体的な快感と精神的な快感と、肉体的な繋がりと精神的な繋がりが、もうなんか爆発しちゃっています。トラウマ解消以外にも、歪みを押し付けたりとか、キャラのアレな面が十全に出ていたりとか、このゲームのエロシーンやばすぎです。単に愛撫して挿入すればエロいのではなく、その行為を「そのもの以上の何か」に見えるようにする幻想こそがエロにおいて重要なのだ、みたいな話を上のほうで書きましたが、そういう意味では『夏めろ』は最強です。だって全てのエロシーンが「ただのセックス以上の何か」であるのですから。これほどまでにエロいエロゲーは存在しないでしょう。
そもそも『夏めろ』は初期設定としてエロ設定といいますか、たとえばエロゲというのは、「偶然」と「鈍感」という不文律によってイベントを回して物語を進める場合が多いですよね。やけに都合の良い偶然が起きたり、やけにキャラが鈍感だったり、そんな場面は腐るほどある。このゲームはそういうのをなるべく排除して、もっとリアルなものをそこに詰め込んでいます。それは「欲望」と「身勝手」さ。思春期の少年少女の欲望と身勝手さが空気のようなレベルで作品内に満ち満ちているので、ぶっちゃけるともうそれだけでエロいのです(思春期男子・思春期女子の欲望、すなわち「エロ」が、そして身勝手さが、世界観の根幹に置かれている!)。そこにおいて、ありとあらゆるセックスに意味を持たせてしまった。セックスとトラウマをくっつけるし、セックスで思春期男子/思春期女子の歪みが表現されるし、セックスで人生が変わるし。こんなイカレた采配をしてしまっているから、だから余計にエロい。もうわけわからんほどエロい。恐らくエロゲにおいてはこれと同じようなエロというのは存在しないんじゃないでしょうか(もし存在してたら是非是非教えてください)。アルティメットワン、この世で究極のエロがここにある。なので皆さん、買え・やれ・抜け。
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これは全員買うべきです。だってほら、100万枚くらい売れればみけたん帰ってきてくれるかもしれんし……。
ということで、長々と書きましたが、何が言いたいのかというと、よく「エロ」と「物語」(あるいは設定やシステム)は全く別物のように分断して語られることが多いですけど、決してそういうわけではないということです。泣きゲーやら燃えゲーやらに代表される物語系のゲームと「エロ」は全く別の世界の存在のように語られることが多いけど、それらは決して関係ないものでも分離しているわけでもましてやお互いがお互いを生かせないものでもない。勿論、抜きゲーにおける物語というのもまた同様です。上に書いた『夏めろ』がまさにそうであるように、物語がエロをさらに高めることもあるし、エロが物語をさらに高めることもある。「物語」の部分を「設定」や「システム」に置き換えても一緒です。エロゲにおいて「エロ」と「他の要素」は、元々分離されているものでも、別々であるべきものでもありません。お互いがお互いを高められるのです。
あとついでに、てゆうか、今回の文章で最も重要で一番言いたかったことなのですが、誰か他にも物語や設定やシステムを上手い具合エロに絡めて素晴らしいことになってるエロゲがあったら教えてください。出来ればロリ系キャラが多くいる作品、貧乳キャラが多くいる作品でお願いします。マジで。『夏めろ』みたいなのだったら明日すぐ買いに行きます。
*1:勿論例外はありまして、たとえばかの有名なエロイッカイダケ=『きっと、澄みわたる朝色よりも、』なんかは、その点においてはめちゃくちゃ評価できます。「攻略対象ヒロイン全員とセックスしろ〜」というジャンルの要請をブッチして、メインヒロインであるひなとしかセックスをしないというのを貫き通しているのですから。ジャンルの常識よりも、ユーザーの要望よりも、物語やキャラクターの「セックスをしない必然性」の方が上回り、それを実際に為した。是非はともかく、そういった姿勢を貫き通したという点だけは少なくともめちゃくちゃ評価できる。